黒神の聖女 〜言葉の紡げない世界で〜
15.聖女が名前を呼ばれる日②
右胸部ーー癒しの力[聖女]   5階位   封印
下腹部ーー慈愛[狂?]   3階位
左肩ーー-自己犠牲[贄の宴]   3階位
喉、首ーー言語不覚[紡げず、解せず]   3階位
右太腿ーー利他行動   2階位
左脛ーーー自己欺瞞   2階位
左臀部ーー憎しみの鎖[繋がり?]   1階位
「これが……加護、なの……?」
アスティアは刻印の数々から、いかに神々に愛された子だろうかと少しだけあった嫉妬も消えていくのを感じた。エリはさっき言っていたではないか、白神に愛されて羨ましいと。  アスティアは自分の体温が下がったことすら自覚する。
クインとコヒンの解読が事実ならば一体どんな神が刻んだのか、アスティアは冷たい怒りが湧き上がってくるのを抑える事が出来なくなっていた。
「ああ、こんなのは加護とは言いたくない……これではまるで……」
呪いではないか……思わず口に仕掛けたが、同時にすぐ側には少女がいる事を思い出してアストは口をつぐんだ。
丁度少女は葡萄を口に放り投げ、失敗して小さな鼻に当てたところだった。  こちらの話には全く興味がない様子で、  逆に先ほどまで遊んでいたエリはじっと解読された内容を読んでいた。
「説明を続けます。  彼女がここにいる一つ目の理由です。言語不覚の刻印の影響で、話をする事は出来ません……ただ、もっと大きな問題があります」
「言葉を紡げないだけでも大変なのに?」
「はい。彼女はおそらく、我々が話す会話も、書かれた文字すらも理解が出来ないでしょう。  これは知能の問題ではありません。むしろこの子は知能は非常に高いと推測されますから」
「意味を理解出来ないって言うの……?」
「はい、これを見て下さい」
クインは積み木を並べてみせる。
「丸い、四角い、小さい、軽い。 この積み木を隠しこれらの言葉を彼女に伝えても、それを導き出す事は出来ないのです。但し、彼女がこれを見たり触ったりする事でこれが何なのか、どういった形状や材質なのかをしっかりと理解出来ます」
積み木を隠したり見せたりしながら説明をするクインを見て、その為の積み木だったのかと思いながら、よく理解も出来た。  言葉だけではピンと来なかったかもしれない。
「つまり積み木を理解出来ないのではなく、言語による理解だけが制限されているのか……」
「その通りです。この子は治癒院で騎士を癒し命を救ってくれました。  気管に溢れた血を吸い出し呼吸を確保し、更に腹部に残っていた金属片すら取り出して傷を塞いだそうです。治癒院にいたクレオンさんが間近で見ていたので間違いありません。  これは高度な知識や経験がないと成せない事です」
「クインは、この刻印が後天的に刻まれたと言いたいんだな?  生まれてすぐ見つかる刻印ではないと」
クインはアストが導き出した事を認めつつ、更に答えを加えた。
「おそらく、いえ間違いなく[癒し]と[慈愛]は生まれつきあった刻印と思います。 優しく、慈愛に溢れた女の子だったのでしょう……寧ろ、そこに目をつけられて別の神に後から変えられたのです」
「変えられた?  別の神に?」
アスティアの疑問に、アストとクインは目を合わせた。
「アスティア様、癒しと慈愛の刻印以外は黒神、黒神ヤトに刻まれました ……ヤトは……太古から在る憎悪や悲哀、痛みなどを司る強力な神の一柱なのです」
「憎悪や悲哀、痛み……そんな……」
エリですら何時もの笑顔は消え、少女の横顔を見ていた。
「クイン、この子はこれからも私達と会話も出来ないの?」
アスティアの今にも泣き出しそうな目を見て、クインも哀しくなったが、刻印の説明は始まったばかりである事を思い、お腹がギュッとなるのを感じた。
「はい、残念ながら……そうです」
出来る限り感情は抑えたつもりだったが、やはり声は震えていた。悲しげなアスティアを見れば、それを止める気も消えていく。
「続けます……殿下、言語不覚も問題ですが本質は他にあります。 ここからは私の推測も混じる事をご理解下さい。それと……アスティア様……これからの内容は非常に辛いものになるかも知れません。それでも、お聞きになりますか?」
アスティアはクインに真っ直ぐに見つめられて、思わず怯んだが同時に思った。鏡の前でこの子の髪をとかしたときを。
「ええ、勿論聞くわ。続けて頂戴」
アスティアの力強い言葉にクインだけでなくアストも感心し、同時に彼女の成長を知り誇りに思った。
「分かりました。では、次を見て下さい」
部屋に紙をめくる音が響いた。 雨は激しさを増し、まるで聖女を哀しんでいるかのように思えた。
「彼女は慈愛の刻印を持っています。しかし[憎しみの鎖]は一見慈愛とは相反した刻印だと思われませんか?」
「ああ、そう思う。  僅かな時間とはいえ見てきた彼女の行動からも、憎しみなど感じることもない」
アスティアもエリも頷いている。
「彼女の刻印は全てのそれぞれが鎖の様に繋がって影響を与えていると考えられます。  黒神ヤトは、計算して刻印を刻んだのでしょう……」
クインの説明は、聞けば聞くほどアスト達三人の心に冷たい雨を降らしていく。 
憎しみの鎖は、外に向いているのではなく、彼女自身に向けられている。これは何らかの過去が影響を与えているはず。また慈愛に反しないよう自己欺瞞で誤魔化し、これにより彼女は自身への価値を見出せない。 ひどく自己肯定の薄い人になる。
アストはその説明に、したくもない納得をしてしまった。
「だから自らを傷つけても、誰かが心を痛めても、何も感じていないように……」
「はい……でも、それでもまだ終わらないのです」
クインの推測は続いていった。
「黒神ヤトは、癒しの力を用いて世界を救済するつもりでしょう。しかし5階位の力など人には過ぎたものです。魂魄の容量からも、人は2階位、しかも二つまでしか刻印は刻めない筈でしたから」
癒しの刻印に力を与えるため、魂魄の容量を犯さないために、[自己犠牲 贄の宴]を刻んだのだとクインは続けた。
自己肯定の薄い彼女は、簡単に自らを傷つけて贄を用意してしまう。魂魄からではなく、自らの血肉を用いる事でその力を引き出すのだと。
「……利他行動……自分ではない第三者のために自己を顧みずに動き、狂わされた慈愛によってそれを簡単に実行に移すのでしょう……疑問を持ったとしても悲鳴をあげることも、誰かに助けを求める事も彼女には出来ないのですから……」
クインは言葉を紡ぎながらも、美しい唇を噛み強く手を握り締めて心の葛藤と怒りを表している。
「そんな……そんなの酷すぎるわ……この子はそんな事をする為にいるとでもいうの……」
「そんな事許されて良いわけがない……まだ大人にもなりきれていない少女じゃないか……。それに……それではまるで、聖女じゃなく……」
「この子は聖女ではなく、生け贄だと……そう思いますか?」
黙ってしまったアスト達に、クインは自分も否定したいと思う。
しかしコヒンも言っていた……辻褄が合うと。
「黒神ヤトは、全てを計算して刻印を刻んだんです。 この子は放っておいても、血の流れる戦場に赴き人々を癒す事でしょう。  自らの意思なのかも分からず、誰にも告げる事なく」
「でも……人々は癒され、もしかしたら世界は救済されるかもしれません……。では誰が彼女を癒し救うのでしょうか……?」
その言葉に誰一人として答える事が出来なかった。
「殿下……恐ろしくはないですか……? この子は腕を切り裂き、その血肉によって人々を癒すのなら……もし幾ら血肉を捧げても癒す事の出来ない大勢の人がいたら、次は何を差し出すのでしょうか……?」
「命を、命を差し出すと……?」
「刻印の全てが、それを表しています。 自己を顧みさせない慈愛と、それにより力を増す癒しの力が……そして、それが世界を救済する鍵なのかもしれません」
黒の間には、ただ窓を叩く雨音だけが響いていた。
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