ぼくの初恋は、始まらない。第2章

さとみ・はやお

第14話

火曜日の放課後、ぼく窓居まどい圭太けいたは姉しのぶと会うために銀座に向かったのだが、待ち合わせ場所の和光前でぼくを待っていたのは、先日ぼくを拉致監禁したクレージーなシスコン女子中学生、高槻たかつきみつきだった。

みつきは、先日やったことを謝りたいので、ぼくをこうして呼び出したのだと言う。

彼女らしからぬしおらしい態度に、ぼくも素直に謝罪の言葉を受け入れた。

そして、彼女の姉への思いをじかに聞いたのだった。

彼女は姉との話し合いをきちんと済ませたわけではなかったが、姉が本当は男性との付き合いを望んでいるのではないか、みつきが神様に頼んで姉に付与してもらった「能力」を実は欲していないのではないかと、思うようになっていた。

つまり、みつきの考え方が、今までの自分の思いをそのまま発露させるようなものから、確実に変わりつつあったのだった。


ぼくはみつきのそんな打ち明け話をひとしきり聞かされたのち、彼女にショッピングに付き合って欲しいとせがまれた。

ぼくはその話に、即座にこう答えた。

「そうだな、時間も十分あるし、付き合ってもかまわないよ」

「ありがと。あたし、これまでひとりでお買い物なんてしたことがなかったから、ちょっと不安だったの。助かるわ」

みつきはそう言って、安堵の表情を浮かべた。

ぼくが考えるに、彼女はこれまでショッピングに行くときは、家族と一緒に行っていたのだろうな。

家族以外の男性と行くのは、まあ間違いなく、今回が最初なんだろう。
ということは、これって一種のデートみたいなもの?

いやいや、ちょっと違うよね。
少なくとも、恋愛感情を持っていない男女の共同行動はデートとは呼ばないはず。

みつきに「これってデート?」なんて聞いたら、彼女の性格からしてぶん殴られそうだから、絶対そんなこと聞けないな。

「それじゃ行こうか。えっと、勘定書きは……」

ぼくが会計を済ませるため勘定書きに手を伸ばそうとすると、みつきはそれをさっとつかんでこう言った。

「今回は、あたしが圭太をむりに呼び出したんだから、あたしに払わせてね。

ささやかな、おわびのしるしよ」

年下の女性にごちそうしてもらうってのはいささか面映ゆいことだけれど、確かに彼女の言っていることも筋が通っているので、ぼくはその申し出に甘えることにした。

「そうかい、ありがとう。そういうことなら、今回はゴチになるね。

次の機会は、ぼくが持つから」

そう言って、ぼくはほほ笑んだのだった。

⌘       ⌘      ⌘

店から銀座中央通りに出ると、三十分ほど前に店に入ったばかりの頃よりは、人出が明らかに多くなっていた。
あと少したてば、会社勤めの人たちも退社の時刻を迎えることになる。

これからが、銀座がいちばん銀座らしい賑わいを見せる時間帯だ。

そんな時に、ぼくは詰め襟、みつきはセーラー服にコートと、ともに学生の格好をした男女が表通りを歩いているのは、なんとも場違いな感じがあった。

まさか補導されるような時間ではないが、堂々と歩くのはむずかしく感じた。
さっき、みつきがひとりで買い物をするのは不安があると言った気持ちがよくわかる。

みつきがこう話し出した。

「あたし、まだ中学生だから、毎月のお小遣いは雑誌代分ぐらいしかもらってないの。

そのかわり、お洋服を買うときは、父か母が必ず一緒についてきて、支払いをしてくれるの。

だから、あたしが好きな服でも、親のオーケーをもらわないといけないから、ちょっと派手めな服は納得してもらうのに苦労したものよ。

でも、今度高校に上がるということで、お祝いに商品券を5万円分ももらったの。

これで、自分が選んだお洋服を自由に買えるわ。

とは言っても、1回の買い物は2万円以内、買ったものは必ず親に見せるという条件付きだけどね」

そして、その商品券を見せてくれた。
心なしか上気した顔つきで。

前に高槻家を訪問したときにもご両親や高槻から聞いたのだが、みつきの一番の趣味はおしゃれな服探しということだから、やはり新しい服を買うとなるとテンションが上がるんだろうな。

そうこうしているうちに、ぼくたちは三丁目のアップルストアの前までやって来たが、みつきの足はそこで止まった。

向かいはもちろん、デパートの松屋 銀座がある。
言うまでもなく、そこが目的地だろう。

「さあ、何から見ようかな。楽しみ!」

彼女がその大きな目をキラキラさせ、手を組みながら語る様子に、ぼくは完全に圧倒された。

ひょっとすると、彼女は姉に対する以上の情熱をファッションに注いでいるんじゃなかろうか、そう思えた。

《こりゃ買い物が長丁場になるのは、いたしかたないかな》

ぼくはそう、覚悟を決めたのだった。

⌘       ⌘      ⌘

ぼくたちは松屋に入り、まずは1階から見て回った。

さすがにセリーヌ、ディオール、フェンディだのといった海外ブランドは予算の関係から対象外と見えて、軽くウインドウショッピング程度で済ませた。

彼女の年ごろではほとんど身につける機会がないであろうアクセサリー類も、参考程度にさらりと見て終わり。

すぐにエスカレーターに乗り、2階のインターナショナルブティックはパスして、3階まで上がった。

「あたし、いつもは渋谷のマルキューあたりでお洋服を探すんだけど、そういうギャルなスタイルだけじゃなくて、もっと大人っぽい格好もしてみたいの。
さおりちゃんみたいに」

フロアを歩きながら、みつきはひとり言のようにつぶやく。

「このフロアは、ほとんどが社会人向けのキャリアファッションだから、あたしにはまだ手が届かない世界だけど、憧れはあるのよね。
今はただ見て、勉強するの」

この階では、まだ何か買う予定はないみたいだった。
それでも、みつきの服を見る眼差しは、真剣そのものであり、時にメモ帳を取り出しては走り書きをするなど、リサーチに余念がなかった。

次に向かったのは1階上の4階で、ここは内外の代表的なデザイナーズブランドが勢ぞろいしたフロアだった。といっても、男性であるぼくには、名前を聞いたことはあっても、どれが一番人気なのかよくはわからない。
ただただ、ブランドの数が多いことに、圧倒されていた。とても、男ひとりじゃ歩ける地帯じゃない。

ここでもみつきは、下の階の時と同じような感じで各ブランドをざっと見て回っていった。

ショップのスタッフのお姉さんたちも、ぼくたちの年恰好を見て、熱心にセールスをかけるべきお客と思わなかったのだろうな、ほとんど声はかけてこなかった。
まあ、予算額から言っても大したお客とは言えないだろうし。

それにしても、みつきのきょうのメインターゲットは何なんだろう。一向にわからなかった。

4階を見終わった次に向かったのは、6階だった。
エスカレーターに乗りながらみつきは、しばらくリサーチに集中していて閉じたままの口を、ようやく開いた。

「5階は紳士服専門のフロアだからパスして、次は6階ね。きょうのお目当てのうちのひとつは、そこよ」

そう言う間もなく到着したのは6階、一大ランジェリーフロアだった。

一瞬、血の気が引いた。

⌘       ⌘      ⌘

「ル・ランジェ」と名づけられた、6階の半分を占められたパステルカラーの地帯、これはどう考えても、学ラン姿の男性が足を踏み入れるべき場所ではなかった。

ぼくの脳内は、目の前に広がる未知の世界を前に、羞恥心と恐怖心で充満し、爆発寸前だった。

しかし、みつきはそんなぼくのパニック状態などお構いなしに、ぼくの腕を引き寄せるようにして、ずんずんと前進していった。

シモーヌペレール、シャンタルトーマス、ワコール、トリンプ、バルバラなど、国内外の15種を超えるブランドのランジェリーを、ひとつずつ見て回るのに付き合っているうちに、ぼくの羞恥心も次第に麻痺してきた。

「先ほどみつきが『きょうのお目当てのひとつ』といっていたからには、とにかくひとつに決めて買うまでは、このフロアからは出られないな」
というあきらめの境地に、ぼくはついに至ったのだった。

「ふーん、海外ブランドだと、ブラだけで予算の大半を使うことになっちゃうわね。

国内ブランドにはない、特別なゴージャス感は捨てがたいけど、お金は大切に使わないとね。

ここは、ワコールかトリンプあたりにして、別の買い物のために予算を残しておかないと」

なかなかにお買い物上手な、みつきさんだった。

小一時間、「ル・ランジェ」のコーナーをざっと一巡したのち、ターゲットを絞り込んだのであろう、みつきはトリンプの売り場に踏み込んでいった。

が、さすがにぼくは彼女と一緒に入ることを躊躇していた。足が止まってしまったのだ。

みつきは、その様子に気づいて、
「どうしたの。これからが肝心なんだから。
せっかくあたしと一緒に来た意味がないでしょ」
そう言って、手を伸ばしてぼくの手を引っ張り、ぼくを引き寄せたのだった。

その手のひらの感触は、この間の日曜日、ぼくを拉致監禁したとき、ぼくの頬をさすった時以来に味わったものだった。

それはほんのりとあたたかく、全体的にスリムな印象のみつきの手にしては意外な感じがした。
正直、少しドキッとした。

こうなればしかたない。ぼくは言った。

「わかった、わかった。乗りかかった舟だ。付き合ってやるよ」

「ありがとう」

みつきから、素直な返事が返ってきた。

とはいえ、近くに控えていたスタッフのお姉さんは、ぼくたち、というより学ラン姿のぼくを見て、何とも言いようのない当惑の表情を見せていたのを、ぼくは見逃さなかった。

ああ、ぼくの生存パワーがどんどん削られていく……。

売り場に入ったみつきは、機敏な動きでいくつかのブラ・ショーツのセットを選びあげ、それをぼくに見せた。

ひとつめは、天使のブラ。ミモザカラーというのかな、淡いオレンジ色の上品な印象のセット。おとなっぽいお姉さんタイプの女性向きかな。

ふたつめは、恋するブラ。色はロココピンク。いかにも可憐な感じだ。おとなしい性格の女性に合いそう。

みっつめは、be sweet。左右にリボンがついた、小さな花柄が全体にあしらってあるブラとショーツ。全体に淡いブルー系の色遣いで、みっつの中では、もっとも若さや快活さを感じさせるデザインだ。

「この中で、どれがあたしに似合うと思う?」

意見を聞かれたので、ぼくはしばし考えたのち、
思い切ってこう言った。

「be sweetかな、みつきちゃんの雰囲気に合っているのは」

そう答えたら、彼女は、

「実はあたしもそう思っていたの。意見が一致してよかった。

あたしたち、意外と気が合うのかもね」

そう言って、ちょっとはにかんだような笑顔を見せた。

意見が食い違ったときに生まれるであろう、微妙な空気を回避出来て、ぼくもホッとした。

とはいえ、ひょっとしたらみつきのほうで、せっかく買い物に付き合ってくれたんだからと、ぼくの意見に合わせてくれたのかもしれない。

実はちゃんと相手への気遣いが出来る子なんだろうと、きょうの彼女を見ていて、思っていたからね。

その品物の購入を決めたみつきは、ブラのサイズを確認するため、試着室へ入っていった。

外で待つぼくにとって、その数分は一時間くらいにも感じられた。何より、スタッフのお姉さんと目が合わせられない。

さいわい、一発でサイズがあったようで、みつきはさっそくレジで商品券を出して、支払いを済ませた。

「おまたせ。これで、きょうのお買い物、前半終了ね。

あと、もうちょっと付き合ってね」

そう言ったみつきは、いかにも会心の買い物をしたという笑みを浮かべていて、幸せそうだった。

それを見て、ぼくもいろいろ忍耐して来た甲斐があったと、気持ちがほころんだのだった。(続く)














          

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