ぼくの初恋は、始まらない。第2章

さとみ・はやお

第10話

なにかと事件の多かった週末も明けて、月曜日の昼休み、ぼく窓居まどい圭太けいた榛原はいばらマサル、高槻たかつきさおりの三人は、例によって学校の中庭のベンチで、昼食と歓談の時間を過ごしていた。

いや、正確には三人じゃない。すぐとなりにはいつのまにか美樹みきみちる先輩が座っていて、四人になっている。
先週金曜日に、ぼくたちから同席を許された実績からか、ちゃっかりレギュラーメンバー化している?

まあ、高槻にがない以上、特に害はないだろうとぼくや榛原も黙認する。

クールビューティで通っているはずの美樹先輩だが、いつものイメージとは違って、ここに来るとすっかり相好そうごうを崩してしまっている。「デヘヘ」と言わんばかりだ。

「きみたぁち、きょうは待ちに待った吹奏楽部の日だよ。
木曜日以来だから、実に四日ぶりだな。
先輩はきょうという日を、どれだけ待ち遠しく感じていたことか!」

そのまま立ち上がって、たからかにオペラのアリアでも歌い出さんばかりだ。
実に幸せそうだ。

そんな日常的な平和を、ぼくたち三人も楽しんでいたのは事実だった。
ここのところ、高槻妹にまつわる問題で気が張ることが多かったので、格好のガス抜きとも言えた。

ふと、ぼくは思った。
この和やかな空間の中にもうひとり、あの高槻妹が加わっていたって構わないんじゃないかと。

いまは、実の姉も含めたぼくたちと対立構造にあるみつきではあったが、この世界に違和感なく溶け込むことだって、本当は出来るのではないかと。

そう思うと、ぼくはみつきが孤立しているいまの状況を変える手だてを考えてみたくなった。

⌘       ⌘      ⌘

放課後は、先ほどの四人揃って吹奏楽部の練習に参加した。
ぼくたち部員の晴れの舞台ともなる卒業式までひと月を切っていることもあり、練習にも熱が入って来た。

練習が終わり、先週木曜日と同様、ぼく、榛原、高槻が連れ立って帰ろうとすると、美樹先輩が、おずおずとぼくたちに近づいて来た。

「せ、せっかくだから、帰り道、お茶でもしていかないか。
せ、先輩がおごっても、いいぞ」

「そりゃ、うれしいな。高槻さん、行ってもいいよね」
ぼくは頭にピッとひらめいたものがあって、間髪を入れずに、そう答えた。

高槻も、
「あ、はい、窓居くん、榛原くんが行くと言うことなら」
と、その流れに乗ってくれた。うん、いい感じだ。

榛原も、無言でうなずいてくれたから、ノープロブレムだ。さっそく四人で、本町ほんまち駅近くまで歩くことになった。

場所は、おごってくださる美樹先輩の懐具合を配慮してだろうか、先週ぼくたち三人が密談に使った「シャトウ」を、榛原が提案してくれた。

あの店は、界隈の喫茶店では図抜けてメニューが安いのがウリなのだ。ま、あの築六十年超のままのボロさでは、そのくらいメリットがないとね。

「シャトウ」の二階席に上がり、ボックス席に高槻と美樹先輩、ぼくと榛原が向かい合って座った。

「きみたちと、練習以外でコミュニケーションを取る機会が出来て、先輩は嬉しいよ。
学校だと、なかなか立ち入った話が出来ないしね。

ところで、音楽の話以外でも構わないんだが、なにか先輩に相談したいこととかないかな?」

そう話を切り出してきた美樹先輩に、まずはぼくが食いついた。

「そうですね……ぼくはこれまで女性のかたには相談したことがなかったんですが、やはりこういう話は女性サイドの意見もお聞きしたほうがいいと思いますので、あえてお話させていただきます」

そう言って、ぼくは自分の非モテ歴の話を始めた。

正直言って異性に打ち明けるにはいささか恥ずかしい内容ではあったが、思い切って現在に至る約五年間の経緯を話したのだった。

そして、非モテの原因、わが姉がぼくの恋愛をずっと妨害していた事実を三週間ほど前につきとめて、一か八かの奇策によりついに解決したこと。

しかし、それにもかかわらず、新しい恋が始まる気配はまったくないということも。

最後に、
「あまりに長い間、非モテ状態が続いていたからでしょうか、いったいどういう相手にアプローチすれば恋愛がうまくいくのか、まるでわからないのです」
と、告白したのだった。

日頃のぼくの行動パターン、異性に対しては必要以上に距離をとってしまう傾向からすれば、このようなカミングアウトをするなんてまずありえないのだが、異性であることをほぼ・・感じさせない美樹先輩の〝男らしい〟キャラクターのおかげだろう、すんなりと話すことが出来たのだった。

と同時に、たぶん一対一ではこんな話をすることはないだろう高槻にも、美樹先輩や榛原が同席しているおかげで、ぼくの個人的事情を伝えることになった。

もっとも、それがいいことなのか、むしろ高槻がぼくに対して持つイメージを悪くすることになるのかは、よくわからなかったが。

だって、こんな話をしたら下手すると、物欲しげで恥知らずなヤツだと思われてしまうかもしれないだろ。

でも、そのあたりは気にしないで言い切ってしまった。
なぜなら、ぼくは高槻のような高嶺の花と付き合える可能性なんて1パーセントも期待していなかったからだ。
彼女の印象をよくしておく必要はなかった。

「ほう、いきなり窓居くんの恋バナから来たかぁ。いいよいいよ、そういうフランクな姿勢、先輩は歓迎するよ」

美樹先輩は、感嘆と興奮を口ぶりににじませながら、こう答えた。

「いまの窓居くんの体験談を聞いていて、先輩も大いにシンパシーを感じていたんだよ、実は」

この一言を聞いて、正直ぼくはとても意外に感じた。

百合という、あまり一般的とはいえない指向(あるいは嗜好か)を持つとはいえ、バレンタインには誰よりも多くのチョコを(同性からではあるが)もらうぐらいモテる美樹先輩と非モテのぼくに、共通要素など一ミリもないと思っていたからね。

先輩は、こう続けた。
「思うに、恋愛って開墾されていて平坦な道を進むか、イバラの道を進むか、どちらを選ぶかで難易度がまったく違うと思うんだよね」

ぼくが尋ねた。
「それって、具体的にはどういうことでしょうか?」

先輩が説明してくれた。

「つまりね、自分がいいなあ、好きだなぁと思った相手に好きになってもらうことって、ものすごく困難なことなんだよ。

だって、ある特定の相手だけを好きになるって、つまるところそのひとの自我、エゴが決めたことだろ。

たとえ何十人から告白されようが、自分は自分が好きになった相手しか愛せない、そういう考えかただと言える。

けれど、好きになられた相手の側にだって、エゴはある。
そのひとも相手と同様に、自分は自分が好きになった相手しか愛せないと考えるようなら、このふたりの恋愛はまず成立しない。

ひとりが周りにいる何十人、何百人の中から特定のひとりを選ぶ一方で、選ばれた相手も多数いる中からたったひとりを選ぶとするならば、それが両思いになる確率と言ったら、三十人にひとりどころじゃない、千人にひとりぐらいになってもおかしくない。

聖書のことわざをもじって言えば、そういう恋愛はラクダが針の穴を通るぐらい難しいってことさ。

もちろん、世の中そんな恋愛ばかりじゃ、恋愛がごくまれにしか成立しないことになって困るし、下手すると人類が滅ぶかもしれないから、現実的にはもう少し、ラクな手を使うことになる。

つまり『自分を好きになってくれた相手を好きになるようにする』、これだね。

自分に好意を表明してくれた相手の中から、自分が一番好ましく思う相手と付き合う。
これなら、恋愛が成就する確率は飛躍的に跳ね上がる。分かるだろ?

その代わり、自分が一番好きな相手と付き合うことは、ひとまずあきらめざるを得ない。
恋愛の成就の可否を優先させれば、それは飲むしかない条件なのだ。

ここまでで、きみにもおおよそ分かって来たんじゃないかな。
窓居くんもわたしも、自分が本当に好きになった相手と付き合いたい、理想主義者なんだよ。

だけれど、その考えかたを貫こうとすると、たいていの場合、恋は実らない。
思う相手には思われず、思わぬ相手にばかり思われる。
先輩も、案外苦労しているんだよ、きみ同様」

その言葉を聞いて、ある意味、目からウロコが落ちるようだった。

たとえ、お姉ちゃんの妨害がなくなったいまとなっても、ぼくが「自分が好きになった相手としか付き合わない」というこれまでの方針を変えない限り、これからまた新たに三十人に告白したところで、全員にフラれてもおかしくないってことじゃないか。

そういうふうに考えれば、一件落着と思えたぼくの懸案も、解決とはほど遠いところにあるのがよくわかった。

「ありがとうございます、先輩。
ふたつの道、どちらを選ぶかは、本人の考えかた次第ってことですね。
これからとるべき道、じっくり考えてみます」

そうぼくが答えると、美樹先輩は、
「ああ、それがいいな。恋愛は相手あってのものだから、ふつうはすんなりとはいかないものなんだ」
と言って、ちらっと隣りに座った高槻を見た。

「高槻くん、きみも、何か先輩に相談したいことはないかい?」

高槻を恋愛相手の候補として意識しているからには当然の流れだろうが、美樹先輩は彼女にも話を振って来たのだった。

高槻はほんの一瞬、ハッとした表情になったが、すぐに調子を取り戻して、こう返答した。

「そ、そうですね。わたしの場合、いま一番悩んでいるのは、ひとつ年下の妹のことなんですが」

高槻はやはり、その問題を出して来たのだった。
ひょっとすると、あのこと• • • • あのこと• • • • もカミングアウトしようとしているのか?
ぼくは思わず息を飲んだ。

見ると、美樹先輩も興味津々といった表情で、高槻を見つめていた。
榛原だけは、いつも通り平然としていた。

「妹の名前は、みつきといいます。
彼女は小学校に入ったぐらいの頃からずっと、何かにつけてわたしのことをしばろうとするのです。
わたしが妹抜きで行動しようとすると、必ず文句をつけて妨害しようとします。

特に、わたしが周りの男の子と仲良くしようとすると大変なんです。
ありとあらゆる手を使って妨害をして来て、何回仲を壊されたか数え切れません。

それだけじゃなくて、同性の友だちのことでさえやきもきを焼いて、その子にいろいろ意地悪をして、結局わたしとは仲良く出来なくしてしまうのです。

だから、わたしはいまだに同性の親しい友だちもまったくいないのです。

そういう事情があったので、榛原くんと窓居くんは、わたしが初めて仲良くなれた人たちです。
本当に例外中の例外なんです。

そして、先週末、おふたりに妹を引き合わせたのですが、やはり妹はわたしの初めての男友だちの存在を快く受け入れてくれませんでした。
妹はおふたりとひとことも、会話を交わしてくれなかったのです。

どうしたら、妹はわたしひとりに執着するのをやめて、わたしの交友関係を妨害しなくなるのでしょうか」

おそらく意図的にだろうな、妹のやや病的なシスコンやその霊能力、高槻自身の異能といった話は巧みに避けて、高槻はやっかいな妹との関係について説明したのだった。

美樹先輩は高槻の話のあいだ、瞑想をするように目を伏せ、うんうんとうなずいていた。

先輩の口からは、いったいどのような意見が述べられるのだろうか。

高槻、榛原、ぼくは一様に、先輩を注視していた。(続く)

          

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