約束の大空

佳川鈴奈

第二幕 「運命を選ぶ刻」22.迷い込んだ場所 - 花桜 -


目覚めた場所。
それは私が見慣れた景色だった。


使い慣れた机。
学校の教科書。


そして柔らかい羽毛の使い慣れた布団。
光を運んでくれる電気。


あれ?
どうして……私、ここに居るの?


あんなにも帰りたいと求め続けてたから
夢を見てるの?


夢でも……夢でもいい……。


今はもう少し大切な、この世界を感じていたい。


布団の中、体を小さく丸めて微睡の時間を貪る。



「をいっ。
 花桜、起きてるか?」


微睡の中に落ちる間際、ドアをノックする音が聞こえて、
敬里が姿を見せた。


「んん~……。

 敬里、ずっと言ってるでしょ。
  勝手に部屋に入らないでって……」


えっ?

敬里?


なんで敬里がここに居るのよ。
あの場所に……敬里は居なかった。


私が夢を見てるから?



すーっと手が伸びて、
敬里の手が額へと伸びてくる。



「薬、効いたみたいだな」



そう言うと、敬里は気が抜けたように、
床の上に座り込んだ。



「えっ?」


現状が掴めない。


「花桜、全国大会の後、何してたんだよ」



何してたって……。



全国大会の後……突然の雨に降られて、
その光に誘われて辿りついたのは幕末。


夢だから……夢だから、言ってていいよね。
本当のこと。



「えっ?

 瑠花と舞と一緒に幕末までトラベルツアー」



冗談めかして告げた言葉。



何時ものように、『何言ってんだよ。花桜』なんて
敬里は笑い飛ばしながら突っ込んでくれると思ってたのに、
目の前のアイツは、じーっと私を睨みつけたまま。


「やっぱ、お前熱で頭イカレタ?
 オレ……マジ心配したんだぜ。

 雨ん中、道路で熱だしてぶっ倒れてるお前見つけて。
 しかもあんなとこで何やってんだよ」



えっ?


何?




私の願望が見せる、ひと時の夢じゃないの?



布団の中から手を出して、古典的ながら抓った頬は
しっかりと痛みを伝える。


夢じゃないの?



「人が真面目に話してんのに何ふざけてんだよ。

 頬抓って。

 今の文明のレベルでタイムトラベルなんて出来るはず
 ねぇだろ。

 花桜はもう少し休んでな。

 祖父ちゃんには、まだ稽古は無理だって言っといてやるよ」



それだけ一方的に聞き終わると、敬里は、
私の部屋を出て行った。


確かに……痛みを感じた……。
だったら……この世界は夢じゃない。



……帰って来たんだ……。  



あの辛かった幕末から。



瑠花も舞も帰ってこれたのかな?
慌てて、ベッドから体を起こすとだるさが際立つ。


それでも這い出して携帯電話を探すものの、
使い慣れたそれは、近くに見当たらない。

そのまま家電の子機の傍まで歩くと、
かけ慣れた電話番号をプッシュしていく。


まずは舞。


いつもは呼び出し音がなる、
その電話番号はすぐに機械音声へと変わる。




『お客様がおかけになりました電話番号は現在使われておりません。
 もう一度電話番号をよくお調べの上お電話ください』



えっ?
何?


慌てて受話器を置くと今度は瑠花の家へと電話をかける。


コールが鳴り響き暫くすると、
聴きなれた声が受話器の向こう側から聞こえる。




「もしもし。

 おばさん?ご無沙汰しています。
  私、山波花桜です。

  すいませんが瑠花ちゃんいますか?」



懐かしい声を受けて軽い気持ちで繋げた会話。

すぐに……瑠花の声がきける。

そう思っていたのに、帰って来た言葉は、
想像もしないものだった。



「どちらか間違えてませんか?

 うちには、ルカと言うものはおりません」



その言葉の後、一方的に途切れた電話。

もう一度、瑠花の電話番号にかける。


受話器を取ってくれたのは、
私も良く知った瑠花のお母さん。



「嘘っ。

 おばさんは、瑠花のお母さんでしょ。
 どうして、瑠花はいないなんてそんなこと言うんですか?」


冷静になろうと思ったのに、
感情的になった私は声を荒げて……。


「あなたこそ、いい加減にしてください。
  うちには、子供はいません」


電話の向こうの人はそう言い放つと、
ブツっと電話が切られた。




舞の電話番号は使われてない。


瑠花は存在しない……。






どうして?
そんなことない……。




瑠花と舞は、私の大切な親友。


そのまま部屋から飛び出すと、私は見慣れた景色を走り抜けて、
二人の自宅へと向かう。


最初に辿りついたその場所、
舞の自宅があった場所には公園があり、
そこに舞の自宅はなかった。



崩れそうになる体を必死に支えて、
今度は、瑠花の自宅へと向かう。



見慣れた建物。
見慣れた家。



そこから出入りする、おばさんも、おじさんも
私が見知った人なのに……表札を見つめると、
そこに刻まれてあった瑠花の名前は存在しなかった。




あまりの出来事に、その場に崩れ落ちる私の体。


どうして?
どうして……私だけ?


二人の居ない世界に帰って来たかったわけじゃない。



瑠花っ、舞っ。


崩れ落ちて、泣き続ける私に、
背後から声がかかる。 


「何やってんだよ。
 花桜。

 おじさんとおばさんから、
 花桜が部屋からいなくなったって、
 道場に連絡があったんだよ。

 探しに来てみたら、なんだよ。
 人の家の前で泣き崩れて……」



「だって敬里……ここ……瑠花の家じゃない。
 アンタ、ずっと瑠花に片思いしてたじゃない?」


「瑠花?
 誰だよ、そいつ」


素っ気ない反応の敬里にさらに言葉を続ける。


「瑠花も舞も私の親友。
 敬里も一緒に良く遊んだでしょ」


必死に告げる言葉も何も意味をなさない。


「お前さぁー。
 やっぱ、あの日からおかしいぞ。

 ちゃんと病院で精密検査して貰えよ。
 倒れたショックで、頭とか打ったんじゃねぇのか?

 ほらっ、立てよ」


そう言うと、敬里は私が立ちやすいように
体を支えて手伝ってくれる。


敬里は……二人を知らないこと以外は、
あの時と変わらないままだけど二人を知らない敬里と、
この場所に居るのが辛かった。



敬里が私を気遣いながら、
自宅へと歩いていく。



「なぁ?
 花桜、どうしたんだよ。

 さっきから険しい顔ばっかしてる」

「…………」



敬里はそう言っても、
私には何も続けられないよ。


舞と瑠花はちゃんと存在する。
だけどこの世界に二人は居ないんだもの。


どうしたら、私は二人を助けてあげられるの?


どうしたら……?


最初に居た場所は、この世界に良く似ていた、
三人が居た世界。


次に居た世界は……幕末。


幕末の世界は決して楽しいことばかりじゃなかったけど、
精一杯、生きてた。


そして……あの日……。


芹沢さんが殺される運命の日。


私は瑠花を助けたくて、必死に雨の降る中、
瑠花の元へと駆けつけた。 


瑠花と共に、その場所から逃げ出してる途中、
敵が現れたんだ。


刃物がキラリと光って、私の方に迫ってきた。


だから……反射的にその刀を逸らした隙に
相手の体の中へと刀を突き刺した。


肉を突き刺した感触が、
今も……この手にはリアルに残ってる。

突然、震えだした右手を止めるように
左手をゆっくりと押さえつける。

震える体を、必死に止めたくて身を縮める。


……私……殺したんだ……。




山南さんから貰ったあの刀で。






私……人を殺したんだ……。



自らの手で、その人の命を奪ったんだ……。





「おいっ。
 どうしたんだよ。

 花桜、体震えてるぞ。

 唇も真っ青になってんじゃねぇか?
 何やってんだよ」




心配そうにかけられる敬里の声にも、
今は何も返事することすら出来なくて。


私の脳裏は、肉の中に吸い込まれていった刀の感触だけが
リアル襲い掛かっていく。


真っ赤な血が、私の右手へと伝わる。


手が洗いたい衝動に駆られて、
帰り道のコンビニの洗面所へと駆け込む。


洗面台の水道水の蛇口を捻って
何度も何度も洗剤をつけて手を洗うのに
その血が消えることはなかった。



「花桜っ。

 何やってんだよ。
 びしょびしょになってんだろ」


「手が……」

「花桜の手は、汚れちゃいねぇよ。
 ほらっ、水道水止めるぞ」



敬里は、そこから手を伸ばして蛇口を回すと、
その場所から私を抱えながら連れ出した。



そのまま、何も言葉を交わすことなく、
自宅へと連れて帰った。



懐かしい温もり、懐かしい景色。
私が帰りたかった場所。




なのにそこには……
大切な親友は存在しない。





「花桜、大丈夫?」




私を気遣ってかけられる言葉も、
今は……私の心の奥までは届かない。






ふとテレビが歴史ミステリーの番組の放送を始める。



幕末の時代の推測番組。



お世話になったあの場所で、ずっと一緒に生きてきた、
その人たちの懐かしい名前が次から次へとTVから流れてくる。


そんなTVを食い入るように見つめながら、
ゆっくりと瞳から溢れだす涙……。






瑠花や舞に……。


皆に……皆に逢いたいよー。




私の本当の居場所に帰るために、
私は何をしたらいいの?






……山南さん……山崎さん……。
どうしたら私は向こうへ帰れますか?



祈るような思いで、
二人の顔を思い描いていた。

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