霊能者、異世界を征く!

るう

はじまり

 草原の地平線などというものは、この世界に来るまでは見たことがなかった。
 どこまでもどこまでも、緑の絨毯が風にたなびいていた。

「マヒトーッ、俺たちからあまり離れるなよ」

 その声に振り向いて、俺は近づいてくるその仲間に手を振った。
 声を掛けた青年が怒った口調で眉根を釣り上げているが、それは心配の裏返しで不機嫌な訳ではない。いつもは頭の上にピンと立ち上がっている三角の耳が少しだけ後ろに倒れ、立派なしっぽが気がかりそうにユラユラと揺れている。
 彼は、茶から金色のグラデーションの毛並みを持つキツネの獣人で、名をヤトと言う。何を隠そう俺のご主人様ということになっている。
 その辺の理由は、まあ……話せば長くなるんだが。
 俺の名は、有栖川 真人。十八歳で、今年の春に海外での留学生活が始まるはずだった。それが何の因果か、こうして冒険者なんていう、前の世界では存在しなかった職業に就く羽目になったのだ。

「ごめんごめん、それより見ろよ、ここ! 依頼にあった薬草がたくさんあるぜ」
「あっ! 本当だ。流石だねー、マヒト。相変わらずこういうのを探すのは得意なんだね」

 呑気に答えた俺の横合いから、にゅっ! といきなり現れたのは、彼の妹のルルゥ。

「わあっ! び、びっくりした。気配消すなよ、驚くだろ」
「消してないよ、マヒトが鈍いだけじゃん」

 肘と身体の間に潜り込むように顔を出したものだから、思わず飛び上がるほど驚いて文句を言ったが、彼女はあっけらかんとしたものだ。
 そりゃ君たちに比べたら、俺は鈍いけどな。
 足元に座りこんで、せっせと薬草を摘み始めたルルゥに、苦笑交じりのため息がもれる。
 ちなみに彼女もキツネの獣人である。
 彼女の毛並みは、珍しい白である。愛らしい顔立ちの彼女に似合った、ふんわりと柔らかい毛並みだ。目も赤いことからアルビノだと思われるが、どうやら彼女はこの毛並みのせいで一族からは異端扱いされたらしく、兄と共に冒険者になって外の世界へ飛び出したということだ。
 本来彼らは、キツネ種の中でも、希少な金狐族で、同じく希少な銀狐族と共に、あらゆる獣人族の中にあって、頂点に類する支配階級であるとのことだ。
 
「ルルゥが近くにいたのか……、ならいいがマヒト、勝手にさっさと行くな」
「ごめんて、こっちにたくさん生えてるのが分かったからさ」

 十八歳になろうかという大人に対して、ヤトの心配は大げさに見えるが、それも俺が「こちらの世界」の誰よりも貧弱なせいである。はっきり言って、そんじょそこらの弱さじゃない。この辺の低レベルモンスターでも、下手をしたら一発でやられるほどだ。
 これはもう、元々の素材が違うとしかいいようがない。

「一人で行動する時は、せめて能力を使っておけ」

 そう言われて、すっかり忘れていたと頭をかいた。
 いわゆるキャストタイムのようなものもあるので、いつでもどこでもお手軽に使うわけにはいかないが、それでもフィールドでの油断は死を招くことにもなる。ここは、平和な日本ではないのだ。
 座り込んで依頼の薬草摘みに夢中なルルゥをチラリと一瞥して「確かにこれじゃ、いざピンチの時も間に合いそうにないな」と肩を竦めた。

「ティム、よろしく」

 呟くと、ぐんっと身体能力が上がったのを体感する。そして、くせっ毛の髪をかき分けるようにぴょこんっと、二つ小さめの三角の耳が現れた。
 能力上昇はありがたいが、いまだにコレには慣れなくて困っている。
 ちなみに、ティムというのは数日前に出会った犬の獣人族の名前だ。もっとも出会った、というのは語弊があるかもしれない。
 何しろその時、彼はとうに亡くなっていたからだ。そして、今ではこの世のどこにも存在しない。
 だから「よろしく」とは言ったが、これは故人に対する礼儀のようなものだった。
 なにしろ、彼がこの地を去る際に残した置き土産を、俺はこうして拝借しているのだから……。
 ちなみに旅の同行者となっている彼ら兄妹と出会ったのも、その同日である。今でこそ呑気に薬草摘みの依頼などやっているが、出会いはとんでもなく大変だった。
 というか、もっぱら俺がピンチなだけだったが。

 ――俺は、転移者だ。
 つい一か月前まで、これから普通の学生生活を送るのだろうと、信じて疑わなかった。
 そう、留学先へと向かう飛行機での事故、その日にすべての歯車は狂ったのである。

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