異世界に転生した幕末最強の剣客は人類の存亡を懸け竜に抗う
精霊化
「しばらく人を近づけるな。鍛冶場に一人でも立ち入れば貴様らが望む剣は間違いなく失敗すると思え」
初音の言葉を信じた芳崖は、神棚に奉納されていた一本の刀を取り出した。
――――無銘貞宗 大太刀
相州貞宗は初代正宗の息子とも養子とも伝えられる鎌倉末期の刀工である。
父に似てはいるが、全体的におおらかで落ち着いた地景や金筋を特徴としていて、無銘の作品が多く事でも知られる。
備前長船兼光と同時代の刀工で正宗の弟子でもあることから、女郎兼光の偽物とするには向いているといえなくもない。
(我ら鍛冶師にからすれば噴飯ものではあるが)
対竜神具となるような神刀には魂が宿る。その魂を鍛えずして鍛冶主となることはできない。
魂の宿らぬ刀の地沸や刃紋で出来不出来を語る軍人には理解のできぬことか。
究極のところ、刀に宿った魂というものは決して同じものを再現することはできないのだ。それは全く同一の人間のクローンを作ることができないのと同じように。
鞘から抜くことができないとはいえ魂までは誤魔化せない。誤魔化せるとすればそれは格だけのことだ。
鬼山魁という男も、あの望月という男も、姿かたちと格さえ偽装できればなんとかなると信じているらしい。
なんという無知か。仮に天目一族に連なる者がいれば絶対に騙すことなどできはしないであろう。
帝国四鬼たる九鬼や百目鬼家の目を欺けるとも思われなかった。
対竜神具を継承者するには、神具に宿る魂との交感ができることが絶対に必要となる。
正宗や元春、将暉も継承した対竜神具と交感し、互いに意志疎通を図ることが可能であった。
そう、ほんの一握りではあるが、超一流の対竜神具には意思がある。
ゆえにこそ、自分に相応しい継承者以外には己の身体を預けることをよしとしないのだ。
そんなこともわからず、ただ格の高い偽物さえ用意すればよいと思っている鬼山魁は、よほど武才がないと思われていたのであろう。
万が一跡を継ぐと目されているのであれば、最低限の知識は伝承されているはずである。
あるいはこの男にだけは家を継がせられないと、人格に問題ありとみなされていたか。
事実、鬼山多聞が魁に何一つ情報を漏らさなかったのは、魁の上昇志向とモラルの無さを危惧したからであった。
ゆえに、ここで仮に芳崖が手を抜いても望月も鬼山魁も見抜けないのは確実である。
しかしそれでも仕事には手を抜けないのが鍛冶師の性質
さが
である。
それ以上に、女郎兼光の格に挑むという本来ならありえない機会が芳崖の血を熱くさせていた。
一線を退き、息子の成長を楽しみにして以来、己の力を試すという心意気を失っていた。
これでは孫娘に胸を張れる祖父とは言えない。
理由はどうあれ、叛徒である鬼山家の手助けをする以上、完全に鍛冶師を引退すると芳崖は決心した。
初音は怒るかもしれないが、初音の修行は同じ天目一族の信頼できるものに任せる。
だが最後に、自分が父から託されたように、自分もまた初音に無銘貞宗を託そうと思う。
全身全霊で魂を鍛えなおした後で。
「…………やるか」
残念だが時間をかけて精進潔斎する猶予はない。
「ふんっ!」
だがかつてなく気が横溢しているのを感じる。
窯に火を入れ、選びに選んだ玉鋼と炭を並べる芳崖の目は爛々と輝いていた。
「この天戸芳崖、生涯最後の魂焼きぞ!」
刀を鍛えるだけではなく、魂を焼き鍛えるためにはまず魂の形を見る目とイメージ力が何より必要なのだ。
この目なくしていかなる鍛冶の技術をもってしても魂焼きはできない。
だからこそ鍛冶主にとっては神具の偽装など、何の意味もない愚の骨頂なのである。
通常作刀に要する時間は十日前後ほどはかかるが、魂焼きは違う。
炎のなかに魂を見出し、その魂を鍛え昇華することだけが重要となる。
白装束に着替え、天目一箇神に三拝すると、芳崖は炉に火を入れ居住まいを正した。
「火之迦倶槌神様もご照覧あれ! どうかこの老体に貞宗の御魂の御姿、拝謁の栄誉を与えたまえ!」
芳崖の気が左目に収束していく。
すでに右目は視力を失って久しかった。
鍛冶師は火加減を見るため、日によっては徹夜で火を見つめ続け、槌を打つ際の火花ひとつひとつにさえ注意を払わなくてはならない。
鍛冶師の神、天目一箇神や世界各地の鍛冶の神がひとつ目であるのは、鍛冶師が片目の視力を失うせいであると言われている。
「ぬうううううっ!」
魂焼きにとって、火は供物であり、槌を打つ音は神楽であった。
神に祈りを捧げる巫女は、時として不眠不休で精魂尽き果てるまで演舞を奉納するが、芳崖のしていることはそれに似ていた。
はたして何時間そうしていたことか。
望月が食事を差し入れようとしてきたことがあったが、一方的に怒鳴りつけ、芳崖は魂焼きに没頭した。
ゆらゆらと揺れる炎のなかに、神気が凝縮していく。
正しくそれが貞宗の魂の姿であることを悟って芳崖は歓喜した。
魂焼きには段階があるのである。
まず刀の魂に力を与える 奉納
そして魂を一段高みにあげる 昇華
魂と言葉を交わし、意思の疎通を図る 託宣
最後にしてもっとも難易度の高いのが、魂そのものをこの現世に再構成する精霊化である。
芳崖のキャリアにして託宣まで行けたのが数度ほど。
精霊化といえば一族の長、天目透が唯一経験していると言われるほどの難事である。
その精霊化を成し遂げるために、命すらいらないと芳崖は思った。
これまでの生涯のなかで、これほど魂の姿をはっきりと具現化させたことはない。
なんとしても精霊化を成し遂げたいと、芳崖は残る全精力で炎のなかの魂に気を送り続けた。
『吾
わ
を眠りから起こしたのは汝か?』
「天目一族の末席に連なります天戸芳崖と申す鍛冶主にござりまする」
『芳崖よ。よき気、よき槌であったぞ。吾
わ
は久しぶりに満足いたした』
「もったいなきお言葉! されど我が技にわずかなりとも御褒賞の御意思あらば、なにとぞお姿をこの目に拝見させていただきたく!」
炎のなかの貞宗は数瞬ほど逡巡していたが、すぐに了解の意思を示した。
『少々足りぬところではあるが、その歳まで精進したことに免じて、我が姿見せてつかわす』
「ありがたき幸せ!」
芳崖は目を潤ませて低頭した。
齢七十を過ぎて鍛冶主の悲願ともいえる精霊化を達成する機会に恵まれようとは。
『気が足らぬゆえ、そう長くは無理であるぞ?』
「御意!」
炎がゆらゆらと揺らめき、赤から青へ、そして白へと輝きを変えていく。
そして芳崖の前に顕現したのは――――
『この姿となるのは三百年ぶりかの』
年の頃が十二歳ほど。
水干のような衣装をまとっており、赤い紐で髪を結いあげている。顔立ちは少女のように美しいが、どうやら少女ではなく少年であるようだ。
「おおおっ! 我が人生に悔いなし! ありがとうござりまする!」
感激のあまり芳崖は滂沱と涙して嗚咽を漏らした。
報われた。自分の鍛冶主としての人生は今この瞬間に報われたと信じた。
それほどに刀の精霊化というものは、鍛冶主にとって果たしえぬ究極の目標なのである。
ついに芳崖はそれを成し遂げた。
全ての鍛冶師がいくら望んでも、ほとんどたどり着くことのできない境地に立ったのだ。
『芳崖と申したか』
「はい!」
『褒美に吾の名を教えてやろう。悪いが吾を精霊化したのはそなたが初めてではないゆえ名付けは許されぬ。よいか』
「もったいなきお言葉にて!」
『吾の名は淡雪。天戸芳崖の名、見知り置くぞ』
ちらちらと雪が舞うがごとく、光の粒子が乱舞したかと思うと、淡雪の姿は夢幻のごとく消えていた。
この光景を生涯忘れまいと芳崖はじっと虚空を見つめ続けていた。
全くの結果論ではあるが、無銘貞宗の刀の格は女郎兼光には及ばずとも、当代一級の見事な格となったのである。
初音の言葉を信じた芳崖は、神棚に奉納されていた一本の刀を取り出した。
――――無銘貞宗 大太刀
相州貞宗は初代正宗の息子とも養子とも伝えられる鎌倉末期の刀工である。
父に似てはいるが、全体的におおらかで落ち着いた地景や金筋を特徴としていて、無銘の作品が多く事でも知られる。
備前長船兼光と同時代の刀工で正宗の弟子でもあることから、女郎兼光の偽物とするには向いているといえなくもない。
(我ら鍛冶師にからすれば噴飯ものではあるが)
対竜神具となるような神刀には魂が宿る。その魂を鍛えずして鍛冶主となることはできない。
魂の宿らぬ刀の地沸や刃紋で出来不出来を語る軍人には理解のできぬことか。
究極のところ、刀に宿った魂というものは決して同じものを再現することはできないのだ。それは全く同一の人間のクローンを作ることができないのと同じように。
鞘から抜くことができないとはいえ魂までは誤魔化せない。誤魔化せるとすればそれは格だけのことだ。
鬼山魁という男も、あの望月という男も、姿かたちと格さえ偽装できればなんとかなると信じているらしい。
なんという無知か。仮に天目一族に連なる者がいれば絶対に騙すことなどできはしないであろう。
帝国四鬼たる九鬼や百目鬼家の目を欺けるとも思われなかった。
対竜神具を継承者するには、神具に宿る魂との交感ができることが絶対に必要となる。
正宗や元春、将暉も継承した対竜神具と交感し、互いに意志疎通を図ることが可能であった。
そう、ほんの一握りではあるが、超一流の対竜神具には意思がある。
ゆえにこそ、自分に相応しい継承者以外には己の身体を預けることをよしとしないのだ。
そんなこともわからず、ただ格の高い偽物さえ用意すればよいと思っている鬼山魁は、よほど武才がないと思われていたのであろう。
万が一跡を継ぐと目されているのであれば、最低限の知識は伝承されているはずである。
あるいはこの男にだけは家を継がせられないと、人格に問題ありとみなされていたか。
事実、鬼山多聞が魁に何一つ情報を漏らさなかったのは、魁の上昇志向とモラルの無さを危惧したからであった。
ゆえに、ここで仮に芳崖が手を抜いても望月も鬼山魁も見抜けないのは確実である。
しかしそれでも仕事には手を抜けないのが鍛冶師の性質
さが
である。
それ以上に、女郎兼光の格に挑むという本来ならありえない機会が芳崖の血を熱くさせていた。
一線を退き、息子の成長を楽しみにして以来、己の力を試すという心意気を失っていた。
これでは孫娘に胸を張れる祖父とは言えない。
理由はどうあれ、叛徒である鬼山家の手助けをする以上、完全に鍛冶師を引退すると芳崖は決心した。
初音は怒るかもしれないが、初音の修行は同じ天目一族の信頼できるものに任せる。
だが最後に、自分が父から託されたように、自分もまた初音に無銘貞宗を託そうと思う。
全身全霊で魂を鍛えなおした後で。
「…………やるか」
残念だが時間をかけて精進潔斎する猶予はない。
「ふんっ!」
だがかつてなく気が横溢しているのを感じる。
窯に火を入れ、選びに選んだ玉鋼と炭を並べる芳崖の目は爛々と輝いていた。
「この天戸芳崖、生涯最後の魂焼きぞ!」
刀を鍛えるだけではなく、魂を焼き鍛えるためにはまず魂の形を見る目とイメージ力が何より必要なのだ。
この目なくしていかなる鍛冶の技術をもってしても魂焼きはできない。
だからこそ鍛冶主にとっては神具の偽装など、何の意味もない愚の骨頂なのである。
通常作刀に要する時間は十日前後ほどはかかるが、魂焼きは違う。
炎のなかに魂を見出し、その魂を鍛え昇華することだけが重要となる。
白装束に着替え、天目一箇神に三拝すると、芳崖は炉に火を入れ居住まいを正した。
「火之迦倶槌神様もご照覧あれ! どうかこの老体に貞宗の御魂の御姿、拝謁の栄誉を与えたまえ!」
芳崖の気が左目に収束していく。
すでに右目は視力を失って久しかった。
鍛冶師は火加減を見るため、日によっては徹夜で火を見つめ続け、槌を打つ際の火花ひとつひとつにさえ注意を払わなくてはならない。
鍛冶師の神、天目一箇神や世界各地の鍛冶の神がひとつ目であるのは、鍛冶師が片目の視力を失うせいであると言われている。
「ぬうううううっ!」
魂焼きにとって、火は供物であり、槌を打つ音は神楽であった。
神に祈りを捧げる巫女は、時として不眠不休で精魂尽き果てるまで演舞を奉納するが、芳崖のしていることはそれに似ていた。
はたして何時間そうしていたことか。
望月が食事を差し入れようとしてきたことがあったが、一方的に怒鳴りつけ、芳崖は魂焼きに没頭した。
ゆらゆらと揺れる炎のなかに、神気が凝縮していく。
正しくそれが貞宗の魂の姿であることを悟って芳崖は歓喜した。
魂焼きには段階があるのである。
まず刀の魂に力を与える 奉納
そして魂を一段高みにあげる 昇華
魂と言葉を交わし、意思の疎通を図る 託宣
最後にしてもっとも難易度の高いのが、魂そのものをこの現世に再構成する精霊化である。
芳崖のキャリアにして託宣まで行けたのが数度ほど。
精霊化といえば一族の長、天目透が唯一経験していると言われるほどの難事である。
その精霊化を成し遂げるために、命すらいらないと芳崖は思った。
これまでの生涯のなかで、これほど魂の姿をはっきりと具現化させたことはない。
なんとしても精霊化を成し遂げたいと、芳崖は残る全精力で炎のなかの魂に気を送り続けた。
『吾
わ
を眠りから起こしたのは汝か?』
「天目一族の末席に連なります天戸芳崖と申す鍛冶主にござりまする」
『芳崖よ。よき気、よき槌であったぞ。吾
わ
は久しぶりに満足いたした』
「もったいなきお言葉! されど我が技にわずかなりとも御褒賞の御意思あらば、なにとぞお姿をこの目に拝見させていただきたく!」
炎のなかの貞宗は数瞬ほど逡巡していたが、すぐに了解の意思を示した。
『少々足りぬところではあるが、その歳まで精進したことに免じて、我が姿見せてつかわす』
「ありがたき幸せ!」
芳崖は目を潤ませて低頭した。
齢七十を過ぎて鍛冶主の悲願ともいえる精霊化を達成する機会に恵まれようとは。
『気が足らぬゆえ、そう長くは無理であるぞ?』
「御意!」
炎がゆらゆらと揺らめき、赤から青へ、そして白へと輝きを変えていく。
そして芳崖の前に顕現したのは――――
『この姿となるのは三百年ぶりかの』
年の頃が十二歳ほど。
水干のような衣装をまとっており、赤い紐で髪を結いあげている。顔立ちは少女のように美しいが、どうやら少女ではなく少年であるようだ。
「おおおっ! 我が人生に悔いなし! ありがとうござりまする!」
感激のあまり芳崖は滂沱と涙して嗚咽を漏らした。
報われた。自分の鍛冶主としての人生は今この瞬間に報われたと信じた。
それほどに刀の精霊化というものは、鍛冶主にとって果たしえぬ究極の目標なのである。
ついに芳崖はそれを成し遂げた。
全ての鍛冶師がいくら望んでも、ほとんどたどり着くことのできない境地に立ったのだ。
『芳崖と申したか』
「はい!」
『褒美に吾の名を教えてやろう。悪いが吾を精霊化したのはそなたが初めてではないゆえ名付けは許されぬ。よいか』
「もったいなきお言葉にて!」
『吾の名は淡雪。天戸芳崖の名、見知り置くぞ』
ちらちらと雪が舞うがごとく、光の粒子が乱舞したかと思うと、淡雪の姿は夢幻のごとく消えていた。
この光景を生涯忘れまいと芳崖はじっと虚空を見つめ続けていた。
全くの結果論ではあるが、無銘貞宗の刀の格は女郎兼光には及ばずとも、当代一級の見事な格となったのである。
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