夢の中でも愛してる
9
階下に降りると、クロードが黒い服を選んだ理由がすぐにわかった。
白いジャケットにホワイトグレーのズボン、白いシャツに紺のタイを身に着けたリリックがいたからだ。どうやら、色のかぶりを避けて黒にしたようである。
一方、真っ赤なドレスに、遥香が誕生日にプレゼントした白いレースのショールを身に着けたアリスは、ご機嫌な様子でリリックの腕に手を添えていた。
「あらお姉様、やるじゃないの」
アリスが、遥香のいつもよりもだいぶ頑張った装いに満足そうな表情を浮かべる。
アリスたちと一緒にゲストを出迎えた遥香は、会場である広間に足を踏み入れた途端に襲ってきた緊張をやりすごすため、大きく深呼吸をした。
「大丈夫だ」
クロードに何度目かの「大丈夫だ」をもらい、遥香は小さく頷いて広間の中央まで歩いていく。
ワルツが流れてダンスがはじまると、しばらくして、心配は杞憂だったとわかった。
覚えているのだ。体が、足が。頭で考えるより先に、クロードのリードに合わせて体が動く。気づけば笑顔を浮かべる余裕まで生まれていて、遥香は何の失敗もなくファーストダンスを踊り終えることができた。
クロードにエスコートされて壁際まで移動すると、クロードがカクテルを手渡してくれる。受け取るのを逡巡する遥香に、クロードは笑いながら、
「これはほとんどアルコールは入っていない」
と教えてくれる。自分用にシャンパンを手にしたクロードと小さく乾杯して、遥香はカクテルを口に入れた。確かにリンゴのジュースのような味がして、アルコールはほとんど感じられなかった。
「ちゃんと間違えずに踊れたじゃないか。偉かったな」
「あ、ありがとうございます」
クロードに褒められて、遥香は気恥ずかしくなってうつむいた。
間違えずに踊れたのはクロードのおかげだ。さっきまで緊張で膝が震えていたのに、最後まで踊れたのが夢のようだった。
広間の中央では、アリスにつきあわされて、リリックがまだ踊っていた。そういえば、アリスがリリックを好きで、協力しろと言われたと白状したとき、クロードが驚かなかったことを思い出して、小さく首をひねる。
「クロード王子。その、アリスとリリック兄様のこと、驚いていないみたいでしたけど、ごぞんじだったんですか?」
「そりゃあな、あんなにわかりやすいんだ。気づいていないリリックやお前の方こそ大丈夫かと言いたいんだが」
「え?」
アリスはそんなにわかりやすかっただろうか。昔からアリスはリリックに我儘ばかり言っているから気がつかなかったが――、もしかしたら、そんなに前からアリスはリリックのことが好きだったのだろうか。
「お前にしても、近すぎて見えないのかもな」
クロードが微苦笑を浮かべて遥香を見やる。首をひねっていると、わからなくていい、と言われて増々わからなくなった。
二曲目が終わって、休憩することにしたのか、リリックとアリスがやってくる。
お酒を飲みながら休もうと思っていたのだが、リリックたちがこちらに来たおかげで、あっという間に、挨拶をしたい人たちに囲まれてしまった。遥香はもともと社交的ではないし、クロードは他国の王子だから遠慮していたようだが、リリックとアリスがそばに来たことで話しかけやすくなったらしい。
あっという間に周囲を囲まれておろおろしていると、クロードがさりげなく引き寄せてくれた。クロードの背に半分隠れるようにして、遥香はホッと息を吐きだす。
誰もが見ほれる笑顔を浮かべてそつなく相手をするクロードを見上げて、「やっぱりこの人は世継ぎの王子様なんだ」と感心してしまった。遥香は話しかけられてもせいぜい相槌くらいしか打てない。
アリスもリリックもにこやかに対応しているようだが、しばらくすると、アリスが早く踊りに行きたくてうずうずしはじめたのがわかった。けれどもこれだけ人に囲まれていては簡単には抜け出せないだろう。そう思ったとき。
「あら、わたしの好きな曲だわ」
曲が変わったタイミングで、アリスがそんなことを言いだした。
にこっと鮮やかに微笑んで見せたアリスは、リリックの手を引きながら、
「踊ってきていいかしら?」
と周囲を取り囲んでいた人たちへ訊ねる。
アリスの笑顔に気おされた人たちが頷くのを見ながら「すごいわ」と感心していると、ぐいっとクロードに手を引かれた。
「行くぞ」
耳元でささやかれて、アリスに続くようにあっという間にダンスの輪の中へ連れていかれる。
「ふぅ、お前の妹はいいタイミングだな。いい加減疲れてきたところだった」
クロードがそんなことを言って肩をすくめるのを見て、笑ってしまいそうだった。
そつなくこなしているように見えて、腹の中ではいかにして抜け出そうかと算段していたらしい。
「クロード王子も、そんなことを考えるんですね」
「当り前だ、俺だって人の子だぞ。お前の場合は、話しかけてくる相手に真面目になりすぎるからすぐに疲れるんだ。適当にあしらって、隙を見て抜け出すようにすれば、作り笑いで顔が引きつる前に逃げ出せる。その点、お前の妹は見事だな」
なるほど、アリスは舞踏会ではいつも貴族の子弟たちに囲まれているように見えたが、隙を見て抜け出していたのか。のんびりしている遥香にはできない芸当だ。
「まあいい。お前の場合は俺のそばにさえいれば、こうして連れ出してやる」
クロードが自信たっぷりに言うのが面白くて、遥香はとうとう笑い出した。
気づけば完全に肩の力が抜けていて、ファーストダンスの時よりも断然ダンスを楽しめている。
そして、曲も終盤に差しかかった、その時だった。
突如、広間の灯りが消えた。
無数の燭台で華やかに彩られていた広間は、「え?」と気づいた時には部屋の中はだいぶ薄暗くなっており、あっという間に暗闇に包まれる。
「きゃああああっ」
どこかで悲鳴が上がり、遥香は体を硬直させた。喉の奥で悲鳴が張りついて、声すら出せない。
突然暗闇に覆われた広間は、混乱した人たちの声であふれかえり、遥香は恐慌状態で涙が出そうになった。
「落ち着け」
カタカタと震えていると、手をつないだままだったクロードに、ぐっと手が引かれて、抱きしめられる。
ぐっと力強く抱きしめられて、遥香は夢中でクロードにしがみついた。ふわりと香ったシトラス系の香りに、パニックを起こしそうだった心が徐々に落ち着いていく。
「落ち着いてくださいませ!」
アリスの声と、パンパンと手を叩く音が広間の中に響き渡り、喧騒に包まれていた広間は一瞬でシィンと静まり返った。
「驚かせてすみません。でもご安心なさいませ。これは事故ではございません、演出ですの」
(演出……?)
遥香はクロードに抱きしめられたまま首をひねった。
「何を言っているんだ……?」
クロードの訝しげな声が頭上から響いてくる。クロードも知らなかったらしい。
「さあ、皆様、先ほどまで踊っていたパートナーの手はしっかりと握っていらっしゃるかしら? それでは、今、そばにいるパートナーにどうぞキスを! 明かりを灯すまで、短い時間ではございますが、甘いひと時をおすごしくださいませ!」
アリスがよく通る声で叫んだ内容を聞いて、遥香は卒倒しそうだった。
(何を考えてるの、あの子!?)
クロードと遥香の仲を進展させる作戦は、舞踏会そのものではなく、こういうことだったらしい。
「リリー」
「ひっ」
クロードに名前をささやかれて、遥香は小さく悲鳴を上げた。
あまりのことに凍りついたように体を硬直させている遥香の背中を、クロードが優しくなでる。
緊張で心臓が壊れそうだ。
先ほどとは違う理由でパニックを起こしかける遥香に、クロードが優しくささやく。
「安心しろ、キスなんてしない」
「ほ、本当に……?」
「……嫌がられると、無理やりにしたくなるものだが」
「っ!」
「冗談だ」
クロードがくすくす笑うので、からかわれたとわかった遥香は、クロードの腕の中で口をとがらせる。意地悪だ。
「アリスのあの口ぶりだと、少ししたら明かりをつけるだろう。それまで動き回らずじっとしていればいい」
「……はい」
暗闇で一人にされるのは怖いので、遥香は素直に頷いた。
クロードの背に手をまわして、心を落ち着けようと深呼吸を繰り返す。クロードのトワレの香りをかいでいると安心して、遥香の心臓は次第に平常を取り戻していく。
(やっぱり、どこかで嗅いだことのある香りだわ……)
男性がシトラス系のトワレをつけることは多いが、このトワレは少し独特だった。シトラスの中に、ほんのりとムスク系の香りがする。嗅いでいると落ち着くけれど、少しだけドキドキしてくる香りに、遥香は覚えがあった。そう、この香りは――
(そうよ! 仮面舞踏会のときだわ!)
一緒にダンスを楽しんだ、金髪の男性。彼から香ったトワレも、クロードと同じような香りがした。
そして、偶然なのか、クロードも金髪だ。
(……まさか、ね)
一瞬、あの時の彼はクロードかと思ったが、遥香はすぐにその考えを打ち消した。
あの時の彼はとても紳士的で、意地悪なんて一つも言わなかったし、なにより、クロードがあのような場所に来ていたとは思えない。
ふと、黒と金の仮面をつけた優しい彼のことを思い出して胸が苦しくなったとき、ぽうっと広間の端に明りが灯った。
徐々に部屋全体の燭台に明りが灯されていき、広間は元の明るい空間に戻る。
クロードに抱きしめられたままの遥香は、赤くなって、クロードの腕から抜け出すと、元凶であるアリスを探して視線を彷徨わせた。
すると、少し離れたところにアリスの姿を発見する。
アリスは遥香を見て満面の笑みを浮かべてウインクをした。
(あ……)
アリスのそばには、真っ赤な顔をしたリリックが棒立ちになっている。
「あの子ったら……」
かわいそうなくらい真っ赤になっているリリックと、ご機嫌なアリスを見て、遥香はこっそりとため息をついたのだった。
白いジャケットにホワイトグレーのズボン、白いシャツに紺のタイを身に着けたリリックがいたからだ。どうやら、色のかぶりを避けて黒にしたようである。
一方、真っ赤なドレスに、遥香が誕生日にプレゼントした白いレースのショールを身に着けたアリスは、ご機嫌な様子でリリックの腕に手を添えていた。
「あらお姉様、やるじゃないの」
アリスが、遥香のいつもよりもだいぶ頑張った装いに満足そうな表情を浮かべる。
アリスたちと一緒にゲストを出迎えた遥香は、会場である広間に足を踏み入れた途端に襲ってきた緊張をやりすごすため、大きく深呼吸をした。
「大丈夫だ」
クロードに何度目かの「大丈夫だ」をもらい、遥香は小さく頷いて広間の中央まで歩いていく。
ワルツが流れてダンスがはじまると、しばらくして、心配は杞憂だったとわかった。
覚えているのだ。体が、足が。頭で考えるより先に、クロードのリードに合わせて体が動く。気づけば笑顔を浮かべる余裕まで生まれていて、遥香は何の失敗もなくファーストダンスを踊り終えることができた。
クロードにエスコートされて壁際まで移動すると、クロードがカクテルを手渡してくれる。受け取るのを逡巡する遥香に、クロードは笑いながら、
「これはほとんどアルコールは入っていない」
と教えてくれる。自分用にシャンパンを手にしたクロードと小さく乾杯して、遥香はカクテルを口に入れた。確かにリンゴのジュースのような味がして、アルコールはほとんど感じられなかった。
「ちゃんと間違えずに踊れたじゃないか。偉かったな」
「あ、ありがとうございます」
クロードに褒められて、遥香は気恥ずかしくなってうつむいた。
間違えずに踊れたのはクロードのおかげだ。さっきまで緊張で膝が震えていたのに、最後まで踊れたのが夢のようだった。
広間の中央では、アリスにつきあわされて、リリックがまだ踊っていた。そういえば、アリスがリリックを好きで、協力しろと言われたと白状したとき、クロードが驚かなかったことを思い出して、小さく首をひねる。
「クロード王子。その、アリスとリリック兄様のこと、驚いていないみたいでしたけど、ごぞんじだったんですか?」
「そりゃあな、あんなにわかりやすいんだ。気づいていないリリックやお前の方こそ大丈夫かと言いたいんだが」
「え?」
アリスはそんなにわかりやすかっただろうか。昔からアリスはリリックに我儘ばかり言っているから気がつかなかったが――、もしかしたら、そんなに前からアリスはリリックのことが好きだったのだろうか。
「お前にしても、近すぎて見えないのかもな」
クロードが微苦笑を浮かべて遥香を見やる。首をひねっていると、わからなくていい、と言われて増々わからなくなった。
二曲目が終わって、休憩することにしたのか、リリックとアリスがやってくる。
お酒を飲みながら休もうと思っていたのだが、リリックたちがこちらに来たおかげで、あっという間に、挨拶をしたい人たちに囲まれてしまった。遥香はもともと社交的ではないし、クロードは他国の王子だから遠慮していたようだが、リリックとアリスがそばに来たことで話しかけやすくなったらしい。
あっという間に周囲を囲まれておろおろしていると、クロードがさりげなく引き寄せてくれた。クロードの背に半分隠れるようにして、遥香はホッと息を吐きだす。
誰もが見ほれる笑顔を浮かべてそつなく相手をするクロードを見上げて、「やっぱりこの人は世継ぎの王子様なんだ」と感心してしまった。遥香は話しかけられてもせいぜい相槌くらいしか打てない。
アリスもリリックもにこやかに対応しているようだが、しばらくすると、アリスが早く踊りに行きたくてうずうずしはじめたのがわかった。けれどもこれだけ人に囲まれていては簡単には抜け出せないだろう。そう思ったとき。
「あら、わたしの好きな曲だわ」
曲が変わったタイミングで、アリスがそんなことを言いだした。
にこっと鮮やかに微笑んで見せたアリスは、リリックの手を引きながら、
「踊ってきていいかしら?」
と周囲を取り囲んでいた人たちへ訊ねる。
アリスの笑顔に気おされた人たちが頷くのを見ながら「すごいわ」と感心していると、ぐいっとクロードに手を引かれた。
「行くぞ」
耳元でささやかれて、アリスに続くようにあっという間にダンスの輪の中へ連れていかれる。
「ふぅ、お前の妹はいいタイミングだな。いい加減疲れてきたところだった」
クロードがそんなことを言って肩をすくめるのを見て、笑ってしまいそうだった。
そつなくこなしているように見えて、腹の中ではいかにして抜け出そうかと算段していたらしい。
「クロード王子も、そんなことを考えるんですね」
「当り前だ、俺だって人の子だぞ。お前の場合は、話しかけてくる相手に真面目になりすぎるからすぐに疲れるんだ。適当にあしらって、隙を見て抜け出すようにすれば、作り笑いで顔が引きつる前に逃げ出せる。その点、お前の妹は見事だな」
なるほど、アリスは舞踏会ではいつも貴族の子弟たちに囲まれているように見えたが、隙を見て抜け出していたのか。のんびりしている遥香にはできない芸当だ。
「まあいい。お前の場合は俺のそばにさえいれば、こうして連れ出してやる」
クロードが自信たっぷりに言うのが面白くて、遥香はとうとう笑い出した。
気づけば完全に肩の力が抜けていて、ファーストダンスの時よりも断然ダンスを楽しめている。
そして、曲も終盤に差しかかった、その時だった。
突如、広間の灯りが消えた。
無数の燭台で華やかに彩られていた広間は、「え?」と気づいた時には部屋の中はだいぶ薄暗くなっており、あっという間に暗闇に包まれる。
「きゃああああっ」
どこかで悲鳴が上がり、遥香は体を硬直させた。喉の奥で悲鳴が張りついて、声すら出せない。
突然暗闇に覆われた広間は、混乱した人たちの声であふれかえり、遥香は恐慌状態で涙が出そうになった。
「落ち着け」
カタカタと震えていると、手をつないだままだったクロードに、ぐっと手が引かれて、抱きしめられる。
ぐっと力強く抱きしめられて、遥香は夢中でクロードにしがみついた。ふわりと香ったシトラス系の香りに、パニックを起こしそうだった心が徐々に落ち着いていく。
「落ち着いてくださいませ!」
アリスの声と、パンパンと手を叩く音が広間の中に響き渡り、喧騒に包まれていた広間は一瞬でシィンと静まり返った。
「驚かせてすみません。でもご安心なさいませ。これは事故ではございません、演出ですの」
(演出……?)
遥香はクロードに抱きしめられたまま首をひねった。
「何を言っているんだ……?」
クロードの訝しげな声が頭上から響いてくる。クロードも知らなかったらしい。
「さあ、皆様、先ほどまで踊っていたパートナーの手はしっかりと握っていらっしゃるかしら? それでは、今、そばにいるパートナーにどうぞキスを! 明かりを灯すまで、短い時間ではございますが、甘いひと時をおすごしくださいませ!」
アリスがよく通る声で叫んだ内容を聞いて、遥香は卒倒しそうだった。
(何を考えてるの、あの子!?)
クロードと遥香の仲を進展させる作戦は、舞踏会そのものではなく、こういうことだったらしい。
「リリー」
「ひっ」
クロードに名前をささやかれて、遥香は小さく悲鳴を上げた。
あまりのことに凍りついたように体を硬直させている遥香の背中を、クロードが優しくなでる。
緊張で心臓が壊れそうだ。
先ほどとは違う理由でパニックを起こしかける遥香に、クロードが優しくささやく。
「安心しろ、キスなんてしない」
「ほ、本当に……?」
「……嫌がられると、無理やりにしたくなるものだが」
「っ!」
「冗談だ」
クロードがくすくす笑うので、からかわれたとわかった遥香は、クロードの腕の中で口をとがらせる。意地悪だ。
「アリスのあの口ぶりだと、少ししたら明かりをつけるだろう。それまで動き回らずじっとしていればいい」
「……はい」
暗闇で一人にされるのは怖いので、遥香は素直に頷いた。
クロードの背に手をまわして、心を落ち着けようと深呼吸を繰り返す。クロードのトワレの香りをかいでいると安心して、遥香の心臓は次第に平常を取り戻していく。
(やっぱり、どこかで嗅いだことのある香りだわ……)
男性がシトラス系のトワレをつけることは多いが、このトワレは少し独特だった。シトラスの中に、ほんのりとムスク系の香りがする。嗅いでいると落ち着くけれど、少しだけドキドキしてくる香りに、遥香は覚えがあった。そう、この香りは――
(そうよ! 仮面舞踏会のときだわ!)
一緒にダンスを楽しんだ、金髪の男性。彼から香ったトワレも、クロードと同じような香りがした。
そして、偶然なのか、クロードも金髪だ。
(……まさか、ね)
一瞬、あの時の彼はクロードかと思ったが、遥香はすぐにその考えを打ち消した。
あの時の彼はとても紳士的で、意地悪なんて一つも言わなかったし、なにより、クロードがあのような場所に来ていたとは思えない。
ふと、黒と金の仮面をつけた優しい彼のことを思い出して胸が苦しくなったとき、ぽうっと広間の端に明りが灯った。
徐々に部屋全体の燭台に明りが灯されていき、広間は元の明るい空間に戻る。
クロードに抱きしめられたままの遥香は、赤くなって、クロードの腕から抜け出すと、元凶であるアリスを探して視線を彷徨わせた。
すると、少し離れたところにアリスの姿を発見する。
アリスは遥香を見て満面の笑みを浮かべてウインクをした。
(あ……)
アリスのそばには、真っ赤な顔をしたリリックが棒立ちになっている。
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