藤ヶ谷海斗は変われない。

うみはかる

現実はそう甘くない。

血を吐く自分を、俺は存外冷静になりながら考えていた。アニメとかでよくある表現だが、実際痛覚は麻痺しているのか、痛みよりも熱、熱さのような感覚がする。

なんとか体をよじったおかげで突き刺さる箇所自体はずらせたものの、刀が抜かれて仕舞えば、出血により物の数分で俺は死ぬ。極限状態とでもいうのだろうか、1秒1秒が長く感じられた。ランの顔が、ニタリと歪んで刀を引き抜く瞬間も、セシリアの顔が悲しみに歪むのも。

だが、そうなったところでもう意味はない。集中していようがなんだろうが体をよじる程度の動きしかできず腹から血を垂れ流している俺に、何かできるわけもなかった。

あ—————

「ッ。」

耳に何か声が響く。何かを伝えようとすることだけは伝わるその声は、王宮にいた頃に聞いたものと同じだった。
何かが、俺の体に起きている。それだけがなんとなくわかった。

「しぶといやつだ……次で殺してやる。」

ランが刀を突き出した。ゆっくりと。
瞬間、『どう力を加えてやれば』いいのか、それが頭に流れ込んできた。
それに従うように、ほんの少し、割れ物を扱うかのように、些細な力を刀に加えた。

俺を狙い澄ましていたはずの刀の切っ先は、地面へとその方向を転換していた。否、「転換させられた」というべきだろうか。

「……は?」

呆気にとられたランの虚をつき、顔面に狙いを定める。女だの男だのなんて考えている暇はなかった。鼻をへし折ってやる勢いで蹴り飛ばす。同時に、指に手をかけ噛み付いた。力が入らず、いうことを聞かなかったはずの四肢は火事場の馬鹿力というべきか、最後の灯火が明るく激しく輝くように、力に満ちていた。

噛みつかれた手と蹴られた顔を押さえ、憎々しいと言わんばかりにこちらを睨みつけるランは、先ほどまでの冷酷さを、全て憎悪へと変えて直線的に突っ込んでくる。
だが、『遅い』。
ずきりと痛んだ腹に、気を取られている暇はない。頭に流れ込んで来る情報を整理して、力の流れを視ろ。

耳鳴りのように響く『声』に従うように、足により力を加える。俺の蹴りによって、倍近い膂力があるはずのランが、簡単に倒れ込んだ。

「ぐッ……がああ!」

ランはもはや人というよりも、獣と形容するのが正しいと思えるような叫び声を上げた。
少しずつ、気付いていた。ランがだんだんと正気を失っていることを。血管が浮き上がり過剰な力を注がれているような彼女は、おそらく体の限界を超えて動かしている。
しかし、それとは対照的に、動きは少しずつ単調に、直線的になってきている。焦点の合わない目を見るに、理性もほとんど蒸発していると思われた。

「がああァッ!」

先程よりも明らかに速度の上がった突進。もはや剣士ではなく、素人レベルの突撃でしかないそれは、しかし今の俺にとっては先程よりもやりやすい攻撃だった。

脳裏に浮かべるのはスズの姿。真似するように力を流す。そのまま一太刀入れると、ランの腕から赤い血が流れた。
……初めて人を斬った。なのに、なにも思わない。感情が動かなかった。
 


そして幾度と、そのやり取りは繰り返された。ランはひたすらに理性を失った突進を繰り返し、俺はそれをいなし、受け流しながら斬り刻む。機械的なまでの繰り返し。

変化が訪れたのは10回ほどそのやりとりを続けた後のことだった。

「はァッ……はぁッ……」

息が続かない。俺もまた、疲労とダメージによって体力を削られていた。
正面にいるランに抱いた感想は、不気味の一言に尽きた。こんなに切り刻まれてなお、勢いだけは衰えていない。そもそも、人の体だと言うのに、刻んでも深く刀が入らないのだ。骨まで刀身が達しない。この時、考えれば俺は冷静ではなかったのだろう。不気味さと、自分の変化に気を取られて、大切なことを忘れていた。

「らァァッ!」

ランが吠えた。このまま繰り返せばいい。いつかは俺の勝ちだ。そう考え、構える。

突進がきた。やはり遅い。容易に崩せる。
同じように、力を加えようとした。

視界がぐらついた。力がうまく入らなかった。瞬間、腹部に衝撃が走る。ランの突進をもろに喰らったのだ。

「ごふッ……がふ……うぉ……」

鉄の味がした。それが自分の血だと気づくのに時間は要らなかった。腹部に穴が空いた体を無理やり動かし続けていればいつかは出血で動けなくなると言うことを、脳内麻薬で痛覚が薄れていた俺は忘れていたのだ。

結局この様か……。

獣のように息をするラン。視界は朧げになり、思考はぷつりとそこで途切れた。


——————————————————


私は、震えて見ていることしかできなかった。

岩に叩きつけられて痛む体は、暫く言うことを聞いてはくれなかったけれど、それも少し立てば回復したはずなのに。体は竦んで動けなかった。

カイト、と名乗った彼が、ランさんの手によって殺されようとしているのに。
私はまた裏切られて、また目の前で人が死のうとしていて、なにもできずにそれを見ることしかできないのだ、とランさんに告げられて、それを否定することができなかった。
否定しようとしても、結局はこのザマだった。

「やめてっ!」

あんなにかっこよかったはずのランさんは、どこか狂ったように彼を突き刺した。



けれど、彼は生きていた。いや、正確には無意味な抵抗というか、少しの延命にしかならないはずだったのに、彼は最後まで諦めようとしていなかった。

「無意味だよ……」

ポツリとつぶやいた。彼の体はボロボロだし、腹部にはもう見るに耐えない赤い穴ができている。彼は長くはない。誰が見ても、ランに勝てる術などないはずだった。

そんな予想はすぐに覆ることとなった。先ほどまでの彼は、剣術に素人な私から見ても実戦経験がないのだろうとわかるほどにがむしゃらな戦い方だった。そんな彼が、あのランさんほどの人を、簡単に打ち崩している。何が起きているのか、理解できなかった。
何度も何度も、ランさんは突撃するけど、彼はそれをなんなくいなしていく。昔話のヒーローみたいに。力を得て、敵を倒す英雄のように。

……それが甘い妄想だと、現実は残酷に告げてきた。

彼が急にふらついて、ランさんの攻撃を正面から喰らってしまった。男の人にしては細い方であろうその体躯は簡単に吹き飛ばされて、彼は血を吐いた。

色んなことが頭を駆け巡って、あの時の悪夢が思い出されて。

「《ホーリーライト》!」

とっさに口走ったのは、私が昔、一番得意としていた光魔術だった。唯一、詠唱なしでも打てる、魔術。

光線がランに向かって伸びて、一部分を焦がす。その痛みに、ランはこちらへ振り向いた。

「か、かかってきなさい!」

……足の震えは止まらない。体だって竦んでうまく動くかわからない。彼を見捨てて逃げれば、わたしだけは助かったかもしれない。でも。

彼は諦めてなかった。リィさんが必ず誰かを呼んできてくれることを、信じて疑ってなかったのだ。

彼の意思だけは、踏みにじっちゃいけない。そう思った。

ランさんは、私に向かってきた。すごい速い。走馬灯、というのか、昔の記憶が思い出されて、時間は遅く感じた。

……あーあ、馬鹿だ私。初対面の彼と一緒に死ぬなんて。でも、最後に立ち上がれたよ。少しは成長できたかな。

悔いしかないけど、一番の悔いだけは少しだけ救われた気がする。覚悟を決めて目を瞑ったけれど、衝撃はやってはこなかった。

代わりに、凛々しい声がひとつ。耳に響いて。

「よく頑張った。あとは任せて。」

目を開くと、黒髪を揺らして、彼と同じような形状の剣を持った人が、そこに立っていた。




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