彼女たちを守るために俺は死ぬことにした

アサミカナエ

8/13(木) 月見里 蛍①

「ちゃんといい子にしてるー?」

「はい」


 引越し前の最後のベッドで、少女はにっこりと微笑んだ。

 昨日、重篤患者が抜け出したってことで、いくら知らなかったとはいえ、コッテリ絞られたからな……二人の担当医のアタシが。厳重注意と半年の減給を食らったわ。担当の看護師もかわいそうに。
 まあ、あいつがなにか企んでいることには気づいてはいたけどね。だから、できるだけ誰も部屋に近づかないようにさせたんだから。たぶん担当じゃないけど、佐倉も気づいてそうだったわね。


「昨日は遠出して疲れたでしょ。今日は大人しくしてなさい」

「はい。でも……」

「ん? どうしたの」

「小鳥遊くん、今日戻ってくるから。迎えに行きたい」


 はあ、まったく……。小鳥遊。罪は重いわよ。


「分かった。ただし無理はしないように。それから敷地内からはもう出たらダメよ」

「あはは。ありがと、先生」


 この子が、月見里蛍が。こんなにも穏やかな顔を見せる日が来るなんて、思ってもみなかった。
 本当になんてヤツなの、あいつは。


 月見里の病室を出て、別の患者のもとに回診に行く。
 んで、空き時間には喫煙ルームで、他所の患者とダベる。
 戻って書類を整理したり、診察をする。
 そうやっていると、一日なんてすぐ終わる。

 でも、あたしちょっと待ち遠しかった。小鳥遊が戻ってくるのがね。
 早くからかいたくて。何度も、用もないのに玄関まで足を運んでみたりした。
 それは月見里も同じだったみたいで。たまに出くわして、えへへと笑ってまた部屋に戻っていく姿を見た。
 それがとても微笑ましくて。本当にいい日じゃんと思ってたのよ。

 それなのにどうして。


 今日、玄関の前を通ったのは何度目だっただろうか。
 日が落ちはじめていたころ。とんぼが窓の外をすいっと通り過ぎるのを眺めていると、玄関のすぐ外でドンッって大きな音がして。あたしすぐに飛び出した。

 外に出ると、軽自動車が病院の壁につっこんでいた。車のバックの窓が割れて、壁にめり込んで止まっている。


「ちょっと、大丈夫?!」


 運転席に駆け寄ってコンコンと窓を叩く。老いた男性がエアバッグに挟まれて、朦朧としていた。


「動かないで。今、人を呼んでくるから!」


 診察帰り? どこの患者? とりあえず引っ張り出して……早く検査を……!


「あ……うし……ろに」

「え?」


 窓が開いて、老人の声がしっかりと聞こえた。ぷるぷると震える手で後ろを差した。


「誰かが……いました」

「ええっ!?」


 あたしは顔を上げた。だって後ろはぐっちゃぐちゃで、壁だってボロボロで。そこに人影なんて……。
 と、思っていたんだけど。
 さっきは見えなかった赤いものが……地面に血が流れているのに気づいた。


「ちょっと、やだ……」


 嫌な予感しかしない。


 どうなってるの? 歩行者と接触した?


 嫌な予感しかしない。


 だとしたら、人影があるはずなのに。


 嫌な予感しかしない。


 全然、人が挟まってるようには見えないんだけど。


 嫌な予感なんて、どこかに行ってしまいなさいよ!!!


「うわあああああっ!! ちくしょおおおおおっ!!」


 駆け寄って、車体をつかんで、引きはがすために壁を思いっきり蹴る。
 指先に痛みが走る。手のひらの皮が悲鳴を上げる。それなのに! びくともしないとか、ふざけてんの!?


「どうしたんですか!? 大きな音がっ!」


 物音に気づいたスタッフが、何人か外に飛び出してきた。


「誰かおじいちゃんを運んで! そんで、誰か早くこれ手伝って!!!」


 運転席のドアが開く音と同時に、男の先生が3人、壁の周りに走り寄ってきてくれた。


「せーのっ!」


 声に合わせて力いっぱい、体重を後ろにかける。車体が少しずつ、動く。
 それにほっとしたのもつかぬ間だ。壁と車の間からどさりと、大きな塊がはがれ落ちた。

 あたし医者だから。そもそも神なんて信じてないんだけどさ。だからって。こんなの、あんまりでしょう。


「はぁ……っく……嘘……」


 変わり果てた少女の塊が目に飛び込んできて、アタシの膝は壊れたように崩れて、地面についた。

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