彼女たちを守るために俺は死ぬことにした

アサミカナエ

7/19(日) 葛西詩織④

 でもそんなの、先輩が我慢しているだけだ。自分が傷つくのはどうでもいいって言うのか。それは、俺は、俺が嫌だ……!


「でも……」


 ふと先輩の大きな瞳がくもり、不安をあおる。


「ただひとつの誤算が虎蛇会でした。いつの間にかもう、絶対に手放したくない居場所になっていたんです……」


 身体を丸め、胸の前でぎゅっと拳を握り締めている姿は、まるでサナギを破って蝶が誕生するような。神々しさを感じるほど、悲しかった。


「先輩は、何年もひとりきりで耐えてきたんだね……」


 人を寄せ付けないのは高嶺の花だとか、プライドが高いからなんかじゃなくて、ひとりで、周りを守っていたからだったんだ。


「先輩のご両親って、その……わりと暴力を振るうタイプ?」

「いえ。あのときが初めてで……最後です」

「どうしてその日は殴ったりしたんだろう」


 俺の疑問に苦笑いして、首を傾げる。


「ひどいことを言ったからだと。たしか、『見栄っ張り!』とか……」

「おお……」

「きっとそれがかんに触ったんでしょう」


 なるほど。小学生の娘に生意気なことを言われて頭に血が上ってしまったのかな。


「んじゃ今は? 家族は仲いいの?」

「さあ、どうでしょう」


 先輩は他人事のようにさらりと答える。その異様さにたじろいでいると、繕うように言った。


「あ、今ではほとんど干渉はありませんよ。全て鹿之助に任せて、家にもいません。顔を合わせたときくらい、勉強のことを聞かれますけど。成績と素行さえ良ければ、私のプライベートなんて全然興味関心がないんです」


 そのまま柵にもたれかかり、海の方へと目をやる先輩。気のないふりをしていたけれど、今にも崩れそうな危うさを感じた。


「鹿之助がいなかったら、私は完全にひとりだった……」

「先輩……」


 聞いてるだけでいいと言われたけど、放っておけるわけない。でも、今の俺になにかできるのだろうか——。


「ねえ先輩」


 俺は勇気を振り絞ることにした。だって、そもそも彼女の本当の笑顔を虎蛇で見たいと思っていたじゃないか。
 だから、ゆっくりと一息おいて提案を口にした。


「もう一度、ご両親に気持ちをぶつけてみたらどうかな」


 ぱっと顔を上げた先輩と目が合う。想像していた以上に怯えた表情で、頭を大きく振った。


「む、無理ですよ!」

「先輩のご両親が話が通じるタイプかヤベータイプかわかんないから、あんま無責任なことは言えないんだけど。ただ、もう先輩は充分に自分で判別できる年齢でしょ。鹿之助……さんにも、一緒にいてもらってさ」

「そんな……。それに、もし虎蛇会を辞めさせられるとか、誰かが標的になったら……」

「俺が辞めさせないけど?」


 そこは、きっぱりと。


「……私、誰かにご迷惑をかけるのはもう……」


 そんなに親が怖いのか俺が信用ならないのか。最悪を考えておくことは悪くないけれど、先輩はどうにも後ろ向きというか。
 まあ、「はいそうですね」で今までの思考を変えるのは、難しいってわかってはいるけどさ……。


「もし迷惑をかけられたって、先輩を嫌いにならないよ。俺だってこうやってしつこくして、先輩に嫌われるかもって、正直怖いけど」

「き、嫌いになんてならないです!」

「あはは。そう思ってくれるから、俺は先輩にぶつかれる。……先輩を信じてるから」


 彼女は一瞬、息を詰める。


「っ! それとこれとは」

「違う?」

「ちが……」


 先輩はそのまま、下を向いて黙った。まあ、デリカシーはないな。

 でも、嫌いにならないって言葉にしてくれた。だから、俺はまだ、先輩にぶつかろうと思うよ。


「なにもしなければ、なにも変わらないよ。いいことも悪いこともね」


 俺の声に耳を傾けてくれているようだけど、腑に落ちない表情をしている。


「親も友だちも、誰も傷つけたくないよね。だから今までは孤独にじっと耐えてきたのかもしれない。でももう状況が違うって、言ってくれたの先輩じゃん?」

「……」


 先輩は何も言ってくれない。反論を探しているのか、やり過ごそうとしているのかはわからない。だから俺は続ける。


「もう我慢するだけじゃダメって言ってんの。先輩はひとりじゃないから。もう、虎蛇の仲間だから!」


 自分の声がどんどん大きくなるのを抑えきれない。


「だったら守るんだよ、今の状況を、あなたが! また昔のように、無謀でも戦うんだよ。あなたが! じゃないと、先輩が言ってるのは、なにもしないまま俺たちの手を振り払うってことだ!」
「それでも、みなさんに迷惑がかかるよりは……!」

「迷惑かけろって言ってんだよ!」

「嫌、なんです。私のせいで、大事な人の……笑顔を奪うのは……っ」


 視線が合うようで合わない。俺を見ているようで見ていない。顔を青ざめ、かたくなに拒絶する様子は、いつかの嫌な思い出が頭によぎっていたのかもしれない。
 先輩、つらいね。ごめんね……。


「……先輩が嫌なのは、俺たちに迷惑がかかることじゃないんでしょ」

「……え?」

「おひとよしを装って、ただ、みんなにいい顔をしていたいだけなんじゃないの?」


 先輩の顔色がはらはらと失意の色へと変わっていく。それは余命宣告をしたかのような、最悪な気分だった。

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