秘密のカンファレンスー冷徹俺様ドクターは加減が分からないー

悠里ゆり

6、ドクターは加減が分からない

 居酒屋での食事はおいしかった。久々に居酒屋に来れたというのもあるだろう。気持ちが浮ついていた。酔いが良い感じに回って脳内がふわふわとしだす。先生との会話は面白くて酒が(というか主にビールが)進む。先生は車を運転するので飲まなかったが楽しそうにしてくれていたと思う。話の内容は仕事のことが多い。どれも勉強になるし面白い。やはり久遠先生はすごい。口から紡がれる技術の話、病態の話、最新の論文の内容などのそのすべての話が久遠蒼が「若き心臓」と呼ばれる所以だった。
「となるわけで、俺はこれを論文で発表したいと思うんだが日々の業務が忙しくてな…」
「はぃ…いつもお忙しそうですもんねぇ…」
「…聞いているのか?」
「聞いてますよぉ~?センセ。」
「薫…お前酔っているだろ。」
「ええ~酔ってませんよ~?まだまだいけますって!」
「酔ってる奴はみんなそう言うんだ。…すまないチェックをお願いできるか?」
 そういうと先生が財布を取り出してお会計をすまそうとしだした。私はまだ飲み足りない気がしたが、先生が帰るならば仕方ない。私もお金を出そうとしたらいつの間にか先生がカードで済ましてしまっていた。後で払わなければ。
 居酒屋から外へ出ると梅雨のひんやりとした風が頬を撫でた。それが火照った体に心地よく思えた。電車で帰ろうと思うが面倒に思えた。タクシーでも拾って帰ることにしよう。
 私は先生に挨拶をしようと振り替えて笑う。先生の想いをぶつけられてから、何となく浮ついている。これはビールの所為もあるかもしれないが、先生の気持ちを少しは信じられるようになって心が浮足立っている所為もある。とにかく気分がよかった。
「今日はごちそうさまでした!いやぁ、おいしかったですね~!」
「初めて行った場所だが、なかなかに良い店だ。大衆的だが悪くはない。」
「でしょ~?先生も気に行ってくれて嬉しいです!」
「…先生じゃない。蒼だ。」
「えー、でも先生は先生ですよ?」
「役職で呼ぶ恋人なんて聞いたことない。…呼びたくないのか?」
 少しだけ悲しそうな顔をして首を傾げられてはこちらの胸が高鳴ってしまう。これはわざと狙っているのだろうか。そんなにまで名前で呼ばれたいものなのだろうか。確かに乙ゲーでは名前で呼ぶシーンで彼氏たちがキュンとなる姿が良く表現されているがあれは本当だったのだろうか。
「はいはいわかりましたよ~。蒼先生?」
「それでは何も変わっていないではないか!」
「なんですかー?ちゃんと呼んだじゃないですか。」
「…ちっ、酔っ払いめ。」
「だから酔ってないです。」
「酔ってる奴はみんなそう言うといっただろう。はぁ…おい、車に乗れ。」
「乗りますよー…もううるさいなぁ…」
 こんなに気持ちいいのにそう怒らないで欲しい。頭に響く。
「寮に送るぞ。おい、聞いているのか?」
「起きてますよぉ…」
「起きろよ。あそこは女子寮だから俺は送っていけないんだから。」
「……はぁい…。」
 車に乗り込んでシートベルトを締める。スポーツカーのシートがひんやりとして心地いい。眠い脳がふわふわとする。寮に着くまで少しだけ休もう。そう。ほんの少しだけ、少しだけ目をつむるだけだ。少しだけ…




 あの居酒屋からの帰り、待ち合わせた公園の側に車を止め、静かになった助手席の方へ顔を向ける。先ほどまで忙しなく動いていた口は静かに閉じられており、すやすやと寝息を立てていた。あれだけの酒を呷っていたのだからこうなることも予想はできていた。
「薫、起きろ。もうすぐで着く。」
「……。」
 軽く体を揺さぶっても起きる気配はない。身をよじらせるだけで目も開けようとしない。
 薫が住んでいる寮は女子寮だ。俺が入ることはできない。薫が自分で部屋を開けてもらわない限り入ることはかなわない。薫の部屋はどのような感じなのだろうか。今日話して分かったことだが、薫は勉強熱心だ。新しい治療法、薬品…様々な話に目を輝かせていた。新人看護師にしてはなかなかの知識量もある。薫の部屋にはきっと医学書や看護にまつわる本が多く置かれているのだろう。寮といってもやはり一人暮らし用なのだろうか。そうとなれば俺が一緒に住むわけにはいかないだろう。
(…俺は何を考えているんだ。)
 今自分の中で思い付いた考えがあまりにも気持ち悪すぎてすぐに捨てる。思えば俺は薫が初めて俺の家に来ていたころからだいぶ気持ちの悪いことを考えていた。相手の気持ちも分からずによくもあんな提案ができたものだ。そもそも年ごろの女性を独身男性の家に泊めようと思った俺の発想がおかしい。いやあの頃の俺は薫を俺の道具程度にしか認識していなかった。だから仕方なかったのだ。そうは思うが、今の自分からすればゴミクズのような行動であの頃の俺を今すぐに殺してしまいたくなる。
 そして、俺はまだ屑で、彼女を自分の家に連れて帰る口実ができるということに、俺は歓喜している。
「俺はお前の家には上がれないんだが。」
「…まだ少し寝たいです。」
「お前が家に帰らないと俺が帰れない。だから早く起きろ。」
 早く起きないと、俺の抑えが効かなくなる。彼女の蒸気してほんのり紅く染まった頬が、眼を閉じたまま言葉を紡ぐ口が、俺の目を離さない。
「……早く起きないと、俺の部屋に行くぞ。」
 これは最後の警告だった。俺の枷が外れないうちに、彼女には家に帰ってもらいたい。このまま連れて行ってしまいたいという欲を抑え込んで欲しい。だから、どうか早く家へと、
「…良いですよ。」
 薄い唇が微かに開いた。その言葉の意味が良く聞き取れなくて、もう一度覗き込むように彼女の顔を見つめる。聞こえた言葉が嘘であることを望む反面、本当であればと思う自分を抑えられない。
「お部屋まで、連れてってくださいよ…」
 ふわりと微笑んでこちらを見つめる薫が俺の理性を崩そうとする。彼女の頬をほんのり赤く染めたのは酒の所為なのか、その言葉の所為なのか、俺には確かめるすべはない。だがそれが俺への照れによるものだとしたらとても嬉しいと思った。
「連れて行くからな…」
 後悔が起きないように、俺は車を自宅へと走らせた。




 車から爆睡している薫をおんぶしてマンション扉を開ける。俺のベッドの上に寝転ばせれば「むにゃ、」と何ともマヌケな声が響いた。自宅はオートロックのマンションだ。病院の同僚や看護師には教えていないし、連れ込んだこともない。俺の家を知っているのは薫だけだ。
 俺は本当にどうかしている。ついこないだまで女を俺の部屋に連れ込もうなんてありえなかった。女なんて俺のことを見ようとしない。俺の財産と地位ばかり狙ってくる浅ましい女だと思って近づける気にもならなかった。
 彼女を仮の恋人としたのは本当に偶然の出来事だった。佐々木先生とともに挨拶しに来た彼女はいかにも気が弱そうで、口で丸め込むことなら容易いと思ったから彼女を選んだ。恋人ができれば母親からの結婚の催促は無くなるだろうし、簡単な女避けになると思ったからだった。適当に話をすればきっとこの女も納得してくれるだろうし、この俺と恋人になる事を断る女なんていない。そんな傲慢で安直な考えで彼女を縛り付けようとした。それが間違っていた。
 彼女がリビングで食事をしている姿、女に虐めともとれる言動を受けている姿、母と話している姿を見たところから、俺は惹かれていたのだろう。そんな自分の気持ちにも気づかずに、薫の想いも考えずに「結婚しよう」なんて言ってしまったことを悔やみきれない。あの言葉は今となれば本当の想いだと言えるが、あの時は自覚すらせず自分の利益しか考えていなかった。それが分かっているあらこそ、彼女は俺を拒否したのだ。俺は馬鹿だった。
 服を脱いでTシャツに着替える。彼女の方を見ればぐうぐうと寝息を立てて気持ちよさそうに寝ていた。服がそのままなので着替えさせようと起こす。
「おい、着いたぞ。着替えろ。」
「んん、嫌です…」
「服が皺になるぞ。着替えるんだ。」
「…わかりました。」
 どこを見ているのか分からないような朧気な目で自身の服を脱ぐ。俺の前であるというのにも関わらず目の前で堂々と脱ぐものだから視線をどこに置こうか困った。その末にクローゼットにしまってあった白いTシャツを投げて薫を背にした。あの当直室でさんざん見たはずの彼女の肌は、今はどことなく見るのが恥ずかしかった。ちらりと見えた彼女の首筋には青紫に色づいた痣があった。その痣には身に覚えがあって、さらに気恥ずかしさが増した。
 布がすれる音が収まるのを確認し、彼女の方を振り向いた相変わらずふわふわとした目で俺をじっと見つめてくる。何を考えているのか、何を思っているのか、今まで勉強してきた数多の知識を生かしても薫の考えが読み取れなかった。「若き心臓」も所詮は人間であるということを皮肉にも今、感じた。
「せんせい…」
 舌ったらずな声で俺を呼ぶ。呼び名は相変わらず「先生」だったが、それがどうにも心地よかった。静かに近づいて彼女の顔を手に包む。ぼんやりとした目に俺が映った。それだけで酷く喚起する。抑えきれない欲が次か次へとあふれ出てくる。
 その欲望は何も言わない彼女の唇に指を這わせた。グロスで彩られた唇からは熱い吐息とアルコールの匂いが混じって何とも言えない妖しさがあった。それに興奮する。
「薫…」
 相手が酔ったところを襲うだなんて男として恥ずべき行為だろう。頭の中ではわかっていた。だがそれを止めることができない。俺はこんなに欲を抑えられない男だっただろうか。そのまま唇を重ねる。熱くとろけるように互いの接点があいまいになる。そのたびに口づけを深くすれば薫の喉からこもった声があふれた。それに夢中になってより舌を絡ませる。
 俺をここまでさせるのは薫以外にいない。始まりが何であれ、俺は薫を愛している。そう認識せざる負えない。だから貪ることをやめられないし、他の男と歩いているところを見るだけで虫唾が走る。いっそのこと閉じ込めてしまいたいとさえ考えている。いやむしろそれぐらいの気持ちでいいのかもしれない。彼女は俺が薫を本気で好きだということをまだ信じ切れていないようだから、それぐらいの気で愛を注いでいかなければいけない。
 名残惜しいが唇を離した。二人をつなぐ銀色の糸が妖しく光る。愛しさが止まらない。もっと、もっとと思う気持ちを無理やり押さえつける。薫を見ればすでに彼女は体力を使い果たして眠りについていた。燻る熱を持て余していたが眠っている相手にそういう気にはならなかった。
 薫を大切にしたい。もっと愛してやりたい。そう思った。
「おやすみ…薫。これから嫌というほど愛してやるから覚悟しろよ。」
 眠っている薫に髪を撫でながら、そう呟いた。
 俺も寝るとしよう。薫の隣に入って布団をかぶる。薫を包み込むように抱きしめれば薫の香りが鼻腔を満たした。そんな幸福感に包まれていた時だった。
「……あおとくん…ふふ…」
 薫の口からある人物の名前が出た。ハッとして思わず抱きしめる力が強くなる。「くん」と名前を付けるからには男性なのだろう。薫に男性の知人がいても何ら問題はない。問題は呼び方だ。俺のことは名前で呼ばず、かつ少し緊張気味に呼ぶというのに、その「あおと」とかいう男には名前で呼び、かつ楽しそうに笑う。それが俺の中で黒くて醜い感情を生んだ。
 「あおと」とは一体誰なのか。親しい間柄なのだろうか。今でも親交がある仲であるのか。そればかり気になって悶々とする。薫は22だ。今までに彼氏がいたっておかしい話ではない。俺も36であり、女がいたことがないとは言えない。だから薫の過去の男関係にとやかく言うつもりはない。それなのに、今、薫から出た寝言にすべての意識を持っていかれている。俺がいまだに手に入れることができていない、薫との親しい関係を持っている「あおと」とかいう男に、年甲斐もなく嫉妬している。くだらない。そう吐き捨ててしまえば良いものをできずにいる。
 「蒼ちゃんが恋をしたら、大変ね。だってその年まで恋愛経験がないんですもの。」母親がいつか言っていた言葉を思い出した。母親が言う「大変」とはこのことを指していたのだろうか。
 その日は結局「あおと」と薫の関係のことばかりを考え、寝付くことができなかった。




 目を覚ますと、布団に包まれていることに気づいた。ずきずきと痛む頭を押さえながら起き上がる。辺りを確認すればあのシンプルな部屋が目に映った。ここはきっと先生の部屋なのだろう。
 私は昨日、何をしていたか。確か久遠先生と一緒に居酒屋に行って飲んだはずだ。店から出て、先生の車に乗ったところまでは覚えている。そこからが一切思い出せない。自分の身に着けている物を確認する。あのTシャツに着替えていた。私は着替えた記憶がないのだが、着ているということは何とか着替えたのだろう。
 時計を確認すると、時刻はまだ6時であった。これならばまだ病院に間に合う。机の上に丁寧に畳まれた服を手にする。これも先生が畳んでくれたのだろう。畳み方がいかにも先生らしくて、思わず笑んでしまった。
 先生はどこにいるのだろうか。適当に身だしなみを整えてリビングの方へと向かう。テーブルとソファの簡素なリビングに、先生はいた。
「おはようございます、先生。先生はお休みですか?」
「…いや、出る。」
「そうですか。朝ごはんは食べましたか?」
「…まだだ。」
「それでしたら私が何か作りましょうか?…といってもベーコンエッグぐらいしか作れないんですけれども…」
「…いらない。」
 そっけない対応を取られてなんだか緊張してしまう。昨日の先生の優しさはどこへとやら、そんな緊張感が先生の周りを漂っていた。昨日の私が何かしてしまったのだろうか。それならば謝らなければいけないが、何をしたのか分からない以上、どうすればいいのか分からない。
 そんな先生の威圧を受けながら朝食を適当に作る。先生の部屋の冷蔵庫は相変わらずからっぽで作るものに困ったが、やはりパンとジャムはあったのでそれを食べることにした。
 先生の正面にそれぞれ用意して緊張しながら朝食をとる。緊張してご飯を食べるのは先生と初めて会ったあの朝以来だ。あれが二か月前のできごとだということに驚く。時というのは早く流れるものだ。
 目の前の先生をちらりと見る。難しそうな顔で新聞をにらみつける様子はやはり様になっていて格好いいと思う。これはどの女子も思うだろう。こんなイケメンなのだ。格好いいと思うなという方が難しい。
 見つめていたら先生と目が合った。どきりとして、思わず食べていたパンが変な方へ入りそうになる。むせこみそうになる喉を抑えてなんとか息をする。
「な、何か…?」
「どうしてそう緊張している?」
「緊張してないです!いつも通りです!!」
「しているじゃないか。」
 緊張している理由は先生だ。なんだか今朝の先生はぴりぴりしている。なにか黒いオーラを漂わせているように見える。
「せ、先生はいつごろ出られるんですか!?」
 耐えきれなくなって話題を変えようと話を振ってみる。これで先生の起源が良くなるかはわからないが、とにかく私の精神安定のために必要な措置だ。
「お前と出る。」
「えっ!私とですか!?」
「何か問題でもあるのか?」
「え、あ、その一緒にいられるところを見られるのはやはり今後の先生のキャリアとか私の病棟での立場とかその色々あって…」
「…それだけか?」
 ぐいっと先生がテーブルを挟んで身を乗り出してくる。急に縮まった距離のおかげで綺麗な顔がくっきりと見えて、鼓動が早まる。朝から心臓に悪い。機嫌が悪い理由を探ろうとしても怖くて聞けずにいる。
「えぇ…っと、それ以外に何か…?」
「例えば、他の男だとか。」
「ぶっ!!」
 先生が訳の分からないことをいいだして思わず吹き出す。私の陰キャっぷりを先生はまだわかっていないのだろうか。確かに先生にはまだ隠していることは多い。特に私の高校時代、趣味のことなんて話すことはできない。知られてしまってはきっとドン引きするだろう。だからといってやめられるとは思わないし、やめようとも思わない。つまり私が先生とうまくやっていくためにはこの趣味を隠し通すしかない。
「そんな人いる訳ないじゃないですか!」
「……そうか。」
 少し怒っているのかと思えば今度は目じりを下げて悲しそうにする。一体なんなのか。先生の行動が理解できずに困惑する。
 そんなやり取りがあって、時計を見ると出勤時間になっていた。もう出なければ遅刻になってしまう。幸い、ナース服は一着ロッカーにおいてある。このまま病院に向かえば問題はないだろう。それにこのなんだか機嫌を悪くしている先生のもとから離れたい。
「では、その、もう出ますね。」
「俺も行く。」
「いや先生はもう少しゆっくりされても…ごはんも食べられていないようですし、」
「向こうで食べる。だから問題ない。」
「いやでも、他の人が」
「俺が送っていくと言っているだろっ!!」
「ひゃ、ひゃいぃいっ!」
 怒鳴られてしまえば萎縮してしまう。私はそのまま、なぜか機嫌が悪い久遠先生と一緒に神ノ院病院に向かうことになった。




 その日はまるで集中できなかった。カルテを見ても診察をしていても、とにかく何をやっていても薫が俺の頭を支配していた。
 きっかけは分かっていた。昨日の薫の一言だ。薫の口から出た「あおと」とかいう男と薫の関係が気になって仕方がない。恋人同士だったのだろうか。今でも薫が忘れられない存在なのだろうか。寝言でも言うということは、それだけ大切な人間だということなのだろうか。考えれば考えるほど思考が黒いものに呑まれていく。
 やはり今朝、問いただせば良かったのだろうか。いや、そんなことをすれば薫が困ってしまうだろう。俺の気持ちが晴れても、それではいけない。そもそも薫との関係は俺が始めたものだ。薫の意思も考えずに、俺が勝手に始めたのだ。これ以上薫への無理強いはしたくはない。そうは思うのに、薫には俺の側にいて欲しい、俺だけを見て欲しいという汚い独占欲があふれてやまない。これほどまで人間に執着したことがあっただろうか。今までの自分と全く違う姿に驚く。
「久遠ー、大丈夫か?」
「え…あぁ。大丈夫だ。」
「なんだか眉間に皺が寄ってるぞ。そんな難しいオペなのか?」
「いや…そういうわけじゃない。」
 開いていた画面が明後日オペの患者のカルテだったからそう思われても仕方がない。私に話かけた医師は俺が研修時代からの知り合いの松川だ。なんだかんだ仲良くなって、俺が「若き心臓」と呼ばれるようになってからも気軽に話しかけてくれるいいやつだ。
「オペじゃない?お前がオペ以外のことで悩むことがあるなんてな。意外だな。」
「俺を何だと思っているんだ。」
「この病院の天才外科医、『若き心臓』、天下の久遠蒼先生だ!」
「…はぁ。」
 こんな風に茶化してはくるが憎めない。というか、俺もなぜ俺がこいつと仲良くしているのか分からない。それもこいつの良いところなのであろうが。
「おいおい本格的にどうしたんだー?ここは『うるさい。静かにしろ。』とか言うところだろ~?」
「すまないな。だが大丈夫だ。」
「流石の俺でも心配するぜ?この俺にちょっと言ってみろよ?ん?」
 確かに俺らしくない対応なのかもしれない。俺には経験のないことだから、少しでも経験のありそうなやつに聞いた方が良いのかもしれない。
「……お前、執着したことはあるか?」
「しゅうちゃくぅ~?そりゃまたこえーこと言うな。…んー、確かに免許取るまでは点数に執着はしてたな。」
「そういうことじゃない。…その、人間にだ。」
「…ははーん?この松川先生分かってしまいましたよ?女か?」
「……。」
 無言は肯定となる。それは分かっていたがうまい返答が思いつかなかった。こんな経験はないし、勉強もしてきていないのだ。こうなっても仕方がない。
 一人でうんうんと頷いている松川が矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。
「そりゃーお前、ありますよ?俺だって男だし。好きになった女の子には俺を見て欲しいとか思うし、嫉妬もしたさ。」
「その子の過去のことが気になったことは?」
「あるな。まあそういうのは聞かない方が良いと思うが…まあ気になるよなー。うん。…ていうか久遠、お前彼女いるのか?」
「……まあ。」
「はあ!?そういうのは親友の俺に一番最初に言うことだろう!?」
「誰が親友だ。」
 やはりこいつに聞くべきことではなかったかもしれない。一人で悶えている松川を横目で見てそう思った。
「そうだなー…まあ過去の男関係のことなら聞いてみたいとも思うよな。でもそれを聞く前にまずは自分のことだろ。」
「自分のこと?」
「ああ。まずは自分のことを知ってもらうところからだろ。そのあとそれとなく聞いてみる!これがいいだろ!」
 自信満々に言う松川はやけにきらきらした目でこちらを見る。それが大分うざったかったが、松川の言うことには同意できる。確かに一方的に相手のことを聞き出そうとするなんて虫のいい話だ。まずは自分のことからというのは、間違ってはいないだろう。
 そう思うとますます薫に会いたくなった。横ではぺらぺらと自分の恋愛経験談をしゃべっている松川がいるがそんなものに構っていられるほど俺は優しくない。スマホを取り出して薫に連絡を取る。薫は勤務中だろう。早く返事が欲しいところだが、焦ってもどうにもならない。もう少しすれば向こうの勤務も終わるだろう。もう少ししたら会える。そう思えば、少しだけ心持が軽やかになった。

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