秘密のカンファレンスー冷徹俺様ドクターは加減が分からないー

悠里ゆり

2.『仮』

 久遠先生に指示されたまま、足早に会場を後にした。ホテルマンににこりと挨拶されたがそれに返す余裕もなく、エントランスをひきつった表情で駆ける私はさぞ滑稽なことだろう。言われたとおりにホテルの裏路地に行けばシルバーのスポーツカーが一台と待っていた。指示通りその車の前で待つことにする。
「はっくしょん…ぶぇえ、寒い…」
 それにしても寒い。時計を見れば針は十一時過ぎを指していた。4月になったとはいえいまだ寒さは残っている。ときおり吹く風は生ぬるいが寒さを感じるには十分だった。
 言われたとおりにここで待っているが、本当は騙されているのではないか。そもそも初対面の久遠先生が私に何か命令する方がおかしいのだ。唯との会話だってひどいものであった。あんなに友好的に話しているのにも関わらず、全くの無関心といったようなものだ。
 そろそろ約束の5分が経過する。あたりを見渡しても久遠先生らしき人の姿は見えない。もう寒いし、明日も仕事があるのだ。久遠先生の戯れに付き合ってる暇などないのだ。家はここからさほど遠くはない。まあ歩いてい帰っても問題はないだろう。そう思い、帰途へ着こうとした。
「おい、何をしている。」
「ひゃいっ!!」
 背後から凍えるような声が聞こえた。瞬間的に返事をしてしまった。そのまま立ち去ればよかったのに。久遠先生の支配に飲み込まれてしまったような心地だ。
「5分待てと言っただろう。…少し過ぎてしまったが。」
「で、でで、私に何か御用でしょうか…あ、なにか粗相が…?」
「そんなものはない。乗れ。」
「の、乗れとは?」
「これに乗れと言ってるんだ。早くしろ。俺は無駄が嫌いだ。」
「なぜ!?」
「……理由は後ででいいか?」
 少し伏目がちに言われ、言葉に詰まる。さっきまでの俺様はどこに行ったのか。それすらも計算のうちなら久遠先生は本当に性格が悪い。
「…分かりました。その代わり、あとで必ず理由お聞きしますからね。」
「そうしてくれると助かる。」
 車の助手席に座る。シートが革でできているのが分かった。車にあまり詳しくない私でもこの車がどれだけの価値があるか分かる。そのとなりに久遠先生が座る。マニュアル車特有のエンジン音とともに私たちを乗せた車が走り出した。
「…どちらに向かうのですか?」
「俺の家だ。」
「久遠先生のご自宅ですかっ!?な、なななな、なな…っ!!!」
「ちっ、うるさい奴だな。人を間違えたか…?静かに乗っていろ。」
「乗れと言ったのは先生なのに…」
「何か言ったか?」
「いえいえいえ何でもございません!!」
 なんでこんなことに。私はただ新人歓迎会でご飯と酒を楽しんでいただけなんだ。唯についていっただけなのだ。なのになぜ、手の届くはずのない天才外科医が隣にいるのだ。なぜこいつの自宅に行くことになったんだ。聞きたいことは山ほどあるのに先生と二人きりの車の中では緊張のあまり声にできない。息も苦しい。
 そんな私の様子を気にもせず、車はマンションの地下へと向かう。ここに先生の自宅があるのだろう。丁寧に駐車すると降りるよう促された。よくわからないまま車を降り、先生後ろについていく。いかにも高級マンションといったような風貌だ。医師が住まう城とはこのような物なのだろうか。私が住んでいるワンルームとは比べ物にならない。そもそもエントランスなんてないのだから。
 エレベーターに乗ると、先生がカードキーをかざした。なるほど、自分が住んでいる階にしか行けないようになっているのか。さすがは高級マンション。エレベーターはそれに反応するとぐんぐんと上へあがっていく。何階建てなのだろうか。振動も全くないから数えることもできない。数秒してドアが開いた。ここでも私に構うことなく進んでいく。もう戻る道も分からないので必死についていく。
「入れ。」
「お、おじゃまします…」
 命令されるままに先生の部屋に入れてもらう。シンプルな家具が必要最低限に置かれているだけで、ゲームや漫画などは一切ない。あるとしても難しそうな洋書と医学書だ。私とは真逆な部屋だ。
「そこに掛けろ。飲み物は…麦茶でいいか。」
「いえいえ!お構いなく!!」
「俺がお前に頼んで来てもらったんだ。茶ぐらい出させろ。」
「いや、でも私も時間がありますので…」
「馬鹿か?もう終電はないぞ。」
「え゛!!?」
 驚いてスマホで時間を確認する。すでに12時はとっくに過ぎており、午前1時に差し掛かろうとしていた。あれからもうそんなに経っていたのか。
 がっくりと肩を落とす私の前に麦茶が置かれた。置かれた麦茶をにらみつける。そもそも私が終電を逃したのはすべてこの男のせいではないか。何が『若き心臓』だ。あの会場では確かに久遠にあこがれる女の子は多く居た。しかし実際はどうだ。唯の好意もゴミと捨て、私を拉致した男のどこがいいのか。ただの顔と経済力だけの男じゃないか。少しでも見惚れた自分が悔しい。
「…私をここに連れてきた理由は何ですか?」
 いつもの私ならもっと物腰柔らかに対処していただろう。しかし今の私にそんなことはできない。こんな理不尽なことを押し付けられてどう冷静でいろというのか。
「……お前が怒るのも無理はないな。拉致に近い形で連れてきてしまったのだからな。…すまない。」
 素直に頭を下げられる。意外な対応に驚くが、こんなことでほだされてはいけない。人は簡単に信じてはいけないのだ。それは今までの経験からも言える。少しでもほだされそうになったのを律する。
「理由、か。そうだな。私は無駄が嫌いだ。だから単刀直入に話そう。七瀬、俺の恋人になれ。」
「………は?」
「俺の恋人になれ。」
「……え、っと、今、私は久遠先生とお付き合いすることを要求されているのでしょうか…?」
「そうだ。恋人、彼女…呼び方はなんでもいいが、とにかくそれになって欲しい。」
「え、」
 「えええええええええええええっ!!??!?」私の絶叫が部屋に響いた。そんな絶叫も無視して久遠は「うるさい奴だな。やはり間違えたのだろうか…」などとのたまった。いや待て。これに驚かない奴がいれば見てみたい。普通の幼馴染だとかよく遊んでいる男友達など(そんな存在はいないが)からの告白ならこれほど驚かないだろう。言われた相手が今日初めて出会った性格悪い天才外科医で、私が新人看護師のピヨピヨだから…いやそうではない。それならば私とは言わずもっと可愛い子(唯とか)を選ぶ…いやそうではなくて、
「なな、なんでっ!?どうして!?」
「俺が選んだんだ。拒む理由があるか?」
「いやそうではなくてですね!私たち今日が初対面ですよね!?」
「……そうなるな。」
「そ、そういう関係っていきなりなるものではないと思うですが!」
「そうだな。」
「ですよね!でしたらなぜ私を、そ、その恋人に…っ」
「ん…?ああ。言い方が悪かったな。」
 私の焦りなどどうでもよさそうに麦茶に口を付けながら久遠が話す。よく落ち着いていられるものだ。私は今の発言ですべてのアルコールが抜けたというのに。
「恋人、というのは『仮』だ。」
「か、かり…?」
「そうだ。お前には俺の『仮の恋人』を演じて欲しい。何も本当に付き合ってもらう必要はない。あくまでそれらしく見えればいい。」
「…なぜ仮の恋人が必要なのでしょうか?」
「俺はモテる。」
「は?」
「俺は顔は良いし、医師という肩書きもある。だからああいう会に参加するだけで女がよりついてくる。」
 たしかにそうだけど自分で言うか?思わず言いそうになったが無理やりのどの奥へと押し込める。
「俺はそういうやつらが嫌いだ。だから『仮』でも恋人がいれば言い寄られることもないのではと思った。」
「それは、女を断るために私が利用される、ということでしょうか?」
「そうなるな。」
  女避けとして女を使うとは大した考えだ。それならば初対面に近い女を適当に見繕うのもわかる。久遠先生の恋人という肩書は非常に魅力的だ。たとえ仮であったとしても、私には一生手に入らないものが(仮という形ではあるが)手に入る。それならばこれに応じない理由がない。
 いや、よく考えろ。私は騙されているだけだという可能性もある。実は久遠先生もあいつら・・・・と知り合いで、私の反応を楽しんでいるだけなのかもしれない。それはないとしても、私はこの男に利用されるだけ利用されて、本当に好きな相手ができたら別れる都合の良い女ではないか。それならばもう少し私ももらっても問題ないのではないか。
「話は以上だ。…恋人になってくれるか?」
「…それって、久遠先生ばかりが得してますよね?」
「そうなるのか?仮とは言えお前は俺の彼女になるんだ。これだけで良い条件だと思うが…」
「それは『本当に恋人』だった時だけですよね?『仮』なら全く価値はないです。」
「……では、それ以外に何を求める?」
「それは…」
 勢いで言ってみたものの、何も思いつかない。何か、何か言わなければ。ここで何も言わないと本当に都合の良い女になってしまう。それだけは阻止しなければ。
「何もないなら…」
「えっと、あの、あれです!私、その、付き合った経験がございません!」
「だからお前を選んだのだ。」
「で、ですから、『恋人らしくしろ』と申されても、私には何もできないので…その、先生の方から恋人らしいことをしていただけませんか!?」
「それはお前に利益があるのか?」
「ええ!そりゃあもちろん!何しろ一生彼氏ができないとまで覚悟した私ですから!!」
「…ふむ。」
 勢いのままに言った。一生付き合うことのない人間と恋人ごっこができるのだ。それならば先生の思う『理想の恋人ごっこ』に付き合ってこれをリアルな乙ゲーとして楽しめばいいじゃないか。それにこれを断ったからと言って今後のキャリアに影響が出るわけではない。
 久遠先生の出方をうかがうようにゆっくりと顔を上げる。やはりこんな条件は飲めないか。まあそれでも私は構わないのだが。
「…分かった。」
「へ?」
「俺が恋愛経験がない奴を選んだんだ。だったら俺がそれらしく見えるようにする努力が必要だろう。であればそれぐらいしてやる。」
「ま、マジですか?」
「お前が言いだしたことだろうが。…俺を誰だと思っている。『若き心臓』だぞ。できないことはない。」
 そう自信にあふれた顔で不敵に久遠先生が笑った。なんとなくこの人が性格悪いといわれているのが分かる気がする。
 多分これで先生の話は終わりだろう。帰ろうと身支度を始める。そういえば終電がないんだった。仕方がない。懐が痛いがタクシーで帰ることにしよう。いつまでもこんなところにいては先生に申し訳ない…というより、早く帰りたい。暖かい布団でぬくぬくとしたい。彼氏たちに癒されたい。
「じゃあ私はこれで…タクシーで帰りますね。えっと、お疲れさまでした。」
「待て。」
「ま、まだ何か…?」
「今夜は泊まっていけ。」
「はぁ!?いやいやいやいや大丈夫です!問題ありませんっ!!帰りますっ!!!」
「終電がない時間までお前を引き留めたのは俺だ。部屋はあるから気にするな。」
「いやそういう問題ではなくてですね!」
「なぜだ?俺とお前は付き合っているんだ。彼氏の家に彼女が止まるのはごく普通のことではないのか?」
「で、でも私たちは今日初めて出会って、しかも『仮』で…」
「いいから泊まれと言っているだろうっ!!」
「ひゃ、ひゃいいいぃいい!」
 怒鳴られて思わず声が裏返ってしまった。やっぱり怖い。そのまま先生に案内され、部屋に通される。ベッドがあるだけの部屋だ。生活感というものを全く感じられない。私の部屋のように漫画やゲームが置いてあるわけでもないのでそう考えるのも無理はないかもしれないが。
「ここで寝ていいんでしょうか…?」
「この部屋は好きに使え。俺は隣の部屋にいる。何かあれば知らせろ。服は…そうだな、クローゼットに入ってるものから好きに選べ。」
「その服って先生のものでは」
「一度も着たことのない服だから気にするな。お前にやる。」
「あ、ありがとうございます…」
 「では俺は寝る。」そう一言声を変えkるだけで私に与えられた部屋から先生が出ていく。パタリと閉じられた扉を数秒間、茫然と見つめていた。今日起きたことがいろいろ衝撃的過ぎて頭が追い付いていない。
「えっと、私は今日から神ノ院病院12-1病棟配属の新人看護師で、新人歓迎会に行って、久遠先生に出会って、連れ込まれて、久遠先生の恋人(仮)になって、泊まれと言われて…」
 口に出して言ってみたものの、後半の方は全く現実味がない。今でさえ夢なのではと思う。私はつい昨日まで寮で生活していて、帰った後は勉強と乙ゲー、BLに身を投じていた女だ。いきなり彼氏ができてしかもお泊りという訳の分からない状況に置かれれば誰でも混乱するのではないか。
 来ていたドレスを脱いで、ありがたくクローゼットの中のTシャツと短パンに着替える。窮屈なドレスよりよっぽど良い。
 適当にドレスを片付けて、ふかふかなベッドにどさりと横たわる。明日も研修があるのだ。いつまでも夜更かしをしてはいられない。スマホにアラームを設定して目をつむれば、眠気はすぐにやってきた。そう、眠ればきっとこの意味の分からない状況もはっきりとするだろう。そう、一回寝てしまえば…


 ジリリリリンッ!とけたたましい音で目が覚める。すぐに止めて時間を確認する。時刻は五時。問題はない。しかし寝ている場所がいつもと違うということに驚く。が、すぐに状況を理解した。やはり昨日のことは夢ではなかったのだ。自分が今とても厄介な状況に置かれていrるということを再確認して、朝から盛大なため息が出てしまった。
 普段着はない物かと先生に言われたクローゼットを開けてみた。女性ものこそないがユニセックスのジーンズがあった。それを手に取り着替える。上はどうせコートを羽織るのだからTシャツのままでいいだろう。
 とりあえず洗面台のありそうな浴室へと向かう。持ち物は昨日と変わらないのでカバンはそのままでいいとして、問題は弁当と朝食だ。勝手に冷蔵庫の中を漁るのは良くないが、背に腹は代えられない。申し訳ないと思いつつ冷蔵庫の中からいくつか食材を物色する。ハムとパン、チーズ、レタス…お米はないがこれだけあれば朝食もお弁当もいける。使った分は後で返せば問題ないだろう。
 フライパンをこれまた拝借し、ハムエッグを作る。それを見ながらパンをトースターに突っ込み焼いていく。いつものように朝の支度をしているのだが場所が場所なだけに少し緊張してしまう。その間に簡単なサンドウィッチを作る。適当にラップで包めば問題ない。誰に食べさせるわけでもないのだ。恰好なんてどうでもいい。
 焼けるまで部屋を観察してみる。キッチンから見えるリビングには白いソファとテーブルとテレビしか置かれていない、殺風景な部屋だ。それも合わさって部屋はとても広く見える。こkどえ一人暮らしている久遠先生のことを考えると少し寂しい気もしてきた。私の部屋がごちゃごちゃしすぎているせいなのかもしれないが。
 適当に作った目玉焼きを盛り付け、机の上へと並べる。パンにはジャム派の私だが、マーガリンしかなかったのでそれを塗り付けた。牛乳を取り出して注げば朝食は完成だ。
「朝から精が出るな。」
「んなっ!!げほっ、ごほッ…」
 突然声をかけられて思わずむせてしまった。牛乳で流し込み、どうにか落ち着きを取り戻す。久遠先生のことをすっかり忘れていた。
「ふむ…朝食か。」
「そうですよ…ごほっ、はぁ…先生はもう出勤ですか?」
「今日は休みだ。呼び出しがあれば行くがな。」
「そうですか…」
 休みなのにこんな時間に起きるとは随分な健康体であるようだ。私だったら十時まで寝続ける自信がある。いや、私がガチャガチャとやっているせいで起こしてしまったのだろうか。そうであるならば申し訳ない。
「もしかして起こしちゃいましたか?すみません…」
「そうだな。お前のせいで俺は起きた。」
「すみませんでした…」
「……。」
  無言の圧力を受けながらパンとハムエッグを食べる。非常に食べづらいがここで食べなければ今日の研修は乗り越えられない。ちらりと先生の顔を見るとやはりまだこちらの様子をじっと見つめていた。そんなに人が食べているところが珍しいのだろうか。
「あの、なにか…?」
「いや、別に何でもない。」
 そんな風には言うが、先生はいまだにこちらをじっと見つめている。食べづらい。
(もしや勝手に冷蔵庫の中身を使ったことが許せないのでは!?)
  一つの可能性が出てきて全身から冷や汗が噴き出る。そうであれば今すぐ謝る筆意用がある。
「あ、こ、これはですね!先生の冷蔵庫の中からいくつか見繕ってですね、作れそうなものを作って食べている次第でして!…えっと、あの、なんというか、勝手に食べてしまって申し訳ございません!!」
「それは別に構わない。」
「そ、そうですか…」
 朝から久遠先生の意味の分からない威圧を受けるのは心臓に悪い。『若き心臓』とも呼ばれているのだからそれぐらいわかってほしい。早くこの時間が終わるようにと、一心不乱に目の前の朝食を食べる。
「……いいものだな。」
 久遠先生がつぶやいた。「良い」とは何が良いのか。わからないがとりあえず私が食べている姿に対して不満はないようであることは分かった。
 もう早くこの場から去りたい。そうだ。もう出勤してしまえば良いのだ。出勤すれば久遠先生と会うことはない。そう思い手早く皿をキッチンへ運び、片付ける。
「もう行くのか?」
「はい!行かせていただきますっ!!ありがとうございました!!!」
「そうか…では送ろう。」
 その一言に固まる。何を言ってるんだこの人は。一介の新人看護師が天下の久遠蒼先生に送られたと知れ渡れば12-1病棟、いや病院中で噂となる。確かに久遠先生の言う『仮の恋人』としてならそれで成功となるだろうが私の看護師としてのキャリアにどう影響するか分からない。それは嫌だ。
「いやいや大丈夫ですっ!!自分で行けますっ!!」
「だが付き合うとはこのように彼氏が送っていくものではないのか?」
「いやまあそうですけれども…」
「では問題ない。」
「問題ありまくりですよ!…とにかく、初日からそれはまずいです。」
「お前が恋人らしく振舞えというから俺がそうしてやるんだろうがっ!!」
「ひえっ!すみませんすみませんすみませんっ!!お気持ちだけで結構ですから!!とりあえず今日は一人で行きますっ!失礼します!!」
 側に合ったカバンを取り、全力で部屋をでる。高級マンションのつくりは分からなかったがとりあえず外に出ることができた。
「…はぁ、病院行こ。」
 昨日からの疲れがどっと出た。昨日から疲れることが多すぎる。私は自分の勤務先である神ノ院病院へと向かった。


「ちょっと~昨日は途中で帰っちゃってどういうつもり~?」
「ご、ごめんね唯…ちょっと調子悪くて…。」
「まあまあそう責めるなって。まあなんともなくてよかったよ。急にいなくなるもんだから俺も唯も奈々子さんも心配したんだぜ?」
「あら、光樹は知らなかったじゃない。薫が途中でいなくなったってこと。」
「ぐっ…奈々子さん、それは言わない方針でよかったのに…」
 昼休みに入ると質問攻めにあった。それもそうだ。歓迎会を途中で抜けてしまって、連絡もしなかったのだ。そう思うと何かしら連絡はすべきだったのだとは思う。だがこちらはこちらで意味が分からないことまみれで大変だったのだ。
 そんな私の苦労を話してしまいたいとは思うが、ここで話すとこれまた病院中で噂の的になってしまうだろう。それだけは嫌だ。
「そうそう!あの後大変だったんだよ~?」
「あの後?」
「ほら、私が久遠先生にこっぴどくあしらわれた後だよ。」
 久遠先生、という単語を聞いて背中に汗が流れたのを感じた。何も私は悪いことはしていないはずなのに、なぜだか後ろめたく感じてしまう。
「あ~…あの後か。唯大丈夫だった?」
「私は大丈夫!あの性格はまあ予想できてたし…じゃなくて、あの後大変で。すっごい数の女の子が寄ってきてさ~。そのどれもが久遠先生に撃沈されてたけど。」
「へぇ…」
「それで『時間なので失礼する。俺に構う暇があったら少しは使えるようになってから来るんだな。』とか言っちゃって!ホントかっこいいわ!」
「そ、そうかな?かっこいいかな?」
「とっても!!やっぱクールなイケメンっていいわ~!あ~、薫も見れたら良かったのにぃ…」
 唯が心底残念そうに弁当をちまちまと食べる。それに光樹が「あんな性格悪そうな男のどこがいいんだか…」とこぼした。先生がその時言っていた「時間」とはきっと私との時間の事だろう。バレることはないだろうがやはりどきりとする。今も表情がこわばらないようにするのに必死だ。
「…っと、お話はここまでね。次も研修なんだから、あんたたちも早く食べなさいよ。」
「え、もうそんな時間!やば、早くいかなきゃ!」
「奈々子さん待ってー!」
 奈々子さんに言われて残っていたサンドウィッチを押し込んだ。むせこみながらも食べて、唯たちの後ろを追った。


 今日の研修、業務が終わり、ナース服を脱ぐ。着替える洋服に手を伸ばそうとロッカーに罹っている服を見た。当たり前のことだがそこにはあの久遠先生からお借りした服があった。またもや溜息が出てしまう。先生はこの服をくれると言っていたが、もらう訳にはいかない。なんとか返そうとは思うが家にもう一度行こうなんて思わない。病院内で返そうとも考えるが、そもそも新人看護師が『若き心臓』に話しかけることなんてあってはならないことだ。
 どうしたものか。やはりここはもう一度家に行って返すのが一番の方法だろう。しかしもう一度行くなど…いやそもそも先生のマンションの場所はどこなのか。昨日は車に乗せられるがままに連れて行かれて場所などを覚える余裕もなかった。
「薫、帰れる?」
「うん。帰れるよー。」
「じゃあ今日こそ我と共に帰ろうぞ!」
「ははは、何その言い方。」
 職員玄関より出て、寮の方へと向かう。病院の敷地内は意外と広いので迷うことも多かったが、研修であちこち回っているおかげで覚えることができた。
「今日光樹は?」
「あーなんか新人看護師男子会とかいうのに参加するってさ。奈々子さんは実家暮らしだからすぐ帰っちゃった。」
「へぇ。奈々子さんって実家だったんだ。…唯は、」
「私は普通に寮。でも2号館のほうね。」
「あ、2号館の方なんだ。私は1号館。」
「えー、じゃあ途中までしか一緒に帰れないじゃーん。ショック~。」
 唯が面白いように顔を変えるので思わず笑ってしまった。こんな風に女の子の友達と話すのは実に何年ぶりだろうか。大学時代はバイトとオタ活に全力投球だったし、それ以前はどうだったか。中学ぐらいまでならこういう相手がいた気がする。
「あ、じゃあ私こっちの方だから。また明日ね。」
「うん。また明日。」
 唯に軽く挨拶して一人帰途につく。一昨日帰ったはずの自分の家がなんだかとても懐かしく思える。ああ、早く彼氏たちに会いたい。あの『仮の恋人になれ』とか言ってきた男なんて忘れていちゃつきたい。もしくはいちゃついているところを眺めたい。それと、今日の復習もしなければならない。やることは以前の私と全く変わっていないものの、こんなにも楽しみになったことはない。
「よーし!今日は朝まで…は無理だけど、たくさんごろごろするぞ~!」
「ごろごろするのか?」
 先ほどまでの揚々とした気持ちが一気に凍り付いた。冷気でも放っているのではないかとも思える背後からの声には聞き覚えがあった。それは昨日から今日の朝にかけて私を威圧し続けたあの声だ。聞き間違える訳がない。
 ゆっくりと振り返る。頭の中では「いや、まさか、聞き間違い…ここに先生がいるわけがない」といった否定が巡っている。だが、その中にも確信めいたものがある。信じたくない。だが信じずにはいられない。
「いつもこんな時間なのか?看護師というのは。」
「な、なな、」
「フン…まあいい。とりあえず乗れ。」
「なんで…」
「おい、聞いてるのか?早く乗れと言っているんだ。」
「なんでここに久遠先生がっ!!?」
 叫んだ。近くに唯がいなくてよかった。唯がいたらもっと厄介なことになっていただろう。いや唯だけじゃない。ほかの看護師がいなくてよかった。こんなところ見られたらなんて言われるかわかったもんではない。
「なぜって…俺はお前の恋人だからだ。」
「それでは理由になりませんっ!」
「彼氏というのは彼女の送り迎えをするものなのだろう?であれば俺の行動は間違っていない。」
「ですがこれは『仮の恋人』として必要な行動でしょうか?」
「ああ、必要だな。今日も何人もの女が俺に連絡を入れてきた。会えないかだとか、ご飯を食べようだとか…下らんことばかりだ。」
「それは普通に断ればよいのでは…」
「もちろん断った。『彼女ができたのでお前らに構っている暇はない』とな。これを言った時の奴らの反応と言ったら見ものだったぞ?ククク…思い出しても笑える。」
 目の前で笑う先生は本当に性格が悪そうに笑う。(実際に性格は悪いのだが)私はそんな先生に対して乾いた笑いでしか返すことができなかった。
「それは随分楽しそうで…では私は失礼します。お疲れさまでした。」
「おい、俺が何のためにここに来たのかわからないのか?」
「…女の子を断った報告のため、でしょうか?」
「馬鹿か?…これに乗れ。家に帰るぞ。」
「お気持ちはありがたいですけれども、私の家はすぐそこなので送っていただくほどでは」
「俺の家に帰るんだ。」
「ま、またですかっ!?どうして!?」
「俺とお前が住むからだ。」
「はぁああっ!???」
 今度こそ、私はぶっ倒れそうになった。(ぶっ倒れた。)

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