向坂SAKISAKA~心の闇を照らしたもの~

鈴懸嶺

SAKISAKA20~仮面~

 先日の「坂田」という向坂が少女時代にカウンセリングを受けていた女性との邂逅によりついに向坂の持つ「魔性」の正体が輪郭を顕わしはじめた。

 ただそれが分かったところで、今の俺に何が出来る訳でもない。

 今の俺は目先の用件、渋谷に向かわねばならない。


 俺は、午前中の講義を終えてから大慌てで渋谷に向かっている。 

 本来の俺であれば行動範囲の全く圏外にあった渋谷へ向かう理由は……

 むろん向坂のモデル事務所兼撮影スタジオのあるKスタジオしかない。 



 午前中最後の講義が終わってすぐに、スマホに見知らぬ携帯番号から着信があった。 

 普段、見知らぬ携帯番号からの着信は、ほぼ無視するのだが、うっかりサイレントモードにしていなかったので、ケタタマしく着信音が鳴り響いて、驚いた勢いで思わず通話ボタンを押してしまったのが運のつき。 

 間髪いれず、周りにモレモレの声が鳴り響いてしまった。 


「おー!上條だ!」 

「こ、声デカイですよ。周りからメチャ、見られちゃったじゃないですか」 

「はは、悪いな。いつもこんな調子だ。さて、君はこれから暇か?」 

「え?これから昼飯食おうと思ってたんですけど」 

「よし!すぐにKスタジオに来なさい。昼一緒に食べよう」 

「ちょっと待ってくださいよ?なんですか、いきなり」 

「YUKINAの件で、少し話がしたい。そう言われたら来ざるをえまい?」 

「そのやり方は反則でしょう?嘘だったら怒りますよ?」 

「嘘なもんか!そもそも私と君の接点はYUKINAしかないんだから。それとも私が一人の女性として個人的に君と食事をしたいと思ったのか?」 

「そんなこと思う訳ないでしょ?」 

「ホントか?この前は君からの熱い視線を受けたからな……ハハハ」 

「なっ……何言ってんですか!分りましたよ、行きますよ」 

 ああ、ホントこの人の人操術にはとても敵わない。 



「でも、今からだと一時半過ぎると思いますよ?」 

「構わんよ。君と食事するならそれぐらい喜んで待ってやろう……アハハハ、君も私に愛されたものだな」 

「はあ~」 

 俺は心底ウンザリして溜息が漏れてしまった。 


             *       *       *

 俺は渋谷駅のハチ公口の改札を降りた。毎度のことながら駅前のスクランブル交差点は人を避けながら歩かないと真っすぐ歩けないほどの人ごみだ。 

 これだけの人がいても、もちろん俺のことを気に留める人間は一人たりともいない。俺が目立たない平凡な大学生ということもあるが、おそらく俺以上に見栄えのいい「イケてる大学生」だとしても、この渋谷の人ごみで注目されることはほとんどないだろうと思う。 

 一般人というのはそもそもそういったものだ。一般人への他人の注目度なんて「ゼロ」に等しい。せいぜい前から歩いてくれば、まっすく歩くのに邪魔だから「避ける」だけの存在でしかない。

 しかし、前に俺と向坂がこの同じ場所を通った時には、多くの通行人が向坂を見て振り返る程に目をとめた。ファンだといって話しかけてきた女子高生までいた。 

 向坂が「人気モデルYUKINA」と知って視線を送る人も当然いたのだと思うが、その事実を知らずとも振り返る人も実は結構いたのではないかと思う。 

 向坂には、それくらいに俺のような平々凡々の人間では決して手の届かない「別世界に住む住人」という存在感がある。 



 道玄坂の途中にある路地に入り、ようやく人通りは疎らになった。俺はずいぶんと早歩きで来たので少しばかり息が上がってしまった。

 ようやくKスタジオのエントランスまでたどり着き一息ついた。 

 自意識過剰な俺は、正面玄関から入って注目を浴びるのを避けたかったので……いや、注目される程の人間ではないが、前回の訪問で「向坂と近しい男」として目立つ存在になってしまっていたので裏口に回ることにした。 

 守衛室の受け付けで「社長室」と書いたら守衛からメチャ怪しまれた。まあ、こんな普通の大学生が社長室を訪ねることはまずないだろうからこの反応は当然だろう。 

 俺は社長室へ直接内線を入れて確認してもらった。上條社長の確認がとれた瞬間、守衛が浮かべた愛想笑いと慇懃な態度に辟易した。 

 誰も彼もこんな偽りの「仮面」を使う。これが社会を生き抜くための「処世術」だとは思うが、この守衛のように露骨にそれをやられるとさすがに胸糞が悪い。 

 俺はエレベータで5Fに上がった。ベージュのカーペットをゆっくり歩きながら社長室へ向かうと自分が予想以上に緊張していることに気づいた。 ようやく元に戻った心拍数がまたバクバクと波打っているのを感じた。

 上條社長とは一度ランチを共にしているが、たったそれだけの関係では、少し時間が経ては、俺のような一介の学生が芸能事務所の社長と会うのは本来気楽な仕事ではない。 

 上條社長がどんなに馴れ馴れしくしようとも、平凡な学生からすればどうやっても踏み込めないオーラを感じてしまうのだ。

 俺は社長室の前で、ゆっくり深呼吸してドアをノックした。 

「どうぞー」 

 部屋の中から上條の明るい声が響いた。 

 ドアを開ける……

 俺は一瞬フリーズしてしまった。 

 社長室には、俺が想定した風景とはかなり違っていたのだ。

 上條単独と思っていたその部屋には、向坂と……見知らぬ男が立っていた。 

 向坂は俺を見るなり、ややバツの悪そうな顔をした。 

 まあ、向坂はいい。そもそも向坂の問題で今日も俺はここにきている訳だ。これはある意味想定の範囲内。 

 問題は、もう一人の「見知らぬ男」だ。 

 その男は、俺を見るやいなや頭の上から足先まで舐めるように観察した。向坂と知り合ってからこうした視線にも随分慣れた。

 俺と向坂が並んで歩いていると、ほぼ間違いなく「この男がこの美女に釣り合っているかどうか」という目で見られる。今この男がしたように頭頂から足先まで舐めるようにだ。

 こういった視線を感じれば感じる程に、人間が如何に「外見」でランク付をしたがるのか思い知らされる。今まではそもそも注目されるシチュエーションを経験していなかったので気づかなかったが、向坂という選ばれし人間のそばにいるようになって俺もそんな気味の悪い視線を感じる機会が増えてしまった。

 その男は直ぐに、「満面の笑み」を俺に向けた。その笑みは、さっきの守衛と同じ「仮面」と同種のものに違いないが、この男の場合、異様に整ったマスクと表情の柔らかさから……そんな仮面の笑顔とは言えどんな女性でも一瞬で惚れてしまう程の破壊力があるような怖さを感じた。 

 顔だけではない。身長もかなり高い上に姿勢もいいのでより見栄えがいい。ウエストが極端に絞れているが、それは肩幅が広いのでそう感じるのかもしれない。まあ誰が見ても彼が「一般人」ではないことは一瞬で判断がつく。

「よう、櫻井!よく来たな。十三時十五分か。早かったな。そんなに私に会いたかったか?」 

「やめてください。会社の社長に呼び出されたら、大概こんな感じでしょう?社長なら少しはそういった配慮は必要じゃないですか?」 

「アハハハ……相変わらず生意気だな君は。社長の私に講釈をたれるのか」 

「弱者側の一般論ですよ。社長の人事権が及ぶ人たちは誰も言わないでしょうから、社長の部下じゃない気楽な学生の俺が言ったまでです」 

「それはそれはご忠告有難う」

 上條社長は微笑を崩さずに、しかし「この生意気なガキが」という気持ちを表情に含ませてそう応えた。

 俺と社長のやり取りに向坂は、苦笑いをしつつ微妙な表情をしている。 



「そうそう、彼は……」 

 話題を変えるように上條社長は、部屋にいたもう一人の人物を俺に紹介した。 

「モデルの東郷肇……YUKINAの同僚ということになる」 

 まあこの男の容姿を一目見ればモデルであることは想像できたので驚くことはない。ただ俺の印象だとモデルってスタイルだけでマスクがイマイチなヤツが結構いるもんだが、この東郷はむしろマスクの良さが際立っていた。きっと相当な人気モデルに違いない。 

「はじめまして、東郷です。君はYUKINAのお友達?」 

「はい、櫻井といいます」 

 東郷は、さっき既に俺のことを一瞥して「安牌」とジャッジしたのだろうか、余裕の笑みを浮かべた。 

 この男もやはり向坂に好意を寄せている。はっきりした根拠はないが、それは間違いないように思えた。その東郷から見て俺は「ライバルにもならん」と判断したのだろう。 

 そういった余裕を感じた。 

「向坂とは大学で同じ学部、サークルという関係です」 

「あれ?櫻井、それだけじゃないだろう?もうしたんだろ?アレ」 

「はっあ!?」 

 俺は思わず大きな声を出してしまい、不覚にも耳まで赤くなる程に赤面して動揺してしまった。 

 上條が「したんだろう?」と言ったのは無論俺が前回上條社長へ「向坂に告白する」と言ったことに他ならない。

 それを本人のいる前で匂わすなんて、なんなんだこの人は? 

 向坂は幸い、意味が分からないように「ポカン」とした顔をしてくれたので助かったが…… 

 やはり東郷は、何かを……いや「全て」を察したようで「ほおー」という顔をして微笑んだ。 

 その人を嘲笑するような笑みは「まあ、がんばってくれたまえ」という子供をあやすような、そして若干の揶揄を伴った明らかに「上から」の反応だった。 

 俺はこの表情を見て初めて東郷という男に「敵意」を感じた。 

 この敵意の正体は、「バカにしやがって!」という安いプライドを脅かされた時に感じる低レベルなところにもあったろう。しかしそれよりも俺が腹立たしかったのは「向坂に惚れた男」としての嫉妬心に他ならなかった。

 東郷という男を一目見て、またさっき俺に向けられたリーサルウェポン級の笑顔を見てから俺はザワザワとした動揺が治まらない。

 それはこの男が向坂に好意を持っているなら、俺ごときが勝負にしても全く話にならないのではないか? と思えてしまうからだ。

 この男もまた、渋谷のスクランブル交差点を歩けば向坂同様に多くの人間に振り替えられる選ばれし人間だ。 俺のようにただぶつからないように避けれるだけの人間とは明らかに違う世界の住人惟違いなかった。



「じゃあ、三人で食事をしよう」 

 上條社長は突然、そう提案した。 

「は?」 

 俺は露骨に不快な顔をした。 


 俺は、社長のこの提案にかなりの苛立ちを覚えた。 

 いきなり食事に誘っておいて、来て見れば向坂と面識のない東郷が同席するという。 

 向坂はいい。 

 俺が上條に呼ばれる理由は、向坂問題に他ならず、当然当事者が同席するのは全くもって問題ない。 むしろいてほしいな、うん。


 しかし、東郷はどうだ? 

 この男が、向坂の”あの”問題に入ってくるというのか? 

 そもそも、この男は向坂の問題を知ってるのか? 

 もしかすると俺よりも前に上條から相談されていたとうこともあるのか? 


 いろんなことが頭を巡った。 

「なんだ櫻井、不満か?」 

「まあ、どうなんでしょう。ホイホイ状況も確認せずにやってきた俺が悪いと言われれば、何も言い返せませんが、まあ、正直面白くはないですね」

「よ、義人、ゴメン。実は私が社長にお願いして、義人を呼んでもらったの」 


 俺の不貞腐れた表情を見かねて、向坂がそんなフォローを入れてきた。 

 今の向坂の言う事が事実ならば、邪魔なのは東郷ではなくて俺の方かもしれない。 

 特に東郷からすれば間違いなくそうだろう。 

 つまり、そもそもこの昼食は上條社長、向坂、東郷というメンバーで予定されていたのかもしれない。 

 俺はそこに急遽、飛び入りで参加した部外者だ。 

「櫻井そういうことだ。だから同席してほしい」 

 東郷の立場なら「なんで部外者呼ぶんですか?」と内心思ったかもしれない。それは仕方のないことだと思う。

 しかし社長のやり方はあまりに乱暴すぎる。 

「だったら、あんな乱暴な呼び出しをせずに、まず説明してください。それに説明も聞かずに直行してきたのは俺なりに思うことがあるからです。それはわかってるでしょう?」 

 上條に、自分が呼び出せば、向坂に惚れてる俺がホイホイ飛んでるのは想像でいたに違いない。 

 そういう人の動かし方は、俺は好きになれない。 

 俺はずるく、学生という未熟さを前面にだして敢えて気持ちを押さえず意識的に怒気をこめた。 

 ここで気を使っても所詮、俺は性能の悪い「仮面」すらつけられないのだから。 




「そもそも向坂が直接連絡連絡すればすむでしょう。俺の連絡先は知ってる訳だし」 

 ダメ押しにそう言うと、向坂の表情がピクリ動いて、上條と東郷の顔色を伺った。 

 ん?なんだ?今のは? 

 三人の間に微妙な空気が動いた。

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