深窓の悪役令嬢

白金ひよこ

お願いだから拝まないで

「お嬢様、こちら言われた通りご用意が出来ました」
「ありがとう。ここに置いておいてくれるかしら?」
「かしこまりました。……あの、一つ聞いても宜しいでしょうか?」
「何に使うのか知りたいの?」
「は、はい……」

 一介の使用人が主人に対してそんなことを聞くなんて申し訳ないという態度を出すメイドだが、分かっていても気になってしまうのは仕方のないことだろう。
 私が彼女に頼んだのは油が多く取れる果物と蜂蜜と、卵。その他に網目の荒い布と、小さな棍棒と伸ばし棒、木製の桶、それから板と、煮沸消毒済みの瓶。
 勿論このラインナップはこの世界ではなじみがない。だけど初めは多分、何か食べ物を作るのだろうなと思って聞いたりはしなかった。しかし回数を重ねるごとにメイドは私のこの不可解な行動の意図を尋ねたくて仕方がなかったのだろう。なんせ私は部屋で作業した後、完成したそれを毎回浴槽に持っていくのだから……。

「これはね、髪につけてサラサラにするためのものなの」
「! で、ではお嬢様の御髪が常に艶やかで美しいのは……」
「そ、そうね。これのおかげよ」

 そんな美しいってほどじゃないと思うけど……。
 そう。私が我慢できず自作したのは誰でも簡単に作れるトリートメントだ。この世界にはシャンプーのように髪を洗うものはあるが、それがまぁ凄く強い。強すぎて髪本来の油成分まで全部持っていくので湯あみ後はゴワゴワになって指一本だって通らなくなる。シンディは巻き毛だから余計だ。
 しかしこの世界ではそれが普通。現代なら数日で会社が潰れかねないようなシャンプーしかない世界で、現代と変わらないトリートメントを使ってケアなぞすれば目立つに決まっている。ただでさえ私は普通に過ごしているだけでも目立っているのだ。出来るならこんなことはしたくなかった。でも仕方ないのだ。
 だって私の髪は染め粉のせいでこの年にして既にボロボロなんだもの!!!

 始まりはあの日。仮病生活を始めると決めた日。お父様に私が最初に頼んだのは知識を得るための本でも、退屈を紛らわすための本でもなく、自分の見た目シンディ・トワールを変えるための染め粉とコテだった。

 フェアゼルに出てくるシンディは悪役令嬢らしい見た目をしている。まぁ乙女ゲームはキャラデザも大事なので当然だが、悪役令嬢であるシンディ・トワールの見た目は一目見た瞬間「うわっ性格も頭も根性も悪そう!」と思うようなキャラデザだったのだ。
 父譲りの真っ赤な髪は派手で自信家な印象を、母と同じアンバーの瞳は冷徹な印象を与える。おまけに髪は立派な巻き毛でどこから見ても名家のお嬢様。夜会の時はいつも豪華な薔薇を模した真っ赤なドレスを着ていた。

 勿論見た目なんて中身を決める理由の一つにすらならない。しかし人は視覚から得る情報が殆ど。目に見えているものがその本質を決める情報とは限らないと分かっていても、見た目から得た情報を完全に無視することは難しい。
 例えば本当は凄くしっかりしていて自分にも他人にも厳しい人だとしても、見た目が髪はボサボサ服はよれよれ髭は生えっぱなしだったりしたら、ああこの人はルーズでだらしない人なんだなって思うだろう。それと同じだ。

 シンディ・トワールは悪役令嬢になどはならない。だから当然、見た目だって元のままではいけないのだ。私が目指すのは深窓の令嬢。では「深窓の令嬢」という単語から真っ赤な巻き毛のお嬢様が連想されるか? 答えは、否。
 だから私はお父様に海外から髪の色を染めるための染め粉を取り寄せて貰ったのだ。選んだのはお母さまやアルお兄様と同じ、ブルーに近い淡い灰色。儚げなお母さまは正に私が思い描く深窓の令嬢にぴったりだっただからだ。そしてコテで毎日伸ばして作り上げる真っ直ぐでサラサラな髪。常に遠慮がちに伏せられた瞳の色はアンバーのままでいい。時々寂しそうに微笑む姿には影が出来るくらいでいいだろうから。
 こうして出来上がったのが今の私新生シンディ。元の見た目は父似だった私だが、こうするとまるでお母さまの生き写しだ。

 勿論、最初は病弱な娘がそんなことをするのにお父様は勿論周りも怪訝に思った。しかしその後に取って付けた言い訳は我ながら上手くできていたと思う。
 まず私が使ったのはあの医者だ。初めは何故私がこんなにも頻繁に倒れ、熱まであるのかが不思議でならなかったらしく、私が零した「……先生、火の気と私は相性が悪いの?」が上手く功を成したらしい。

「火の気、ですか? いえ、そんなことは聞いたことが……いや、待てよ? 昔どこかで読んだことがあるような……シンディお嬢様、一体それを誰から言われたのですか?」
「……わからない。夢のなかで、だれかが言ってた……」
「!」

 あとはとんとん拍子だった。
 実はこの世界では夢占いのようなものが浸透していて、王様が夢で沢山の羊を見るとその年は豊作になるとか、子を宿した母が大木の夢を見ると男の子を授かるとか、そんな言い伝えが古来から信じられているらしい。
 実際にフェアゼルでも、王様が「部屋で書物を読んでいたら肥えた猫が書物を破いたりインクをひっくり返したりしたが、その後に部屋に入ってきたネズミがその猫をやっつけた」という夢を見たとハロルド王太子に伝え、それが悪役令嬢の悪行とその終わりを表していたというフラグになるシーンがあった。そしてその時王太子がこの国にある夢占いについての説明をしていたことを、私はしっかりと覚えていたのだ。
 そしてこれはフェアゼルには出てこなかったものの、実はゲームの公式サイトには「誰か分からない声」という裏設定もあった。その声に背けば悪い方向に、従えば良い方向に向かうというもので、この国に住んでいるものなら誰でも知っている神話のようなものらしいが、結局ゲーム本編には一回もそのことについての話はなく。ファンの中ではこれも次回作のフラグじゃないかって言われてたっけ。まぁ今になっては関係のないことだけど、公式サイトを隅々まで読んでいて良かったとこの時は思ったよね。

 医者は私のその言葉に急いで心当たりのある書物を漁った。幼子が高熱で魘されながらも夢の中で聞いた声。この国に住む者ならそれがただの譫言だと思うことはない。お父様の助けもあり医者は多くの書物の中から該当するであろう本を探し、そして見つけた。この国から遠くにある、とある国からやってきた「五つの気」という書物を。
 ……その「とある国」って、多分東洋なんだろうなぁ。フェアゼルのゲームの中に和服を着た招待客が出てきた記憶があったからもしかしたらと思ってたけど、あったみたいで良かった。もしなかったら適当にでっちあげようと思ってたところだ。それこそ夢の中で言われたとか言ってさ。まぁ実物がある方が信憑性が上がるから助かるけども。

 五つの気とは、この世にある全てのものはもく火《か》土《ど》金《ごん》水《すい》という五つの気に分けて考えられるとされる理論のことだ。……間違いなく元は東洋の陰陽五行論だろうなぁ。
 それらによれは火の気は「赤」や「熱」そして方角は「南」を表しており、私はこの気と相性がよくない……ということにしたので、結果的に私の部屋は火の気を弱めるために赤いものは置かないことになり、偶然にも部屋が南側であったことから部屋も移動。まぁ普通に考えて南向きの部屋は良い部屋だからシンディの性格とお父様の溺愛っぷりからして偶然というよりは必然だった気もするけど……。
 そしてこれらのこともあり、相性がよくないとされた火の気である真っ赤な髪の色を変えることも侯爵家内では「病のため致し方なし」とされてきたわけなのである。……まさかここまで上手くいくとは思ってなかったけどね。
 とまぁ、私がこの自作トリートメントを作るに至ってもこんな長い背景があったわけなのである。まぁ勿論そんなことまではメイドさんに話すことではないので表向きの理由しか言わないけれども。

「染め粉を使うとどうしても髪が痛むから、そのケアでもあるけれどね」
「では、週に数回そうして作ったものを瓶に入れているのは……」
「ええ。毎日同じものを作るのは面倒だもの。多めに作って瓶に保管。使う時だけ浴槽に持っていくのよ」
「お嬢様が湯浴みの際に使用人をお付けにならないのは、その為だったのですね」
「……そうよ。私がこんなものをいきなり髪につけたら皆驚くでしょう? だけどそれを言ったらお母さまに何か言われるかもしれないから、黙っておいてね」
「かしこまりました」

 勿論嘘である。
 確かに自作トリートメントの存在を明るみにしたくなかったのはあるが、私が湯浴みのとき使用人をつけないのはそれが理由ではない。というのも、実は貴族令嬢の場合、湯浴みの支度も最中もその後も作業は全部使用人がするんだけど、当然前世の美容師さんのように洗ってくれるはずもなく、髪は泡をつけて軽くもむだけ。頭皮には触れないから痒くて仕方がない。体を洗う時もボディスポンジなんてものがあるはずもなく、肌が傷つかないよう網目の細かいハンカチのようなもので体をそっと撫でるだけ。汚れが落ちた気がしない上に洗った気さえしない……。
 かと言って使用人の前でがっしがっし頭を洗ってタオルで体を擦るわけにもいかず、仕方ないので全員外で待機させることにしたのだ。勿論これがお母さまにばれたらお説教間違いなしだが、今の所私の唯一の我が儘と言うことで使用人は皆黙ってくれているみたい……。

「お嬢様の美しい御髪はそうした努力で保たれていたのですね。染め粉を使っているのに何故あんなにも美しいのかと、実は使用人たちの間では噂になっておりまして」
「……そうなの?」
「はい。しかしお尋ねするのも失礼かと思い……。不躾な質問にわざわざお答えいただきありがとうございます」
「そんな……あ、それなら皆も使ってはどうかしら。誰かが試しに作ってみたら出来が良かったから使用人の間で流行ったということにすれば、そのうちお母様たちも使えるようになるかもしれないわ」
「! よ、宜しいのですか?!」
「勿論構わないわ。あ、ただ道具はともかく、材料は少し高いかしら……?」

 私の場合は大抵のものはおねだりで当然のように手に入るが、使用人たちはそうもいかないだろう。果実はともかく、蜂蜜は庶民には高級品。この時代だと卵も塩も高いし、ココナッツやヨーグルトも髪に使うってなるとちょっとね。

「あ、でも別に蜂蜜はなくても平気よ。油が沢山取れる果実と、道具があれば。勿論あるに越したことはないけどね。あ、柑橘系の果実なら皮だけ取っておいて使うことも出来るわよ」
「そうなのですか?」
「ええ」
 
 前世の時に小学校の自由研究でオリジナルトリートメントを作ったからよく覚えている。まぁあの時はオリーブオイルやココナッツオイルを使ったけど、油さえ取れればそれっぽい果実を絞っても似たようなものになるしね。本当はアボカドがあれば一番よかったけど……まぁ品質は下がるけどないよりはずっと良い。勿論蜂蜜や卵黄を使えればもっと良いんだけど、それは一介の使用人は手が届かない高級品になってしまうし。

「こうして布に包んで、叩いてもいいけど私は力がないから踏む。で、こうして棒を巻きつけて絞って……あとは蜂蜜と卵を混ぜる。あ、卵は卵黄の部分だけね。卵白は別に取っておいて料理に使って貰えばいいし……ああ、香り付けに花や薬草、柑橘系の皮を入れてもいいわ」
「こちらの板や布はそのためでしたか。果実と蜂蜜と卵で一体何をお作りになるのかと……」
「ふふ、それで出来たらこれを瓶に入れて保管。あとはお風呂に持っていって、湯船につかる間髪に浸透させるの」
「……よくこんなものを思いつきましたね」
「う、いえ、ほらあれよ、……本で読んだのよ。ちょっと違うけど、海外では油を髪につけて輝きを作るご婦人がいたって書いてあったから、なら果実を絞って作った油や蜂蜜ならもっといいんじゃないかって思って」
「流石お嬢様。本を読まれた知識を使ってご自分で新しいものをお作りになるとは……」
「え? なんで急に拝みだしたの? やめてちょうだい???」

 最近侯爵家内で私を信仰じみた顔で見つめる人が増えてきたと思ってたけど、まさか貴方もそうなの?

「そんな大したことはしてないわ。それに自分のために贅沢品を買って貰ってしていることなのよ? 褒められたことじゃないわ」
「いいえ。お嬢様はそうして作り上げたものをこうして私などに惜しみなくお話しになり、同じように使用する許可まで下さいました」
「そ、それはそうだけど……」
「それに本来ならこういったことは使用人にやらせるもの。お嬢様は飽くなき探求心の元、ご自分でお作りになることを選ばれたとは思いますが、本来ならお嬢様はただ命令をするだけでよかったのです」
「いやそれは……」

 オブラットの時のようになるのが面倒だったから……。
 トリートメントと違ってオブラットの時は作り方なんて分からなかったし、そもそも薄いパン生地を作る方法だって知らなかった。だから普段自分の料理を作ってくれている料理長にお願いして、試行錯誤の末にそれらしいものを作ってもらったのだ。
 しかしその時はまさかあんなことになるとは思っていなかったため、別段秘密裏に行ったわけでもないオブラット作りは侯爵家内の人間なら誰もが私のアイデアで作られたことを知っていた。その為オブラットが医者の提案で医術学会に発表されその名前が国中に知れわたった時には、名目ではトワール侯爵家の功績として広まっていても、そのトワール侯爵家内ではシンディの功績として知られているのだ。
 ……それがきっかけであの信仰じみた目で見られることになったのだから、今回はそうしたくなくて自分でやってみたってだけであって……。

「ほら、オブラット作りのときは料理長に負担をかけてしまって迷惑をかけたでしょう? あの時はたまたま運よく・・・・・・・国に貢献することになったからよかったけど、今回は完全に自分の為だもの。誰かを巻き込むことなんて出来ないわ」
「そんな、私たちのことまでお考えになっているなんてなんて慈悲深い……」
「……」

 慈悲深いって、自分の主人に向かってメイドが言う言葉だっけ。

「けれどお嬢様。これだけは訂正させてくださいませ。私は元より、料理長も他の使用人もお嬢様のなさることを迷惑だなどと考えてはおりません。いえ寧ろ、料理長はオブラットという素晴らしいものを作る第一人者になれたことを大変誇りに思っております」
「いえだからそれはたまたま、」
「これから先二度とお嬢様に足を向けて眠ることは出来ないとおっしゃっておりましたし」

 料理長、お前もか。

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