影の女王と暁の民

えぼし

03 迎えに来て

003


(外は雪ばかりね·····)
窓の外は嫌になるほどの白い雪景色だった
ライラは窓から外にいる主人を眺め嘆息した

外に出てみたいな

ライラは異世界に彷徨い込んで以来、外はおろか屋敷の中すら満足に出歩いたが事なかった
1日のほとんどを自身に充てがわれた部屋や食堂など狭い行動範囲で過ごしている
バスルームもトイレも部屋に備え付けられているので部屋から出る必要がないのだ
屋敷の中を出歩いてはいけないとは言われていないとは思うのだが、誰かに出くわすのが怖くて探索はできなかった

ライラは日中、与えられた絵本を眺めたり、編み物をしたりして時間を潰して過ごしていた
居候であるのに家事や仕事をさせられることはなく、なぜか自分の世話を人にされる身になっている
故郷にいた時には考えられない生活だった

ほんとにいいお家に、住んでいるお嬢様みたいよね

故郷では今まで自分のことは自分でしてきた
だからライラは人に世話をされることにどうしても抵抗感が拭えない
服を着替える時も体を洗う時も別の部屋へ行くのにも常に誰かと一緒だった
使用人は仕事が済めば部屋から出ていくが、その間はまるで監視されているみたいで息が詰まる思いだった
嫌がって抵抗したこともあったが意味の無い事だと早々に気づきなすがままされるのを受け入れている
なぜなら使用人達は命じられてライラの世話をしていて、ライラの意思を尊重する気は全くないようなのだ
抵抗するのをやめたのは彼らがライラの意思を無視していっこうに聞く気がないこともそうだったが、なにより抵抗することで彼らは苛立ってライラを雑に扱うのだ
.
心の籠らない世話の中で乱暴に扱われるのはしばしばだった
腕や髪を引っ張られるのは日常茶飯事
風呂の際に必要以上に水を掛けられたり、気を抜いている時に足を引っ掛けらたり……
嫌なら世話なんてしなくていいと何度も言ったけど、その言葉は誰にも拾われず空に消えていく

(ユノーが知ったらあまりに怠けすぎていて呆れてしまいそう)

 
会いたいな、ユノー
ユノー大丈夫かしら……?

ユノーは両親のいないライラにとって父であり兄のような人だった
厳しく静かで大きくて全く動じない人
ライラはユノーから、ライラが16歳になったら巫女になる為に遠い寺院へ行かなければならないと言われており、その為に様々な勉強をしていた
必要かどうか分からない事もやれと言われたら従っていた
ライラは独立する事を考える頭も暇もなく、毎日生きるのに忙しい生活を送っていた

(村では私はみんなと何かどこか違って嫌われていたから……ユノーしか頼れなかった)

そうして気づけば15歳になり、16歳になる3ヶ月ほど前にユノーから突然出発すると言われたのだ

―― 明後日ここを出る。用意をしておけ

そうして冬のはじまりの寒さの中、二人は出発することになった
ユノーが馬を走らせていたその背に乗せられライラはただお荷物にならないように気を張っていた

その道中に馬が急に嘶いて体勢を崩してしまった

「ユノー!!」
「ライラっ!捕まっていろ!」

ユノーは激しく暴れる馬を制御できず、手を離してしまったライラとともに2人は地面に放り出された
地面に強く叩きつけられ、ライラはそのまま気を失ってしまった


そして、気がつくとこの屋敷のふかふかのベッドの上にいたのだった


ライラは窓の外を見るのをやめて、手慰みにしていた編み物をはじめた
編み方は、草履を作る時にユノーから習った
貧しくて編む毛糸なんてなかったけれど、ユノーはその時だけちょっと高価な毛糸を渡してくれた

今使っている用意された毛糸は肌触りがあまりに良すぎて変に馴染めなかった

(私が使っちゃもったいないって思っちゃう)


少しぼうっとして窓の外を見ると気づいたら外の影の主人はいなくなっていた
屋敷へ戻ったのだろう

屋敷の外は遠く広がる木々が永遠と思うほど広がっている
遠くのほんとに遠くの方に建物らしきものはあるが、木々の中道らしきものは上からでは隠れているのか見えないので、あそこまでどうしたらたどり着けるのかは分からない

(……もしかしたらあの森をいけば帰れるんじゃないかしら?)

ライラはなかなか進まない編みかけのセーターもどきを放り出し、部屋の扉を開いていた

広い廊下には誰もいない
あたりは静まっていて物音もしなかった

あの人、2階に上がってきてないかしら

〈……!〉

そう思って少しビクビクしていると、コツコツと赤い絨毯を踏みしめる少し硬めの足音が階段から上がってくる
ライラは慌てて大きな花瓶の置かれたサイドボードに隠れた

来ませんように

そう願いながらちらりと盗み見た人影は、主人のものだった
主人はライラのいる方とは反対へ向かっていったのを見てそっとため息をついた
遠くで扉の閉まる音がしたのを聞いてライラは隠れていた身を起こした

階下への階段の場所は知っている
足音を立てないように靴を脱ぐと、布張りの床のつめたさが伝わってくる


そうだった·····家の中でも寒い。そう、寒いはずよ。
どうしてあのむき出しですきま風が吹きすさぶ壁を、板張りの冷たい床を忘れられるっていうのかしら

私、忘れたくない



帰りたい……!



ライラの足は一心不乱に外へと向かっていた



***


「お嬢様、失礼しますよ」

ドルドは館の主人にお茶を用意した後、同じものを居候のお客人にも渡そうと部屋を訪ねた

(今日の菓子は前日あの生き物のチェックが済んでいるものだから大丈夫でしょう)  

どうもお客人にはこちらの食べ物は合わないようだった
何を食べても食が進まないようで、すぐに手が止まってしまう

スープを出しても肉料理を出してもメインの肉は愚かなるべく液体を除き、野菜だけを食べようとする
どうやら油がダメなのだろうとようやく最近わかったのでスープは彼女専用を作ることになり、
メインはボイルしただけの野菜やたまにパサパサにまで脂を落とした肉を盛り付けるだけになった

菓子類もほとんど苦手で、子ども女性が好みそうな甘いケーキやクッキーは手すら付けようとしない

ただパンだけは好んで食べていた
それでも小鳥が啄む程度だ
甘味はパンしか知らないみたいに、それがでると真っ先に食べたがる
宵の民は管理したことがないドルドにはそれが適正な量かどうかはわからないが、
大層主人が心配し毎食好みを出すよう指示してとにかく食べさせたがった

「私の天使は私と食事してもしなくても食べないのだろう?」
「天使……ですか」
あの醜劣な生き物が、と続けたかったがそれは寸でのところで飲み込んだ

「手間が掛かるなら私の食事なんてどうでもいいから、彼女に好みのものを食べさせてやりたい」
「パンばかり食べさせては御館様の天使が別の生き物になるかもしれませんな」
「それでも構わない。多少肉が着いたって可愛い事に変わりない」
「おお、嘆かわしい……」

天使?可愛い? そんな表現をあの主人が女性に使うなんて信じられない
しかも、それも女性と形容するのが正しいのか分からない生き物に!

ドルドの知る限り主人の女性に対する表現はあまり耳障りの良くないものばかりだった
彼は女性関係においてはとても気分屋だった

屋敷に懇意にしていた女性を招いたがその翌日に

「あの狐女とは今後一切連絡は取らない。手紙も何もかも私に見せるな。燃やしてしまえ」

と、言い放ち一夜にして一気に機嫌が氷点下まで下がってしまっていることも少なくはない
そうなると、長い期間あらゆる女性を遠ざける
それの繰り返しで、果ては世すら捨て森に引きこもる始末だ

だが、あの生き物と終生を過ごさせるのは何としても阻止したい

(お館様はきっと呪いにかかっている。そう思わねばやりきれない。
どうか、目を覚まして下さいませ·····)

「お嬢様?お眠りですか?お嬢様、お嬢様」

部屋からの応答がないのでもう一度声をかけてみる
あの雌の生き物は警戒心が解けないのか、あまり午睡を貪ることはしない
それを知っていて訪ねたが、鳴き声がしない
しつこく呼び掛けノックするとしぶしぶ許可を出すように何か鳴くのだがどうしたのか
中で病に倒れていたら主人がパニックになるだろう
生存確認は最低限世話を任された者の責務だ

(御館様も鍵など外してしまえばよろしいでしょうに。
夜な夜な寝静まった部屋に忍び込んでいることを知られていないとでも思っておられるのか)

ノブを回すとすんなり開く。鍵が閉まっていない
今までプライバシーが守られないとわかっていてもいつも鍵を閉めていたのに
何となくあまりいい予感がしなかった

散々彼女の部屋を探し回ったドルドは慌てて主人の部屋へ走り出した
しかし、主人の部屋にその主はいなかった

仕事用デスクにはインク瓶がひっくり返り、ペンが床に転がっていた

(よく窓から見えたものだ)

***


「ああ、可愛い人! 待って、だめだよ!」
〈うう、ユノー!ユノー!迎えに来て!〉

ライラは厚く積もる雪の中を走っていた
だけど、着慣れない長い丈のワンピースが雪に絡んでまとわり付き、氷始めているのかなかなか進まなかった
玄関の、鍵が開いていた所まではよかった
だけど、歩いても歩いても雪と木々しかない
玄関から出て大して離れてもいないのにもう主人が後ろから追いかけてきている

罰か呪い?どうしてこんなに早く見つかってしまったの?

もっと遠く離れて見つからず、影の化け物たちの手の届かない所まで行きたかった
ひとりでユノーを探したかった
でも、わかっていた
きっとどこにもいない
この世界のどこにもユノーはいないのだと

ライラの胸は郷愁と悲しみで溢れかえっていた

「寒いだろう?
あっちは森だから危ないんだよ?飢えた獣がいるかもしれない
迷ったら凍え死んでしまうよ。さあ帰ろう」 

化け物の主人が手を広げて寄ってきた
視界の端に映ったその顔は恐ろしい程に歪んでいた
その表情の意味が怒りなのか侮蔑なのか、捉えることすら厭わしい

〈キャーー!いや、来ないで!〉

半狂乱になって頭を抱えて叫んだ

なんで、なんで私なの?
私は巫女になる以外何もできないの
なのにそれすら許されないの?
こんな化け物に飼われる事が私の運命だったというの?

巫女になってユノーに楽をしてもらおうと今まで耐えて生きてきた
村で同じ年頃の子どもに汚いと笑われても、泥や虫、家畜の糞を投げられても我慢した
やり返すと、ユノーがあとでその親達に嫌味を言われるのを知ったから
村の長から信用されているユノーをその板挟みにしたくなかった


「はあっ、は、…ああ、良かった」
積雪に身動きを制御されていたサフィールはようやく小さな天使に追いついた
そしてその冷えた体を無理やり腕の中に閉じ込める

(君が窓から見えたとき心臓が止まるかと思った)

〈触らないでっ、助けてユノー〉

彼女は腕を振って暴れている
このまま無理やり連れて帰ってもいいが、流石にこの状態では抱き上げても落としてしまいそうだ

「ごめんね、ごめんね。
ほら、見てご覧。遠くに兎がいるよ」

気を紛らわせようと、視界の端に見えた白い獣を指さした

〈うさぎ?うさぎだ〉
指さした方を見た彼女はぴたりと静まった

「ふふ、鼻が出ているよ」
うさぎに視線を向けたままぼうっとしている彼女の顔をハンカチで拭く

(ちょっと乾燥しているね。あとでクリームを塗ってあげよう)

うさぎは彼女の世界にも生息しているのだろうか
それとも見たことがなくてただ驚いているのだろうか
落ち着いたのかと思ってほっと安堵していた

だが、何が琴線に触れたのか今度は涙を静かに零し始めた

〈ユノー、ユノー、ユノー……〉


ライラはただただ義兄を思って咽び泣いた

どうしたらいいのか教えて
いつもみたいに囁くような声で私に教えて
私はこの化け物に飼われた方がいい?
そうしたらユノーは私がいなくなって幸せになる?

同じ言葉を繰り返し、激しく泣いている彼女が痛ましくてたまらない


―― 同じ言葉? 違う。名前だ

(私でない男の名前?)
そう思って、かっと顔が熱くなった

彼女に、恋人?伴侶?
どうしてそんな簡単な事を考えられなかったのだろう?
彼女には故郷がある。当然家族や友人もいたはずだ
いつも泣いているのは私を含め周りの恐怖へのものだと思っていたが、故郷を恋しく思わないはずがないじゃないか

サフィールは彼女を可愛そうだと憐れみ、そして同時にほくそ笑んだ

……可哀想に。もう帰れないんだよ
残念な事に異世界人が帰る方法の手段を誰も知らないんだ
私だって知りたい
だってそうしたら君を帰さない方法もわかるじゃないか
泣いたって、怒ったって、帰れないよ
だからたくさん泣いて怒っていいよ
そして諦めて

好きだよ。ごめんね

〈……うぅ、いやっ〉

回されていた影の主人の腕が首に触れた
そのひやりとした氷のような冷たさと、反射的に首を絞められるかと思い体がびくりと跳ねた
咄嗟に回された影の腕を掴む

そしてその違和感に首を傾げた

(·····あ、あれ?
温かい·····それに、人間の手だ)

ライラは自分の目を疑った
何度か瞬きを繰り返しても、ライラを包むように触れているのはいつものごわついた黒い何かではなく、人間の腕だ
衣類に覆われていてその袖口から覗くのは肌の色を持った人の手だった
その滑らかで大きな手はライラの首を締めるためではなくただ体に回されているだけだ

(もしかして、私、抱きしめられてる?)

もしかしたらその手は影の主人のものではなく、誰か別の人間のものかもしれない
そう思ったが確認するために後ろを振り向く勇気はなかった
あまりに驚いて逆に冷静さを取り戻し、ここが雪の上で自分が一切防寒をしていない事に気づいた

足がキンキンだわ

そうして気づけばライラの身体を包む手は人のものではなくなっていた
いつも見えてる黒い影の形の大きな黒い手
なのに、いつも見えているものとは違うみたいで不思議な感覚だった

「ずっとこうしていたいけど、寒くなってきたね。ほら帰ろう」

声を掛けられ抱き上げられても、ライラは抵抗しなかった
見上げたその黒い深淵の表情は、
いつもの震え上がらせる歪で恐ろしいものではなく、悲しさと寂しさが混じったものに見えたのだった

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