恋をしたから終わりにしよう

夏目流羽

12:始まりの夜



お前が忘れた“あの日”のことーーー俺はずっと忘れられずにいるよ

きっとこの先、何度出会いと別れを繰り返しても
お前の中の俺が、記憶のカケラでさえなくなってしまっても

俺はきっと、ずっと忘れない


* * * * *


「湊人さん!?え、びっくりしたぁ……」

いつもは細められている瞳をまん丸にしたイツキに、軽く手を上げて笑みを返す
慣れないクラブの喧騒は通り抜けるだけでげんなりとしてしまうけれど、奥まった場所にあるこのバーカウンター付近は良い感じに落ち着いていてホッとした。

「なかなか来れなくてごめんな」
「ううん!でもほんとびっくり。場所はすぐわかりましたか?」
「うん、大丈夫」

いくつか並ぶスツールの1番奥に座りたかったけれど、突っ伏している先約が居たのでその2つ隣に腰掛ける
オーダーを聞くイツキにおすすめを頼んでから改めて周りを眺めていると

「なにかありましたか?」

優しい声音とともになにもかも見透かすような瞳でイツキが微笑んだ。

大学時代バイトしていたバーに新人バイトとして入ってきたイツキ
明るくて人懐っこい彼はすぐにふわりと距離を縮め、俺が密かに築いていた壁をいとも簡単に乗り越えてみせた。
その理由はーーー同じセクシャルマイノリティーだったからでもあって

就職と同時にバイトを離れても年の離れた友人として関係は続いていたけれど、イツキの新しいバイト先にも顔を出すよと言いながら忙しくてなかなか行けずにいた。
そして今日、一報も入れずに深夜0時を回ってから突然訪れたことには……もちろん理由があるわけで、それにイツキが勘付かないわけもない

「なにか……あったと言えば、あったかな」
「聞きますよ。ここで話せますか?」
「けっこうパーソナルな話だけど」
「クラブなんて周りの会話に聞き耳立てるヤツはいませんよ」

イツキの物言いに思わず笑いながら改めて周りを見回せば、たしかにみんなそれぞれに“今”を楽しんでいるようで
唯一気にかかるのは2つ隣で突っ伏している若い男くらいだけど……

「あー、そいつは多分大丈夫。お酒弱いのにかなり飲んだみたいで、完全に落ちてるし明日には全部忘れてると思います」
「知り合い?」
「友人……といってもここで話すくらいですけど。ここのクラブじゃ知らない人はいないくらいの有名人かな」
「へぇ……」

DJでもするのかな?と思いながら視線を外して、イツキが差し出してくれたカクテルに口をつける

「美味しい」
「湊人さんに褒めてもらえると嬉しい」
「俺はもうブランク長いよ。家では作ってるけど」 
「湊人さんの作るカクテルは僕の憧れであり目標なんですから」
「褒めすぎだよ。俺はただ好きなだけ」

そう返した言葉が、不意に自分の胸に突き刺さった。
自身の言葉を反芻するように視線を彷徨わせてから

「ただ好きなだけ、なのになんでうまくいかないんだろうな」
「……彼氏?」
「ん」
「浮気でもされた?それとも、した?」
「俺がそういうこと嫌いなの知ってるだろ」
「冗談ですよ」

ふふっと笑ったイツキの瞳が先を促す
俺はもう一口カクテルを含むと、嘆息混じりに言葉を続けた。

「言ってなかったかな。相手はさ、29歳なんだ」
「あー、けっこう年上なんですね」
「で、ノンケ」
「え、そうなの」
「男は俺が初めてだって」
「うわ……」

素直に顔を歪めるイツキに思わず笑ってしまう
そうだよね、俺もそう思う
ノンケと恋をするなんて不毛だ
相手が初めてなら、なおさらーーー

「それでもけっこううまくいってたんだよ。もう1年越えたし、順調だった」
「そう……それがなんで?」
「相手に縁談の話がきてさ」
「縁談……」
「しかも相手は社長令嬢。笑えるよね」

ケラケラと笑ってみせたけれど、目の前のイツキはクスリともせずに眉を寄せた。

「……まったく笑えないです」
「結婚したら将来が約束されるようなもの。夢みたいな話だろ」
「悪夢だね」
「はは。あの人もそう言ってた」

俺の言葉に驚いてまばたいたイツキ
それに苦笑を返して肩を竦める。

「順調だったって言ったろ?ちゃんと愛されていたんだよ、俺は」
「……縁談、断ったの?」
「正確には断ろうとした。俺が止めた」
「なんで!」
「おまえなら分かるだろ?イツキ」

グッと言葉を詰まらせるさまは肯定の証
うん、イツキはやっぱり俺と似ている
だってそうだろ?

ちゃんと好きだったんだ。真剣だったんだ。

だから

「幸せになってほしいんだよ」
「し、幸せの定義は人それぞれで」
「うん。あの人の幸せは、俺とずっと一緒にいることだって言ってた」
「じゃあ……っ」
「優しい人だから。優しすぎるから」

きっと、良い父親になると思うんだーーー
そう続けた言葉にイツキが唇を噛み締める
ありがとう、ごめんね
俺の言葉はきっと、痛いくらいイツキにも刺さるだろう

「……っ、ちゃんと、話し合いましたか……?」
「どうだろう。少し、一方的だったかも」
「そんなの駄目ですよ……」
「駄目だよね。でも、葛藤が見えたんだ」
「え?」
「俺への気持ちと、家庭を持つ未来と、会社での将来と。あんな苦しそうな顔は初めて見たんだ」

そんな必要ないのに
俺は、大丈夫なのに

じわりと視界が滲んだ瞬間、意思とは関係なくポロポロと涙が零れ落ちた。
あの人の前では我慢できたくせに……どうしよう。止まりそうにない

「馬鹿みたいだよね」
「馬鹿ですよ……ほんとに」
「結局、最後まで話し合えずに逃げてきちゃった。泣きそうになったから」
「泣けばいいのに」
「そんなことしたら余計に別れられなくなる」

優しすぎるあの人は、きっと判断を間違える
俺がちゃんとしないといけないんだ
早くちゃんと、終わらせないと……なんて言いながら無意識になぞった左耳のピアス
その指先が確かな存在を感じて、また涙が溢れ出してしまう

「湊人さん……」
「あーもうみっともないな、ほんと」

ただ好きなだけなのにうまくいかない
ただ好きなだけでは、駄目なんだ
苦笑した唇が微かに震えて、耐えきれずギュッと寄せた眉
心配そうなイツキが右手を伸ばしたその時ーーー

「綺麗な涙だね」

不意に掛けられた声は、思いがけない方向から。

「悠!起きてたの!?」
「ん、今起きた……」
「びっくりした……どう?気分悪くない?」

水を用意するイツキに大丈夫とぼんやり頷いた男が、またこちらへ顔を向ける
さっきまで突っ伏していたせいで見えなかったその顔はあまりに綺麗に整いすぎていて、まるで人形みたいだな……と状況も忘れて思わず見入ってしまった。
そんな俺をうつろな目でジッと見つめた男が、不意に隣のスツールへ這うように移動してくる
近くで見るとなおさらその完璧な容姿に言葉が出てこない

「こら、悠」
「見て、イツキ。ほら、すごく綺麗」
「わかったから離れなよ。ねぇ」
「あ、もったいない……」

ぽつりと呟いた男の顔が前触れもなく近付いて、思わず目を瞑った瞬間そっと目尻に感じた熱
続いて頰に何度も押し付けられるそれは、触れるたびにしっとりと濡れた感触を纏って
最後に唇のすぐ下を食まれ咄嗟に目を開けると、今にも閉じてしまいそうに細められた瞳がーーーそれでも射抜くような強さをもって、俺を見つめていた。

「綺麗」
「……っ」

なにも言えずにただ見つめ返すと、ふと微笑んだ男がぐらりと揺れて

「あーっ!悠!」
「う、わ……!?」
「湊人さん!大丈夫!?」

そのまま倒れ込んできた身体をなんとか支える。
慌ててカウンターから出てきたイツキが男を引き寄せると、くったりと身体を預けた彼はスヤスヤと眠っているようだった。

「ったく……悠にテキーラ飲ませたのダレ!」
「大丈夫かな」
「大丈夫!ちょっと奥で寝かせときます」

ちょうど様子を見に来たらしい男の友人に彼ーーー悠を預けてから、イツキが改めて俺を見やる
ん?と首を傾げ見返すと

「悠はダメだよ」

そう言いながら指差した先
友人2人掛かりで連れて行かれる悠には数人の女の子がわらわらと集まっていて、その距離感から親密な関係性がうかがい知れる。
まぁあのルックスであの雰囲気なら当然だろう

「わかってるよ」

苦笑とともに飲み干したカクテルは、ピリッと舌で弾けて痛みを残した。


それから1週間後
怪我をしたせいで仕事に穴を開けると悩んでいたイツキに、ヘルプを提案したのは俺のほう
その時に“悠”の顔が頭に浮かんでいたのは……どうしようもない事実で

再会した悠は俺のことを覚えていなかったけれど、あの日より数段色を帯びた瞳で俺を誘ってきた。
その時の俺は寂しかったし、苦しかったし、人肌恋しかったから
遊ぶにはちょうどいい年下の男
“男相手”が初めてというのは気に掛かったけれど、まぁ一夜の夢として忘れてほしい
お互いに快楽と温もりだけを分け合おうよ

ーーーなんて、割り切れるタイプじゃないことくらい自分自身が一番よくわかっている
結局一夜で終わらなかったその関係は、繰り返すたびに俺の心を蝕んでいく甘い毒のようだった。

「湊人」

低く響くあの声で、名前を呼ばれるたびに

淡い熱を孕む瞳で、見つめられるたびに

長く綺麗な指先で、触れられるたびに

くだらない勘違いをしてしまいそうな自分を何度諌めただろう
もう二度と同じ過ちは繰り返さない
不毛な恋などしない
これはただの遊びで、そこに“愛”などない
意味も、価値も、理由もない
相性がいいだけ。
都合がいいだけ。
タイミングが合っただけ。
だからーーー

そんな顔で俺を見ないで
そんな優しく俺を抱かないで
まるで愛の証のような、痕なんてつけないで

恋をしたくないんだよ……そばに、居たいから。




「湊人。俺、彼女できた」
「……彼女?セフレじゃなくて?」
「うん。彼女」
「そっか……じゃあもう会えないね」
「なんで?」
「え?」
「なんで会えないの?関係ないでしょ」

湊人にも彼氏いるじゃんーーー
煙草をくわえたまま笑った悠に、返す言葉が無かった。

あれから一度想いを書き連ねた長文のメッセージを送ったけれど、あの人からの連絡はすべて拒絶していて
もちろん自分の中では終わらせたつもりだけれど、あの人にとってもちゃんと終わらせられたのかはわからないまま
ただ悠にそんなことは伝えていないし、イツキにも口止めしていたので俺は“彼氏”がいることになっていたんだ

彼氏がいる俺と、彼女がいる悠と。

きっと悠は何気なく言ったんだろうけど、関係ないから関係を続けていくーーーなんておかしいだろ
それに遊んでばかりの悠が“彼女”にしようと思ったのなら、きっとそれは意味があって価値もあって理由だってあるんだと思う

俺にはなくて、彼女にはあるもの

「……湊人、嫉妬してる?」
「なんで?」
「そんな顔してる」
「ふふ。そんなわけないだろ」
「湊人も彼氏と別れるなら、俺も彼女と別れてもいいよ?」
「……なに言ってんの。よかったね、悠」 
「…………」
「大切にしてあげなよ」

そう笑った瞬間、いつもより強引に重なった唇
溶け合う舌に感じる苦味は、煙草だけじゃないかもしれない
じわりと滲んだ涙を誤魔化すように自分からキスを返しながら

ーーーあぁ、俺、悠に恋をしているんだ


気付いてしまったから

認めてしまったから

すぐに、決意した。


終わりにしようと。


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