ウクライナ危機!釈尊の戦争・平和観を考える

樺山 輝一

釈尊 8

「先生、釈尊の最後の旅はどれくらい歩かれたのでしょうか」
 「八十歳のご高齢で250㎞歩かれました。最後はクシナーラの地の二本並んだ沙羅双樹の間に横になります。嘆き悲しみ、泣くアーナンダを『やめよ、アーナンダよ。悲しむな。嘆くな。アーナンダよ。わたしは、あらかじめこのように説いたではないか、すべての愛するもの、好むものからも別れ、離れ、異なるに至るということを。およそ生じ、存在し、つくられ、破壊さるべきものであるのに、それが破滅しないように、ということが、どうしてありえようか。アーナンダよ。そのようなことわりは存在しない。アーナンダよ。長い間、お前は、慈愛ある、ためをはかる、安楽な、純一なる、無量の、身とことばとこころとの行為によって、私に仕えてくれた。アーナンダよ、お前は善いことをしてくれた。努めはげんで修行せよ。速やかに汚れのないものとなるだろう』と、釈尊は励まします。また、涅槃前に最後の直弟子となるスバッダには、『スバッダよ。私はニ十九歳で、何かしら善を求めて出家した。スバッダよ。わたしは出家してから五十年余となった。正理と法の領域のみを歩んで来た。これ以外には道の人なるものも存在しない』と、善を求めて出家したことと正理と法の領域のみを歩かれてきたこを伝えています。そして、『私が説いた教えと私の制した戒律とが、わたしの死後にあなた達の師となる』と告げ、誰も何もたずねることがないかを確認してから『さあ、修行僧たちよ。お前たちに告げよう、もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい』と最後の言葉をはなし、涅槃に入られました。(「大パリニッバーナ経」)人間釈尊は善を求めて人間の中に入り、歩きに歩き、正しい生き方を、教えに教えた人でありました」

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