戻ってきた初恋はバラの香り~再会した御曹司の豹変ぶりに困惑しています~

沢渡奈々子

第31話

 翌日、社長発令の文書が社内ポータルサイトに掲載された。執行役員の新田が叩き台を作り、みちると衛司が校正したものだ。それはA4サイズ二枚にも渡って書かれていたが、要約するとこうだ。

・窃取されたと思われていた財布とスマートフォンは、実は美那莉自身がロッカーを間違えて入れてしまった。それに気づかず盗まれたと騒いでしまったため、たまたまそのロッカーの持ち主であるみちるが窃盗犯と間違えられるはめに。
・後に美那莉は自分が間違えていたことを思い出したのだが、騒ぎが大きくなりすぎて怖くなり、言い出せずにいた。
・美那莉の供述に加え、みちるが犯人ではないという証拠も発見されたため、彼女は本件に関して完全なる無実であることが証明された。みちると美那莉の間ではすでに和解が成立している。
・証拠はプライバシーの観点から公開不可ではあるが、今回の冤罪の証拠として社内で厳重に保管してあることは、担当執行役員により確認済みである。
・ストーキング事案に関しては、実際には彼女がストーカーの被害者であった事実が歪曲して伝わってしまったと思われる。本件に関してもすでに解決済みである。
・今回、冤罪によってみちるが被った実害(私物破損等)に関しては、海堂エレクトロニクスが補償をするが、本日以降、本件にまつわる中傷等によりみちるに被害をもたらした者に関しては、加害者自身に賠償させ、また加害者本人は懲戒の対象になりうるものとする。

 みちるや美那莉の名前は甲乙と置き換えられていたものの、こういったことが記載されていた。
 実際には美那莉は間違えていたわけではなく、故意に財布とスマートフォンをみちるのロッカーに隠した。それに無実の証拠である録音はみちると衛司で確保してあり、会社に保管してあるどころか、新田以外の管理職はその存在を知らない。
 しかしそう記載することでみちるが潔白であることを強調できるし、一番平和的に事を解決できるであろうという、新田の計らいだった。
 美那莉からは未だに謝罪の言葉はないが「二度とみちるに仕事以外では不用意に近づかない」「みちるに危害を加えるようなことをしない」旨が記載された念書には弁護士同席の元、署名させた。
 社長発令でこういった文書が出るのは異例なので、社内はしばらくざわついていた。みちるに謝罪しに来る社員もやはりいて、菜摘は都度「あんたたち調子よすぎ!」と、衛司のように憤慨していた。
 中には未だにみちるを中傷してくる狂信的な美那莉信者もいたのだが、菜摘や佐津紀が「あー、懲戒免職モノだー。報告しておきますね〜」とわざと大げさに言えば、百パーセント謝罪してきた。
 トイレでみちるを辱めた総務の三人は、いつぞやの勢いはどこへ? というほどの酷い落ち込みようで日々を過ごしているらしい。
 衛司は週明けの夜に、三人を呼び出した。大きな期待に胸を躍らせながら登場した彼女たちを待っていたのは、彼の優美な笑顔だった。
 頬を赤らめた本人たちに、衛司はそれぞれレジュメや写真を叩きつけた。それを見た彼女らの顔は、瞬く間に赤から青へと変化したらしい。
 美那莉の時と同様、誰にも言っていないような黒歴史中の黒歴史を掘り起こされた上に、それを憧れの衛司自身からにっこり笑って手渡されたのだ。ショックは相当大きかったことだろう。
 もちろん、これは衛司の独断で行われており、みちるは与り知らないことだ。
 そんなみちるにとって、今回一番やっかいな変化をもたらしたことはと言えば――
「梅原さん! 海堂さんとつきあってるんですって?」
「しかもストーカーされてたんだって!?」
「海堂さんにならストーキングされたいよねぇ。いいなぁ〜」
 同じ人事課の同僚から名前も知らない社員まで、女性社員たちが口々にこんなことを言いに来るようになったのだ。
 というのも、衛司自身が二人の交際を吹聴して回っているからだ。しかも幸せオーラを最大限に放出しながら嬉々として言い触らすのだから、彼がストーカーだったというのもさもありなん、と周囲は妙に納得しているらしい。
 みちるに無用なやっかみが向くのを極力回避するためだと、彼は言う。
『攻撃は最大の防御だと言うだろう?』
 衛司は岡村にそう言ったそうだ。
 おまけに彼は菜摘や佐津紀を丸め込み、さらに広範囲に拡散する役回りを担わせている。
『も〜、そういうことなら! 協力しますとも! えぇ!』
 彼女たちも大喜びで衛司からの要請を引き受けたらしい。
 みちるはたった二日で、社内で一躍有名人になってしまったのだ。会社で仕事以外の原因でこんなにも疲れた経験なんて、今までなかった。
(ほんと、勘弁してほしい……)
 そんなこんなで慌ただしい日々は過ぎ、週末を迎えたのだった。

     * * *

「衛司くん、『最終決戦』って、何? ここで戦うの?」
 みちるは今、とあるレストランの個室にいた。初めて衛司と一緒に食事をした、例のビーフシチューを出すあの店だ。
 週末、衛司がアパートまで迎えに来て、そのままここに連れて来られたのだ。
「そうだ。ここが決戦の場だ。……とは言っても、大したことはない。ただちょっといろいろはっきりさせておきたいだけだ」
 そう話している間に、ノックをする音が聞こえ、個室のドアが開いた。と同時に、二人の人物が姿を見せた。
「衛司さんっ。お食事に誘ってくれるなんて、嬉しい!」
 英里子が弾んだ声とともに、入室してきた。後ろには、相変わらず朝川を連れている。
「こんにちは、司馬さん」
「……って、なんだ、その女も一緒なの」
 みちるが座っているのを目にした瞬間、英里子があからさまにテンションを下げた。みちるはぺこりと頭を下げる。
「こ、こんにちは……」
「どうぞお座りください。……あ、朝川さん、でしたっけ。あなたも」
 英里子の入室を確認した後、部屋を出ようとする朝川を衛司が引き留め、彼女の隣に座るよう促した。
「あ……」
 当の朝川は戸惑いながら英里子を見て指示を仰ぐ。彼女が小さくうなずくと、彼は控えめな所作で腰を下ろした。
「衛司さん、珍しく英里子のことをお招きくださったけど、何かいいお話でもあります? ふふふ、英里子、楽しみにして来たんですよぉ~」
 手を合わせてニコニコしながら、英里子が衛司の方へ身を乗り出す。衛司も負けずに、ニコリと笑う。
「えぇ、とてもいいお話かと」
「わぁ、何かなぁ。……もしかして、英里子と結婚してくれるとか?」
「――えぇ、そのとおりです」
「え?」
(は……?)
 みちるは首が折れるかと思うほどの勢いで、隣にいる衛司を見た。
「あなたの熱いアプローチに負けました。ですから司馬さん、あなたと結婚しようと思います」
 衛司は平然と言い放った。
 その様子に、みちるのみならず、英里子までもがポカーンと口を開いた。
「え? あ……ほ、ほんとに? ほんとに英里子と結婚、してくれるんですか?」
「はい。その代わり、結婚にあたりいくつか条件があります」
「条件……?」
「まず、ここにいる梅原みちるを愛人にします。もし彼女との間に子供ができれば、私とあなたの子として育てますので」
「は……?」
(衛司くん、どうしちゃったの……?)
 何がなんだか分からず、みちるは眉根を寄せる。
「何故なら、結婚しても私はあなたを抱くことは決してないからです」
「え……」
「勃たない相手との結婚などどう考えても不毛でしかないが、あなたがどうしても私と結婚したいとおっしゃるのなら、仕方がないでしょう?」
「……」
 衛司が鼻で笑って放った台詞を受け、英里子の表情が徐々に変わっていくのが、みちるにもよく見て取れた。それは衛司にも分かっているだろうが、彼はかまわずに続けた。
「それと、これが一番の条件です」
 衛司はそう前置きをして、少し間を空けた。わざとらしく一呼吸を終えた彼は、英里子の隣に視線を移す。
「――私と結婚するのであれば、この男を今すぐ解雇して私たちの目の前から消えてもらってください」
 衛司は、朝川を指差した。

コメント

コメントを書く

「恋愛」の人気作品

書籍化作品