戻ってきた初恋はバラの香り~再会した御曹司の豹変ぶりに困惑しています~
第23話
* * *
衛司のマンションに泊まった週末から二日ほど経った火曜日の夜のことだった。みちるが自宅へ向かうために駅から出ると、後ろから声をかけられた。
「ねぇ、ちょっと」
振り返ると、見覚えのある顔が憮然とした表情で近づいてきた。
「あ、あなたは……確か司馬、さん。先日は結構なものをいただき、ありがとうございました」
衛司の見合い相手だった司馬英里子が、桜浜駅前で会った時と同じ男性を引き連れている。みちるは改めて、以前受け取ったお詫びのお礼を述べて頭を下げた。
「はぁ? 何それ。……っていうか、めんどくさい前置きは好きじゃないから単刀直入に言うわね。衛司さんと別れて」
「……は?」
「衛司さんは、英里子と結婚するんだから。あんた邪魔なの」
そうするのが当然、と言いたげにあごをツンと上げ、英里子が言い放つ。
(こんなところでそんなこと言い出さなくても……)
帰宅ラッシュ時の駅出口付近だ。はっきり言って邪魔なことをしているのはそっちでは……と、心でぼやきつつも、みちるはさりげなく道の端へ移動し、往来を妨げないように英里子を誘導する。
そして彼女は困惑に眉尻を下げながらも、目の前のお嬢様に負けてはいけないという思いをなんとか身の内から引っ張り出す。
「でも、お見合いは衛司くんが断った、って言ってました」
よもや反論されるとは露ほども思っていなかったのか、英里子は目を見開いた。
「そんなの関係ないんだからっ。英里子は絶っ対、衛司さんと結婚するんだもん!」
彼女が予想外に焦りを見せてくるので、みちるはかえって冷静になれた。
「もし衛司くんが別れてほしいって言ってきたら、その時は潔く別れます。でも、そうでないのなら別れません」
みちるの断言に、英里子はますます声を荒らげた。
「い、いいから別れなさいよっ。あんたみたいな庶民より、英里子の方が五百倍、衛司さんに相応しいんだからっ。可愛いし、お金だって持ってるし!」
「落ち着いてください。そんなに大声で言わなくても聞こえてますから」
周囲を行き交う人々が、彼女たちに注目し始めた。それが恥ずかしくなり、みちるは自分が声のトーンを落としつつ、英里子をなだめる。それがよほど気に食わないのか、彼女はますます肩を怒らせた。
「もういい! あんたがそういうつもりなら、こっちにも考えがあるんだからっ! 覚えてなさいよ! ……行くわよ、朝川!」
英里子は興奮をまとったまま、勢いよくきびすを返し、そのまま駅の中を突っ切って反対側の出口へ向かった。朝川と呼ばれた男は慌てたようにみちるに深々と頭を下げ「お待ちください、英里子様……!」と、声を上げながら英里子の後を追っていったのだった。
彼らの姿が見えなくなった後、みちるははぁ、とため息をついた。
(なんか……拍子抜けというか)
今の一連の流れが、みちるが頭の中で描いていた『ライバルお嬢様からの牽制』と、いささか違っていたからだ。
もっと落ち着き払った居丈高ぶりでもって、手切れ金の小切手でも突きつけられるのかと思っていた。
あんな風に子供のケンカのような突っかかり方で来られるとは、かなり予想外だった。
「……漫画の読みすぎかな」
確かに英里子の最後の捨て台詞は漫画チックではあったが。
(現実で『覚えてなさいよ!』って言う人、初めて見た)
みちるは彼女に悪いと思いながらも、込み上げてくる笑いを堪えるのに必死になりながら、家路を急いだ。
それから英里子からはなんの妨害もなく――二人の交際は、再会の頃からは想像もできないほど穏やかに過ぎていった。衛司はみちるをまるで宝物のように大切にしてくれたし、みちるもまた見違えるほど素直に彼の気持ちに応えた。
会社では二人の関係を匂わすことは一切しないどころか、あの日以来、近づきもしない。だからみちるたちがつきあっていることを知っている人間は菜摘、佐津紀、岡村の三人しかいなかったし、彼らは秘密を決して漏らさず、会社での会話にも細心の注意を払ってくれている。
みちるの雰囲気が変わったのが周囲にも伝わっているのか「梅原さん、なんだか幸せそうだけど、彼氏できたの?」なんて同僚に尋ねられたこともあった。そんな時は菜摘が率先して「やっぱそう見える? この子ね、春にあった同窓会で再会した同級生とつきあってるんだよ~。再会ラブって萌えるよねぇ~」なんてごまかしてくれる。
毎週金曜日――食堂で出くわした時だけは、ほんの一瞬だけ目を合わせる。週末には会えているわけだし、それだけでも十分だった。
衛司がデートのたびにバラを贈ってくれるのも相変わらずで、結局ほとんどセーブすることなくそれは続き、先日それは累計で百本となった。百本目のバラをくれた時、衛司自ら花言葉を伝えてくれたのだ。
「百パーセントの愛、という意味だ」
その言葉を聞いてみちるは、全身がとろけそうになるほど身体を震わせた。花束と一緒に、少し遅れたバースデープレゼントと言って指輪も贈ってくれた。誕生石の内の一つ、アレキサンドライト――五大宝石の最後の一つともうたわれるそれは、見る角度によって色合いが変わり、とても美しかった。
「会社ではこれを俺だと思って、いつもつけておいてくれると嬉しい」
彼はそう告げ、指輪を右の薬指にそっとつけてくれた。
衛司はいつも大きく深い愛情でもって、繭のように彼女を包み込んでくれる。その中でみちるは甘い幸せに浸っていたのだが――
事態が急変したのは、二人が初めて結ばれた日から三週間が過ぎた頃、梅雨まっただ中の六月末のことだった。
衛司のマンションに泊まった週末から二日ほど経った火曜日の夜のことだった。みちるが自宅へ向かうために駅から出ると、後ろから声をかけられた。
「ねぇ、ちょっと」
振り返ると、見覚えのある顔が憮然とした表情で近づいてきた。
「あ、あなたは……確か司馬、さん。先日は結構なものをいただき、ありがとうございました」
衛司の見合い相手だった司馬英里子が、桜浜駅前で会った時と同じ男性を引き連れている。みちるは改めて、以前受け取ったお詫びのお礼を述べて頭を下げた。
「はぁ? 何それ。……っていうか、めんどくさい前置きは好きじゃないから単刀直入に言うわね。衛司さんと別れて」
「……は?」
「衛司さんは、英里子と結婚するんだから。あんた邪魔なの」
そうするのが当然、と言いたげにあごをツンと上げ、英里子が言い放つ。
(こんなところでそんなこと言い出さなくても……)
帰宅ラッシュ時の駅出口付近だ。はっきり言って邪魔なことをしているのはそっちでは……と、心でぼやきつつも、みちるはさりげなく道の端へ移動し、往来を妨げないように英里子を誘導する。
そして彼女は困惑に眉尻を下げながらも、目の前のお嬢様に負けてはいけないという思いをなんとか身の内から引っ張り出す。
「でも、お見合いは衛司くんが断った、って言ってました」
よもや反論されるとは露ほども思っていなかったのか、英里子は目を見開いた。
「そんなの関係ないんだからっ。英里子は絶っ対、衛司さんと結婚するんだもん!」
彼女が予想外に焦りを見せてくるので、みちるはかえって冷静になれた。
「もし衛司くんが別れてほしいって言ってきたら、その時は潔く別れます。でも、そうでないのなら別れません」
みちるの断言に、英里子はますます声を荒らげた。
「い、いいから別れなさいよっ。あんたみたいな庶民より、英里子の方が五百倍、衛司さんに相応しいんだからっ。可愛いし、お金だって持ってるし!」
「落ち着いてください。そんなに大声で言わなくても聞こえてますから」
周囲を行き交う人々が、彼女たちに注目し始めた。それが恥ずかしくなり、みちるは自分が声のトーンを落としつつ、英里子をなだめる。それがよほど気に食わないのか、彼女はますます肩を怒らせた。
「もういい! あんたがそういうつもりなら、こっちにも考えがあるんだからっ! 覚えてなさいよ! ……行くわよ、朝川!」
英里子は興奮をまとったまま、勢いよくきびすを返し、そのまま駅の中を突っ切って反対側の出口へ向かった。朝川と呼ばれた男は慌てたようにみちるに深々と頭を下げ「お待ちください、英里子様……!」と、声を上げながら英里子の後を追っていったのだった。
彼らの姿が見えなくなった後、みちるははぁ、とため息をついた。
(なんか……拍子抜けというか)
今の一連の流れが、みちるが頭の中で描いていた『ライバルお嬢様からの牽制』と、いささか違っていたからだ。
もっと落ち着き払った居丈高ぶりでもって、手切れ金の小切手でも突きつけられるのかと思っていた。
あんな風に子供のケンカのような突っかかり方で来られるとは、かなり予想外だった。
「……漫画の読みすぎかな」
確かに英里子の最後の捨て台詞は漫画チックではあったが。
(現実で『覚えてなさいよ!』って言う人、初めて見た)
みちるは彼女に悪いと思いながらも、込み上げてくる笑いを堪えるのに必死になりながら、家路を急いだ。
それから英里子からはなんの妨害もなく――二人の交際は、再会の頃からは想像もできないほど穏やかに過ぎていった。衛司はみちるをまるで宝物のように大切にしてくれたし、みちるもまた見違えるほど素直に彼の気持ちに応えた。
会社では二人の関係を匂わすことは一切しないどころか、あの日以来、近づきもしない。だからみちるたちがつきあっていることを知っている人間は菜摘、佐津紀、岡村の三人しかいなかったし、彼らは秘密を決して漏らさず、会社での会話にも細心の注意を払ってくれている。
みちるの雰囲気が変わったのが周囲にも伝わっているのか「梅原さん、なんだか幸せそうだけど、彼氏できたの?」なんて同僚に尋ねられたこともあった。そんな時は菜摘が率先して「やっぱそう見える? この子ね、春にあった同窓会で再会した同級生とつきあってるんだよ~。再会ラブって萌えるよねぇ~」なんてごまかしてくれる。
毎週金曜日――食堂で出くわした時だけは、ほんの一瞬だけ目を合わせる。週末には会えているわけだし、それだけでも十分だった。
衛司がデートのたびにバラを贈ってくれるのも相変わらずで、結局ほとんどセーブすることなくそれは続き、先日それは累計で百本となった。百本目のバラをくれた時、衛司自ら花言葉を伝えてくれたのだ。
「百パーセントの愛、という意味だ」
その言葉を聞いてみちるは、全身がとろけそうになるほど身体を震わせた。花束と一緒に、少し遅れたバースデープレゼントと言って指輪も贈ってくれた。誕生石の内の一つ、アレキサンドライト――五大宝石の最後の一つともうたわれるそれは、見る角度によって色合いが変わり、とても美しかった。
「会社ではこれを俺だと思って、いつもつけておいてくれると嬉しい」
彼はそう告げ、指輪を右の薬指にそっとつけてくれた。
衛司はいつも大きく深い愛情でもって、繭のように彼女を包み込んでくれる。その中でみちるは甘い幸せに浸っていたのだが――
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