戻ってきた初恋はバラの香り~再会した御曹司の豹変ぶりに困惑しています~

沢渡奈々子

第22話

「っ! ……ほんとに? ほんとに若様とつきあってるの!?」
「みちるちゃんが海堂衛司とかぁ~。『つきあっちゃえ~』ってけしかけてた身とはいえ、現実になると驚いちゃうわ」
 菜摘は眼球が飛び出そうなほど目を大きく見開き、佐津紀は驚き混じりの口調で小刻みにうなずいた。
「自分でも信じられないけど、ほんと……」
 翌日、みちるは二人に時間を取ってもらった。終業後、三人で行きつけのレストランへ赴き、個室に入る。ビールで乾杯をした後、みちるは衛司とのことを打ち明けた。
 十一年前にアメリカで知り合ったこと、衛司が記憶喪失になって離ればなれになってしまったこと、先月再会したことなども、掻い摘まんで説明する。もちろん、岡村が衛司と通じていたことも。
「へぇ~、十年前にもつきあってたのかぁ」
「なんだかドラマみたいねぇ」
「だからか~、若様が今日『婚約者がいるから』って、女子からの誘いを断ってたの」
「えっ」
(早速!?)
 先週末に宣言した通り、衛司は婚約者がいる体でアプローチを撥ねのけているらしい。
「それにしても、一途なのね、海堂さんって。人は見かけによらないって言うけど、その最たるものじゃない? 私、ちょっと感動したわ」
 佐津紀がほぅ、とため息をついた。
「ってか、岡村さん、若様と同級生だったのね……どうりでさりげなーくみちるのことを聞かれると思ってたわ」
 菜摘が鼻から荒めの息を吐き出した。どうやら岡村は彼女にみちるについての探りを入れていたようだ。もちろん、衛司に頼まれてのことだろう。菜摘に要らぬ誤解を与えてしまったのではと、みちるは少し申し訳なく思う。
「でもよかったね、みちるちゃん」
「うん、なんか幸せそうだもん、今のみちる」
 佐津紀と菜摘が同じような安堵の笑みを見せる。
「ありがとう。それで二人にお願いがあるんだけど……このこと、会社では内緒にしておいてくれる?」
「もっちろんよ、協力する」
「みちるちゃんが怖がるの、分かるわぁ。社内の女子たちにバレたらどんな目に遭うか分からないもの」
 二人が頼もしそうな表情で笑った。
「うん、助かります」
「あ、そうだ、みちるに要注意人物教えとくね。受付の江口さん、総務の島原さんとその取り巻き二人。あの人たちには気をつけて。特に江口さんは若様に相当本気で目をつけてるみたい」
「江口さんって……『彼女にしたい女の子ナンバーワン』とかまことしやかに囁かれてるあの江口さん?」
「そうそう、その江口さん。若様に資産家の婚約者がいるって噂になってた時も、裏では略奪宣言してたって話だから」
「そうなんだ……」
 菜摘が言っているのは、総務部総務課に所属する受付嬢の江口実菜理みなりのことだ。『可愛い』という言葉は彼女のためにあるのではないかと、社内の男性陣が口を揃えて言うほどの美貌を持っている。
 守ってあげたい雰囲気を惜しげもなく垂れ流しているが、内面はがっつり肉食系らしいというのが、多くの女性社員の見解だ。
 衛司がKELに配属されてからというもの、身体が空けば彼にべったりと張りついているのがそこここで見られているので、菜摘が話しているのはおそらく本当のことだろう。
 みちるも最初は、衛司の相手としてふさわしいのは、彼女のような絶対的な美人だろうと思っていた。まさか自分が海堂衛司の彼女になるとは、露ほども想像していなかった。
 でも結局は、彼を好きになってしまった。好きな気持ちはコントロールなんて利かないのだと、実感する日々だ。
 そして衛司が女性から好かれモテるのも、同じくコントロールなどできない。会社では、否が応でもそれを見せつけられる。
 みちるは少し不安げにまつげを伏せた。
「でも若様はみちるのことが好きなんだし、大丈夫だよ。よっし! みちるに彼氏ができたお祝いしよ! ね、佐津紀さん」
「そうね。乾杯しよう!」
「かんぱーい!」
 三人はグラスを合わせた。
「ふー、おいしー! みちる、おめでとう!」
「おめでとう! 結婚式には呼んでね!」
「いやいや、全然そういう予定とかないですから!」
 完全に祝福ムードになっている菜摘と佐津紀に、そしてここにはいないが岡村にも、みちるは心の中で感謝した。
 ――小さな不安を、その奥の奥に押し込めて。

     * * *

「衛司くん、ああいうことはもう絶対にしないで! ……心臓、止まるかと思ったんだから」
「ごめんごめん。でも、すごく可愛い反応してくれてたな? 本当にあのまま押し倒したくなったのは本当だ」
「だから! それがダメ! 絶対!」
「――薬物乱用防止のキャッチコピーみたいな台詞だな」
 衛司が堪えきれない様子で笑みこぼした。
 週末、みちるは初めて衛司の部屋を訪れた。KELからは地下鉄で六駅ほどの都内にある、中層マンションだ。十階程度の建物だが、デザイナーズマンションらしく、外観も室内も洗練されている。実用性とスタイリングのバランスが絶妙だ。
 みちるが声を荒らげているのはもちろん、先日の社内での邂逅についてだ。
 愛情を寄せられるのはとても嬉しいけれど、それ以上に心臓に悪い。もう二度とあんなことは勘弁だと、切実な様子で衛司に訴えた。
「もう、衛司くん分かってない! つきあってることがバレたら本当にまずいの!」
「分かった分かった、もうああいうことは絶対にしない。みちるからもらったキーリングに誓うよ」
 衛司は両手をホールドアップした。
「ありがとう。……ごめんね、わがままで」
「わがままなんかじゃない。みちるの気持ちはよく分かってるから。……気を取り直して、昼飯を食おう」
 衛司が立ち上がり、キッチンに向かった。
 部屋の中はリビングもキッチンも、きれいに整理整頓されている。
『運転は運転手に任せきりだからな、その他のことくらいはなるべく自分でやるようにしている』
 そう衛司は言う。
 今もみちるのために、昼食を作ってくれていた。フレンチトーストと具だくさんのコンソメスープ、フルーツヨーグルトだ。
 テーブルにきれいに並んだ食事を、みちるは大満足で堪能した。
「美味しかったです、ごちそうさまでした。向こうにいる時も思ってたけど、やっぱり衛司くんってすごい。自立心旺盛で」
 アメリカにいた時、衛司が『いつか自立できるよう、自分でできることは自分でしろと、僕は母から躾けられてるんだ』と話してくれたことを思い出した。今でもそのポリシーは彼の中で息づいているのだと、みちるは感心した。
「社会人ならこれくらいはするだろう? 俺が特別なわけではないと思うが」
「衛司くんならきっと家政婦さんも雇えるでしょう? でも自分でするのが偉いと思う。……そういうところ、好きだな」
 食後はみちるが食器を予洗いし、それを衛司が受け取り食洗機にセットした。そしてコーヒーを淹れてリビングのソファに並んで座る。
 みちるは素直な気持ちを衛司に告げる。アメリカの時はいつもこうやって好意を伝えていた。彼と再会してずっと、自分に素直になれていなかったけれど、そんな頑なな心も溶けつつあった。
「そうか? でもみちるに褒められるのは嬉しいな。ありがとう。……あぁそうだ、うちの両親がみちるとの食事はいつできるんだ? と、何度も聞いてくるんだ。この間会えなかったのが、相当残念だったらしい。日にちは合わせるらしいが、どうする?」
「私でよければ、だけど……ご両親は私とのこと、賛成してるの? まだお会いしていないのに」
「俺はなみちる、今までつきあった女性を親に会わせたこともなければ、話をしたこともほとんどない。そんな俺が『とても好きで大切な女性がいる』と話したんだ。それだけで十分なんだ、あの人たちにとっては」
「……お見合い相手の人は? 断っちゃって、ご両親は何か言ってない?」
「あぁ、あれは義理だし、彼女に対しては切り札を持ってるから大丈夫だ」
 先日のお詫びの品については、結局衛司に言うとおり受け取っておくことにした。翌日みちるは記載されていた住所宛てにお礼状を送り、“これ以上のお詫びは必要ありません”と書き添えておいた。その後、向こうからのアクセスは今のところない。
「切り札……? なんだか怖いけど」
「そんな物騒なものじゃない。……まぁ、ちょっとした“可愛らしい秘密”を知ってるだけだ。だから気にしなくていい」
 衛司がにっこりと笑った。
(可愛らしい秘密って……余計に怖いんだけど)
 みちるはそれ以上突っ込まなかった。
「それよりみちる、これを渡しておく。手を出して」
 言われるがままに手を出すと、手の平の上に冷たい何かが置かれた。
「……鍵?」
 ディンプルキーだった。みちるの視線が衛司と鍵の間を幾度か往復する。
「この部屋の鍵だ」
「合鍵? 私が持ってていいの?」
「もちろん。みちるに見られてまずいものは何一つないから、いつでも来てくれていい。俺がいない時でも、だ。むしろ帰って来た時にみちるがいてくれたら嬉しい」
「ほんとに……?」
「なんなら一緒に暮らすか? そうすれば、いつでもこうできる」
 そう言って衛司がみちるを引き寄せた。広い胸に顔を埋める形で抱きしめられ、ほんのりといい香りがみちるの鼻腔を通り抜ける。洗剤の匂いか、それとも香水の類いなのかは分からないけれど、それはみちるの身体に柔らかく入ってくる。
(衛司くんの匂い……)
 ぬくもりをまとった香りにうっとりと身を任せていると、そっと剥がされ、くちづけられた。それはすぐに深く濃いものに変わり、みちるの身体を痺れさせる。
「ん……っ」
 鼻で息をしているにもかかわらず、少し苦しくて。胸の高鳴りが激しくなって溺れそうだ。
 衛司の手がみちるの身体の表面を辿っていく。触れられた皮膚から愉悦が滲んでくる。それが気化して部屋全体に回っている気すらして、余計に甘苦しくなっていく。
「……みちるのその表情かお
「ぇ……な、なに……?」
「目の奥がとろとろに溶けて、深い海の底みたいに神秘的でゾクゾクする。それなのに澄んでいてきれいで、いつまでも見ていたくなる――」
 耳元で柔らかく囁きながら、衛司はみちるの手から鍵を取り上げ、近くのテーブルへ置いた。そしてみちるをソファの上に横たえながら、次の句を継ぐ。
「――くちびると頬も震えているのに、うっすら赤くていやらしい。……この顔は、俺しか知らないんだな?」
「……っ、ん」
 みちるはうなずくだけで精一杯だ。衛司は彼女の服を一枚、また一枚と剥がしていく。
「――この先もずっと、俺だけにしか見せるなよ?」
 一段と甘くなった声音で告げると、衛司は真裸になったみちるにもう一度キスをした。

 ソファで抱かれ、ベッドで全身を余すところなく愛され、気持ちも満たされた後、みちるはベッドを抜け出してシャワーを浴びた。
 戻ってくると衛司は眠っていたのだが、彼女が隣に潜り込むと条件反射のように抱きしめてきた。
 ポジションを微調整して見上げると、愛しい彼が穏やかな寝息を立てている。寝顔を見つめていると、身の内からじわじわと幸せな気持ちが湧いてくる。
(こんなに幸せでいいのかな……)
 みちるはすり……と、衛司の胸に頬を寄せたのだった。

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