戻ってきた初恋はバラの香り~再会した御曹司の豹変ぶりに困惑しています~

沢渡奈々子

第13話

     * * *
     
「梅原さん、六月一日いっぴづけで管理職になる社員の情報下りてきたからよろしく」
「分かりました。……課長、情シスの駒崎こまさきさんからお電話がありました。折り返してほしいそうです。それから、電話の時についでに先ほどの人事掲示板ネットワークの不具合について聞いてみたら、とりあえず先にチェックと修正はかけてくれるそうなので、課長発信の不具合修正依頼書だけお願いします、とのことでした」
「ありがとう、助かるよ」
 並河が管理職会議から戻って来たと同時に仕事を振ってきた。みちるは彼が不在の間に受けた電話の件を伝えながら、伝言メモを手渡す。
 そして言われた通り、メールをチェックして届いた人事情報をまとめにかかる。
 今日も普段と変わらない会社での業務をこなしていた――そう、『公』はいつも通りである、『公』は。『私』はと言えば――
 衛司にキスをされた週末から六日が経った。
 あの日、みちるが言い放った通り、あれが彼女のファーストキスだった。十一年間、誰ともつきあわなかったのだから、当然と言えば当然の状況だ。
 アメリカにいた頃、誕生日に衛司とする予定だった初めてのキスをとても楽しみにしていた。それが十年以上経った今になって叶えられてしまうなんて……みちるの胸中は複雑だ。それはもう例えようがないほどのややこしさで胸を占拠している。
 彼女がこんな心理状態なのを知ってか知らずか、当の衛司はその日の夜にメッセージアプリで、
“まさかアレがファーストキスだとは思わなかった”
 なんてしれーっと言ってきたかと思うと、
“いきなりで驚かせたことについてはすまない。でもキスをしたことは後悔していないし謝らない”
 と開き直り、しまいには、
“俺がみちるのファーストキスの相手になれたかと思うと、存外嬉しくて今夜は眠れないかも知れない”
 などと、衛司にはおよそ似合わない可愛らしくて楽しげな絵文字をつけて今の喜びを表現してきたのだ。
 翌日の日曜日には生花店の配達によりバラが贈られてきた。
 ピンクのバラが五本――『可愛い人』『あなたに出会えたことの心からの喜び』という花言葉が添えられて。
 週明け、会社で姿を見かけることはあったものの、みちるは絶対に彼と知り合いであるというそぶりは見せてはいないし、さすがの衛司も衆人環視の中でアプローチはしてこなかった――時折、意味ありげに視線を送ってくることはあったけれど。
 その代わり、夜は電話がかかってきたりメッセージを送り合ったりした。内容は他愛もないことだ――そう、まるで普通の恋人同士のような普通のやりとりで。
 好きな映画のタイトルを聞いてみたり、好きな食べものの話だったり、今日あった出来事を報告し合ってみたり。
 昨夜の電話では、こんな会話をした。
 
『みちるは社食で食べるのは金曜日だけなのか?』
『そうです。あとはお弁当を持って行ってるんです。……っていうか、どうして知ってるんですか?』
『どうして、って、社食でみちるを見かけるのが金曜日だけだからな』
『え、もしかしてチェックしてたりします?』
『あたりまえだろう? 昼休みは会社でみちるの姿を見られる数少ない機会なんだ。話しかけるわけじゃないんだから、それくらい許してくれ』
『まぁそれは見逃します。……ところで衛司くんは、うちの会社ではどんな仕事をしてるんですか?』
『社外広報グループに所属しているんだが、半分営業みたいなものだ。プレスリリースを発信するために、各メディアとのネットワークを構築しておく。向こうからの取材要請に速やかに対応するためにも、メディア側の担当者とは定期的にコミュニケーションを取る必要がある。出張も結構多かったりするんだ』
『そうなんですか。私とはあまり縁がない部署なので、仕事内容もよく分からないんですよね。外部と接触しなきゃならないのは気を遣うし、出張が多いのも大変ですね』
『仕事なんてどれも大変だろう。みちるだって、社内の人間の情報を管理しなきゃならない大切な業務をしているんだし。……それに、仕事ぶりはとても真面目だと聞いてる。さすが俺のみちるだ』
『別に衛司くんのものじゃないですけど! ……でも、ありがとうございます』

 日々の生活に、衛司とのひとときがするりと入り込んできている。それに拒絶反応を示すこともなく享受している自分がいるのにある時気づき、みちるは驚いたし、笑ってしまった。
 会社での衛司は、あれだけ周囲から騒がれても平然としている。その姿は一部の人間には傲慢でいけ好かない男に映るだろう。実際、みちるも遠くから見ていた時は少しそう思っていた。
 けれど、こうしてお互いの時間の一部を共有するようになって……まだ少ししか経っていないものの、彼が必ずしも見た目通りの人間ではないということが分かってきた。
 一見不遜な態度に見えても言動は優しいし、みちるをからかったりと意外におちゃめな面も見受けられる。
 彼の仕草一つ一つの奥に、昔の衛司の面影がやっぱり見えてくるのだ。
 でも不思議なことに、そのイメージを懐かしく思うことはあっても、ときめいてしまうのは……図らずも、今の衛司だったりするから、自分でも困惑している。
『あの頃はみちると一緒にいるとひたすら癒やされたが、今は好きだという気持ちで胸が痛くなることがある』
 こんなことを臆面もなく言うので、こちらがドキドキさせられる。
『みちるが可愛くて、毎日が楽しい』
 楽しそうにこんなメッセージを送ってくるので、部屋に一人でいるのに頬が赤くなってしまう。
(この十年の間も、こんな人だったのかな……)
 一見プライドが山のように高く、女性に全面降伏するような言葉なんて到底口にするタイプには見えないのに。
 みちるには惜しみない愛の言葉を浴びせてくるのだ。
 一昔分ものブランクがあるというのに、何故ここまで無防備に好意を向けてこられるのだろう。不思議に思ったみちるは昨夜、電話で尋ねてみた。
『そういえば……どうして今の私を知らなかったのに、すぐに「つきあおう」って言えたんですか?』
『アメリカにいた頃から、みちるとは長いつきあいになるだろうし、いずれ結婚もするんだろうなと漠然と思っていた。だから俺がハイスクール卒業後に帰国すると言った時も、離れるから別れようとか、自然消滅させようなんて考えもしなかった。遠距離でもつながっていられる自信があったんだ』
『あの頃から……?』
『記憶を取り戻してみちるを見つけて……しばらく観察してみて、そしてこの間一緒に出かけて、こうしてスマホでやりとりして……やっぱり好きだと思った。……みちるは、俺の大切な女性だよ』
 耳元でそんな風に囁かれてしまえば、顔があっという間に上気してしまうのも仕方がない。
(もう、恥ずかしさとかないのかしら)
 ベッドに入っても、頬の火照りはなかなか取れなかったのだ。
 そんなこんなで、一週間はあっという間に過ぎたのだった。

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