異説・東方紅魔郷

小湊拓也

第2話 霧の湖、爆炎に染まる


 氷の塊が無数、冷風と共に弾幕を成し、襲いかかって来る。
 霧の湖の上空で、氷の花が渦巻きながら咲き乱れている、ようでもあった。
 冷気の花吹雪が、霊夢の白い付け袖を、赤い袴スカートを、激しくはためかせる。
 吹き荒れ襲い来る氷の弾丸を、かわし、お祓い棒で打ち弾きながら、霊夢は呻いた。
「妖精に……ここまでの力が、あるなんてね」
「大ちゃんも、みんなも、手を出さないでくれ! この巫女は、あたい1人でやっつけてやる」
 氷の花の中心で、チルノは叫んでいる。
 他の妖精たちは、大妖精に率いられて空中で編隊を成したまま、戦いを見守っている。
 集団行動を取っているのだ。群れを成して騒ぐだけ、悪戯をするだけ、の妖精たちが。
 中心となっているのは大妖精、そしてこのチルノという少女だ。
「妖精の力を、人間にも妖怪にも思い知らせてやるのだ!」
「博麗の巫女、妖精に敗れる……なんて事になったら、そりゃ幻想郷じゅう大騒ぎよね。妖精の地位も鰻上り」
 霊夢は言った。
「でもね、あんたたち妖精いくら偉くなったところで、このままじゃあの紅魔館とかいう連中の手下よ。ずっとね」
 ちらりと、霊夢は空を見上げた。真紅の霧が東西南北の稜線まで行き渡り、禍々しい赤色の曇天と化した空を。
「今が異変の真っ最中だって事、妖精の頭でもわかると思うけど……異変、解決してみない? 私の手伝いをしなさい。妖精の力、認めてあげるから」
「ふふん、あたいたちの強さがわかったか」
「わかったから異変解決に協力しなさい。その方がね、外から来た連中に飼い慣らされて悪さをするよりも、妖精の地位向上に役立つと思うわ。幻想郷の人間も、あんたたちを見直すだろうし」
「……そうか。人間が、あたいたちを見直すのか」
 チルノが、氷の花吹雪を操る手を止め、生意気にも腕組みなどして考え込んでいる。
 今のうちに攻撃するべきか、と霊夢が思っている間に、しかしチルノは結論を下していた。
「でも……ダメだ。あたい美鈴と約束したんだ、力になってやるって。あの紅魔館には、とっても優しくてか弱いお嬢様がいるから守ってあげなきゃいけない。お嬢様をいじめに来る奴、例えばお前みたいなのを、あたいがやっつける! そうして妖精の強さを示すのだ!」
 大輪の、氷の花が咲いた。
 チルノが、無数の氷の弾丸をばら撒いたのだ。
 その凍てつく花吹雪を切り裂くようにして、いくつもの白い光が走った。
「美鈴は言った。あたいら妖精は、本当は幻想郷で最強なんだって!」
 チルノの小さな身体から、冷気が光線状に射出されている。まともに喰らえば、凍傷では済まない。
 荒れ狂う氷の弾幕が、冷気の光線が、霊夢の細い身体をかすめてゆく。
 ひらひらと回避の舞いを披露しながら、霊夢は立て続けに呪符を投げた。
 左右に浮かぶ陰陽玉が、それに合わせて光弾を速射する。
 氷の花びらを蹴散らすように、それらが全て、チルノを直撃していた。
 妖精の小さな身体が、湖面に墜落してゆく。
「チルノちゃん!」
 大妖精が悲鳴を上げる。
 水面に激突する寸前、チルノはふわりと辛うじて高度を保った。
 霊夢も、湖面すれすれまで高度を下げ、チルノと敢えて目の高さを合わせた。
「……さっきの台詞、もう1度言える?」
 ぴらりと呪符を掲げながら、問いかけてみる。
「妖精の強さを、何だって?」
「……お前みたいなのを、やっつけて……妖精の強さを示す! 妖精は、幻想郷で最強なのだ!」
 叫びながら、チルノは空中でよろめき、湖に落下した。
 否。落下しかけたチルノを、大妖精が抱き支えていた。
「やめて! もう、やめて下さい! これ以上チルノちゃんをいじめないで!」
「……下がってくれ大ちゃん、あたいなら大丈夫……」
「まあ確かに大丈夫かもね。妖精は、砕け散ってもすぐに再生する」
 霊夢は言った。
「チルノとか言ったわね。あんた、妖精にしては随分と強い力、それに強い自我を持っている。チルノという自分自身をね……それを、保っていられると思う? 粉々に砕け散って、再生した後も」
 大妖精が無言のまま、チルノを抱き締めた。
 霊夢は、なおも容赦なく言葉を投げる。
「再生したあんたは、今のあんたとは別の存在……かも知れない。友達の事も、忘れちゃってるかも知れない。それでも無茶を通してみる? この私、博麗の巫女を相手に」
 大妖精の細腕に抱かれたまま、チルノは怯えていた。
「あ……あたい……あたいは……」
「……最強、なんでしょ? さあ、どうしたの」
 呪符を揺らめかせながら、霊夢は微笑んで見せた。
 その笑みが硬直するのを、霊夢は自覚した。
 熱風のような気配が、近付いて来る。紅魔館の方向からだ。
 濃霧をまとい禍々しく烟る、洋館の威容。
 それを背景に、何者かが湖上を歩いていた。水面に波紋を広げながら悠然と、こちらに向かって。
「妖精にしては、よく頑張ったと思わない?」
 そんな事を言いながら、凹凸のくっきりとした長身を湖上に佇ませる1人の少女。豊麗な胸の膨らみと安産型の尻が、鍛え抜かれた筋肉によって保たれている。そんな身体に、緑系統の民族衣装をまとっているのだ。
「頑張りに免じてさ、もう勘弁してやってよ。次は私が相手するから」
「……あんた何者?」
「普通の人だよ」
「普通の人は、水の上なんか歩けないっての」
 言いつつ霊夢は、さりげなく身構えた。
 いきなり呪符を投げつけたところで、かわされるか叩き落とされる。それがわかった。
「……あの紅魔館って所の、妖怪?」
「名前はある。一応、名乗っておこうかな……紅美鈴という。博麗の巫女ってのは、あんただね」
 不敵な美貌が、にやりと歪む。
「私ら妖怪は、幻想郷で人を喰うのを禁じられている。だけど……巫女は食べてもいい、って聞いてるよ」
 端整な口元で、牙が光った。
 間違いない、と霊夢は確信した。この紅美鈴という娘は、人間の姿をしているが紛れもなく妖怪だ。
「その後ろの、気味悪い建物と一緒に幻想郷へ押し入って来た……外の世界の妖怪ってわけね」
「色々あってね、外の世界には居られなくなった。この幻想郷はいい所だから、私らのお嬢様に統治してもらう」
「妖精どもをそそのかしたのも、その統治の一環ってわけ」
「そそのかしたわけじゃあない。妖精が、まあ幻想郷で最強かどうかはともかく、なかなか侮れない存在だっていうのは本音だよ。私と一緒に紅魔館の門番をやってもらうには、うってつけの戦力だと思ってね。声をかけただけさ」
「そこのチルノとかいうのを、随分とおだてたみたいね」
「よくやってくれたよチルノは。博麗の巫女ともあろう者が、たかが妖精とナメてかかって思いのほか消耗したようじゃないか?」
 紅美鈴が、ゆらりと片手を掲げた。
 優美な、だが強靭に鍛え込まれた五指が、ぼんやりと光を発している。気の輝きだった。
「ご苦労さん、チルノ。後は私に任せて逃げな」
「美鈴……」
「ちょっと……何なんですか、貴女たちはっ!」
 大妖精が怒り叫んだ。
「結局のところ、チルノちゃんを利用したんでしょう!」
「そう言うなって。私ら紅魔館は、あんたがた妖精と仲良くしたいんだ。これも本音だよ」
 美鈴が、大妖精に微笑みかける。人懐っこい笑顔ではあった。
「うちのお嬢様が幻想郷の頂点に立てば、妖精にとっても悪い事にはならないから」
「お嬢様……」
 霧の向こうの紅魔館に、霊夢は視線を投げた。
「優しくて、か弱いお嬢様が……いるんだって?」
「ごめんよチルノ。私、1つだけ嘘ついた」
「……でしょうね」
 溜め息まじりに、霊夢は言った。
 紅魔館からは、濃霧などでは隠しようもないほどの妖気が漂って来ている。押し寄せて来ている。妖気が、そのまま紅い霧となって空を覆い隠しているのだ。
 紅魔館に、あとどれだけの妖怪が潜んでいるのかはわからない。だがその中に『優しくか弱いお嬢様』は絶対にいない、と霊夢は確信していた。
「お嬢様が紅魔館から、この戦いを見ておられる……」
 美鈴の右手で、気の光が激しく燃え上がる。
「私にとってはね、背水の陣どころじゃないんだよ博麗の巫女。この戦い、絶対に負けられない!」


 霧の湖のほとりに紅魔館が出現した、あの日から、紅美鈴とは普通に仲良く過ごしている。
 チルノは、そう思っている。
 美鈴の方に何かしら思惑があったとしても、彼女は自分と仲良くしてくれたのだ。
 お前ら妖精は、幻想郷で最強じゃないか。美鈴は、そう言ってくれた。人間ども妖怪どもにナメられっ放しで、いいのかい? とも。
 お前には、とんでもない可能性を感じるよチルノ。私ら紅魔館と一緒に、幻想郷の頂点を目指そうじゃないか。
 そこまで言ってくれた美鈴のために、自分は何かが出来たのか。
 自分には、博麗の巫女を足止めする事すら出来なかった。
「博麗の巫女、お前の血はお嬢様に献上する! 肉とはらわたは私がもらう!」
 美鈴の右手から、気の光が迸った。無数の光弾だった。
 博麗の巫女が、上空へと飛翔して、それをかわす。光弾の嵐が、巫女の足元を超高速で通過する。
 その時には、しかし美鈴が跳躍していた。湖面を蹴り付け、水飛沫を飛散させながら。
 凹凸のくっきりとした長身が、空中で博麗の巫女に激突する。
 美鈴の長い脚が槍のように伸び、巫女の細身を貫くように直撃していた。飛び蹴りだった。
 博麗の巫女が、紅白の衣服をひらひらさせながら吹っ飛んで湖に落下し、大量の水飛沫を跳ね上がる。
 同じくらいに大量の水が、湖の別の場所で噴出した。
 湖面を粉砕するようにして、博麗の巫女が飛び出して来ていた。
「私の血を……ね。そう、わかったわ。あんたたちのお嬢様とやらは、吸血鬼ってわけ!」
 巫女の左右に浮かぶ2つの陰陽玉が、高速旋回しながら激しく輝き、光弾の嵐をぶちまける。
「それじゃあ、紅い霧なんかで太陽を隠そうとするのも納得。けどねえ、私たちは太陽が出ていてくれないと困るのよ色々と! それが幻想郷の多数意見なの、わかる!?」
 陰陽玉の輝きの中で、白い袖が翼のようにはためいた。
 巫女の細腕が激しく舞い、何枚もの呪符を投射していた。
「太陽に弱い妖怪どもの少数意見なんか、通すわけにはいかないのよ! 文句あるなら幻想郷から出て行きなさい!」
「……文句あるから、力尽くで幻想郷に居座る事にするよ」
 光弾と呪符の猛襲に、美鈴が気の光で対抗する。空中で長身を翻し、光の弾幕を全方向にばら撒いている。
 光弾と光弾が、ぶつかり合った。無数の光の爆発が、霧の湖の上空で咲き乱れた。
 それを蹴散らすように呪符が飛び、美鈴を直撃する。
「ぐぅっ……!」
 よろめく美鈴に、呪符が次々と激突し爆発する。火花が、鮮血が、飛び散った。
「美鈴……!」
「だ、駄目だよチルノちゃん!」
 大妖精が、チルノの腕にしがみついて来る。
「あの美鈴さんの言う通り、早く逃げよう? ここにいたって……私たち妖精に出来る事なんて、何も……」
「大ちゃん……」
 チルノは、唇を噛んだ。
「あたいたち妖精は……最強じゃ、ないのかな……」
「それでいいじゃない! 人間や妖怪に勝てなくたって、バカにされたって、幻想郷で平和に暮らせれば!」
 いつも通りの幻想郷を、守る。博麗の巫女も先程、そんな事を叫んでいた。
「くっ……さすが博麗の巫女、弾幕の撃ち合いじゃ勝てない……か。それならッ!」
 美鈴が、空中を駆けた。
 飛行と言うより、それは目に見えぬ足場を蹴り付け、疾駆しているように見えた。
 そんな美鈴を、博麗の巫女が放つ光弾が、呪符が、正面から直撃する。
 自分ならば、とうの昔に砕け散っている、とチルノは思った。
 妖精だから、砕け散っても再生する。だが再生した自分は、今の自分と同じ存在なのか。
 博麗の巫女の、先程の言葉が、チルノの脳裏からは消えてくれない。
(あたい……忘れちゃうの? 大ちゃんやルーミアの事も、美鈴の事も……)
 その美鈴が、大量の血飛沫を飛び散らせながら空中を駆ける。そして博麗の巫女を相手に、凄まじい速度で間合いを詰めて行く。
「こいつ……!」
「撃ちまくってる暇があったら、とっとと逃げるべきだったね博麗の巫女!」
 美鈴の左掌が、気の輝きを帯びながら叩き込まれる。博麗の巫女の腹部にだ。
 紅白の衣服をまとう細身が、痛々しく前屈みにへし曲がった。
 こふっ、と血を吐きながら目を見開いた巫女の顔面が次の瞬間、衝撃に歪みながら跳ね上がる。
 美鈴の、むっちりと豊麗な太股が、衣服の裾を割って躍動していた。容赦のない膝蹴りが、博麗の巫女の顔面を直撃したのだ。
 強気な美貌が、血まみれで潰れかけながらも、ニヤリと不敵に歪む。
 虹が見えた、とチルノは思った。色とりどりの光が、博麗の巫女と美鈴を全方向から照らしている。
 七色の輝きを浴びながら、美鈴が息を呑んだ。
 三原色、それに緑、紫……様々な色の光球が、両者の周囲にいつの間にか生じて浮かび、旋回していた。
「夢想封印……!」
 博麗の巫女の言葉に合わせ、その旋回速度が急激に上がった。
 全ての光球が、美鈴を直撃していた。
 虹のような、光の爆発。その中から、博麗の巫女がふわりと脱出して空中にとどまる。
 美鈴は、霧の湖に墜落していた。
 もはや湖面に立つ事も出来ずに水飛沫を散らせ、沈んでゆく。
 すぐに浮かび上がって来た美鈴が、上体だけを水面に出して呻く。
「ぐうぅ……っ! ま、まだッ……!」
「命があるうちに、やめておきなさい。あんたはね、まあ門番の役目は充分に果たしたと思うわ」
 博麗の巫女が言った。
 美鈴が水の中から、怒りの眼光と言葉を返す。
「お前、今……本気、出さなかったな?」
「私自身を巻き込むかも知れないのに、本気の夢想封印なんて撃てるわけないでしょ。それでも妖怪の1匹くらいは粉々に出来ると思ったけど……原形をとどめているとは大したもの。褒めてあげるから、ここまでにしておきなさい」
 空中から美鈴を見下ろす目が、鋭く紅魔館に向けられる。
「門番1人に戦いを押し付けて、高みの見物……そんな連中を、ぶちのめしに行かないとね」
「ふざけるな、行かせはしない……」
 美鈴が半ば溺れるような動きを見せた、その時。
 空中に、大量の弾幕が展開された。
 光弾の嵐が、博麗の巫女を猛襲する。
「…………!」
 とっさに上昇し、それらを回避しながら、博麗の巫女が空中を見回した。
 霧の湖の上空に、いくつもの魔法陣が生じていた。
 それらの中から、何かが出現したところである。
 書物であった。
 目に見えぬ手指によって、それら書物が高速で開かれめくられる。
 妖精では読めぬ文字が無数、頁から飛び出して光弾と化し、弾幕を成し、博麗の巫女を襲う。
 美鈴の弾幕、ではないようであった。
「私1人に、任せておけない……と、そういう事ですか。ま、この様では確かにね」
 苦笑しつつ美鈴は水中から飛び出し、くるりと湖面に着地して波紋を広げた。
 襲い来る光弾をかわし、あるいはお祓い棒で打ち防ぎながら、博麗の巫女が叫ぶ。
「何なの、これは! 姿も見せないで、弾幕だけ垂れ流して来るなんて! 便利だけど失礼じゃないのッ!」
「そう言うなよ。ちょっと身体の弱い人でね、あんまりお屋敷から出られないんだ」
 言いつつ美鈴が、空中にいる博麗の巫女を見据え、拳を握る。弾幕の狙いを、定めている。
「あの人に無理をさせたら、私が怒られる。そろそろ死んでもらうよ」
 美鈴の言葉を掻き消すように、その時、湖面の一部が爆発した。
 凄まじい量の水が噴出し、巨大な柱を成した。水飛沫と一緒に星が飛び散った、ようにチルノには見えた。
 星あるいは金平糖を思わせる、無数の光弾だった。
 流星雨のような弾幕が、宙に浮かぶ書物をことごとく粉砕する。
「誰だ……!」
 降り注ぐ星の光弾をかわしながら、美鈴が叫ぶ。
 水柱を立てて湖中から現れた何者かが、高笑いで応えた。
「ふっ、ふっふふふふふ、ふはははははははははは! 待たせたな霊夢!」
「待ってないし心配もしてなかったけど、随分と長いこと水の中にいたものね」
 博麗の巫女が言った。
「冷たいの我慢して、出番待ちしてたってわけ?」
「冷たくないし寒くもない。不滅の火力が今、私の中で燃え盛っているんだぜ」
 空中に浮かぶ箒の長柄に、その少女は立っていた。偉そうに腕組みをしながらだ。
 紅白の巫女に対して、白黒の魔女。
 不敵な笑顔が、じろりとチルノに向けられる。
「おい、そこの。私を叩き落とすなんて、妖精のくせにやるじゃないか。お前の事も、じっくり調べてみたいところだが……今は、それどころじゃあないか」
 空中に無数の魔方陣が開き、魔法の書物が出現する。
 それらが開き、光弾、のみならず光線を放ち、紅白の巫女と白黒の魔女を際限なく狙撃した。
 縦横無尽にそれらをかわして飛び回る箒に、しがみつきながら白黒の魔女は笑った。
「これだけの攻撃魔法を、遠隔操作で使いこなすとは……とんでもない魔法使いがいるもんだぜ、面白い!」
 星が、生じた。流星雨の如き弾幕。
 鋭利な光の矢も、大量に発生していた。
 白黒の魔女が、それらを空中にばらまきながら箒を駆る。
 今この場で飛び回っている者と、紅魔館に潜んでいる者。
 魔法使い2人の弾幕が、霧の湖の上空で激突した。
 光の爆発が無数、空に咲き乱れて湖面を照らす。
 違う、とチルノは思った。あまりにも違い過ぎる。
「これが……魔法使いの、弾幕……」
 比べれば、妖精の弾幕など花火でしかない。
「いいわよ魔理沙、その調子」
 博麗の巫女が、弾幕戦を相方に押し付けて空を飛び、紅魔館へと向かう。
「この場は任せたからね。私は一足先に、異変の大元を始末」
「……させるわけ、ないだろうがッ!」
 美鈴の飛び蹴りを、博麗の巫女は辛うじて防御した。防御の姿勢のまま吹っ飛び、湖面にぶつかる寸前で空中に踏みとどまる。
 そこへ美鈴が、見えない足場を蹴って踏み込む。
 その間、白黒の魔女は、ここにはいない魔法使いの攻撃を高速回避しながらも、新たな動きに入っていた。
「引きこもってないで、出て来いよ……」
 箒の上から紅魔館を見据える、少女の眼前に、何かが浮かんでいる。
 小さな火炉、であった。魔力の炎が、紅魔館に向かってチロチロと舌のように現れている。
「誰だか知らないが、お前みたいな魔法使いがいるなんて面白過ぎるだろ! 出て来ないなら、こっちから行くぜ!」
 その小さな炎が、爆炎に変わった。
 霧の湖全体が、明るく禍々しく照らされた。
 巨大な、爆炎の閃光。
 それが濃霧を穿ち、紅魔館に突き刺さっていた。


「ひいいいい! ぱ、ぱ、ぱぱぱぱぱパチュリー様ぁあああああ」
 悪魔族の少女である。
 戦闘に関しては、妖精に毛が生えた程度の弾幕しか撃つ事が出来ない。だが雑用係としては有能なので、使っている。
 その少女が腰を抜かし、悲鳴を上げている。
「ととと扉が、図書室の入り口があああ!」
「見ればわかるわ。落ち着きなさい、小悪魔」
 パチュリー・ノーレッジは声をかけた。
 まさしく見ればわかる、見たものを受け入れるしかない。そんな光景である。
 大量の瓦礫が、図書館の入り口を塞いでいた。
 扉は押し破られ、瓦礫の一部が流入し、床にぶちまけられている。
 紅魔館に、大穴が穿たれていた。
 この大図書館は、紅魔館の地下に広がっている。
 地上から、この地下図書館の入り口へと向かって、紅魔館の敷地が大きく掘削されたのだ。霧の湖の方向から。
 通路は、恐らく階段もろとも、完全に崩落している。
 小悪魔が、泣き声を発した。
「出られなくなっちゃいましたぁ」
「空間転移で出るしかないわね。まったく、面倒な事」
 言いつつ、パチュリーは図書館内を見回した。
「瓦礫の撤去は、まあ美鈴に任せるとして……」
 崩落しているのは、どうやら入り口だけだ。無数に立ち並ぶ書架や本棚は、無事である。ここから見る限りでは、だが。
 命ずる前に、小悪魔が動いた。
「わっ私、ちょっと見回ってきます」
「お願いね」
 小悪魔の背中をちらりと見送リながらパチュリーは、ここからは見えない霧の湖の方へ、意識と魔力を集中させていった。
「外の世界では、爆撃にも耐え抜いた紅魔館に……これほどの大穴を空けるなんて、ね」
 相手の魔法使いが何者であるのかは、わからない。
 わかる事は、1つ。
「押し付けがましいほどの、強大な魔力……」
 その何者かの明るい笑顔が、見えたような気がした。押し付けがましいほど、明るい笑顔が。
「……気に入らないわね。私はこの紅魔館で、学究と探求に専念出来る独りの時間を、静寂の時間を、ようやく手に入れたと言うのに」
 紅魔館の主は、ある程度の忠誠と引き換えに、その時間をくれた。
 だから自分は紅魔館の主のために、ある程度の事はしなければならない。
「押し付けがましい敵を、退ける……その程度の事は、ね」


 5色の光が、湖面を、湖畔を、美しく禍々しく照らし出した。
 空中に出現した、5冊の魔法書。それらが、光弾の嵐を吐き出している。
 5色の弾幕が渦巻き荒れ狂う光景の中、懸命に回避の飛翔を繰り返しながら、博麗霊夢は叫んだ。
「ちょっと魔理沙、あんた相手を怒らせちゃっただけじゃないの!?」
 そんな言葉を、しかし霧雨魔理沙は聞いていない。
「見ろよ霊夢……この、弾幕……こんな綺麗な弾幕を出せる魔法使いが、あの紅魔館ってとこには居るんだぜ……」
 超高速で箒を駆り、5色の弾幕を回避し続けながら、魔理沙は呟いている。
「お前、どれだけ魔法が好きなんだよ……一体どれだけのもの犠牲にして、魔法に打ち込んでるんだよ……」
 紅魔館の奥深くで5色の弾幕を操る何者かに、魔理沙は語りかけていた。
「なあ出て来いよ。私、お前に会ってみたいんだぜ……」
「お前の相棒は」
 刃のような貫手を霊夢に向かって繰り出しながら、紅美鈴が言う。
「なかなか……いい感じに、ぶっ壊れているじゃないか」
「魔法が絡むと、ね……」
 霊夢は会話に応じた。
 間断なく襲い来る貫手を、拳を、お祓い棒でことごとく防ぎ受け流しながら。
「普段はね、私なんかよりずっと理性的な奴なのよ。ぶち切れて暴れそうな私を、止めてくれるのが魔理沙の役目でね」
「ああ、お前の方が危ない奴なんだな博麗の巫女。わかるよ」
 むっちりと暴力的な太股が、緑の衣服の裾を割って跳ね上がる様を、霊夢は辛うじて視界の端に捉えた。
 美鈴の蹴りが、下から上へと一閃していた。
 後方へ飛んで、霊夢はかわした。やはり白兵戦では手強い相手だ。間合いを開く必要がある。
 蹴り終えた足で、しかし美鈴は即座に踏み込んで来た。空中の、目に見えぬ足場を蹴り付けてだ。
 開いた間合いが、一瞬で詰められた。
 それと同時に美鈴の身体が、豊かな胸を横殴りに揺らして翻る。凹凸のくっきりとしたボディランが、竜巻きの如く捻転する。
「接近戦で、ここまで私とやり合える人間……お前が2人目だよ。普段から、血を吐くような修行をしているのかいっ」
「するわけないでしょ、そんな面倒な事!」
 立て続けに襲い来る回し蹴りを、逃げるように回避しながら霊夢は叫ぶ。
 美鈴が、ニヤリと笑う。
「……だろうな。お前が修行や努力なんて、してるわけないと思ったよ」
 石飛礫を思わせる拳が、風を切って霊夢を襲う。
「その強さは天性のもの、それが実戦で磨き上げられてゆく……実戦だけで際限なく強くなる。生まれついての喧嘩屋だな、お前は」
「そんな、私の力もね」
 霊夢は、呪符を掲げた。そこに美鈴の拳が激突する。
「あんたたち妖怪が暴れてくれないと……何の役にも、立たないのよね」
 爆発が起こり、美鈴が吹っ飛んで行く。
 そちらへ、霊夢は左手を向けた。
 浮揚する2つの陰陽玉が、美鈴に向かって光弾を速射する……寸前で、霊夢は異変を感じた。
 異変、としか言いようのない感覚だった。何が起こったのかは、わからない。
 ともかく。周囲に、無数のナイフが浮かんでいた。切っ先は全て、霊夢の方を向いている。
 何が起こったのか、などと考える暇もなく霊夢は、お祓い棒を振るった。
 2つの陰陽玉が、超高速で旋回した。霊夢を取り巻き、防護する形にだ。
 無数のナイフが全方向から霊夢に降り注ぎ、だがことごとく陰陽玉に弾かれて散る。
「気力で……と言うより霊力かしらね。時間停止を、自力で解除するとは」
 声をかけられた。
 霊夢よりも、いくつか年上と思われる娘が、いつの間にかそこにいた。空中に、佇んでいる。
「博麗の巫女、やはり油断のならない相手。お嬢様に近付けるわけには、いかないわね」
 ナイフが1本、空中に浮かんだまま停止している。ナイフの時間が止まっている、と霊夢は感じた。
 その小さな刃の上に、軽やかに爪先を乗せて、彼女は立っている。
 瀟洒に編み上げられた銀色の髪、冷酷そのものの美貌。すらりと優美な長身を飾る、青系統のメイド服。
 睨み、観察しながら、霊夢は言った。
「あんたが、あの紅魔館ってとこのお嬢様……じゃあ、なさそうね。ただのメイド、見るからに下っ端の使用人って感じ」
「いかにも使用人、やる事が多いのよ。お掃除、お料理、繕い物に書類仕事、物資の調達、その他諸々」
 紅魔館の使用人、であるらしい娘の両手に、何本ものナイフが現れていた。
「その他諸々の中にはね、貴女を切り刻む事も含まれているのよ博麗の巫女。ここで魚の餌になりなさい」
「ちょっと、待って下さいよ咲夜さん」
 湖面に激突し、水飛沫を飛ばして起き上がり、波紋を広げて立ちながら、美鈴が言った。
「博麗の巫女の、肉とはらわたは私がもらうんです。魚の餌にされちゃ困りますよ」
「そう、じゃ美鈴の餌になりなさい」
 ナイフの雨が、霊夢を襲った。
 無数の刃が、またしても、いつの間にか、霊夢を取り囲んでいる。
「くっ……!」
 お祓い棒を振るい、陰陽玉を旋回させて、霊夢はそれらを弾き返した。
「ふうん……やっぱり、ね」
 咲夜と呼ばれたメイドが、懐中時計を片手に、霊夢を観察している。
「貴女には……とどめを刺す寸前のところで、どうしても時間停止を解除されてしまう。護りの霊力が、常に働いているようね。それも半ば無意識に。本当に厄介な事」
「気をつけて下さい、咲夜さん」
 美鈴が言った。
「そいつ、修行も鍛錬も怠けてますけど場数だけは踏んでます。修羅場をくぐってます。ピンチになると、身を守るための力が色々と勝手に発動するくらいに!」
「わかるわ。天性のものを持っているわね、博麗の巫女」
「博麗霊夢。一応、名乗っておくわ。あそこで飛び回ってる白黒が、霧雨魔理沙」
 五色の弾幕を、縦横無尽に回避し続ける魔理沙に、霊夢はちらりと視線を投げた。
「……そっちの構成も教えてくれない? 紅魔館は、あんたたち以外にあと何匹、妖怪を飼ってるのか」
「十六夜咲夜。教えられるのは、私の名前くらいね」
 名乗りと共に、その十六夜咲夜が跳躍した。
「ちなみに私は妖怪ではないわ。人間よ」
「ふん。博麗神社ではね、時間を止められるような奴を人間としては扱いません」
 言いつつ霊夢は、とっさに身を反らせた。
 斬撃の閃光が、冷たい風と共に眼前を通過する。咲夜のナイフ。たおやかな手先に保持されたまま、一閃していた。
 たおやかな手先が、しかし凄まじい力を秘めているのを、霊夢は今の風から感じ取った。かわし損ねたら、頸動脈だけでは済まない。首を刎ねられる。
 霊夢の周囲の空中には、いつの間にか無数のナイフがばら撒かれて時間を止められ、咲夜の足場を成している。
 ナイフに着地し、ナイフを蹴り付けて跳躍し、咲夜は縦横無尽に斬りかかって来る。
 霊夢は小刻みに身を揺らし、吹き荒れる斬撃の風をかわし続けた。
 ぞっとするほどの冷たさが、全身あちこちをかすめて走る。咲夜の、囁きと共にだ。
「博麗霊夢……私たちと一緒に、紅魔館の眷属になりなさい。お嬢様に忠誠を誓うのよ」
「博麗の巫女が、妖怪の味方なんて出来るわけないでしょ!」
 言葉と共に、霊夢は攻撃を念じた。左右の陰陽玉が高速旋回し、横殴りに咲夜を直撃する。
 直撃を受けた咲夜の身体が、砕け散った。いや、それは一瞬前の咲夜だった。
 現在の咲夜は、霊夢といくらか距離を隔てて、ナイフに着地している。
「博麗の巫女は、人間の味方……というわけ?」
 冷たい口調、冷たい笑み。
 その笑顔だけで、この十六夜咲夜という娘が、人間という生き物に対していかなる感情を持っているのかがわかる。霊夢は、そう思う。
「あんたたち紅魔館って連中は、あれね。外の世界の人間どもに失望なり絶望なりさせられて、幻想郷に流れ込んで来た口ね。特に十六夜咲夜、あんたはそうね」
「……私たち紅魔館を敵に回してまで、守る価値があると思うの? 人間どもに」
「価値があるから守ってる、わけじゃないのよね。人間なんてもの」
 霊夢は言った。
「ねえ新参者。この幻想郷で一番、大事にしなきゃいけないものは何だかわかる?」
「平和なら、お嬢様が守って下さるわ。だから」
「バランスよ」
 咲夜の言葉を、霊夢は断ち切った。
「とにかく人間って、あんたたち妖怪どもと比べてもう嫌んなるほど弱いのよね。博麗の巫女が味方してあげるくらいで、ちょうど釣り合いが取れるわけ」
「パワーバランスの一角を自任している、と……ふっ、ふふふふふ」
 咲夜の冷たい美貌が、嘲笑の形に歪んだ。
「弱小勢力の均衡など意味がなくなる……紅魔館が、一方的に! 幻想郷を統治するのだから!」
 霊夢の周囲に、何人もの十六夜咲夜が出現した。1秒前の咲夜、0.7秒前の咲夜、0.5秒前の咲夜、0.2秒前の咲夜、0.08秒前の咲夜。
 その全員が、一斉にナイフを投擲した。
 全方向から降り注ぐ刃の雨を、霊夢は旋回する2つの陰陽玉で、右手のお祓い棒で、ことごとく打ち払い火花を散らせた。
 そうしながら、左手で呪符を投射する。
 一直線に飛翔した呪符が、現在の十六夜咲夜を直撃していた。
 爆発が起こり、微量の鮮血を散らせながら昨夜が吹っ飛んで行く。
「くっ……ま、まさか一瞬で……現在の私の位置を、見抜くなんて……」
「とどめよ、夢想封……」
 夢想封印の狙いを定めながら、今度は霊夢の方が吹っ飛んでいた。
 紅美鈴の飛び蹴りが、横合いから激突して来たのだ。強靭な美脚が槍のように伸び、霊夢の細い脇腹にめり込んでいた。
「アレをね、咲夜さんに喰らわせようなんて……許せるわけ、ないだろう?」
 空中に血飛沫を吐き散らし墜落して行く霊夢を見下ろしながら、美鈴は両腕で咲夜を抱き支えている。
「ぐぅッ……こ、こいつら……っ!」
 どうにか高度を保ち、空中で踏みとどまりながら、霊夢は口元の血を袖で拭った。
 美鈴と咲夜が、抱き合って上空に佇み、見下ろしてくる。
「助かったわ、美鈴……御褒美にね、あの博麗の巫女を切り刻んであげる。貴女に食べさせてあげるから、あーんしなさいね」
「そ、それ最高です咲夜さん……想像しただけで、鼻血出ます」
「うふふふ、もういいから放しなさい。息を荒げてないで」
「ああん抱っこ、咲夜さんをお姫様抱っこ! 私、紅魔館に勤めてて良かったああぁ」
 騒ぐ美鈴の頭に、咲夜は無造作にナイフを突き刺した。

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