【完結】契約書は婚姻届

霧内杳

第16話 新婚旅行へGO!1

朋香はフランスからドイツに向かうICEに乗っていた。

去り際、尚恭が尚一郎に、必ずカーテの元を訪れるように厳命したのもある。

尚一郎は渋っていたがつい先日、カーテから招待状が届き、休みを取って訪れることになった。

「お仕事、本当によかったんですか?」

座る場所はシートの上ではなく尚一郎の膝の上。
車両貸し切りで本当によかったと思う。

「大丈夫だよ。
朋香が一緒なら、急ぐ必要はないからね」

ちゅっ、と朋香に口付けを落とし、尚一郎は楽しそうにふふっと笑った。

このままずっとフランスで暮らしちゃおうか、そう冗談めかして言われたのはほんの二、三日前のことだ。

明夫や洋太に気軽に会えなくなるのは淋しいが、達之助の手の届きにくいフランスで暮らせば、尚一郎は楽になるのではないか。

頷く朋香に尚一郎は嬉しそうに笑っていたがどこか淋しそうで、ずきずきと胸が痛んだものだ。

「それに、新婚旅行もまだだっただろう?
たまには旅行したってかまわないだろ」

ちゅっ、と再び唇が重なり、甘えるように抱きつく。

達之助からの新たな命令で、フランス滞在は延びていた。
忙しいはずなのにカーテの元を訪れるついでにと、三泊四日のドイツ旅行を計画してくれたのは尚一郎だ。

しかし、大丈夫と言いながらも先ほどから、視線は手にしたタブレットに向いている。

自分のために無理をしている尚一郎に申し訳なく、嬉しくもあった。



駅を出るとカーテが待っていた。

「尚一郎!
久しぶりね」

「元気そうでなによりです、母さん」

尚一郎にぎゅーっと抱きついてきたカーテは、同じ金髪に碧い目をしている。

「朋香、紹介するね。
僕の母親のカーテ。
カーテ・ハインツ。
母さん、僕の妻の朋香です」

「はじめまして、朋香です」

「ハジメマシテ、トモカ。
コンニチハ」

ぎゅーっと抱きしめられて戸惑う朋香に、カーテが眉を寄せて不安そうになった。

「尚一郎、私の日本語、おかしい?」

「違いますよ。
日本ではこういう挨拶はしないから、驚いてるだけです」

「はい、ちょっと驚いただけです。
日本語、お上手ですね」

慌てて説明したら、ぱーっとカーテの顔が輝いた。
それはまるで、尚一郎が見えない尻尾を振ってるときと同じ顔で、やっぱり親子なんだなーと変に感心してしまう。

「ニホンゴ、スコシネ。
朋香もドイツ語、お上手ね」

「ありがとうございます。
私もドイツ語、少しです」

会うまでは緊張していたがあっという間に打ち解け、なんだかおかしくなってきて、カーテとふたりでくすくすと笑ってしまった。


食事に行くからと待っていた車に案内されたが、メルセデスのリムジンでくらくらした。

「……尚一郎さん。
お義母さんってなにされてる人なんですか?」

「ん?
ホテルの経営だけど。
いま僕たちが滞在してるホテルもだし、世界各地にいろいろと。
最近は古城ビジネスにも手を出してるみたいだけど」

そっと袖を引いて朋香が聞いてきて、尚一郎が苦笑いを浮かべる。

「……そうなんですね」

女性でもバリバリ働いているカーテが眩しく思えた。

そういえば侑岐だって、自分の会社を経営している。

なにもせずにただ、尚一郎に養われているだけの自分に朋香は劣等感を抱いていた。

「朋香?」

「なんでもないです」

心配そうに尚一郎が顔をのぞき込むので、精一杯笑顔を作って俯きかけた顔を上げる。

日本に帰ったら自分にできることをなにか探そう。
侑岐に相談してみてもいい。

そんなことを考えて、少し楽しみになってきた。


車は気が付けば、郊外を走っていた。
どんどん家がまばらになっていく。

「母さん?
どこまで行く気ですか」

「着くまで秘密よ」

向かい合って座るカーテがぱちんとウィンクし、尚一郎の口から大きなため息が落ちた。

「僕たちにも予定があるんですよ」

「いいじゃない、二十年ぶりくらいの再会なんだから。
少しくらい付き合いなさいよ。
……朋香、飲み物はいかが?」

「いただきます」

備え付けの冷蔵庫からスパークリングワインを出し、カーテはグラスに注いで渡してくれた。
受け取りながらさっき、カーテの言葉が引っかかっていた。
聞き間違いでなければ、二十年ぶりと言っていたような。

「尚一郎さん、いま……」

「……僕はね、十五のときに日本に渡ってから、一度もドイツに帰ってないんだよ」

困ったように尚一郎が笑い、先ほどからの違和感の正体がわかった気がする。

久しぶりの親子の対面とはいえ、酷くぎこちないように思えていた。

二十年も会っていなければ、それはそうだろう。

「尚恭はヨーロッパ出張の度に寄ってくれるのに、尚一郎は一度も寄ってくれないのよ。
こんな薄情な息子に育てた覚えはないんだけど」

「……母さん」

決まり悪そうに笑う尚一郎はどうも、カーテには勝てないらしい。


その後もカーテは幼い頃の尚一郎の話など語り続けた。

朋香の目から見て完璧で怖いものなどないような尚一郎だが、小さい頃はお化けが怖く、夜のトイレは必ず付いてきてもらっていたなど、新鮮で仕方ない。

いつのまにか車は、田舎町に入っていた。

「……ライン川下りでもしようっていうんですか」

尚一郎の視線が冷たい。
そういえばずいぶん長いこと、車に乗っていたようだ。

「それもいいけど、今日はいいわ。
それよりおなかぺこぺこ!
お昼にしましょう」

「……はぁーっ」

にっこりとカーテが笑い、尚一郎の口から大きなため息が落ちた。


ホテルに着くと支配人に出迎えられた。
どうも、カーテが経営するホテルらしい。

食事はドイツ料理だったが、家でも時々出ていただけにかえって懐かしい感じがした。

「今日はここに泊まってちょうだい。
明日の予定はちゃんと立ててあるから」

ナプキンで口元を拭い、さもそれが当然とでもいうように笑うカーテを、じろりと尚一郎が睨む。

「用がすんだのならおいとましますよ。
僕たちはホテルを取ってありますので」

「心配しなくていいわ。
尚恭に頼んで全部、キャンセルしてもらったから」

「Was!?(なんだって!?)」

わずかに腰を浮かせた尚一郎だったが、あたまを抱えて座り直した。

「……だから母さんに関わるのは嫌なんだ」

……尚一郎が二十年、カーテに会わなかった理由が見えた気がした。

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