【完結】契約書は婚姻届

霧内杳

第14話 お姉ちゃん?2

食後はふたりきりで話がしたいという侑岐の希望で、与えられている客間に移動する。

「昨日の話は尚恭おじさまから全部聞いたわ。
……つらかったわね、朋香」

「侑岐さん……」

ぎゅっと侑岐に抱きしめられ、ぽろりと涙が落ちる。
尚一郎との電話で、もう気持ちはすっかり落ち着いたと思っていた。
けれど、改めて侑岐に抱きしめられて、かたかたと細かく手が震えていた。

「我慢しなくていいわ。
思いっきり泣いちゃいなさい」

「……はい」

泣きじゃくる朋香を、侑岐はなにも言わずにぎゅっと抱きしめていてくれた。
それだけで少し、気持ちが楽になった気がする。

「ありがとうございます、侑岐さん」

涙が落ち着いて離れると、そっと侑岐に目尻を拭われてくすぐったい。

「それもこれも、尚一郎の甲斐性なしがいけないのよ。
ねえ朋香。
本気で尚一郎と別れて、私のところのこない?」

心配そうに侑岐の眉根が寄り、両手をぎゅっと握られた。
そんな侑岐の気持ちは嬉しかったが。

「ありがとうございます。
でも、その、私は……尚一郎さんを愛しているので」

口に出したとたん、頬に熱が上がっていく。
俯いてしまった朋香に、はぁっと侑岐が呆れたようにため息を落とした。

「相変わらずラブラブなのね。
ほんとに妬けちゃうわ」

「え、えーっと……」

侑岐にぷにぷにと頬をつつかれ、ただ苦笑いしかできなかった。


鏡台の前に座り、泣いてすっかり崩れてしまった化粧を侑岐に直してもらう。

「肌、がさがさ。
髪もぱさぱさ。
顔色だってよくないし。
ちゃんとお肌の手入れ、してたの?
食事は?
睡眠だって」

確かに、鏡の中の自分は酷い顔をしていると思う。
こんな顔を見せたら、尚一郎など卒倒して医者を呼びそうだ。

「荷物、化粧品も全部、没収されちゃったので。
いつも洗いっぱなしにしてました。
石鹸も洗顔用とかないから、身体と一緒に……」

「朋香!
ほんとに酷い扱いを受けてたのね……。
そうだ、明日は一緒に、エステに行きましょう?
思いっきりリラックスして、夜はがっつり肉を食べるの!
栄養つけなきゃ」

侑岐にいい子いい子とあたまを撫でられるのは、なんだか嬉しい。

まるで……。

「お姉ちゃんができたみたい」

「へ?」

間抜けな顔の侑岐が、鏡の中からこちらを見ている。

「あ、えっと。
……すみません。
でも、なんだかそんな気がしたから」

「朋香のお姉ちゃんかー。
恋愛関係はいつか終わりが来るけど、それならずーっと付き合いは続くからいいかも」

……恋愛関係はいつか終わりがくる。

侑岐の言葉がなぜか、胸に刺さった。
尚一郎との関係も、いつか終わりが来るのだろうか。

「朋香?」

心配そうに侑岐に顔をのぞき込まれ、慌てて浮かんだ考えを打ち消す。

「なんでもないです。
私、弟しかいないから、お姉ちゃんができたとか嬉しいです」

「いいわね、弟。
私も弟でもいれば、こんな苦労はなかったのに」

笑って侑岐の愚痴を聞きながら、どうしてか心の中はもやもやしていた。

けれど、自分は尚一郎とずっと一緒にいると誓ったのだ。

そんなことはないはずだと、必死で否定した。


「そういえば侑岐さん、こっちの野々村さんって……」

途中、野々村がティーセットをワゴンで運んできてくれた。
ケーキスタンドの上の、色とりどりのプチケーキについ、顔がゆるんでしまう。

「やっぱりその話は気になるわよね……」

紅茶を一口飲んだ侑岐が、困ったように笑った。
野々村は結局、あとはやるからと侑岐に追い出されている。

「その、野々村さんにお子さんがいるんだったら、跡取りを尚一郎さんにって、こだわらなくていいんじゃないかって思うんですけど」

「いたわ、子供。
……一日だけ、だけど」

「え?」

ソーサーにカップを戻した侑岐は、物憂げにため息をついた。

「難産でね。
奥さんは子供の命と引き換えに亡くなった。
でもその子供も……」

「……」

尚恭といい、こちらの野々村といい、押部家のものはつらいかを背負う業でもあるのだろうか。
つい、そんなことを考えてしまう。
尚一郎だって、すでに。

「それだけでもつらいのに、達之助おじいさまが」

「……なにか、言ったんですが」

あの達之助のことだ、容易に想像がつく。

「満足に子供も産めずに死ぬとは何事だ、そのためだけの存在なのに、……って」

「……酷い」

きっと達之助にとって、子供は子孫を産むための道具でしかないのだろう。
だからそんな、酷いことが簡単に言える。

「ほんと、酷いわよ。
無事に生まれていたところで、野々村から引き離して自分の養子にするつもりだったんだから」

「そんな……」

達之助にしてみれば女だけじゃなく、子も孫も自分の道具なのかもしれない。
そんなふうに考えられる人間は――怖い。

「これが、尚一郎が引き取られる直前にあったこと。
貴様の妻が子供さえ残しさえすれば、あんな蛮族の血の混ざった子供など必要ないのに、って子供が亡くなった直後に呼び出し、野々村を殴打したって聞いてる」

「人間じゃ、ない……」

「そうね、達之助おじいさまは鬼か悪魔かもしれない」

すっかり冷えたカップの中身を、侑岐は一気に飲み干した。

「野々村は達之助おじいさまに認知されてないの。
無理矢理野々村――の、母親の方ね、を手籠めにして、産ませたくせに。
しかも尚恭おじさまが本宅に移り住んで野々村たちを引き取るまで、虐待してたって話だし」

「でも、だったら野々村さんはお祖父さんを恨んでるんじゃ。
そもそも、野々村さん……えっと、うちの野々村さんだって、お祖父さんを恨んでるんじゃ」

「両方野々村じゃ、ややこしいわよねー。
本邸では野々村親、野々村子って呼び分けてるらしいけど、あんまりよね。
名前で呼べばいいんじゃない?
昌子と優希」

本邸の呼び方はさすがに酷いと思う。
いや、あの達之助の支配下にあるのだから当たり前といえば当たり前かもしれないが。

「じゃあ。
だいたい、お祖父さんにそんなことされて、どうして昌子さんも優希さんもまだ、押部家に仕えているんですか?」

そもそもそこから謎なのだ。
達之助に暴行されてなお、押部家に仕え続けるなどと。
優希を押部家当主にするなどと、野心でもあるのだろうか。
日頃の昌子を見ていると、全くそんなことは想像できないが。

「そこはよくわかんないのよねー。
ただいえるのは、野々村の家はそれこそ、押部が公家だった頃から仕えてきたってこと。
そういう因習とかしがらみとか?
そんなのに囚われてるのかも」

「……複雑なんですね」

祖先がそうだった、ってだけで恨みがある家に仕え続けるなんて理解できない。
それともなにか、自分には理解できないよっぽどの事情があるのだろうか。

「でも、尚恭おじさまは優希を、実の弟として可愛がっているわ。
そこだけは救いかも」

「そうですね」

笑う侑岐に笑って答える。

押部家の複雑怪奇な人間関係は、朋香には理解できない。

セレブがそうなのか、押部家が特殊なのか。

とにかく、そんな中で生きていくには、尚一郎に守れるだけではダメだと思う。

自分ももっと、強くならなければ。

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