【完結】契約書は婚姻届

霧内杳

第14話 お姉ちゃん?1

――チロリロリン。

携帯の、通知音で目が覚めた。

「ん……」

画面を確認すると、尚一郎から。
急いで起きてタップする。

〝Guten Morgen(おはよう)、朋香。
もしかしてまだ寝てるのかい?
僕はいま起きたところ。
じゃあ、またあとで〟

ほかにも、眠る前の挨拶やいくつかメッセージが入っていた。
何度か鳴ったはずの通知音に気付かないなんて、どれだけ眠りこけてたんだろう。
携帯の時刻はすでに昼を過ぎている。
慌てて起きて顔を洗い、部屋のドアを開けると執事の男が立っていた。

「お目覚めですか、朋香様」

「……おはようございます」

冷ややかな男の視線が、居心地が悪い。
人の家、しかも義父の家でぐーぐー昼過ぎまで寝ていたなどと。
顔から火が出そうなほど恥ずかしい朋香に、男が中に戻るように促すので、素直に従った。

すぐにドアがノックされ、衣装盆を捧げ持った朋香と同じ年くらいのメイドが入ってくる。

メイドに、半ば無理矢理、鏡の前に座らされた。
そのまま無言で髪にブラシを当てられる。

「旦那様はすでにお出かけになりました。
朋香様には本日、ゆっくりしていただくようにとのことです」

男が話しているあいだも、メイドは朋香の髪を整え、肌も化粧水や乳液をつけて整えていく。

「身支度がお済みになりましたら、食堂へ。
お食事の準備をしておきます」

「……はい」

男は眉一つ動かさないまま、部屋を出て行った。
男がいなくなり、化粧をすませたメイドが朋香の服を脱がせてくる。

「ひとりでできますので!」

「でも、これが私の仕事ですから」

勝手に服を脱がされて、瞬く間に準備してあった服に着替えさせられる。

クラシカルな、白襟が付いたスモーキーピンクのワンピース。

尚恭の趣味なのだろうか。

準備が終わり、メイドに伴われて部屋を出ようとしたら、ピコピコピコと携帯が鳴り出し、メイドの顔を窺ってしまう。

「どうぞ」

「ありがとう」

長く続く着信音が途切れないうちに、携帯を耳に当てる。

「おはようございます、尚一郎さん」

『Guten Morgen、Mein Schatz.
よく眠れたかい?』

「……はい」

くすり、小さな笑い声に顔が熱くなる。

メッセージが既読になったのは先ほどだろうから、誤魔化しようがない。

『それはよかった。
しばらく、のんびりしとくいいよ。
僕からCOOにお願いしとくから』

「でも……」

いいのだろうか。
達之助を怒らせて本邸を出てきてしまった。
いまさらながら、どんな制裁があるのか恐怖した。

『大丈夫だよ、朋香はなにも心配しなくて。
だいたいCOOが、朋香には指一本ふれさせないって言うから、本邸に行くことを許可したっていうのにあんな……。
あ、なんでもないよ』

「はあ」

慌てて誤魔化してこられても困る。
もしかして、尚一郎と尚恭はなにか、約束でもしたのだろうか。

『とにかく、二度とあんなことはないようにするから、安心していい』

「……はい」

『Meine susse susse 朋香(僕の可愛い可愛い朋香)。
Du fehist mir(君がいなくて淋しい).
Ich will dhich sehen und sofort umarmen(会いたい、今すぐ抱きしめたい) 』

「……はい」

向こうにいるからか、いつもよりドイツ語の多い尚一郎がなにを言っているのか半分もわからない。

それでも、淋しがっていることだけはわかった。

じわじわと浮いてくる涙を、慌てて拭う。

「早く帰ってきてくださいね、尚一郎さん。
待ってます」

『早く帰るよ、MeinSchatz。
……Ich liebe dich』

「私も尚一郎さんを……愛してます」

『うん、じゃあ、また』

「はい、また」

切りたくない、けれどいつまでも話しているわけにはいかない。
後ろ髪を引かれる思いで電話を切る。
また浮いてきた涙は拭って顔を上げた。



「朋香!」

フレンチトーストと添えられたたっぷりの生クリームにフルーツという、朝食というかもうすっかり昼食になってしまった食事をとっていると、慌ただしい足音とともにやってきた人に驚いた。

「侑岐さん!?」

「あーん、朋香、大変だったわねー」

「ぐふっ」

食べたものが逆流してきそうな勢いで抱きつかれ、思わず変な声が出る。

「苦労したんでしょうね、肌、荒れ放題じゃない」

「えっと……」

べたべたと顔をさわられ、苦笑いしかできない。

「ごめんなさい、まだ食事中だったわね。
野々村、私にもコーヒーちょうだい」

「かしこまりました」

一礼して執事の男が出て行った。
侑岐は隣の椅子に座り直し、皿の上のブルーベリーを摘んで朋香に差し出してくる。

「あーん」

「え、えっと……」

「ほら朋香、口開けて。
あーん」

困惑気味の朋香にかまうことなく、にっこりと笑って侑岐はブルーベリーを差し出してくる。
渋々口を開け朋香は、そのブルーベリーを口に入れてもらった。

「あのー、さっき、野々村って」

ただの同姓だといわれればそうかもしれないが、執事の男は年齢的にはちょうど、野々村の息子くらいだ。

「ああ、彼、尚一郎のところの、野々村の息子なのよ。
それで、尚恭おじさまの異母弟。
……あーん」

「あー……って!
はいっ!?」

「朋香ー、しっかり食べなきゃ。
前々からちょっと細いとは思ってたけど、ここしばらくでさらに細くなってるんだから。
ちゃんと食べないと抱き心地が悪いって、尚一郎に嫌われちゃうわよ?」

「は、はい……」

切ったフレンチトーストにたっぷりとクリームを乗せて差し出され、仕方なく口に入れる。

前からそんな気はしていたが、侑岐もやっぱり尚一郎と一緒で、溺愛体質なんだろうか。

いや、問題はそこではない。

執事の男が達之助と野々村とのあいだの子供だということだ。

「こっちの野々村さんにお子さんは……」

口にフォークを突っ込まれ、おとなしく口をもぐもぐと動かす。
野々村は侑岐にコーヒーを出してそのまま控えているので、つい声は抑えめになる。

「朋香。
この話はあとでしましょう?
じゃないと食事がまずくなるわ」

「……はい」

しゃべるなとでもいうのか、続けざまにフルーツとフレンチトーストを口に押し込まれ、食事が終わるまで結局、なにも尋ねることはできなかった。

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