【完結】契約書は婚姻届

霧内杳

第12話 尚一郎と元カノ1

車の中では終始無言だった。
気まずい、以前にいろいろなことを考えてしまう。

万理奈とはいったい誰なのか、尚一郎とはどういう関係なのか。

いままでのことを総合すると、昔、付き合っていた彼女だということはわかる。

けれど、万理奈の話を出すとき、皆、言うのだ。

「万理奈の件で懲りてないのか」

さらには、尚一郎のつらそうな顔。
ただの、元カノだとは思えない。


気がついたら、車はサービスエリアに入っていた。

今日は高橋の運転ではなく、尚一郎自身の運転。
一応、泊まりだけれど、朋香が帰りたいと思うのだったら泊まらないと出がけに言われた。

「少し早いけど、昼食をとろう。
もう少し、かかるから」

「……はい」

併設されているレストランに入り、昼食をとる。

朝食を食べたあと、ずっと車に乗っているだけだったからあまり腹は減ってなく、少し食べただけで箸を置いてしまう。
もっとも、朝食もほとんど喉を通らず、残してしまったのだったが。

「視線、気になるのかい?」

「いえ……」

気になる、といえば気になる。
車を降りたときから、いつものように注目されているから。
でも、今日はそれすらどうでもよかった。

「じゃあ、どうしたんだい?」

「あまりお腹、空いてないので」

心配そうな尚一郎に苦笑いで返す。

「じゃあ、もう出ようか」

箸を置いた尚一郎の皿の中身も、半分ほどしか減っていなかった。


車に戻ると再び沈黙が訪れる。
が、すぐに尚一郎が口を開いた。

「昔、僕は髪を黒く染めて、コンタクトで瞳の色も黒に近いものにしていたと言ったら、驚くかい?」

「え?」

「おかしいよね、そんなことをしたからといって、CEOが認めてくれるわけないのに」

くつくつとおかしそうに笑う尚一郎に悲しくなった。

なんとなく、事情はわかる。
毎回、達之助は尚一郎の髪の色がみっともない、などと責めていたから。

「……私は好きですよ、尚一郎さんの髪と瞳の色。
まるで、春の野原みたいで」

「Danke schoen(ありがとう)、朋香。
昔ね、朋香と同じことを言ってくれた人がいたんだ。
それが万理奈。
……崇之の妹」

ふっ、と淋しそうに笑った尚一郎が遠い目をした。
きっと、万理奈のことを思い出しているのだろう。

「僕が入学した高校はね。
同じようにどこそこの御曹司、お嬢様ばかりが通う学校だったんだ。
この世界は案外、狭いからね。
当然、僕の事情は知れ渡ってた」

「……はい」

「面倒に巻き込まれたくなくて距離をとるか、下心があって取り入ろうとする人間がほとんどだったよ」

「それは……。
つらい、ですね」

自分だったらきっと、すぐに嫌になって学校に行かなくなっていただろう。
けれどたぶん、尚一郎がそんなことをして待っているのは、達之助からの激しい叱責。

「まあ、CEOから呼び出される度に、詰られたりものを投げつけられたりするよりずっとましだったよ。
どんなに期待してもCOOは助けてくれなかったし。
期待はそのうち失望に変わってた」

知らない異国の地でそんな毎日を送っていて、つらくなかったはずがない。
いまはなんでもない顔で話している尚一郎だが、これまでいくつ、山を乗り越えてきたのだろう。

「二年のクラス替えで崇之とは一緒になったんだ。
最近、急成長してきた薬剤会社の息子が崇之だったんだ。
成り上がりって周りからは蔑まれてたけど、崇之自身、あまりそういうのを気に留めなかったからね。
僕と違った意味で浮いてたよ」

ふふふっ、とおかしそうに尚一郎が笑う。
もしかしたらその当時を思い出しているのかもしれない。

「グループとか作るとさ、必ず崇之が余るんだ。
みんな悪意を持ってやってるのに、崇之は全然、気にしてない。
それがおかしくてさ。
気付いたら話しかけるようになってた。
最初は邪険にされたけど、しつこく話しかけてたら仲良くしてくれるようになったよ」

「それは……。
犬飼さん、大変だったでしょうね」

たぶん、犬飼はわんこモード全開で迫ってくる尚一郎に、邪険にできなくなったんじゃないだろうか。
そんなことが容易に想像できた。

「どうなんだろうね。
でも、そのうち、家に遊びに行くくらいに仲良くなっていたよ。
それで、妹の万理奈とも知り合った。
万理奈にも崇之にも、好きでもないのに髪と瞳の色を変えるとか莫迦じゃないのかって呆れられたね。
それでなんか、無理して好かれようとしてる自分が急に莫迦莫迦しくなってやめたんだ」

くすくすと笑う尚一郎は、どこか淋しそうだった。

「……そうなんですね」

「うん。
日本に来て、そのままの僕がいいなんて褒めてくれたのは万理奈が初めてだった。
オシベの跡取り、じゃなくてただの尚一郎としてみてくれたのも。
すぐに万理奈を好きになったし、万理奈もOKくれた。
万理奈と崇之と、三人で過ごすのは、とても幸せだったよ」

車は高速を降りるてそのまま、山道へ入っていく。

「もう着くから。
朋香を万理奈に会わせるよ」

「……はい」

さっきまで楽しそうに昔話をしていた尚一郎の顔が、急に険しくなって不安になった。

着いたところは山の上の、一軒家だった。
玄関の前に立ち、尚一郎が目を閉じて一度、深呼吸をする。
目を開け、インターフォンを押す尚一郎の指は震えていた。

――ピンポーン。

呼び鈴の音が妙に大きく響く。
しばらく待ったが、それ以外の音はしなかった。

「お留守、なんじゃ……?」

朋香が尚一郎の顔を見上げた瞬間。

「……はい」

ガチャリとドアノブが開き、女性が出てきた。
けれど尚一郎の顔を見た途端、彼女の顔色がみるみる失われていく。

「……帰って」

「話を……」

「帰って!」

ヒステリックに叫んだ女性が閉めようとしたドアを、尚一郎が止める。

「話を聞いてほしいんだ!」

「帰って!
あなたから聞く話なんてない!
かえ……」

朋香の視線に気づき、女性は慌てて捲っていた袖を下ろした。

「あ、あの。
……すみません、つい」

いくらそれが目を引いたからといって、失礼だった悔やむ。
女性の腕はほとんどが、ケロイドで覆われていた。

「……帰って。
お願いだから……」

目を伏せた女性の声に涙が混ざっていく。

「また、来るよ……」

尚一郎が手を離した途端、ドアは拒絶するようにバタンと閉まった。

「ごめんね、朋香。
帰ろうか」

振り返った尚一郎の顔は、つらそうに歪んでいる。

「あの、いまの方って……」

万理奈さんですか? 朋香がそう問う前に、尚一郎は車に乗るように促した。

「うん、あとで話すよ」

「……はい」

朋香がシートベルトを締めたことを確認し、尚一郎は車を出した。
中腹まで降り、開けた場所で車が止まる。

「さっきのが朋香が会いたがっていた万理奈だよ」

予想は、当たった。
けれどどうしてそこまで、尚一郎を拒否していたのかわからない。

「少し、昔の話をしよう」

ハンドルにもたれて顔を伏せた尚一郎は、酷く憔悴していた。

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