【完結】契約書は婚姻届
第11話 Kaffee trinken3
車は竹林を抜けて、右に曲がった。
左に、本邸の御殿を見ながら進んでいく。
自分を呼び出しのは達之助ではなく尚恭のようで、少しだけ安心した。
前回と同じで正面玄関から入り、執事に案内されて通されたダイニングは花やろうそくが飾ってあり、見たことないようなお茶の準備がされていた。
「ようこそ、朋香さん」
にこやかに笑う尚恭に勧められて、斜め前の椅子に座る。
「あの。
今日はどのようなご用件で……?」
おそるおそる尋ねたものの、にっこりと笑った尚恭に黙ってしまう。
渋みを増した尚一郎にしか見えない尚恭は、無駄に朋香の胸をドキドキさせるからたちが悪い。
「とりあえず、お茶にしませんか?」
「……はい」
尚恭がケーキをサーブしてくれるのはいいが、普通のホールケーキより一回りも二回りも大きなケーキが三つ。
あれをふたりで全部……とかないと思いたい。
ドイツのケーキが日本のケーキよりかなり大きいことは日頃のお茶で理解しているが、さすがにたじろいだ。
「ああ。
好みを聞かず、一番お勧めのものにしてしまいましたが、よろしかったですか」
上目で窺うわんこのような表情に、朋香の胸がきゅんと音を立てた。
日頃の尚一郎と同じ顔、しかも年を重ねるとこうなるのだと想像するとたまらない。
結局、なにも言えなくなって無言で頷いた。
「よかった」
ぱーっと顔を輝かせて笑う尚恭に、……眩しすぎます! 死ねるからやめてください!
などと真剣に思った朋香だった。
「先日は朋香さんとゆっくりお話をしてみたかったのに、尚一郎にすげなく断られてしまって。
仕方ないので本日Kaffee trinkenにお誘いしたんですよ」
「あのー、カフェトリンケン、って?」
「ドイツのお茶会です」
整えられたテーブル、ピカピカのシルバー。
コーヒーポットは台に置かれ、下から保温のためかろうそくで温められている。
きっと、本格的なお茶会なのだろう。
そういえば、尚恭は昔、留学中にドイツ人の尚一郎の母と知り合ったと聞いた。
その影響、なのだろうか。
お茶会ならば、なにか気の利いた話をするべきなのだろうが、なにを話していいのかわからない。
黙ってケーキを口に運ぶ。
尚恭お勧めのケーキは朋香の大好きなチェリーのケーキで、しかもいつも食べている大村の作ったのものと遜色がなくらいおいしく、つい、どうしてここにいるのかなど忘れてしまいそうだった。
「朋香さんは」
「はいっ!?」
突然、声をかけられて慌てて返事をしてしまう。
そんな朋香に尚恭がおかしそうにくすりと小さく笑って、顔が熱くなった。
「朋香さんは当主、……私の父をどう思いますか」
「えっと……」
答えはひとつしかないのだが、正直に口には出せない。
言い淀む朋香に、また尚恭がくすりと笑った。
「正直に話してくださって結構ですよ。
私は父とは違いますから」
言っていいんだろうか。
尚一郎の父親の目の前で、そのさらに父親の悪口を。
悩んだもののやはり聞かれた答えはそれしかないので、誤魔化さずに正直に口にした。
「性悪くそじじぃ……です」
「……くそじじぃ」
尚恭の呟きに、やはり怒られるんじゃないかと身構えたものの。
「性悪くそじじぃ!
こんなにはっきり言う人は初めてです!
あーもー、朋香さんは最高ですね!」
なぜだかおなかを押さえ、身体を折り曲げてすごい勢いで笑い出した尚恭に、……若干、引いた。
「そうなんですよ、あの人、性悪くそじじぃなんですよ」
レンズを人差し指で押し上げるように涙を拭いながら、自分で言った性悪くそじじぃでまた小さく尚恭は吹き出している。
「さっさと跡を私に譲ってくれればいいものを、いつまでも権力にしがみついて。
おかげでさっさと尚一郎に跡を譲って引退し、ドイツでカーテとのんびり過ごす計画を、いつまでたっても実行できない」
「はあ。
……あの、カーテさんって」
「尚一郎はそんなことも話してないんですか?
カーテ、カタリーナは尚一郎の母親で、私が世界一、愛している女性です。
ちなみに亡くなった妻は二番目ですが、三番目はないです」
自慢げに宣言されても困る。
「こほん。
それで」
つい熱くなっていたことに気付いたのか、照れたように小さく咳払いをして、尚恭が話を変えてきた。
「当主は朋香さんの言う通り、性悪くそじじぃ……ぷっ」
小さく吹き出すとまた尚恭は笑っている。
よっぽど気に入ったらしい。
「失礼。
あの通りの性格ですので、尚一郎を嫌悪していることは理解していますよね」
「……はい」
嫌でも理解するしかない。
呼び出しては毎回、非のない尚一郎を糾弾する達之助を見ていれば。
「あの人は未だに、私に後妻を娶れと言うのです。
その方に子供を産ませれば、尚一郎などに跡を継がせなくてすむ、と。
さらには麻祐子を悪し様に言う」
みしり、尚恭の握るフォークが微かに音を立て、びくっと身が竦む。
すぐになんでもないかのように尚恭が笑った。
「ケーキ、いかがですか?
レモンのケーキもおいしいんですよ」
「……いただきます」
新しいケーキがサーブされ、コーヒーが継ぎ足された。
なんとなく気まずいまま、もそもそとケーキを口に運ぶ。
「……麻祐子は父に殺されました」
重い、尚恭の言葉に、どういう意味なのか判断しかねた。
確かに、あの達之助の性格ならあり得ないこともないとは思うが。
「子宮癌でした。
早期に発見できて、そのときに治療していればなにも問題なかったんです。
けれどなかなかできない子供に、ノイローゼになるほど父に責められていた麻祐子は言い出せなかった。
気付いたときには手遅れでした」
かちゃり、尚恭がカップをソーサに戻す音だけが大きく響く。
尚恭の語る麻祐子の話は未来の自分な気がして、朋香は背中が寒くなる思いがした。
「子供などいなくていい、君が笑って元気でいてくれればそれでいいんだ。
何度言い聞かせても、父の酷い仕打ちに精神を蝕まれた麻祐子には届きませんでした。
父が麻祐子を殺したというのに、あの女が子供を産まなかったらこんな面倒なことに、などと……!」
――だん!
両の拳で叩かれたテーブルに、尚恭の気持ちを察した。
……二番目、だけど三番目はない。
その言葉の通り、麻祐子のことも深く愛していたのだろう。
「……失礼しました。
ところで、ケーキはいかがですか?
チョコレートのケーキもなかなか」
「……いただきます」
正直に言えば、おなかはかなり満たされていた。
が、断れそうにない雰囲気に、新しいケーキをサーブしてもらう。
空になっていたカップにも、新しいコーヒーが注がれた。
左に、本邸の御殿を見ながら進んでいく。
自分を呼び出しのは達之助ではなく尚恭のようで、少しだけ安心した。
前回と同じで正面玄関から入り、執事に案内されて通されたダイニングは花やろうそくが飾ってあり、見たことないようなお茶の準備がされていた。
「ようこそ、朋香さん」
にこやかに笑う尚恭に勧められて、斜め前の椅子に座る。
「あの。
今日はどのようなご用件で……?」
おそるおそる尋ねたものの、にっこりと笑った尚恭に黙ってしまう。
渋みを増した尚一郎にしか見えない尚恭は、無駄に朋香の胸をドキドキさせるからたちが悪い。
「とりあえず、お茶にしませんか?」
「……はい」
尚恭がケーキをサーブしてくれるのはいいが、普通のホールケーキより一回りも二回りも大きなケーキが三つ。
あれをふたりで全部……とかないと思いたい。
ドイツのケーキが日本のケーキよりかなり大きいことは日頃のお茶で理解しているが、さすがにたじろいだ。
「ああ。
好みを聞かず、一番お勧めのものにしてしまいましたが、よろしかったですか」
上目で窺うわんこのような表情に、朋香の胸がきゅんと音を立てた。
日頃の尚一郎と同じ顔、しかも年を重ねるとこうなるのだと想像するとたまらない。
結局、なにも言えなくなって無言で頷いた。
「よかった」
ぱーっと顔を輝かせて笑う尚恭に、……眩しすぎます! 死ねるからやめてください!
などと真剣に思った朋香だった。
「先日は朋香さんとゆっくりお話をしてみたかったのに、尚一郎にすげなく断られてしまって。
仕方ないので本日Kaffee trinkenにお誘いしたんですよ」
「あのー、カフェトリンケン、って?」
「ドイツのお茶会です」
整えられたテーブル、ピカピカのシルバー。
コーヒーポットは台に置かれ、下から保温のためかろうそくで温められている。
きっと、本格的なお茶会なのだろう。
そういえば、尚恭は昔、留学中にドイツ人の尚一郎の母と知り合ったと聞いた。
その影響、なのだろうか。
お茶会ならば、なにか気の利いた話をするべきなのだろうが、なにを話していいのかわからない。
黙ってケーキを口に運ぶ。
尚恭お勧めのケーキは朋香の大好きなチェリーのケーキで、しかもいつも食べている大村の作ったのものと遜色がなくらいおいしく、つい、どうしてここにいるのかなど忘れてしまいそうだった。
「朋香さんは」
「はいっ!?」
突然、声をかけられて慌てて返事をしてしまう。
そんな朋香に尚恭がおかしそうにくすりと小さく笑って、顔が熱くなった。
「朋香さんは当主、……私の父をどう思いますか」
「えっと……」
答えはひとつしかないのだが、正直に口には出せない。
言い淀む朋香に、また尚恭がくすりと笑った。
「正直に話してくださって結構ですよ。
私は父とは違いますから」
言っていいんだろうか。
尚一郎の父親の目の前で、そのさらに父親の悪口を。
悩んだもののやはり聞かれた答えはそれしかないので、誤魔化さずに正直に口にした。
「性悪くそじじぃ……です」
「……くそじじぃ」
尚恭の呟きに、やはり怒られるんじゃないかと身構えたものの。
「性悪くそじじぃ!
こんなにはっきり言う人は初めてです!
あーもー、朋香さんは最高ですね!」
なぜだかおなかを押さえ、身体を折り曲げてすごい勢いで笑い出した尚恭に、……若干、引いた。
「そうなんですよ、あの人、性悪くそじじぃなんですよ」
レンズを人差し指で押し上げるように涙を拭いながら、自分で言った性悪くそじじぃでまた小さく尚恭は吹き出している。
「さっさと跡を私に譲ってくれればいいものを、いつまでも権力にしがみついて。
おかげでさっさと尚一郎に跡を譲って引退し、ドイツでカーテとのんびり過ごす計画を、いつまでたっても実行できない」
「はあ。
……あの、カーテさんって」
「尚一郎はそんなことも話してないんですか?
カーテ、カタリーナは尚一郎の母親で、私が世界一、愛している女性です。
ちなみに亡くなった妻は二番目ですが、三番目はないです」
自慢げに宣言されても困る。
「こほん。
それで」
つい熱くなっていたことに気付いたのか、照れたように小さく咳払いをして、尚恭が話を変えてきた。
「当主は朋香さんの言う通り、性悪くそじじぃ……ぷっ」
小さく吹き出すとまた尚恭は笑っている。
よっぽど気に入ったらしい。
「失礼。
あの通りの性格ですので、尚一郎を嫌悪していることは理解していますよね」
「……はい」
嫌でも理解するしかない。
呼び出しては毎回、非のない尚一郎を糾弾する達之助を見ていれば。
「あの人は未だに、私に後妻を娶れと言うのです。
その方に子供を産ませれば、尚一郎などに跡を継がせなくてすむ、と。
さらには麻祐子を悪し様に言う」
みしり、尚恭の握るフォークが微かに音を立て、びくっと身が竦む。
すぐになんでもないかのように尚恭が笑った。
「ケーキ、いかがですか?
レモンのケーキもおいしいんですよ」
「……いただきます」
新しいケーキがサーブされ、コーヒーが継ぎ足された。
なんとなく気まずいまま、もそもそとケーキを口に運ぶ。
「……麻祐子は父に殺されました」
重い、尚恭の言葉に、どういう意味なのか判断しかねた。
確かに、あの達之助の性格ならあり得ないこともないとは思うが。
「子宮癌でした。
早期に発見できて、そのときに治療していればなにも問題なかったんです。
けれどなかなかできない子供に、ノイローゼになるほど父に責められていた麻祐子は言い出せなかった。
気付いたときには手遅れでした」
かちゃり、尚恭がカップをソーサに戻す音だけが大きく響く。
尚恭の語る麻祐子の話は未来の自分な気がして、朋香は背中が寒くなる思いがした。
「子供などいなくていい、君が笑って元気でいてくれればそれでいいんだ。
何度言い聞かせても、父の酷い仕打ちに精神を蝕まれた麻祐子には届きませんでした。
父が麻祐子を殺したというのに、あの女が子供を産まなかったらこんな面倒なことに、などと……!」
――だん!
両の拳で叩かれたテーブルに、尚恭の気持ちを察した。
……二番目、だけど三番目はない。
その言葉の通り、麻祐子のことも深く愛していたのだろう。
「……失礼しました。
ところで、ケーキはいかがですか?
チョコレートのケーキもなかなか」
「……いただきます」
正直に言えば、おなかはかなり満たされていた。
が、断れそうにない雰囲気に、新しいケーキをサーブしてもらう。
空になっていたカップにも、新しいコーヒーが注がれた。
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