【完結】契約書は婚姻届
第4話 義実家って面倒臭い2
運転手の高橋の運転で屋敷を出る。
が、いつも尚一郎が仕事で使っている車ではなく、別の外車。
ガレージを覗いたことがないから何台あるのか知らないが、朋香は押部家の経済力に震えた。
街を抜けて車は竹林に入った。
車は暫く竹林を走ると……。
竹林をしばらく……。
竹林を……。
「あのー、尚一郎さん?」
「なに?
朋香」
いつもなら笑ってくれる尚一郎だが、竹林に入ったあたりからずっと前を見ているばかりで、緊張しているように見える。
「もしかして高橋さん、道を間違えてませんか?
ずっと竹林なんですけど」
「間違えてないよ。
一本道だし、竹林から本邸の敷地だから」
尚一郎はくすりとも笑わない。
本邸の常識外れの大きさよりも、そんな尚一郎の様子が朋香を不安にさせた。
ようやく竹林を抜けて見えてきた本邸は、洋風の尚一郎の屋敷と違い、和風建築の御殿だった。
「朋香。
訊ねられたことに答える以外、口を開かないと約束して」
「尚一郎さん?」
じっと、尚一郎がレンズ越しに見つめてくる。
「いいから、約束して」
「……はい」
真剣な尚一郎に、そうしなければいけない気がして、朋香は頷いた。
正面玄関、ではなく裏口のような所で車を降りる。
屋敷に入ってから尚一郎はずっと無言だ。
それに、顔色も悪い気がする。
「尚一郎です」
通された座敷は何畳あるのかわからないほど広かった。
尚一郎と一緒に下座に座る。
が、上座は遙か遠い。
「本日はお招きいただき、ありがとうございました」
あたまを下げる尚一郎に合わせて朋香もあたまを下げたが、上座に座る老人の男女ふたりはなにも言わない。
「本日、COOは?」
尚一郎が問うと、老爺からじろりと不快そうに睨まれた。
「おまえに質問を許可した覚えはない」
「……申し訳ありません」
尚一郎はあたまを下げているが、朋香は老爺の態度が不快で仕方なかった。
きっと、尚一郎との約束がなければ、なにか言い返していただろう。
「ふん。
相変わらずみっともないあたまだな」
思わず、尚一郎との約束を忘れて口を開きかけたが、くいっとジャケットの裾を引かれた。
目の合った尚一郎が小さく首を振り僅かに頷いたので、渋々座り直す。
「申し訳ありません」
尚一郎はまたあたまを下げているが、どこに謝る理由があるんだろうか。
悪いのは老爺の方で尚一郎ではない。
朋香の心はもやもやしていた。
気まずい空気の中、お膳が運ばれてくる。
どうも、懐石料理らしい。
「今日、呼んだのはそこの女のことだ」
老爺の言い様にかちんときたが、聞かなかったことにして箸を運ぶ。
「儂の許可なく、勝手にその女と結婚したらしいな」
「はい」
箸を置いた尚一郎が姿勢を正した。
「それがどうかいたしましたか」
先ほどまでの従順な態度と違い、尚一郎はまるでふれただけで切れてしまいそうなほど、冷酷な目で老爺を見ている。
「その女はしがない町工場の娘だそうじゃないか。
しかも、おまえが切り捨て損ねた」
「若園製作所を切り捨てるなど、我が社にとって損害でしかありません。
それがおわかりにならないと?」
うっすらと笑った尚一郎に、老爺がぐぅっと喉を詰まらせた。
「それに、先ほどからその女などと失礼な。
私の妻には朋香という立派な名前があります」
「うるさい!
おまえが儂に逆らうなど許されると思ってるのか!」
がつっ、尚一郎の眼鏡に皿が当たって落ちる。
投げつけた老爺は顔を真っ赤にしてぶるぶると震えていた。
対照的に尚一郎は、顔を伝い落ちる煮物の汁すら気にせずに眼鏡の位置をなおしただけ。
「私をいくら侮辱されようとかまいませんが、朋香を侮辱することはいくらCEOでも許しません」
「うるさい!
うるさい、うるさい!
こんな結婚、認めないからな!
おまえは、侑岐と結婚すると決まっておる!」
興奮して口から唾を飛ばしながら怒鳴り散らしている老爺はCEOと呼ばれているのできっと、尚一郎の祖父なのだろう。
そうなると横に座っている老婆は祖母なのだろうが、こんな状況でも淡々と食事を続けていて、朋香は薄ら寒いものを感じた。
「日本では重婚が認められるのですか?
申し訳ありません、私はまだ、日本のことを不勉強なようで。
……だとしても、朋香以外の女性を妻に迎える気はありませんが」
「黙れ、尚一郎!
だいたいおまえなど……うっ!」
わざとらしくとぼけてみせた尚一郎に、老爺はさらに怒鳴ろうとした……が。
バタン!
大きな音がして、一瞬、目の前で怒ったことが理解できなかった。
老爺は急に白目をむいて、後ろ向きに倒れてしまったから。
「えっ!?」
ぐっと堪えてことの成り行きを見守っていた朋香だが、慌てて立ち上がろうとしたら尚一郎に止められた。
「行こう、朋香」
「えっ、あっ、あれ、いいんですか?」
尚一郎に手を引っ張られ、無理矢理立たされて一歩踏み出した瞬間。
「……これだから外人は」
老爺が倒れても黙々と食事を続けていた老婆がぼそりと呟いたのが聞こえてぞっとした。
座敷を出る朋香たちと入れ違いに数人が入ってくる。
振り返ると、介抱される老爺が見えてほっとした。
尚一郎は黙ったまま、朋香の手を掴んで進んでいく。
入ったときと同じ場所から出たら、すでに車が回してあった。
朋香と尚一郎が乗り込み、高橋は黙って車を出した。
尚一郎は無言で窓の外を見ている。
「あのー、尚一郎さん?」
「……なに?」
振り返った尚一郎は不機嫌で、先程の冷たい姿が思い出されて、思わず朋香の背中がびくりと震える。
「その、……お祖父さんは大丈夫なんですか?」
おそるおそる窺うと、眼鏡の向こうの目が大きく一回、珍しいものでも見るかのようにぱちくりと瞬きした。
「朋香は自分を侮辱した人間を心配するのかい?」
「確かに腹は立ちましたけど、倒れたりしたら普通、心配しますよね?」
「優しいね、朋香は!」
次の瞬間、ぎゅーっと痛いくらいに抱きしめられた上に、ちゅっ、ちゅっと何度もキスされた。
「は、離して!」
「えー、嫌だよ」
なんとか引きはがしたものの、不満顔で見られた。
いつも通りに戻った尚一郎にほっとしたものの、はぁっ、小さくため息が漏れる。
けれどそんな朋香に尚一郎は気付く様子がない。
「CEOは年が年だし、もともと血圧が高いからね。
なのにあんなに興奮するから」
自分の祖父に対してと思えない言葉にじろりと睨むと、びくっと尚一郎は怯えたように背中を揺らした。
「ま、まあ、二、三日は寝込むだろうけど。
大したことないよ」
「……お見舞い。
行かなくていいんですか」
「僕が行ったらまた興奮してしまうだろう?
それに、呼び出されない限り、あそこに僕は入れないからね」
「それってどういう……」
しっ、尚一郎の長い人差し指が、朋香の言葉を遮るように唇にふれる。
そっと視線を上げてみると、困ったように笑っていた。
「このまま少し遠出して、今日はどこかに泊まろうか。
温泉、とかどうだろう?」
「尚一郎さん?」
「朋香には嫌な思いをさせてしまったからね。
お詫びだよ」
ちゅっ、唇に落ちたキス。
いい子、とあたまを撫でられると、いまはなにも言えなかった。
が、いつも尚一郎が仕事で使っている車ではなく、別の外車。
ガレージを覗いたことがないから何台あるのか知らないが、朋香は押部家の経済力に震えた。
街を抜けて車は竹林に入った。
車は暫く竹林を走ると……。
竹林をしばらく……。
竹林を……。
「あのー、尚一郎さん?」
「なに?
朋香」
いつもなら笑ってくれる尚一郎だが、竹林に入ったあたりからずっと前を見ているばかりで、緊張しているように見える。
「もしかして高橋さん、道を間違えてませんか?
ずっと竹林なんですけど」
「間違えてないよ。
一本道だし、竹林から本邸の敷地だから」
尚一郎はくすりとも笑わない。
本邸の常識外れの大きさよりも、そんな尚一郎の様子が朋香を不安にさせた。
ようやく竹林を抜けて見えてきた本邸は、洋風の尚一郎の屋敷と違い、和風建築の御殿だった。
「朋香。
訊ねられたことに答える以外、口を開かないと約束して」
「尚一郎さん?」
じっと、尚一郎がレンズ越しに見つめてくる。
「いいから、約束して」
「……はい」
真剣な尚一郎に、そうしなければいけない気がして、朋香は頷いた。
正面玄関、ではなく裏口のような所で車を降りる。
屋敷に入ってから尚一郎はずっと無言だ。
それに、顔色も悪い気がする。
「尚一郎です」
通された座敷は何畳あるのかわからないほど広かった。
尚一郎と一緒に下座に座る。
が、上座は遙か遠い。
「本日はお招きいただき、ありがとうございました」
あたまを下げる尚一郎に合わせて朋香もあたまを下げたが、上座に座る老人の男女ふたりはなにも言わない。
「本日、COOは?」
尚一郎が問うと、老爺からじろりと不快そうに睨まれた。
「おまえに質問を許可した覚えはない」
「……申し訳ありません」
尚一郎はあたまを下げているが、朋香は老爺の態度が不快で仕方なかった。
きっと、尚一郎との約束がなければ、なにか言い返していただろう。
「ふん。
相変わらずみっともないあたまだな」
思わず、尚一郎との約束を忘れて口を開きかけたが、くいっとジャケットの裾を引かれた。
目の合った尚一郎が小さく首を振り僅かに頷いたので、渋々座り直す。
「申し訳ありません」
尚一郎はまたあたまを下げているが、どこに謝る理由があるんだろうか。
悪いのは老爺の方で尚一郎ではない。
朋香の心はもやもやしていた。
気まずい空気の中、お膳が運ばれてくる。
どうも、懐石料理らしい。
「今日、呼んだのはそこの女のことだ」
老爺の言い様にかちんときたが、聞かなかったことにして箸を運ぶ。
「儂の許可なく、勝手にその女と結婚したらしいな」
「はい」
箸を置いた尚一郎が姿勢を正した。
「それがどうかいたしましたか」
先ほどまでの従順な態度と違い、尚一郎はまるでふれただけで切れてしまいそうなほど、冷酷な目で老爺を見ている。
「その女はしがない町工場の娘だそうじゃないか。
しかも、おまえが切り捨て損ねた」
「若園製作所を切り捨てるなど、我が社にとって損害でしかありません。
それがおわかりにならないと?」
うっすらと笑った尚一郎に、老爺がぐぅっと喉を詰まらせた。
「それに、先ほどからその女などと失礼な。
私の妻には朋香という立派な名前があります」
「うるさい!
おまえが儂に逆らうなど許されると思ってるのか!」
がつっ、尚一郎の眼鏡に皿が当たって落ちる。
投げつけた老爺は顔を真っ赤にしてぶるぶると震えていた。
対照的に尚一郎は、顔を伝い落ちる煮物の汁すら気にせずに眼鏡の位置をなおしただけ。
「私をいくら侮辱されようとかまいませんが、朋香を侮辱することはいくらCEOでも許しません」
「うるさい!
うるさい、うるさい!
こんな結婚、認めないからな!
おまえは、侑岐と結婚すると決まっておる!」
興奮して口から唾を飛ばしながら怒鳴り散らしている老爺はCEOと呼ばれているのできっと、尚一郎の祖父なのだろう。
そうなると横に座っている老婆は祖母なのだろうが、こんな状況でも淡々と食事を続けていて、朋香は薄ら寒いものを感じた。
「日本では重婚が認められるのですか?
申し訳ありません、私はまだ、日本のことを不勉強なようで。
……だとしても、朋香以外の女性を妻に迎える気はありませんが」
「黙れ、尚一郎!
だいたいおまえなど……うっ!」
わざとらしくとぼけてみせた尚一郎に、老爺はさらに怒鳴ろうとした……が。
バタン!
大きな音がして、一瞬、目の前で怒ったことが理解できなかった。
老爺は急に白目をむいて、後ろ向きに倒れてしまったから。
「えっ!?」
ぐっと堪えてことの成り行きを見守っていた朋香だが、慌てて立ち上がろうとしたら尚一郎に止められた。
「行こう、朋香」
「えっ、あっ、あれ、いいんですか?」
尚一郎に手を引っ張られ、無理矢理立たされて一歩踏み出した瞬間。
「……これだから外人は」
老爺が倒れても黙々と食事を続けていた老婆がぼそりと呟いたのが聞こえてぞっとした。
座敷を出る朋香たちと入れ違いに数人が入ってくる。
振り返ると、介抱される老爺が見えてほっとした。
尚一郎は黙ったまま、朋香の手を掴んで進んでいく。
入ったときと同じ場所から出たら、すでに車が回してあった。
朋香と尚一郎が乗り込み、高橋は黙って車を出した。
尚一郎は無言で窓の外を見ている。
「あのー、尚一郎さん?」
「……なに?」
振り返った尚一郎は不機嫌で、先程の冷たい姿が思い出されて、思わず朋香の背中がびくりと震える。
「その、……お祖父さんは大丈夫なんですか?」
おそるおそる窺うと、眼鏡の向こうの目が大きく一回、珍しいものでも見るかのようにぱちくりと瞬きした。
「朋香は自分を侮辱した人間を心配するのかい?」
「確かに腹は立ちましたけど、倒れたりしたら普通、心配しますよね?」
「優しいね、朋香は!」
次の瞬間、ぎゅーっと痛いくらいに抱きしめられた上に、ちゅっ、ちゅっと何度もキスされた。
「は、離して!」
「えー、嫌だよ」
なんとか引きはがしたものの、不満顔で見られた。
いつも通りに戻った尚一郎にほっとしたものの、はぁっ、小さくため息が漏れる。
けれどそんな朋香に尚一郎は気付く様子がない。
「CEOは年が年だし、もともと血圧が高いからね。
なのにあんなに興奮するから」
自分の祖父に対してと思えない言葉にじろりと睨むと、びくっと尚一郎は怯えたように背中を揺らした。
「ま、まあ、二、三日は寝込むだろうけど。
大したことないよ」
「……お見舞い。
行かなくていいんですか」
「僕が行ったらまた興奮してしまうだろう?
それに、呼び出されない限り、あそこに僕は入れないからね」
「それってどういう……」
しっ、尚一郎の長い人差し指が、朋香の言葉を遮るように唇にふれる。
そっと視線を上げてみると、困ったように笑っていた。
「このまま少し遠出して、今日はどこかに泊まろうか。
温泉、とかどうだろう?」
「尚一郎さん?」
「朋香には嫌な思いをさせてしまったからね。
お詫びだよ」
ちゅっ、唇に落ちたキス。
いい子、とあたまを撫でられると、いまはなにも言えなかった。
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