別世界の人間は自分が無力だということを知らない

奈宮伊呂波

四話 流れる雲

 授業中。教室はただ一人だけが支配する空間となる。生徒達の休み時間に発揮していた活力は魔法のように消えてしまう。チョークと鉛筆と、先生の声だけが空気を響かせる。
 その全てを聞き流し、ぼんやりと窓の外を眺めていると少しいい気分になる。グラウンドというアウェーとも呼べる場所も今では親近感がわいてしまうほどだ。
 昨日のことを思い出す。鍛川鍛造はどうして私にあのようなことを言ったのだろうか。精神的に不安定だったのは何となく感じていたけど、まさかあんな馬鹿なことを言うとは想像できなかった。
 気持ちが悪かった。
 向こうは完全に大人で、事の分別がついているのだと思っていた。いや、そもそも援交なんてしてる時点でまともじゃないか。それでも、不純な出会いをした人とあんな風に、付き合おうなんて言われるのは気持ち悪い。
 もしあのままあの場にいたら、と考えると身の毛がよだつ。
 学校という本来、自分があるべき場所が通常通りに稼働していると安心できる。青空から教室に意識を戻すと、すぐ隣の金髪が私のほうを向いていた。
「何か用?」
 にこっと爽やか笑顔がいっそ不気味な男に小声で尋ねた。
「船川さんって美人だよね」
「は?」
 先生がじろりと私を睨んだ。
「どうした船川。何かわからないところがあったのか?」
「いえ。すみません」
「私語は慎め。それぐらい小学生の時に言われただろう」
 相変わらず嫌味ったらしい。数学の原田は生徒に注意するときは必ず嫌味を言う。それどころか特に何もしてなくても嫌味を言うことがある。だから学校中の生徒全員に嫌われている。ついでに先生達にも嫌われている。年齢が高いから大抵の先生は何も言えないのだ。
「怒られたね」
 さらに音量を下げてレイナルドはいう。まだ話すのか。
「うん」
「話すときは小さな声にしよっか」
「まあ、その時は」
「よろしく」
 そう言ってレイナルドは板書に戻った。まさかこれから授業中に話す機会があるというのだろうか。クラスの女子たちに目を付けられるからそれは避けたいなあ。ほらまた、向こうの女子がちらっと見てるよ。
 本当に目ざとい。
 授業が終わると、さっきの女子とその仲間らしき女子たちがこちらのほうに歩いてきた。またレイナルドに話に来たのかと思ったら、私の机の前で足を止めた。次の授業の教科書を廊下のロッカーに取りに行くところだったのに、それはできなさそうだ。
「ねえ、船川さんちょっといい?」
「いいよ。何?」
 さっき私を見ていた彼女は私の隣の席を見て、少し苦い表情をする。隣ではレイナルド含む男子達が馬鹿話をしていた。
「ここじゃあれだから。ちょっと来てもらってもいい?」
「いいけど。早くしてね。次の授業もあるし」
「それは船川さん次第」
「そうなの?」
「行くよ」
 そう言って彼女達は廊下向かった。絶対ろくな話じゃないな。なんでもいいけど。私としては穏便に事が進むことを願うばかりだ。
 ところであの子達の名前ってなんだっけ。


 ◆ ◆ ◆


 案内されたのは夏場に人気のスポットであるプールの裏側だった。べたに体育館の裏かと思ったけど。どちらにせよ何だかわざとらしくて好きじゃない。
 でも、人目はない。プールの裏側だから校舎からは見えないし、この高校は小高い塀に囲まれているので外からも死角になっている。高いビルなんかあれば見えるかもしれないが、そんなものはこの辺りにはない。
 四対一で向き合う形になる。一応、後ろに逃げ道はあるけど、そういう形では使いたくない。
「で、話って何かわかる?」
 私を睨んでいた、便宜上Aさんが顎を上げて見下すように切り出した。
「えーと。ごめんわからない」
 大体何のことかわかるけど、素直に答えるのも癪なので少し意地悪する。
 ちっ、と茶髪のBさんが舌を打つ。
「あのさ、あんた最近調子乗ってない? 見ててむかつくんだよね」
「その髪飾りさ。結構高いやつじゃん。どうしたのそれ? 似合ってないよ?」
 Cさんが合わせるように罵倒する。褒めてると思ったけど微塵もそんなことはなかった。ちなみにこれは援交のお金で買った。一万円ぐらいだった。ふわふわで結構気に入っている。
「かわいいって思って買ったんだけど、似合わないかな。それは残念」
「似合ってねーよ。申し訳ないんだけどすっごいブスだよ」
 とDさん。直球の悪口だ。ひどい。
「ごめんとしか言いようがないけど。そんなこと言うために連れてきたの?」
「ちげーよ。レイナルドに色目使うなって言ってんだよ」
 Aさんが言った。
 やっぱりか。くだらない。
 金髪イケメン転校生がそんなに大事かよ。
「使ってないけど」
「じゃあ。もう話すのやめてくれない? うっとおしいから」
「そんなこと言われても」
 話しかけてくるのは向こうからだし。
「そんなにレイナルドと話したいのか?」
 それはこっちのセリフなんだけど。
「他のみんなも不満に思ってるからやめたほうがいいよ」
 忠告はいいけどそのみんなって誰。まあ文字通り、クラスの全員の可能性もあるな。むしろ高い。
「いいからはいって一言いえばいいんだよ。それなら何もしないから」
 はい。と言うのは簡単だけど、それは嫌だ。四人で群れないと私に言いたいことも言えない奴らに従えって、馬鹿な話だ。
 四人を見る。みんな氷のような冷たい視線で私一人を刺そうとしている。私が黙っていると時々、「聞いてる?」とか「おーい」とかからかうような声を出す。そのエネルギー、もと有効に使おうよ。世界平和のためとかさ。
 薄暗い青空を拝む。点在する雲は一見止まっているけれど、実は絶えず形を変えて移動している。私はその雲を眺めるのが好きだ。自分もあの雲のように人生を流れたい。
 私はクラスで浮いている。友達がいない。彼氏はもっといない。部活もバイトもしてないから仲間もいない。いるのは家族と、汚い目的で近寄る男だけ。
 人が嫌いで、孤独になり続けた私の責任だ。辛いとは思っていないけど。
 さて、私がここで彼女たちに真っ向から立ち向かったらどうだろうか。雲のような人生は遠くなるけれど、それはとてもかっこいいのではないだろうか。
 現実に戻る。
 彼女たちはさっきよりも苛立っている。物言わない私が原因だろう。
「おい、聞いてんの?」
「うっさいなあ」
 彼女たちの目が緩む。高圧的なオーラが心なしか薄れた。
「ここまで呼び出しといて言うことがそれ? どんだけ暇なんだっつーの。お気に入りの男が取られそうでむかついたの? いやーほんっとに悲しい。親の顔が見てみたいよ。自分の娘がこんなに器の小さな女だって知ったらきっとお母さん感動で涙いっぱいになっちゃうよ」
「急に何を―――」
「黙れっつってんだ。ちまちま文句言うならレイナルドに言ってこい。大体話しかけてくるのは向こうからだし。きっといくらかすっきりするでしょ。じゃ、私もう行くから。授業まで時間ないよ。Aさ……あんたらも急いだほうがいいよ」
 踵を返し、私は教室に戻る。彼女たちが追ってくることはなかった。でもチャイムが鳴る数秒前に戻ってきた。バツが悪そうな顔をしていた。訳が分からない。
 でも、彼女たちのことは嫌いじゃない。ザ・人間って感じでむしろ好感が持てる。関わるのは金輪際やめてほしいけどな。


 ◆ ◆ ◆


 アドバイス通り、次の休み時間から彼女達はレイナルドと話すようになった。大人数で行くと駄目なのか話すのは必ず二人までになっていた。
 放課後になると、レイナルドはすぐに教室を出て行った。荷物は持っていなかったのでトイレか何かだろう。彼女達は機を逃したと判断したのかそのまま帰った。
 出された数学の宿題を終わらせてから学校を出ようと思って、ノートを広げると、レイナルドが戻ってきた。
「もう宿題やんの? 偉いね船川さん」
「用事があるから早めに終わらせたいの」
 もちろん、不純な用事だ。
「へえ」
 興味がなさそうにレイナルドは言った。
 宿題を進めるが、レイナルドは自席に戻らない。不審に思って顔を上げると、視線が合った。ずっと見ていたのだろうか。
「何?」
「ポルノ映画館の前に座るのが用事って珍しいね」
 レイナルドの一言に、私は磔にされたように動けなくなった。



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