神に会っても祈らない ーこの恋と呪いの続きをー

藍舟

6


 願いが1つなら、誰もが『いのち』を願うしかない。『いのち』も神から与えられたものであることを、あの国の民ならどんな幼子だって知っていた。この世で一番大切なものが、それぞれの『いのち』であるということを。
 だから、わたし以外の誰かが、『自分のいのち』以外のものを願うのは、ひどく困難なことだっただろう。
 しかし、『いのち』だけとりあえず助かったとして、その後どうやって生き残れば良いというのか。明日の糧にさえ困る状況で、飢えて死ぬのは苦しいに違いない。
 ――女神の与えた選択肢は、本当に残酷なものだった。そうして、そこまでのことが分かっていたからこそ、民の嘆きは深かったと言えるだろう。

「どうしてこんなことに……?」
「この子のために何かを残してあげた方が良いの? ああでも、私が居なくてこの子はどうやって生きていくの?」

 混乱し絶望した民が、自暴自棄になって自虐的行為や破壊行動に走る前に、わたしは速やかに決断をしなければならなかった。それは間違いなく、あの時あの世界でただ1人の王族であったわたしの役割だったからだ。
 わたしの命を受けた臣下たちの行動は、じつに素早かったと思う。
 呆然としていた伝令や兵士、末端の使用人に至るまで、城内全ての人員をかき集めて、国中を疾走らせ、伝書鳥もありったけ飛ばしたと、そう報告に来た『彼』にも、わたしは勅命を与えた。
 わたしは、あの国で唯一の魔術師であった『彼』に、過去一度だけ目にしたことのある転移の術を使うように命じた。使えるものは全て使うと言ったわたしに、意外そうに目を見張った後、『彼』はくつりと笑った。

「こんな力のことなど、貴女あなたはもう……お忘れなのだと思っておりました」
「……忘れられるわけがないだろう」

 そう、忘れる訳がない。母の死に際して、わたしを助けてくれたその力を。

「おや……ではどうして10年以上も知らないフリをされていたのですか? 王として、私の能力は魅力的ではありませんでしたか?」
「それは……」

 こんな状況だというのに、どこか面白そうに聞いてくる『彼』から、わたしは思わず顔を逸らした。
 確かに『彼』の転移の術は、幾らでも使いようがあっただろう。宰相や大臣辺りに知られていたら、『彼』がどれほど国中を飛び回されることになったことか、想像に難くない。
 一言で言うならば、わたしは『彼』をそんな目に遇わせたくなかった。いや、それは正確ではない。わたしはただ、『彼』にわたしの側に居て欲しかっただけだ。例えわたしに触れることがなくとも――例え『彼』がわたしのことを嫌いだと知っていても……。
 それでも。
 わたしは『彼』を好きだった。
 ただ、それだけのことだ。
 だが、たったそれだけのことを、わたしは『彼』に伝えることは出来なかったし、生涯伝えるつもりもなかった。
 ――もしあの時、わたしの想いを『彼』に伝えていたら、何かが変わっていたのだろうか。それとも、わたしがもっと上手に嘘を吐けていたならば、結果は違っていたのだろうか。
 『彼』にとっても、わたしにとっても、そして――あの国にとっても。
 だが、愚かな自分をどれだけ嘲笑っても、嘆いても悔やんでも、もう時は元には戻らない。

 運命のあの日、あの国で喪われたのは、『彼』の『いのち』、ただ1つだった。

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