神に会っても祈らない ーこの恋と呪いの続きをー

藍舟

5

「願いは決まったのですか?」

 いつものようにわたしの1歩斜め後ろに立った『彼』の、長い金の髪の光がサラリと視界の端に入った。あんな時だったというのに、常と変わらぬ『彼』の落ち着いた声と気配に、わたしの内心の動揺もすうっと消えて行くようだった。

「……ああ、決まった」

 ――何故、わたしはあの時、『彼』には、わたしの嘘など通用しないであろうことを見過ごしてしまったのだろう。満面の笑みを『彼』に向けたつもりで、その実、ひどく歪んだ笑顔になったわたしが吐いた嘘になど、『彼』が騙されるはずがなかったのに……。

「国中の民に急いで伝えてくれ。女神はわたしにだけは2つの願いを許した。だから案ずることはない、と。――わたしは、この豊かな国と、この世で一番大切なものを願うことを、みなに約束する」

 わたしはあの時、あの世界でただ1人の王族だった。
 女神の声を聞くことの出来る唯一無二の存在であったわたしが、女神に優遇されたと言って誰が疑う?
 わたしが、下手をすれば女神の裁きを受けるかも知れないような嘘を吐くと、一体誰が想像する?
 事実、誰もがわたしの言葉を信じた。それはもう呆気ないくらいに、何の疑いもなく。
 ――そう、『彼』以外は……。

 『彼』は、わたしが物心ついた頃から――いや、正確にはわたしが生まれて1月経った時には、すでにわたしの側にいたらしい。7つ歳上の『彼』は、あの国唯一の魔術師で、それ故にわたしの側におかれた。
 名目上はわたしの教育係として、けれど実際は、わたしの婚約者候補として……。
 まだ幼さの残る少年だった『彼』が、教育係としてだけではなく、非常に優秀な側近としてわたしの側に立つことになったのは、両親や国の重鎮たちにとって嬉しい誤算だっただろう。わたしが大きくなるにつれて、『彼』はわたしに触れなくなり、言葉遣いもよそよそしいものに変わっていったが、ただずっと『彼』がわたしの側にいることは変わらなかった。
 あの時、ほんの少しでも冷静に考えていれば、わたしの一挙手一投足の些細な癖まで知り尽くした『彼』に、わたしの薄っぺらな嘘が見抜けないわけがないと分かったはずなのに……。
 それなのに、どうしてわたしは、『彼』にまで、愚かな嘘を吐いてしまったのだろう。
 わたしの嘘を耳にした『彼』の表情を、何故かわたしは思い出すことが出来ない。ただ、「そうですか。では私も、この世で一番大切なものを願います」と言った、『彼』の静かな声だけを、今でもよく覚えている。

 そうしてあれは……、『彼』がわたしに吐いた、最後の嘘の1つだった。

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