ドラマチック・ハニービー
ドラマチック・ハニービー
「やめとけって、レンタル彼女なんか沼だよ絶対」
そう言っていた同期はお気に入りが出来たとかで風呂通いがやめられなくなって貢ぎ始めたものの蓋を開けたらもちろんそれは「仕事でしかないから」とさくっと振られて病んで学校を辞めた。
あっけなかったなと思った。周りは特にあいつが学校を辞めた理由なんて知らないらしいから好き勝手に噂しているけれど実態は結構しょうもないものだ。その風俗嬢とうまく付き合っていけたとしても結局どこかであれは演技だったのかよって修羅場になっただろう、なんかそんな気がする。
「ひーくーん!お待たせー!」
「杏奈ちゃん」
「えへへ、今日も楽しいデートにしようね」
あいつはたまたま相手が風俗嬢だったけど俺はどうなんだろう、俺は貢いでいるつもりなんてないけれどこれも傍からみたらなにもあいつと大差ないのかもしれない。杏奈ちゃんは無邪気に今日はなにするの?と笑っている。うん、抜群に可愛いぞ。交際経験の乏しい俺相手でも彼女は絶対に嫌な顔をしない。今日はなにするの、どこ行くのとずっと笑っていてくれる。もちろん、それは彼女の仕事だからなのかもしれないけれど。
「有楽町に新しいカフェができたんだって、杏奈ちゃん甘いもの好きでしょ?」
「あ、ここインスタで見たやつだ、すごいすごい行きたいと思ってたの!どうしてわかったの?」
「俺は杏奈ちゃんの常連さんだから」
「むっ、そこは彼氏だからでよかったんじゃないのお?」
「そうかな」
恋人代行サービス。レンタル彼氏とかレンタル彼女とか呼ばれる出張派遣型のこのサービスが展開したのはそんなに前でも最近でもない。気が付いたら存在してたが、そもそもそういうものの存在を知ったのは中学二年生くらいのときだった。
まさか自分がユーザーになるとは思いもしなかったけれど今や「常連」だ。誇らしげに言う事ではないんだろうけれど、こういうサービス思いついてくれてありがとうって顔も知らない創始者に思っていたりする。
世間一般の日常風景を三時間だけ切り取って過ごす。
興味本位でだとか、親にせっつかれて形だけ取り繕ってもらうなんて人も世の中にはいるんだろうが俺はそのどちらでもない。
「じゃあ行こっかあ」
「うん、今日の服もかわいいね。初めて見た」
「へへー気づいた?これね、春物の新作なんだ、ここの花柄可愛くって」
ここの会社はデートで服装の指定ができないが、私服だからだと杏奈ちゃんが最初の頃に言っていた。プライベートな話で詮索するのはルール違反だけど彼女からぽろっと言われたことなので彼女自身ももしかしたら言ったことなんて覚えていないかもしれない。
「ねえひーくん、手繋ぐ?」
「ん?ううん、つながない」
「そっかぁ」
女の子と付き合うって大変そうだ。褒めるだけなら全然できるけど、女子に必要なのは共感力だよねとかサークルの女子連中が言っていたしそんなの俺には無理だと思う。無理っていうかしんどい。共感って、それなーわかるーだよねーで構成される無駄にテンポのいい話題がころころかわるあれだろう。それは俺にはちょっと難しい。
「ねえひーくん、悩み聞いてくれる?」
「俺が聞いていいことなら聞くよ」
「うん、あのね、大切に思ってますよーってうまく伝える方法が知りたいんだけど」
「友達?喧嘩でもしたの?」
「そういうんじゃないんだけど」
うーん、むずかしいなー、なんていうのかなーとうんうん言いながら彼女の目線は宙を泳ぐ。悩んでいる姿もかわいいな。これはお仕事フェイスには違いないけれど、私生活でも彼女はこんなふうにニコニコして誰かを気遣っているんだろうか。優しい子だな、代行彼女なんてやってて疲れないのだろうか。素直な人間に、水商売や代行サービスはやりづらいと聞くけれど。それはルール違反だ。聞いてはいけない。
「連絡先は知らなくて、だからメッセージとか電話とかできなくて、同じ学校でもないからたまにしか会えないんだけど」
「まず次会ったときに連絡先教えてもらえばいいのに」
「ちょっと事情があって、交換できないの」
「難儀だなー、顔合わせたときに言葉にするしかないよね」
「ひーくんは、なんて言われたら大切にされてるなって思う?」
「ええ、俺?」
地下鉄のホームの風はいつも生温くて、どこか埃っぽい。
電車が決ます、とオレンジに光る文字を見つめながら考える。相手を大切にしていると伝える方法、なんて21年生きてきて考えたこともない。本当に仲の良いやつは、言葉にしなくてもなんとなくわかるし、付き合いがあるってそういうことだと思うけれど。たまにしか会えないそうだし、友達ってわけじゃないのかもしれない。そんな相手に、大切?女の子の考えることは難解だ。
「抱きしめてあげたら?」
「え!?」
「女の子ってそういうのよくやってない?」
男同士でやっているとちょっとこう、熱量も相まって俺はあんまり得意じゃないけれど女の子同士では腕を組んだり抱きしめあってるところも頻繁に見かけるような気がする。そういうことじゃないんだろうか。
「あ、えーと、あの、嫌がったりしないかな?」
「俺は杏奈ちゃんにハグされたら嬉しいけどね。俺の意見は参考にならないよ」
「う、ううん!なった!すごーくなったよ!」
「そう?そんならいいけど」
あと二時間四十五分。俺が日常風景に溶け込む時間。
「ひーくんって、どうしていつも私が好きそうなお店調べてるの?」
「んー、どうしてって、杏奈ちゃんが好きそうだなって思うから?」
「そうじゃなくて、だって大学生の男の子が来たがるようなお店じゃないもんいつも」
今日もそうだよ、彼女は言う。別に深い意味なんかない。単に俺は杏奈ちゃんが可愛いから、かわいいものをちやほやしたいから、杏奈ちゃんに喜んでほしいからやっているだけだ。なんせ代行とはいえ「彼女」なんだから。
たとえば、タピオカの専門店。たとえば、ホイップクリームが有名なパンケーキのお店。たとえば、内装がプラネタリウムのカフェ。たとえば、カラフルなリキュールとアイスクリームが楽しめるお店。たとえば、マカロンの専門店。SNSで流行ったそういうところが彼女は好きらしい。そんなんで喜んでくれるなら安いものだと思う。
あと、二時間。
「ひーくん、本名はなんていうの?」
「知りたいの?」
「だって、もう十回以上会ってるのに知らないもん」
「俺も杏奈ちゃんのことなんて知らないよ」
「それは、そうだけど」
「今日はやけにプライベートな話するね、俺はいいけど怒られない?」
「べつに、しちゃだめなわけじゃないから」
「俺出禁にならないかなあ」
お互いのことなんて何も知らない。本名も、学校も、家も、家族も、友達も。
ただ、大学の合間に代行彼女をやってるってことと、甘いものが好きなことくらいしか本当に知らないしそれ以上に知るつもりもない。付き合いたいとか、そんなものもない。
興味本位でも取り繕いでもなくこのサービスを使う理由なんて心底くだらなくて、あまり胸を張れることじゃないんだけど、それでも彼女には会いたいと思うから真っ当な方向から投資をするだけだ。別に悪いことをしているわけじゃない。
「どれがいい?好きなの頼んでいいよ」
「えー迷うなぁ、ひーくんどれがいい?」
「んーどうすっかなー」
「私これがいい、これのセットでアイスティーがいい
「じゃあ俺こっち」
店員を呼び止め、注文をする。また雑談をして、食事を待つ。
杏奈ちゃんは、なんで俺の話を聞きたがるんだろう。自分から話題を振るのは得意じゃないからそれ自体は助かるんだけど、代行サービスはキャバクラなんかと違って「アフター」みたいなものはない。高額商品のプレゼントだって禁止されているくらいだから俺のことなんて聞いたって仕方ないのに。
「お待たせしました」
「あ、来た」
あと、一時間三十分。
「美味しかったー、ありがとう連れてきてくれて」
「次は友達と来てね」
「うん、あ、でもひーくんもまた来ようね」
「いや、俺は、もういいかな」
「なんで?甘すぎた?」
「そうだね、ちょっと」
「そっかあ、味覚はなー仕方ないしなー」
「ちょっと行きたいところあるんだけど、付き合ってくれる?」
「もちろん、なんてったって彼女ですから」
席を立つ。支払いを済ませる。店をでる。
誰かが振り向くこともなく、誰かに気に留められることもない。どこにでもある風景で、どこにでもいるカップルで、それは特別なことでもなんでもなくて、ただ俺たちだけが「本物じゃない」のだと知っているだけだ。あのカップルも、むこうの男女四人組も、本当は代行サービスかもしれない。傍から見たんじゃわからないけれどこちらだってそれは同じだ。
「行きたいとこってここ?」
「そう」
「カメラ屋さん?」
「現像頼んでたんだ、待ち合わせする前に。そろそろ時間だから」
「そうなんだー!なんの写真?」
「見たらわかるよ」
分厚くなった封筒を受けとって杏奈ちゃんに差し出せばワクワクといった面持ちで写真を取り出していた。
目が見開かれて一瞬こちらに顔を向けると、ぱらぱらと写真をめくり泣きそうな顔をした。
「なんで、これ」
「この間、インスタントカメラで写真撮ったでしょ、あれ」
「私の写真ばっかり」
「可愛いなと思って。気に入らない?捨ててもいいけど」
「違う!ち、ちがくて、嬉しいの、あのね、私ばっかり写真撮ってると思ってた」
「俺の?いつ撮ってたの?」
「ごはん、食べてるときとか」
「あー、インスタにあげてたんじゃないんだ、あれ」
写真は同意のもとなら撮影もSNSにアップロードも可能ってことになっていて、俺はSNSはやっていないから積極的に写真なんかは撮らないけれど、そうか、彼女は俺のこと撮ってたのか。
あと三十分。
「あ、あのさーひーくん」
「ん?あ、代金?銀行振込になってるよ」
「じゃなくて、あの、あのさ、私、私もう代行やめようと思ってて」
「あれ、そうなの?好きな人でもできたん」
「…ひーくん」
「ん?」
「ひーくんのこと好きになっちゃったから、もう他の人の彼女やりたくない」
「……俺、なんかオプションつけたっけ?」
「ちがう、違うの違うの、ほんとなの、信じて」
あと二十五分。
泣きそうな顔をしながら彼女は抱き着いてきた。ああ、さっきの。大切だって、そうかそういうことか。たしかにたまにしか会えないし、連絡先の交換もできない。なんせ彼女はキャストで俺は客だからだ。本当なら手を繋ぐ以上の接触だって禁止なんだけど。
「お客さんってわかってたの、何も知らないのも、でもこの間、新宿で見かけたの。女の子と歩いてた、嫌だったの、見たくなかったの。でも彼女いないって言ってたから違うって」
「あー、それは多分姉貴だね」
「…やだ。やだよ、私のこと本当の彼女にして、私が全部するから。私ひーくんの」
「杏奈ちゃん」
「………」
「ごめんね」
「なんで、なんでぇっ、だって代行彼女って、だったらどうして」
あと十分。
十二回目のデートが、俺と彼女の関係が終わるまで。
「俺はただ、杏奈ちゃんと過ごしたかっただけなんだ」
「だったら」
「俺、もうそんなに寿命残ってないんだよ、あと半年くらいなんだって」
「え?」
彼女の笑った顔が好きだった。明るさとか元気とかそういう活力が溢れてるみたいでまぶしかったから。余命宣告なんてそんな、やっすい恋愛ドラマじゃあるまいしって、何回も何回も、カレンダーを見る度に、目が覚めて良かったって何度も思う。半年なんていうのは可能性で、今日かもしれないし明日かもしれない。
初めて杏奈ちゃんに会った日、余命宣告一年ですねって言われてから一週間後のことだった。
本当は、彼女が他学部の後輩だってこととかを知っていて、そういうのも悟られないようにって。なんのはずみでどうやって彼女を知ったかは生憎覚えてないけれど。
いつだって彼女には本当のことを言ってきた。可愛いも、似合うも、好きなもの食べてとか、またデートしようとかいつも、いつもきちんと。
あと五分。
最初で最後の嘘をつく。
「俺は杏奈ちゃんのことを、恋愛感情で好きにはなれない」
まだ、平然と寿命があったら、俺は彼女を知らないままだっただろう。
まだこれからがあるんだったら、俺は彼女と付き合っただろう。
月9でもこんな無茶な設定あるもんか、視聴率なんて数パーセントとれれば御の字だ。事実は小説より奇なりって?笑わせんな、そんなもの、俺は一度だって望んでない。生かしてくれよ。可能性をくれよ。俺以外と幸せになってくれて、本気でそんなこと思えるもんか。
「今日も楽しかったよ。じゃあね、杏奈ちゃん」
「ま、待って!」
午後七時。俺と彼女の十二回目の三時間が終わって、雑踏に溶けていった。
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