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守村 肇

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 この世界は退屈だ。
 だからこそ人間は、ハッピーでクレイジーでデンジャラスな出来事を渇望している。




「というわけでこれも研究の一つなのだよ」


「よくわからないんですけど」


「どうやら君にはユーモアのセンスが足りないらしい」




 大量のフラスコや試験管たちにわけのわからない薬品がたっぷり入っていたり、顕微鏡が旧型から最新型までずらり勢ぞろいで、ジャイロスコープやウェーブマシンが行儀よく並び、オシロスコープやスターリングエンジンが威圧的なこの部屋は、一応「物理学研究ゼミ」と看板を掲げている。


 部屋の中で逆さ眼鏡をかけ、鉄鋼球で遊んでいた(ようにしか見えない)彼女はおもむろに顔を上げ、眉間にしわを寄せている彼に目線をやった。もちろん眼鏡はかけたままなので彼女の視界はさかさまのままだろう。




「いつも人を煙に巻くような言い方しますよね。なんですかハッピーでクレイジーでデンジャラスな出来事っていうのは」


「ハーゼン金属強度の物理学を読んだことがないのか? 初見で目を通したときなんてわくわくがとまらなかっただろう?」


「うーん? 僕は先輩と違って物理学狂いじゃないので……」


「ではなぜ院に来たんだ?」


「大多数が物理学狂いだとでも思ってるんですか?」




 信じられないと言いたげな顔をする彼の表情にさすがにむっとした様子を見せる。おっと、機嫌を損ねたか? とはいえこの人はどうにも普通じゃないからなあと彼はあからさまに目線をそらす。研究させたらピカイチでもそれ以外はてんでダメなこの先輩になんど肝を冷やしたかわからない。
 研究室にあるものと同じ耐久前提で日々を生きているのだ。アパートの床がそんなに頑丈なわけないだろ! と叫んだのは割と最近のことである。




「可能な限りの可能性を追求することが美しい。物理とはそういう学問で、みんなそういうのが好きだからわざわざ研究室にまで所属するんじゃないのかい?」


「いやまあ、理屈はわかりますけど、先輩のユーモアってなんか屁理屈じゃないですか。研究となんも関係なさそうだし」


「仕方ない、君にアインシュタインの名言を教えてあげよう。ものごとはできるかぎりシンプルにすべきだ。しかし、シンプルすぎてもいけない。」


「意味がまったくわからないので説明してください」


「いいかね、物理学という枠にとらわれた研究なんて物理学でしかないのさ。外側からのアプローチによってシンプルは形を変える、ということだな」


「なるほど、まったく理解できませんでした」




 どうにもこの人は「人生を楽しむ」ことを大切にしているわりにそれを他人に共有するのが下手らしい。なんでもかんでも理詰めではわかってもらえないことだって多いはずなのに、どうしてだかそれが一番合理的だと信じているらしい。まあ理系らしいといえば理系らしいか。
 代わりに雪月花や花鳥風月みたいな感受性とか雅とかそういうものからは程遠いけれどそれもまた個性なのだ。良く言えば。




「たしかに私の言い方は小難しいとよく言われるが、だが君なら! 私の会話に唯一付き合える愛すべき後輩である君なら! あるいはとおもうのだが!」


「がっかりさせたくなから頑張ってるだけ結構ぎりぎりで生きてます」




 ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ残念そうな顔をするけれど仕方ないことなので特に慰めたりはしないというかできない。
 世の中の大多数はハーゼン金属強度なんて単語をまず知らないし、アインシュタインの名言もとっさに会話に出してこない。きっとまだ古典の源氏物語のほうが知っているし話題にあがるだろう。昔やったよねとかなんとかそういう感じで。




「好きなことを共有できないというのはとても残念だなあ」


「あんまり熱がこもってるから聞いている方が委縮するんですよ、きっと」


「どうしようもないじゃないか、研究者なんだぞ」




 それはまあ一理どころか十理くらいあるなと思ったので頷いておく。好きなもの、自分たちのは趣味ではなく生きがいと呼べる。そもそも好きで面白いから関心が高じて院にくるまでに至るのだ。
 先輩はちょっとばかし情人離れしているというだけで、その辺りは研究室のメンバーもあんまりかわらないし、その熱自体は理解できる。話してる内容が小難しいだけで。博士号ストレート待ったなしなんていわれている人間の頭の中なんてわからないほうが良いのかもしれないけれど。




「そんなことよりいつまで逆さ眼鏡かけてるんです?」


「すまんな、君と目が合わないようにするにはこれが一番合理的なのだよ」


「よっぽど嫌われてます?泣けてくるんですけど」


「どうしてそうなる。いやだってほら、なんか、よく目があうだろう?話しているときは」


「話してる相手の目を見ましょうって小学校でもやりますよね」


「根が人見知りだから苦手なんだよ! 知ってるだろ! 祖、そもそも君がずかずか人のペースを乱すからこっちはいろいろ困ってて……」




 そういえばそうだった。この人はパーソナルスペースがめちゃくちゃ広いのだ。いったん懐に入ってしまえば猫のように他人を振り回すくせして最初は一言も話してくれない。挨拶もままならない。おかげで学士の一年生たちはなんか怒らせたんじゃないかとか落ち込みながら帰っていくことも多い。ただの人見知りなんだけど。




「でも僕のこと嫌いじゃないでしょう?」


「う、ま、まあ、好きか嫌いかで言えば、好きだと思うけどそれとこれとは全く別の話では?」


「はっきりさせておきますけど、僕は先輩が好きだからこういうお遊びに付き合ってるんですよ。可愛いから仕方なく甘やかしてるんですからね、もう少し僕の気持ち汲んでくれても良くないですか?」


「す、好き!? 好きって言った!?」


「あ、しりとりのルール破りましたね?」


「あ!」




 先輩のお遊び。
 様々あるけれど今日の先輩のお遊びは「会話をしりとりで行うこと」だった。我ながらよく付き合ったと思う。
 ルールは三つ、「ん」が付いたら負け、1分黙ったら負け、続きでない文字から始めたら負け(ただし研究の意見質問は含まないものとする)だった。今僕は「か」で終えたのに先輩は「す」で始めたから今日のお遊びは僕の勝ちだ。




「ずるいぞっ、勝つために嘘つくなんて!」


「人の告白、嘘呼ばわりしないでくれます?」


「へっ、え、あの、いや、えっと」


「で? 今日は僕が勝ったから、僕のお願い聞いてくれるんですよね? 僕のこと好きですか? 好きだったら付き合ってください」




 この人が求めているハッピーでクレイジーでデンジャラスな出来事なんて起きなくていい。どうせだったらこの人を楽しませるのは僕自身の手でどうにかしたいじゃないか。




「今日のお遊びはおしまいですか?」


「な、なんか違うことかんがえ……あっ、眼鏡かえせっ」


「裸眼で世界を見たほうがもっと衝撃的だとは思いませんか?」


「君の顔は心臓に悪いんだ!!」




 この世界は退屈だ。
 だからこそ人間は、ハッピーでクレイジーでデンジャラスな出来事を渇望している。
 たとえばそう、今日みたいな。

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