アイドルとマネージャー
第1章 疑惑
恵理さんは、千尋、結衣、俺の順に顔を見渡してから、重い口を開いた。
「修二君。私は悔しいと言ったね」
「…はい」
「君の言った通り、結城ひかりは、あの娘は、逸材だと私も思っている。なんたって、私が見つけてきたんだからな」
グイッとビールを飲み干し、おかわり〜!という恵理さんを、結衣が心配する。
「飲みすぎではないですか?」
「大丈夫、大丈夫」
可愛らしく、ピースサインで答える恵理さん。
きっと、飲まずにはいられないのだろう。
なぜなら、今日この日をもって、北山恵理というマネージャーは、終わりを迎えるのだから。
恵理さんは、届いたビールジョッキを見ながら語り出した。
「本当であれば、ずっとひかりの側にいたかったさ…考えてみろ?芸歴30年のベテランに、僅か1年足らずだったひかりが、噛み付いたんだぞ?」
「…それは」
「そう。世間知らずもいいところだ。馬鹿か?と尋ねたくもなる。しかし、しかしだ。私はあの瞬間から、結城ひかりのファンになったのさ」
遠い記憶のようで、近い記憶。
マネージャーである俺には、良く解る話しだった。
タレントが歩んだ分だけ、マネージャーの足跡がある。
タレントの記録の分だけ、マネージャーとしての記憶がある。
「…だ、だったら、続ければいいじゃないですか!」
思わず、大きな声が出てしまう。
「……それは出来ない」
「だ、だからどうしてですか!?」
噛み付くように喋る俺に対し、恵理さんは真剣な表情を見せる。
「私に、疑惑がかかったからだよ」
「な!?ぎ、疑惑?」
意味が分からなかった。
俺のいなかった1年間の間に、一体何があったというのだろうか。
「そうだ。君も聞いた事があるだろう?」
固まる俺に対し、恵理さんは目を逸らしながらも、疑惑について答えてくれた。
「枕営業という言葉を」
「ば、馬鹿な!?」
枕営業とは、男女の肉体関係をもつかわりに、仕事をもらうという意味である。
「そ、そんなの、ただの噂でしょ!?」
馬鹿げている。
噂を耳にした事があるだけであり、実際にあったなどと聞いた事がない。ましてや、あの恵理さんがだ。する訳がない。
そう思うが、動揺は隠せていなかった。
「そう。ゲスの勘ぐりってヤツだろう」
仕事が出来る女性。
見た目がいい女性。
働く女性にとって、一番嫌な理由だと言っても過言ではない。
頑張ったのにだ。
その評価は、実力ではなく見た目で判断されてしまう。
それが、どれだけ悔しい事なのか。
千尋と結衣にしか、分からない気持ちである。
「噂は噂。気にせずに、一緒にやりましょうよ!恵理さん!!」
「私だって続けたいさ!しかし、それは出来ないんだ!!」
ジョッキをドン!!っと置き、声を荒げながら続ける恵理。
「ひかりに仕事が入るのは実力だ。それがどうだ?私の体で仕事が入るなどと言われるんだぞ!」
「言わせたいヤツには、言わせておけばいいじゃないですか!」
「それで、ひかりが噂されるようになってもか?」
「…え?」
押し問答のような会話。
恵理の返しにより、ピタリと止まる。
「私だけならまだいい。しかしだ。ひかりにもそんな噂が流れ始めたら、それこそアイツは終わってしまう」
正直、返す言葉が見つからなかった。
恵理さんはひかりの事を思って、マネージャーを辞めると言っているのだ。
「シュウ君。恵理さん。少し落ち着いて」
ヒートアップしていく俺と恵理さんを、千尋がなだめる。
「悪かった」
「いえ。けど、けど、やっぱり納得出来ません。だって悔しいじゃないですか」
良くある話しだ。
世間から不良だと見られている人と仲良くしていると、自分まで不良だと見られるから、付き合うのをやめなさい。みたいな話しだ。
うるせーよ。
自分の事は自分で決める。そうだろ?
「あぁ。悔しいな。けど、ひかりの為なんだと思ったら、私の夢は諦められる。いや、半分諦められると言ったところか」
そう言って、美人すぎるマネージャーである北山恵理は、クスッと笑った。
「最後に一つだけ教える事があると、私は言ったね」
「…はい」
「修二君。君は神姫雪の事で随分と悩み、苦しみ、そして立ち直った」
「…恵理さん」
神姫雪の話題が出た為、結衣が話しを終わらせようと動く。修二だけではない。千尋や結衣にも関係がある話しであり、話しを蒸し返す必要があるのか?と、思ったからだろう。
「まぁ聞きたまえ。修二君。考えるべき事は色々と考えた事だろう」
「…はい」
「千尋君や結衣ちゃんはどうだね?」
恵理さんにそう尋ねられた二人は、無言のままであったが、恵理さんはそれをイエスと受け取った。
「では聞こう。神姫雪が病気を隠してまで、この世界に足を踏み入れたのは何故かな?」
三人の動きが、ピタリと止まる。
「ネガティブな事ばかり、考えてしまいがちだが、考えるべきポイントを変えてみてほしい」
「ポイント…ですか?」
「そうだ。君たちに夢があるように、雪にも夢がある。勿論、ひかりにも私にも夢がある」
「テレビにたくさん出る事…が、アイツの夢でした」
雪の日記の事を思い出しながら、俺は口を開いた。
「そうか。もしそうなら、君は雪の夢を叶えた事になるな。いや、実際の真の夢も叶えているのだから、もしそうならと言うのは変か」
「真の夢…ですか?」
「今となってはあってるかどうか、わからない事だがね」
そう言って、可愛らしくウィンクする恵理さん。
「きっと彼女は、この世界に自分がいた証を、残したかったのではないかな?」
「あか…し、ですか?」
「そうだ。修二君。人は皆、いつか死ぬ。それは決められた運命であり、私達はそれを受け入れている。駄々をこねても仕方がない事だろ?」
考えた事もなかった。
自殺した理由ばかり探していたのだから。
「この世界において最も怖いのは、忘れられる事だと、私は思っている。雪が死んで5年、あるいは10年過ぎた時、一体どれだけの人が、神姫雪を覚えているかだ」
「…私たちは忘れません」
「そうかもしれない。そして、雪の家族も忘れないだろう。しかしだ。神姫雪は求めた」
「求めた?」
「そうだ。先ほども言ったように、自分が生きていた証を、残したかった。そしてそれを、修二君。君は見事に叶えている」
「…CM女王」
「そうだよ結衣ちゃん。例え、私たち以外の人が忘れたとしても、きちんと記録は残っている。この先、もしも私たちが忘れたいと願っても、記録が忘れさせてくれない」
タレント名鑑や、様々なランキングが残っているのだから、その年のヤツを調べれば、必ず神姫雪は載っている。ネットもそうだ。
芸能界に身を置くなら、常に身近な物である。
「長くなってしまったね…つまりだよ修二君。彼女は皆んなから忘れられるのが怖かった。誰にも知られずひっそりと死ぬのが怖かった。そして、自分が生まれてきた意味を、求めたんだ」
「生まれて…きた…意味?」
涙声になりながら、俺は尋ねた。
「そうだよ修二君。神姫雪の事が好きな女子高生や女子中学生は、服装や髪型など、彼女の真似をするだろう。男子はアイツのポスターや理想の女神像を想像するだろう」
好きなタイプは?神姫雪です。みたいな事だ。
「勿論、彼女の夢は、テレビにたくさん出る事なのだろう。では、テレビにたくさん出た後の、彼女の次の夢について考えるべきだ。だからね、修二君」
グイッと肩を抱き寄せられ、彼女は囁いた。
「君は誇るべきなんだよ。自分が担当しなければなどと、考えるべきじゃない。君が担当したから、彼女の夢は叶った。同様に、千尋君や結衣ちゃんも同じだ。君たちが彼女を事務所に所属させたんだろ?いくつものオーディションに落ちていた彼女を、いずれ女王に君臨する彼女をだ。ダイヤの原石を、君たちは見つけた」
「恵理さん」
「胸を張れ!そうでなければ報われない」
恵理さんは、誰が。とは、言わなかった。そして俺たちも、それを聞かなかった。
誰が何て、言わなくても解るだろ?
「さて、長々と話してすまなかったな。私が辞める理由は話したね。君に最後に教えたかった事も教えた。プハー!おじさん!おかわり」
「お、おじさん!俺もおかわり!」
「わ、私も。結衣も飲む、でしょ?」
「…いただきます」
恵理さんに続くように、俺たちはビールを飲む。
やはりこの人は凄い、と、俺は感じていた。
マネージャーとしてではなく、北山恵理という存在にだ。
「さて、最後は私の夢について語ろう。君たちに関係する話しでもある」
そう言って、彼女は夢を語り出した。
寂しそうな表情なんかではない。
希望に満ちた、そんな表情であった。
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