三題噺『ハンカチ、自転車、ひな祭り』
三題噺『ハンカチ、自転車、ひな祭り』
彼女を一目見たとき、世界がガラリと変わった。
周りの景色が鮮やかに染まり、克明に光って見えた。
今までレンズキャップをつけたまま見ていたんじゃないかと思えるような。
その日は、中学の入学式に始まった。
慣れない制服に身を包んだ僕は、教室で一人の女の子を見つけた。
朝の光で淡い栗色に染まった髪が、小さい体を覆い、キラキラと光っていた。
彼女は窓際で、後ろ席の女の子と楽しそうに話していた。
僕はその柔らかい笑顔や、ときどき頬をなでる細い指なんかに夢中になった。
僕の周りから生徒が消え、教室が消え、やがて彼女だけになった。
ただただ、彼女を見続けていた。
それが始まりだった。
あの時の、身体中の皮膚が疼くような感覚を、僕は今でもはっきりと思いだせる。
そうだ。あれが恋の始まりだったのだ。
HRの出席確認で、彼女の名前が半田千佳だとわかった。
よくはわからないが、なんとなく彼女のイメージに合ってると思った。
なんとか半田さんに近づきたかった。
でもどうすればいいのか、当時の僕にはわからなかった。
情けないことに、僕はそれまで女の子と会話した経験がほとんどなく、
友達と話すのも苦手だった。
どうして小学校のときに克服しなかったのだろう。
自分の人生を少し後悔する。それは今も続いている。
そんな僕に半田さんと会話する機会はなく、
いつしか僕は、彼女への気持ちを忘れるようになっていた。
だが、そんな僕にも転機が訪れた。
半田さんが僕のハンカチを拾って、僕の席まで届けに来たのだ。
世の中というのは不思議なものだと思った。
僕が彼女のことを忘れた途端に、彼女と話す機会が出来るなんて。
もしかしたら、僕が恋に夢中になっていて気付かなかっただけで、こんな機会は何度もあったのかもしれない。
僕はこの機会を逃すべきではなかった。
なんとしてでも彼女の心に働きかけるべきだったのだ。
多分、永遠にこのことを後悔するだろう、という予感はあった。
でも、僕は感謝の言葉を伝えるだけで精一杯だった。
僕はそれ以降、彼女のことを考えるのをやめた。
考えなくなったのではなく、やめたのだ。
これは僕が背負うには大き過ぎると思った。
樹木が揺れ動く葉っぱを落としてしまったように、
僕の心には風が吹き抜けるようになった。
つまらないと思うものが増えるようになった。
勉強も部活も、以前ほどの入れ込みはしなくなった。
時々友人から気にかけられたが、僕は何でもない風を装った。
ちょうどその頃、半田さんが付き合っていることを知った。
もうどうでもいいさ。
綺麗に忘れたのだから。
ひな祭りのときの雛人形みたいに、
一年に一度押入れから引っ張りだして眺めるようなことはしたくなかったから。
完全に消してしまいたかったんだ。
そんな風にして季節は積み重なっていった。
どんな季節も前の季節の上に成り立っているのだ。
新しい季節が来たからといって変わり映えするものではない。
こういった積み重ねの先に卒業があり、次の入学もあるのだ。
淡々と卒業式を済ませて、自転車に乗って帰っていると、
歩道にハンカチが落ちているのを見つけた。
その上にすらりと伸びる細い足も見つけた。
”おそらくは彼女が落としたものだろう”
僕がそう気づいたのは、それから30秒後くらいだった。
もうすでに角を幾つか曲がり、彼女の姿もハンカチも遠ざかっていた。
だが、僕はそれを後悔することも、引き返そうとすることもなかった。
あれ以来、僕はハンカチとは違う季節の上で生きているのだから。
その選択をした以上、戻ることはできない。
中学生活最後の帰宅で、そんなことを確認する僕だった。
周りの景色が鮮やかに染まり、克明に光って見えた。
今までレンズキャップをつけたまま見ていたんじゃないかと思えるような。
その日は、中学の入学式に始まった。
慣れない制服に身を包んだ僕は、教室で一人の女の子を見つけた。
朝の光で淡い栗色に染まった髪が、小さい体を覆い、キラキラと光っていた。
彼女は窓際で、後ろ席の女の子と楽しそうに話していた。
僕はその柔らかい笑顔や、ときどき頬をなでる細い指なんかに夢中になった。
僕の周りから生徒が消え、教室が消え、やがて彼女だけになった。
ただただ、彼女を見続けていた。
それが始まりだった。
あの時の、身体中の皮膚が疼くような感覚を、僕は今でもはっきりと思いだせる。
そうだ。あれが恋の始まりだったのだ。
HRの出席確認で、彼女の名前が半田千佳だとわかった。
よくはわからないが、なんとなく彼女のイメージに合ってると思った。
なんとか半田さんに近づきたかった。
でもどうすればいいのか、当時の僕にはわからなかった。
情けないことに、僕はそれまで女の子と会話した経験がほとんどなく、
友達と話すのも苦手だった。
どうして小学校のときに克服しなかったのだろう。
自分の人生を少し後悔する。それは今も続いている。
そんな僕に半田さんと会話する機会はなく、
いつしか僕は、彼女への気持ちを忘れるようになっていた。
だが、そんな僕にも転機が訪れた。
半田さんが僕のハンカチを拾って、僕の席まで届けに来たのだ。
世の中というのは不思議なものだと思った。
僕が彼女のことを忘れた途端に、彼女と話す機会が出来るなんて。
もしかしたら、僕が恋に夢中になっていて気付かなかっただけで、こんな機会は何度もあったのかもしれない。
僕はこの機会を逃すべきではなかった。
なんとしてでも彼女の心に働きかけるべきだったのだ。
多分、永遠にこのことを後悔するだろう、という予感はあった。
でも、僕は感謝の言葉を伝えるだけで精一杯だった。
僕はそれ以降、彼女のことを考えるのをやめた。
考えなくなったのではなく、やめたのだ。
これは僕が背負うには大き過ぎると思った。
樹木が揺れ動く葉っぱを落としてしまったように、
僕の心には風が吹き抜けるようになった。
つまらないと思うものが増えるようになった。
勉強も部活も、以前ほどの入れ込みはしなくなった。
時々友人から気にかけられたが、僕は何でもない風を装った。
ちょうどその頃、半田さんが付き合っていることを知った。
もうどうでもいいさ。
綺麗に忘れたのだから。
ひな祭りのときの雛人形みたいに、
一年に一度押入れから引っ張りだして眺めるようなことはしたくなかったから。
完全に消してしまいたかったんだ。
そんな風にして季節は積み重なっていった。
どんな季節も前の季節の上に成り立っているのだ。
新しい季節が来たからといって変わり映えするものではない。
こういった積み重ねの先に卒業があり、次の入学もあるのだ。
淡々と卒業式を済ませて、自転車に乗って帰っていると、
歩道にハンカチが落ちているのを見つけた。
その上にすらりと伸びる細い足も見つけた。
”おそらくは彼女が落としたものだろう”
僕がそう気づいたのは、それから30秒後くらいだった。
もうすでに角を幾つか曲がり、彼女の姿もハンカチも遠ざかっていた。
だが、僕はそれを後悔することも、引き返そうとすることもなかった。
あれ以来、僕はハンカチとは違う季節の上で生きているのだから。
その選択をした以上、戻ることはできない。
中学生活最後の帰宅で、そんなことを確認する僕だった。
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