ニートは死んでも治らないっ!

史季

あなたに雇ってほしい

 目を覚ますと、白い空間にいた。


 それは今まで見たどんな白とも違っていた。
 辺り一面雪で覆われた感じではなく、本当に何も感じない虚無の空間だ。何もかもが無感覚で、自分がどこにいるのかさえわからなかった。
 僕はその空間の中で、取り残されたようにぽつんと立っていた。


「また、来たのね」


 どこかから女の子の声がした。ユキの声ではない。
 それは遥か遠くから聞こえるようでもあり、自分の内側から聞こえるようでもあった。


 僕はその声をする方向に歩くと、足に何か抵抗を感じる。
 水があった。僕はその中へ進んでいく。浅い川の中を歩いていく。


 この空間には覚えがあった。以前に見た夢と同じだった。
 違うのは空の色だ。薄暗い仄かな灰色ではなく、はっきりとした白だった。


 その中で、細かな塵が舞っている。塵は差し込んだ光を鋭く屈折させ、乱反射させ、あたりをより一層白く見せた。
 あの灰色はどこへ消えてしまったのだろう。


 これは夢だ。僕はそう言った。口にすると現実のように感じるが、本当に夢だ。
 けど、もし「死後の世界だ」と言えば、本当にそうなる予感もあった。


「本当に良かったの?」


 声は続ける。一体誰の声だろう。
 僕は今までに出会った人々の声と照合してみたが、誰一人ヒットしなかった。そして、言っている内容にも心当たりがなかった。


 良かった? 何のことを言っているのだろう? 頭の整理がうまくできない。
 時間と場所が宙吊りになっている。僕はどこからこの世界に来たのか。今はいつなのか。


 答えを知りたくて、声の方へ向かって歩き続ける。ユキの声ではない。
 それは、イヤホンで聴くお気に入りの音楽が時折見せるような、何か宿命的な感じのする声だった。
 聞けば聞くほど、心が満たされていくような感じだ。


 やがて、人の影のようなものが現れる。よく目を凝らすとわかった。
 折り紙の説明書みたいに、真っ白な空間に点線が浮かんでいる。


「君は……誰?」
「私はあなた自身」


 声はそう言った。話すと、点線の傾きが少しだけ変わった。


「私はあなたの影であり、あなた自身でもある。
 そしてあなたの守護霊でもあり、あなたが追っていた平衡思念でもある」


 ……どういうことだ?


「僕自身ってことは、僕のTSっ娘?」


 僕は混乱して、つまらない冗談を言ってしまう。


「もちろんよ。私はありとあらゆる存在だから、TSっ娘でもあるの」


 冗談に乗ってくれた。なかなかノリのいいヤツだ。


「君はここで何をしているの?」
「あなたを待っていたのよ」


 細かな塵がいくつも舞って、光と戯れている。
 止まってるような空間の中で、塵だけが現実的に動いている。


「僕を? どうして?」
「あなたは混乱してる。夢と現実の間の出来事に振り回されて、分別がつかなくなってる。そんなとき、私はいるの。正確には、あなたが私を求めているの」


 僕が彼女を求めている? 僕は彼女を見る。点線だけで、存在が危うい彼女を。


「君は平衡思念でもあるの? どうして平衡思念はこんなひどいことをするの?」
「バランスをとるため。この世界から溢れ落ちないように留まるためよ。古代人は、地球は平らで、地の果てに行くと端から落ちると考えていたの。あれは、ある意味では本当のことなの」
「バランスが必要なんだね?」
「そうなの。進化論は知っているわね。強者ではなく適者が生き残る。王者のライオンは絶滅危惧種になった。同じなのよ。平衡思念は、強い作用を調節している」
「僕は平衡思念を倒さなければならないと思っていた。けど、千聖さんは生徒会長を糾弾しなかった。僕には何がなんだかよくわからないんだ。どうすれば問題が解決するのか」
「言ったでしょう。私はあなた自身よ。私を倒すことは、あなたを倒すことと同じなの」


 彼女の言葉を反芻する。「私はあなた自身」。
 ……平衡思念も、僕自身という事なのだろうか。そんなはずはない。
 ヤツラは僕の意思とは無関係に行動し、僕の大切な人を苦しめていた。


「平衡思念があるせいで、みんなが迷惑してるんだ。目に見えない問題を、弱い人に押し付けてる。ユキは霊界の問題を押し付けられたし、ももかだって学校の問題を押し付けられてた」
「けど、そのおかげであなたは敵が見えるようになった。私がいなければ、あなたは行き場のない怒りを抱えるしかなかった」
「……でも……何も解決してない」
「何が問題かがわかれば、問題を解いたも同じ」


 点線が揺らめく。笑っているのだろうか。


「全然解けてないよ。多分、ここは夢の世界だ。目が覚めたら、また同じ問題がおこる」
「平衡思念を呼び起こすのは心の不均衡よ。心の均衡を乱す原因がわかった以上、問題は起こらない。
 あなたのいう哲学的問題も、何を誤解したのかという問題がわかれば解けたと同じで、なぜ誤解したのかまで考える必要はないの」


 そういえばそうだ。どの言葉を誤解したかがわかれば、問題は解かれている。


「もう、自分を許してもいいの。私は必要ないわね」
「待って、消えないで! せめて点線だけは残して!」




 ◇◆◇◆




「れいくん」


 何かが聞こえる。誰かの声だ。
 それが僕に向けられたものだと気づくと、徐々に意識が戻っていく。


 うっすらと目を開けると、ぼんやりした闇に少し光が灯る。独特の臭いと不気味なほど白い天井とシーツが、ここが保健室であることを教えてくれた。


「よかったー。気がついたんだね」
「ここ、保健室? どうして?」


 僕は思い出そうと意識を集中させた。確か、会長をまじえて遊んでいたら、急に意識が飛んでしまって……。


「叩かれて意識を失ってたんだよ。覚えてないの?」
「……覚えてない」


 頭の中に薄靄がかかったような感覚がある。意識を集中しようとしても、記憶の欠片が断片へと砕けていく。
 そんな中で、手の大きな痛みだけがジリジリと何かを訴えていた。僕はその原因を思い出そうとしたが、だめだった。
 けど、何か取り返しのつかないことをした気がする。一体何なのだろう。


「ようやく目が覚めたのね。全く、あれくらいでだらしないんだから」


 ももかの隣から、いつもの罵声が飛んでくる。声の方へ目を向けると、尖った唇と、ほんの少しそらした吊り目がそこにあった。


「愛樹、目が腫れてるけどどうしたの?」
「べ、別に腫れてなんかないわよっ。これは、その……アイシャドウ塗りすぎちゃっただけなんだから」


 失敗したんなら塗りなおせばいいのに。
 まぁ、もしかしたら塗りなおしが利かないのかもしれないから、変に口出しするのはやめよう。女の子はいろいろ大変なんだ。
 ももかもくすくす笑ってるのし、きっと化粧あるあるなんだ。


「お、もう目が覚めたのか。寝てる間にしたいイタズラがまだあったんだが」


 千聖さんが入ってくるなり、とんでもないことを言う。
 そして手に持ってる注射器はなんですか? どこに挿すつもりなんです?


「喜べ。わが幽霊部は存続することになったぞ」


 謎の持ち物のせいで一瞬呆気にとられていたが、すぐに部屋に喜びが広がった。


「え、本当?」
「幽霊部としてではなく、悩み相談部としてだがね。もちろん、活動内容はこれまでと全く同じだ。看板を掛けかえるだけだよ」
「会長は何て言ってるんですか?」
「何も言っていない。まるで昨日のことなんてなかったかのようだった。でも、パンツの色は白だった。それだけは間違いない」


 そんなことを確認しないで欲しい。この人は、地球が滅亡する前日にも下着の色を調べるに違いない。


「それと、渡辺さんの事件だが、加害者の方が名乗りでたそうだ。今職員室で話してる。あと、渡辺さんのパンツも白だった」


 もう下着はいいよっ。性懲りもない下着魔神に皆があきれる中、ももかだけが優しく手招きする。


「ちぃちゃん。そんなに離れてないで、こっち来ようよ」
「特等席が二つとも取られているからな。第三夫人の座に甘んじるのは私のプライドが許さない」


 なんだそりゃ、と思っていると、愛樹とももかは真っ赤になって俯いている。
 風邪でも引いたのかな。目が少し震えて、潤んでいるように見える。
 やがて目が合うと、愛樹は少しの硬直の後、意を決したかのように口を開いた。


「そ、そう言えばさ……」


 真っ赤になったまま愛樹が言うと、ももかの目も注意深く注がれる。
 何か重大発表があるのだろうか。


「昨日の罰ゲーム……まだ誰が一番好きなのか言ってくれなかったわね?」


 罰ゲーム……そういえばそんなこともあったな。
 あの時、僕は何かを答えた気がするけど、内容が思い出せない。
 一体何を言ったのだろう。とんでもないことを言っていなければいいけど。




 ◇◆◇◆




「霊魂の重さを量る方法を知ってるか?」


 唐突に千聖さんが言った。
 いつもなら一緒になって僕をからかいにくるのに、どうしたんだろう。
 けど、僕には好都合だった。話題をそらすために、素早く千聖さんにのる。


「霊魂の重さですか? 多分、0なんじゃないかと思いますが」
「0ではない。霊を重さを量るには、死ぬ瞬間に人間の体重を量るんだ。人間は死ぬ瞬間、体重がわずかに減る。死ぬ前と死んだ後、体の構成物質は変化せずにな」
「……その差分が霊魂ってことですか?」
「かもな。たいていの科学者は『体内のエネルギー伝達機能が損なわれたからだ』と言ってるが」


 なるほど。すごくためになるし、愛樹とももかは僕への罰ゲームを忘れて頷いている。このまま場外ルートでゴールインしてしまおう。


「では、DNAを採取する方法を知ってるか?」


 さらに千聖さんが言った。


「ええと、理科の授業でやったような気が……すみません覚えてないです」


 幽霊とDNAって何の関係があるんだろう……?


「例えばブロッコリーの場合、エタノールを混ぜてすりつぶしたものを水で濾して、濾液に塩とエタノールを混ぜる。DNAは水素結合によって二重螺旋構造を形成しているから、塩水と混ざる。一方、細胞膜は脂肪で構成されてるから、エタノールと混ざる。結果、上の層に細胞膜、下の層にDNAが集まる。これは相溶性の原則と言って、内部エネルギー密度が近いもの同士は混ざりやすいんだ」


 うーん……やったような気は……する、な。「ゼミでやったのと同じ問題だ」となればいいが、残念ながらゼミはやってなかった。


「もし霊魂と肉体の内部エネルギー密度が異なるのなら、霊魂の内部エネルギー密度に近いものと、肉体の内部エネルギー密度に近いものをまぜて容器に入れ、人間を入れれば幽体離脱ができるかもな」
「へぇ……それで、霊魂に近いものって何ですか?」
「それはわからない。現状、霊そのものじゃないとダメだろう。だが、霊そのものとは何であるか、決めるのは難しい。結局正体は掴めないんだ」


 霊の正体。僕にもよくわからない。
 けど、きちんと向き合えば、答えは見えてくる気がする。


「それにしても、どうしてこんな話を始めたんですか?」
「霊が生まれる理由さ。もしかしたら、この世界とは別の場所に、自分の精神に近い世界があるせいなのかもな、と思ったんだよ」


 千聖さんは窓の外を見ながら言った。その目は、少し力なさげに動いていた。


 僕たちもつられて窓の外を見る。
 下には色とりどりの花壇が並んだ裏庭、上には曇天の中にわずかな切れ目があり、夏の光が差し込んでいた。
 どこか別の世界からきた光のようだった。その光は複雑に屈折や反射をし、どこかへ弾けていくように見える。


 僕は夢の光景を思い出す。僕の影だと言っていたあの声。あれは本当に、別の世界にいる僕自身なのかもしれない。僕の霊は、あの声の元へと行きたがっているのかもしれない。


「それに、玲がもし3人共好きになったとき、霊を分離できれば3人同時に付き合えるだろう? ももかに肉体の上半分、愛樹に下半分をあげて、私は精神だけを頂こうかな」


「怖いこと考えないでください」
「じょ……上半身っ?!」
「下半身だなんて、そんなの……」


 怖がってる僕をよそに、二人はなんだか楽しそうにしてる。
 ももかはノートで顔を隠している。


「あ……そのノート」
「これ? 昔の部のノートのなの。見て見てっ、消えてた記事が戻ってるの」


 ももかが広げたページを見る。いつか千聖さんに見せてもらったページだ。
 あの時は、漁港の堤防みたいな形の空白があった。今はしっかりと文字で埋まっている。


 平衡思念は去っていったのだろうか。
 僕自身だといっていたあの人はまだあの空間にいるのだろうか。


 記事も戻ったし、廃部も取り消し。
 幽霊の噂も、そのうちなくなるのかもしれない。


「って違うでしょうが! 罰ゲームの答えがまだなのよ! 人にだけ恥ずかしい思いさせといて、逃さないんだからね」


 くそっ、覚えていたか。誰を好きかなんて、別に決めなくてもいいじゃないか。
 全く、愛樹といいユキといい、どうして恋愛にあれこれ突っ込むんだ。


 ――あれ? そういえばユキはどこだ?


 僕はあたりを見渡す。三人の美少女、先生の机、スチールの薬品棚、カーテン、隣のベッド。
 どこにも見当たらない。旅先の店や新聞の隅にでもいるのだろうか。


「れいくんどうしたの? 何か失くしちゃったの?」
「手伝うわよ。何を探せばいいの?」


 ももかと愛樹が心配そうに言う。
 けど、この二人にはユキのことはまだ言ってない。


「幽霊に取り憑かれた」なんて言ったら、ももかは必死に策を講じて、僕の体を隅々までいじくり回すから、結果的に愛樹からものすごい蹴りをくらってしまう。


 ――って待て待て。なんで僕はユキがいなくなって不安になるんだ。
 ユキはきっと成仏したんだ、それでいいじゃないか。




 ◇◆◇◆




 愛樹とももかに自宅まで送られた後、急に疲れが出て、無意識のままベッドに転がり込んだ。
 さっきまで保健室で寝ていたはずなのに、まるでずっと起きていたかのような疲れだった。


 もしかしたら、あの夢が関係しているのかもしれない。
 僕は何もない空間を当てもなく彷徨っていた。
 そして、謎の女性と出会った。僕のTSっ娘でもあると言ったあの子だ。


 僕は彼女との会話を思い出そうとしたが、もやがかかった景色のように霞んでいく。
 何か大事なことを聞いた気がする。今回の事件を解決するための、重要な手がかりを。


 僕は思い出すことを諦めた。多分、覚えていてもどうしようもないことなのだ。
 今回の事件を知ったところで、次の事件には何の役にも立たないのだから。
 それは人の死に似ている。何度経験しても、傷を癒やす訓練にはならない。


 ユキはどこへ行ったのか。きっと、もう僕の元へは戻らないのだろう。


「あ、おかえりなさい」


 だから、今僕に話かけているのは本物のユキじゃない。多分幽霊だ。
 ……あ、違うな。幽霊なのは元々か。……幽霊の幽霊って、なんて言うんだろう。


「ちょっとー、何か言ったらどうなの?」
「……ユキなの?」


 僕は確かめるように聞いた。
 ベッドから起き上がると、隣には腰掛けているユキがいた。


「もちろんよ」
「あのぺったんこで、口が悪くて、ちょっぴりエッチなユキ?」
「……レイくんの中の私って、そうなのね」
「ニート→無職→無色→白→雪っていう、適当な連想ゲームで名付けた、あのユキ?」
「その情報は聞きたくなかったけど、まぁそうね」
「どうして家へ居たの?」


 会話をしている内に、ユキがいるという実感が強くなってくる。
 こういう馬鹿な会話ができるのは、紛れもなくユキだけだった。


「ほら、ニートって自宅警備員と呼ばれることもあるでしょ。だからニート幽霊の私はレイくんの家を守護してたってわけよ」
「守護って……何から守護してるの?」
「あのね、レイくん。守護の最終目的は、目的の忘却にあるのよ。目的をもっている人は、目的が果たされた瞬間に守護をやめてしまう。けど、それは本当に正しいことなのかしら」
「いや、そういう屁理屈は良いから、本当の理由を知りたいんだ」
「……実を言うと、ちょっとレイくんを揺さぶろうと思ってたの。ほら、あんな事件の後でいなくなったら、レイくんは私が気になってしょうがなくなるでしょ? 不安になってあちこち探してる内に、やっぱりユキは僕の守護霊だって思うんじゃないかって閃いたの」


 なんだそれは。あまりにもバカバカしい理由で、肩の力が抜ける。少し高鳴っていた僕の心は、見事に平常に戻っていた。


 戻ったと言えば――僕は、ユキの肩に手を置く。確かなユキの感触が伝わってくる。ユキは元に戻っていた。


 昨日の出来事のおかげだろうか。よくわからない。
 けど、多分いいのだろう。この感触が全てなんだ。


 ――っと、そういえば肝心の問題が片付いてなかった。
 平衡思念やら幽霊部やら海千やら山千やらで、ユキとの守護霊契約をほったらかしだった。


 けど、今はもうユキが守護霊かどうかなんてどうでもよくなってきた。
 ユキといると、悪いことばかりではないみたいだし。恋愛を強要されるのは困るけど、女の子が楽しくしてるのを見るのは悪い気分じゃない。
 別にいてもいいのかもしれない。


「やっぱり、私の作戦は成功ね。これからもよろしくね」
「ま……そう、だな」


 ユキが笑う。真夏の向日葵のような、晴れやかな笑顔だ。
 僕はそれを見て、そのまま成仏しそうだなぁと思いながら、両の掌を合わせた。


「どうして手を合わせてるの?」
「本を閉じたんだよ。これでこの話はおしまい」

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