ニートは死んでも治らないっ!

史季

秘密と内緒

「あらあら、可愛いお客さんがきたわね」


 ももかに鼻を押さえられながら保健室へ着く。
 夜に来た時とは違う、親しげで明るい光に思いを馳せていると、柔らかい声が迎えてくれた。


「先生~、けが人ですー」


 正直、僕の怪我はそんなに大したことはない。
 でも、ももかが手厚く扱うので、ちょっとだけ病人っぽく振る舞ってしまう。


 ふらふらと歩いて、少しだけももかに寄りかかる。
 この腕の感触がいつまでも続けばいいな、と思いながら。


「ももか、もうちょっとゆっくり」


 だから、先生に呼ばれて早足になっていたももかを僕は宥めた。
 できることなら先生が保健室におらず、ももかに看病されるのが理想的だ。


 ところで、女の子に看病される際に重要なことは3つあると思う。


 1つ目、甲斐甲斐しさ。
 大した病気じゃないのに大慌てで包帯や氷まくらを探したりする。
 愛されてる感じがするし、時々低いとこのものを取ろうとしてお尻が持ち上がるのもいい。


 2つ目、羞恥心。
 誰かが保健室に入ってきたら勘違いされるかも、と恥ずかしがる。
 そういいつつも、僕に近づいて手当てをしてくれるのはすごくいい。僕を好きなのに隠している、という感じがする。


 3つ目、責任感。
 自分のせいじゃないのに、自分が気をつけていればこんなことには――と感じてくれる。
 怪我で後悔しているときだとなお良い。後悔があっという間に吹き飛んでしまう。


 自分としては1が姉、2が妹、3が母の特性だと思っている。
 つまり、理想の看病とは姉・妹・母という禁断のトライアングルによって成り立つのだ。
 以上、証明終わり。


「いててっ」


 などと妄想をしていると、鼻に天罰かのごとく激痛が走った。


「この程度の怪我、大したことないでしょ。シャキッとしなさい!!」


 続けざま、叱責が飛んでくる。
 目を開けると、保健室の先生が僕の鼻をつまんでいるのがわかった。


 ぱっちりした目とまんまるの眼鏡に幼さを残しつつも、肩を撫でる髪にはゆるいウェーブがかかり、隙間から白い耳が深海の宝石みたいに覗いている。
 一目で見て美人とわかる顔立ちだ。千聖さんとは別のベクトルの魅力がある。


「わぁーっ、先生!? れいくんは怪我してるんですよ!!」
「いいの。男の子の怪我は痛みを与えた方が治りやすいんだから。同治療法よ」
「どうじ、りょうほう……ってなんですか?」
「病気と同じ状態を与えて、免疫力に頼る治療法よ。例えば、熱のある人を温めるとか、ひきこもってる人を無理に外へ出さないとか」


 つまり、『殴られた怪我を痛みで治す?』。――そんなことで治ったら医者なんていらない。
 この先生、無邪気そうな顔をして、結構怖いことを言うんだな。
 決めた、今後はなにかあっても保健室には来ない。女の子に看病してもらうのは諦めよう。全国の男子の夢がここに散った。


 僕の嘆息をよそに、先生は僕から離れて椅子に座り直す。
 そして、レーダー探知機みたいにして僕の全身に目線を飛ばしてくる。戦闘力でも測っているのだろうか。


「ももかちゃん、部活の方はどう? 順調にやれてる?」
「はいっ。新しい部員が入ったんですよ」


 ももかはそう言って、僕に掌を向ける。


「いいわね。なんであれ手足は多い方がいいわよね。手足もムカデの賑わいってことわざもあるし」
「はいっ。おかげでやれることが増えました。先生とか、生徒会の人達とか、反対してる人もいますけど、わたし頑張ります」
「そうよね。あの人達、なぜか予算の無駄だっていうのよね。それ言うんなら、予選にすら勝てない野球部の予算を削ればいいのに。
 野球部の生徒ってよく怪我してここに来るんだけど、正直言って下手だから怪我するのよって思うわ」


 僕の紹介をするのかと思いきや、なぜか野球部が槍玉に挙げられている。話の展開が急すぎて頭が追いつかない。


「結衣子先生だよ」


 ももかが説明してくれる。この不躾な先生に似合わない柔らかな名前だ。
 どうして知っているのかと思ったけど、そういえば休みがちの時があったって言ってたし、保健室にはよく出入りしていたのだろう。


「いいのよ別に。保健室の先生の名前なんて、知らずに過ごすのが一番だから」


 結衣子先生は言った。まぁ、確かにそうだな。
 怪我も病気もなしで過ごせるのが一番だ。


 よし、この先生とはなんの関わりもなく残りの高校生活を送ろう。
 僕は高校を卒業するまで病気にならないことを選択した。


「ところでももかちゃん。この男とはどういう関係なの?」


 と思った矢先、無関係でいられなさそうな話題になる。僕の後にいるユキの顔は、おそらく満開になっているだろう。
 ひょっとしてこの流れは……。


「れいくんとは同じ部活なんですっ」
「そうなの。それは良いわね。……で、ももかちゃんはその人ことをどう思ってるの?」
「えぇっ?! と、その……、(部活中は)いつも一緒にいてくれて頼もしいし、(黒魔術大全という)分厚い本も読めて賢いし……」


 ももかは、しどろもどろに……いや、這う這うの体になって答える(難しい言葉を使って賢さをアピール)。
 ちなみに、意味があっているのかどうかは不明だ。


 ところで、ももかはいつも、僕の話になると慌ててしまうけど、そんなに言いづらいことなのかな?
 そういえば、中学で隣の人に他者紹介してもらう授業があったけど、相手の人はかなりしどろもどろだった。
 僕は他人にとってかなり扱いづらい人間のようだ。


 結衣子先生はそんなももかの言葉の意味を、埋立地の塩分を吸収する綿花のごとく聞いている。
 柔和な微笑みが優しげで、僕に対してもその笑みの1割でも向けて欲しい。


「それはそれは……」


 そして、仲睦まじい男女に「あとは若い二人で」みたいな感じの相づちを重ねてくる。なんていうか、掴み拠がない先生だな。


 あと、正直居た堪れない。
 僕は治療という名目で来たのに、治療が済んでしまった(というか放棄された)今、非常に気まずい。


 コミュ障の宿命だな、と思う。目的がないと会話ができなくなる。
 どこかから目的が湧き出てこないだろうか。話題の源泉とか。


「あっ――そういう結衣子先生こそどうなんですか? 好きな人とかいるんでしょ」


 湧いた。ちょっと危険な気もするけど、話題が湧いた。
 ビシビシッという地割れの音が聞こえたのは多分気のせいだろう。


「私は生徒みんなが好きなの。男子以外だけどね」
「もぉ~、そうじゃなくて、誰々くんが好きとか、こういうのがタイプとか聞きたいです!」
「そうねぇ……」


 ももかの追及に、先生は少し考え込んだ。その姿が結構様になっていて、僕は引きつけられる。
 まるで、発掘された化石にロマンを馳せる考古学者のような雰囲気だった。
 口からでた言葉が、古の時代から伝えられたメロディように流れ出た。


「心の中に綺麗な風景を持っていて、それをいつまでも持ち続けていようとする人……かな」
「ほぇ~……それってどういうことですか?」
「人間ってね――いろいろなことを経験する度に、いろいろなことを忘れていってしまうのよ。それは忘れようと思って忘れるんじゃなくて、いつの間にか消えているの。まるでかさぶたみたいに。
 でも、それに逆らって、忘れまいと努力してる人は素敵だと思う」


 結衣子先生は遠い目をした。


「で、ももかちゃんの大切な人には、そういう風景があるの?」


 ももかに向けていた目が唐突に僕へと向けられる。って、なんで僕?
 疑問に思って隣を見ると、目が合ってしまったももかが少しあたふたし始める。


「じゃ、ももかちゃんにはある?」


 僕の長考を無視し、先生はももかへと矢先を変えた。
 あるいは、今のは僕に対する質問じゃなかったのかもしれない。だとすると相当に恥ずかしい。女の子と目線が合ったら両想い並の勘違いだ。


 ももかは長い睫毛を伏せて考える。少し長めの沈黙の後、訥々《とつとつ》と言葉が漏れる。


「小さい頃、大切にしてたぬいぐるみがあったんです。いつも一緒にいたんですけど、ある日、目が覚めたらいなくなってた。本当はいたんですけど、けど、ちょっと違うなと思って。みんな何も言わなかったけど、多分あの子は捨てられたんじゃないかって。お母さんは、わたしがあのぬいぐるみをずっと大事にしてるって言うんですけど、わたしは、あの時あの子の手を離した気がして」


 ももかの告白に対し、結衣子先生はそっと答えた。


「それはとても大事なことよ。しっかり覚えておかないと、また同じ目にあうからね。じゃ、そっちの男の子は?」


 僕の方へ話題の不意打ちが来て、思わずたじろぐ。
 ももかの話に夢中で自分のことを考えていなかったのだ。きちんとよそ行きの答えを考えていなかったせいか、僕の口から出たのはひどくぶっきらぼうな物になった。


「そういう考え方はできないと思います。記憶という曖昧なものに対して、意図して覚えてるとか勝手に忘れたなんて区別は難しいですから」


 僕の答があまりに場違いだったせいか、2人が固まる。やっぱりまずかったよな。
 僕も誰か死んだ時のことを言えばよかったのかな。咄嗟に答えるとどうしても変なことを言ってしまう。


 僕はある時から、正しいとはどういうことなのかが気にかかっていた。
 毎日学校に行かなければいけない、ご飯かパンを必ず食べないといけない、空気を乱すことを言ってはいけない、そういう決まりは誰がどうやって決めているのだろう。
「人のために」という言葉はどういう定義で使われるのだろう。


 そのうち僕は「曖昧な言葉を使わないようにしよう」と決意した。哲学的思考だ。
 そのせいで物事はクリアになったけど、人付き合いも悪くなった。


「ふーん、なかなか興味深い答えね。確かにそういう面もあるわ」


 僕の後悔をよそに、結衣子先生は元の無邪気な笑顔に戻った。


「臥薪嘗胆みたいに忘れない努力をしても、それが効果があるのかはわからない。それに――あなたと良く似たことを言う人がいたのよ、昔」


 僕は驚いていた。こういう問いかけに真面目に答えてくれる人はいままでいなかったからだ。


「君はなかなか面白いことを言うのね。他の男の子とはちょっと違うかも。ももかちゃんが惹かれるのもわかる気がする」
「えっ――?! そ、その、惹かれてるだなんて」
「また二人でくるといいわ。次も素敵な話ができそうね」




 ◇◆◇◆




 保健室を後にし、部室へと向かう。結局、僕の鼻は治療されなかった。
 一体何をしに保健室へ行ったのだろうか。ももかも忘れてるっぽいし。


 当のももかは、顔を少し赤らめたまま俯いている。結衣子先生の話のせいだろう。
 多分ももかは、僕の話をすると愛樹の蹴りが(僕に)飛んでくるのを恐れているのだ。それで僕の話をさけているのだろう。くそぅ、愛樹め。


 ユキはそれとは正反対に、忙しく口を動かしている。要約すると「告白するチャンスだったのに、どうしてあんな屁理屈言うの?!」だ。


 いやいや、あの場で告白はないでしょ。そんなのアニメでも見たことないし。
 周りの人間に振り回される日々に、思わずため息が出てしまう。
 まったく、どうして僕のまわりにはこういう自分勝手な女性ばかりいるんだろうか。女難の相でもあるのか?


「どうしたのれいくん? ため息なんかついて」
「いや……ちょっと女の子との付き合いで悩んでてね。どうしたら仲良くなれるのかなって」


 何か良い方法を知ってるかと思い訊いてみると、ももかはなぜかあたふたと慌て始めた。
 僕、そんなに変なこと訊いたかな? 慌てるような質問じゃないはずだけど。


「だ、だっ――誰とのことでなっ、悩んでるの?」


 舌の動きがぎこちないのか、しどろもどろになって答える。
「んー、ほぼ全員かなぁ」と僕が言うと、ももかは「え、……そ、そうだよね……」と言い、落ち着くというか落ち込みだした。
 いつも表情の変化が激しいけど、今回はプラスとマイナスを行き来してさらに激しくなっている。


 ももかのいろんな表情を見ていると、なんとなく心地よくなる。きっと、遠慮なく本音で付き合ってくれてるのが伝わるからだろう。
 ももかは一転して深刻そうな顔をして、こう言った。


「ひょっとして、愛樹ちゃんのことが気になるの?」
「そうだね。どうすれば喧嘩せずに付き合えるのかなって考えてるんだ」
「つ、付き合う?!」
「僕もこの部にいる以上、できれば部員とは喧嘩したくないからね。居心地悪くなるし、特に二人きりになったときが気まずいんだよね」
「ふ、二人きり?!」
「そうそう。この前、ももか部室から一人で出てった時あったでしょ。あの時の愛樹の目線がすごく熱くて、僕ドキドキしっぱなしで……ってどうしたの?」


 愛樹への愚痴をこぼしていると、ももかの顔が急に赤く沸騰していた。
 熱でもあるのかと思いおでこに手をやると「あっ」という短い声とともに、熱が伝わってくる。


 もう一回保健室に戻った方がいいのだろうか。でも、あの先生には出来れば会いたくないしなぁ。
 そうだ、千聖さんに聞いてみよう。多分あの人なら、自分用のジュースを冷やすために冷蔵庫でも持ってるかもしれない。


「あの、れいくん? その……」


 急に呼ばれて、ももかのおでこに手を当てたまま喋っていることに気づく。「あ、ごめん」と言い、手をどかす。何だか気まずい。
 なんとかこの気まずさを誤魔化すために、何か声をかけなければ……。


「そ、そういえばさ、昨日ももかは屋上の幽霊を調べに行ったんだよね? どうして屋上に行かなかったの?」
「屋上?」
「千聖さんに聞いたんだよ。自殺した生徒のことが消されかけてるって。ももかはその子のことが気になって調査してたんだよね?」


 そう言うと、ももかはきょとんとした顔をする。


「何言ってるのれいくん。昨日は屋上も調べたよ。けど、幽霊じゃなくてゴキブリが出たから怖くて帰ったんだよ」


 ……そうだったろうか。自分の記憶をもう一度見てみる。けど、そんなシーンは見当たらない。


 僕はももかに対する噂話を思い出した。
 いや、でも……まさかももかが僕を騙すなんて?


「あのね、れいくん。さっきのぬいぐるみの話なんだけど、秘密にしてほしいの。あんまり、知られたくないの」


 話題が変わる。僕はさっきの予感を隅に押しやった。


「大丈夫だよ。僕は秘密は守るし、そもそもしゃべる相手がいないから」


 悲しいけど事実だった。最近はユキと話すことが多くなってるけど、アレを話相手だとは認めたくない。


「――絶対、だよ」
「うん」


 もう一度確認、もう一度了承。
 そんなに秘密にすることなのかとは思うが、本人が秘密だと言う以上は秘密なのだ。


 ところで、秘密と内緒は何が違うのだろう。関係ないけど、難しい問題だ。
 直感的には、内緒の方がより萌える。「初音のひみつ」だったら多分売れなかっただろう。「初音のないしょ」、グッジョブ!


「秘密の話って、誰かに言いたくなるわね」


 ユキは相変わらずだった。
 突っ込みを入れようと思ったけど、考えてみたらそうかもしれない。誰かに言いたくなるからこそ秘密と呼ばれるのだ。




 ◇◆◇◆




「あーっ! ほらココ! ちゃんと真ん中に入れてないじゃん!!」


 内緒とは無縁の大声が部室から響き、そんな思考を遮る。


 中に入ると、千聖さんの持っているトランプを愛樹が指しているのが見えた。どうやら、愛樹がさっきの降霊術を見破ったらしい。


「愛樹ちゃん、どうしたの?」
「ももか、コイツは騙してたのよ。ほら見て、カードを真ん中に入れると見せかけて、上から二番目に入れてるじゃない」


 愛樹はさっきの手品を再現して見せた。
 ……なるほど、確かに二番目に入れて、上のカードを二枚同時にひっくり返せば、真ん中に入れたカードが一番上まで上がり、全ての現象は説明がつく。さすが愛樹だ。
 この調子で、ユキも論破してもらえると非常に助かる。


「わぁ、すごい愛樹ちゃん。わたしにもできるようになったよ」
「当然よ。タネさえわかれば誰にだってできるのよ、こんなの」


 ついでだし僕もやってみたら、難なく成功した。わかってしまえば意外に単純なことだった。


「これでわたしにも、降霊術が使えるのかなぁ」


 ずるぅ! 僕と愛樹は盛大にコケた。
 手品の秘密を知っても、さらに秘密があると信じる人もいるってことか。その信じ込みを解くべく、愛樹が説得を始める。


「いい、ももか? 霊はいるかもしれないけど、コイツがやってるのはただのインチキなの」
「うぅ~、やっぱりそうなのかな」
「おい待て。インチキというのは心外だな」


 不意に千聖さんが割り込んでくる。まぁ、彼女は言われっぱなしで黙る性格じゃないからなぁ。


「インチキじゃなかったら何? ペテン?」
「ペテンでもない。あれは立派な降霊術だ。その証拠に――」


 千聖さんは僕の方を見る。いや、微妙に視線がズレている。


 ひょっとして後ろのユキを見てるのだろうか? 僕が始めて千聖さんと会ったときも僕の後ろのほうを見ていた。
 何か感じる力があるのかもしれない。
 背中になにかむず痒いものを感じていると、後ろの扉が控えめな音を立てて開いた。


「――あの、こちらで霊について活動してると聞いて来たんですが」


 振り向くと、女の子が思い詰めたような声を出していた。
 伏せられた睫毛や結ばれた小さな口がわずかに揺れ、整えられたポブカットが首元でゆるやかな波を作っている。
 その様子は僕に、複雑に絡み合った細い糸を思わせた。


「ほらな。ちゃんと来ただろ」


 千聖さんは得意げに言った。いや、どう見ても人間でしょこの子。



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