音を知らない鈴

布袋アオイ

#57 夜姫の力

 すずちゃんは忘れているかもしれないけど、私はあなたの事をこの先もずっとずっと覚えていると思う。

 私がまだ学生だった時、すずちゃんはとても小さくて小柄だったのに、凄く我慢強い子だった。

 「すずちゃん!?どうしたの!?」

 「夜姫さん…」

 私とすずちゃんは仁さんに修行をしてもらっていた。

 私の祖父とすずちゃんのおじいさんが昔からの知り合いで、私を仁さんの元で修行させてやって欲しいとお願いしたらしい。

 祖父曰く、私は他の子と変わっているらしく、この時代で生きていくには多少困難だと思ったからだそうだ。

 だから仁さんの元で自分の力の存在と使い方を教わった。

 そして、修行をいつも共に頑張ってきたのがすずちゃんだった。

 すずちゃんも私と同じ、この時代で生きるのが困難になってしまう力の持ち主だった。

 私達二人は、仁さんの元で毎日修行に励んだ。

 誰にも見られないこの神社で、夜更けにいつも、いつも…。

 そんなある日すずちゃんの頬に擦り傷とおでこにアザをつくって来た。

 「どうしたの!?何があったの!?」

 「…………」

 すずちゃんは黙って下を向いていた。

 細かく震える様子からして涙を堪えているみたいだ。

 「すずちゃん!お願い、教えて?」

 私は怖くなった。こんなに小さな子が痛みを堪え、泣くことも我慢していることが。

 小学生の体と心でどれだけの物を背負っているのか。

 仁さんが度々私達に言っていたことがある。

 「絶対に死ぬな」

 この言葉を何度も何度も聞かされた。

 例え、私達にとって生きづらい世界だとしても死んではならないと。

 死とは終わりではないと。

 だから、私達はお互い心が折れそうになった時は支え合い、一分でも一秒でもこの世で生きていくことを神様に誓った。

 けれど、こんなに苦しんでまで生きるって、一体何なのだ。

 すずちゃんはどうしてもっと子供らしく生きられないのだ。

 祖父が仁さんに修行を頼んだのは、私が中学生に上がる少し前だった。

 私自身、自分が普通で無いことに気が付いたのがそれくらいで、力自体生まれつき強かった訳ではなかった。

 それまでは普通の子として、力の存在に気付くことなく、何の苦労も無く育ってきた。

 しかし、すずちゃんは生まれてすぐ、力の存在を周りに知られ、悪用されかける程に強かった。

 そうか、私は力の事について多少自覚を持った上で修行に取り組んでいる。

 だが、すずちゃんはその自覚をまだ持っていない。

 自分が何なのか分からない状態で修行をしているんだ。 

 自分の正体を周りからの言葉や目で把握している。だからいつも自信なさげで、不安そうで。

 我儘が言えないんだ。

 「すずちゃん!!泣いてもいいから!我慢しなくていいの!ね?」

 「……」

 「私に教えて?どうしたの?」

 「夜姫さん……痛かった…………」

 「どうしたの?何があったの?」

 「お父さんに…っ……」

 「お父さん…!?」

 もしかして…この傷は…

 「……うぅ……っ……うぅ…」

 「すずちゃん……」

 言えないのね…言葉にしないんだね…

 すずちゃんの霊力はとても強力で一つではない。

 そして、幾つもの力の一つが言霊の力だった。

 すずちゃんが苦しさを言えないのは、自分の言葉から生まれる憎しみを恐れているからだ。

 悪口を言えないのは、神様の前で人を罪人にしたくないからだ。

 感情を口にした時、何が起こるかは分からない。

 人を傷つけたくない思いがすずちゃんの言葉ひとつひとつを封じ込めている。

 こんな力…どうして神様はすずちゃんに…。

 もし神様が私達に力を与えているのだとしたら、何故わざわざ苦しむものを選び、悶えるような運命の道を示すのか。

 すずちゃんの心は日に日に閉ざされ、こんなに近くにいる私でさえ、本当のすずちゃんを知らないなんて。誰がすずちゃんを理解し救えるのか。

 この子は今真っ暗な場所で一人ぼっちなのだ。

 それでも死ねない、叫べない、動けない。

 もうやめてあげて…。助けてあげたいけど、私にできる事なんて。

 「……うっ…うっ…」

 声を出して泣けない、怖いって言えない。

 顔を隠して泣く子供なんて、他に誰が。

 「すずちゃん、おいで」

 頭を下げたまま、すずちゃんはゆっくり前に歩きだした。

 一歩ニ歩と踏みしめ、人にすがる事をギリギリまで拒むように、足を引きずるようにして歩く。

 すずちゃんの足よりも、石畳に映る雲の影の方が速く私に近づいてきた。

 今日は湿った風が吹いている。若干重く、清々しい夜とは言えない。

 トン…

 ようやく私に辿り着いた時、すずちゃんはおでこを私の体にくっつけて静かに涙を流した。

 手をぶら下げ、今も心の中で葛藤している事が伝わった。

 助けて欲しい…けれど、困らせたくない。

 私のお腹の辺りに顔がくるほど小さな体から、抱えきれない感情が溢れている。

 救えないのか、この子を。

 自分で心を落ち着かせるようにしているのだろう。次第に呼吸が整い息をする音が小さくなっていく。

 この子は強い。

 けれど、長く生きるための術は身につけていないんだ。

 私達が持つ力が時代を生きていく為に足枷となるものであるのなら、その力の強さに比例して、死を選ぶ意志も増すのではないだろうか。

 だとすれば、この子は私よりも先に死ぬ。

 そんな事…私が絶対にさせない。

 今日の月は半月にも満たない形で夜を照らしている。

 私達に降り注ぐ光の量はやや少なめ。
 
 私は一歩下がりすずちゃんの肩を優しく叩いた。

 「泣いていいんだよ、すずちゃん」

 そう呟き、神社の脇に咲く一輪の花を摘んだ。甘い香り。この世のものとは思えない芳醇な香りが若干湿った空気に混ざり合う。

 この空気の中で、この香りを嗅ぐことは少しリスクがある。

 気分を悪くしてしまうほど、今日の月といい、空気といい効き目がでてしまいそうだ。

 でも、例え今が苦しいとしても私が側にいる。頼むからこれで楽になって…

 すずちゃんの言霊の力は確かに強い。だが、今日はこの環境なら私の力も少しは増すだろう。

 今しかない。

 すずちゃんの前に再び行き、拝殿に座らせる。

 放心状態で何も考えないようにしているすずちゃん。ずっと下を見て脱力している。

 目は開ききったまま、瞬きひとつしない。

 頭の中も心の中も私には想像つかない程のものがうごめき合っているのだ。

 それ以上抱え込まないで。

 「すずちゃん…静かに息を吸って」

 左手に一輪の花を持ち、右手の人差し指と中指をすずちゃんのおでこに置いた。

 左手に少しずつ熱を感じる。

 そしてすずちゃんに触れた指から流れこんでくる痛み。

 涙を誘うような苦しみが感じる。

 胸が痛い。おでこに触れただけでこれだけの苦しみが襲いかかる。

 私が受け入れられるのは、すずちゃんが抱えきれなかった僅かな苦しみだけ。
  
 微々たるものかもしれないが今できることをしなくては。

 胸の痛みに呼応して、左手がどんどん熱くなる。

 まるで手のひらに火を宿しているかのように。
 
 ここまで集中できるのは薄暗い夜のお陰だ。このチャンスを無駄にしないよう意識を手のひらに集中させる。

 空気に重みが増し湿気を感じる。

 目を閉じ、神経を研ぎ澄ませ風を見る。

 次第に花が溶けていくような感覚を感じた。

 花の香りが増し、空気の粒に混じり、ひとつひとつの個体になるのが分かった。

 月を雲が覆い、更に夜は深くなる。

 指の先まで血が巡る。

 徐々に私の両手の感覚が消え、空気に溶け込んでいるかのように、周りと一体化した。

 すずちゃんは一向に動かず、俯き続けている。

 救いたい…この子を救いたい…!!

 「はっ!」

 すずちゃんへと意識が向いた瞬間、空気は驚くほど軽くなり、湿気を帯びた粒が一気に気体となって宙に浮かんだ。
 
 「今だ……!」

 体が軽くなるのと同時に雲が晴れ、月が顔を出し、私達二人を照らした。

 風が背後から来るのを感じ、花を持った手を口元に運ぶ。

 スゥーーーー

 風と呼吸を合わせ浅く息を吸う。

 そして、背後からの風と共に息を吐き、花びらを風にのせた。

 風にのった花びらは月の光に映し出され、蝶のようにきらきらと舞う。

 すずちゃんの周りに万遍なく散る花びら。

 辺りを包む甘くて優しい香り。

 私は再び目を閉じ、右手に集中して言葉を唱えた。

 「鈴の音と共に、夜を歌え」
 
 「……!」

 すずちゃんが少しばかり動いたのを右手のおでこに置いた手から読み取った。

 目をそっと開け、すずちゃんを見る。

 すると、まだ瞬きもできないくらいの動揺が顔に現れ、瞳がゆらゆらと揺れていた。

 「夜姫さん……もう…無理かもしれない……」

 ようやく口にできた言葉。とても重みのある悲しい音色だった。

 「わたし……生きていけないかもしれない……」

 溢れるように言葉が生まれる。それは今まで誰にも言うことが出来なかった生きることへの諦めを連ねた音ばかりだった。

 私は花の思考を制御し、感情を呼び起こす香りを増幅させ、すずちゃんの理性で抑え込む力を弱めた。

 今すずちゃんの心は感情が溢れ出し、押さえつけられないものは言葉へと吐き出されている。

 言葉にしたくない気持ちと、言葉になっていく感情を目の前にすずちゃんは戦っている。

 今日は月の光も弱い。

 思う存分言葉にすればいい。私がいる。

 「お父さんに…殴られた……痛い……怖い……お父さん、嫌いになっていい………」

 「いいよ」

 「わたし…もう死にたい……じゃないと、だれかを殺す………」

 「うん。全部吐きな、今日くらい」

 「わたし……わたし…このままだと…家族嫌いになっちゃう」

 「うん」

 「傷つけちゃう…だから…だから…」

 「……」

 「その前に……わたしが……」

 いくら今生きることが辛いとしても、強い言霊の持ち主にとってそれを口にすることは勇気のいることだ。

 「すずちゃん…」
 
 すずちゃんの瞳から一筋の涙がこぼれた。

 「わたしが………いけないんだ……………」

 すずちゃんの心のタガが外れたようだ。瞳から次々と涙がこぼれ落ちる。

 「うっ……うぅ……わたし……わたし……どうしたら………うぅっ……ヒクッ…うう……」

 すずちゃんの膝に涙がポタポタと落ちていく。私はそれをジッと見つめた。

 苦しいかもしれない、苦しいと言うことは勇気がいるかもしれない。

 でもきっと、今言うべきなんだ。

 もうそんな体じゃ支えられないよ、すずちゃん。

 また雲が足元へと近づき、霊力のタイムリミットを知らせた。

 私の力で曖昧に流れ続けている感情を、きちんと止めなければ、朝まで響いてしまう。

 月が隠れる前にすずちゃんの手を握り、目を閉じ唱えた。
  
 「また次の夜に…」

 そう唱えた後、すずちゃんは静かに目を閉じ横になった。

 可哀想に…両頬に涙の筋をつくってそのまま静かに眠った。

 「眠ったのか」

 「仁さん…」 
 
 「お前があんな風に力を使うとはな」

 「すいません、どうしても我慢できなくて」

 「そうか…」

 「間違った使い方でしょうか」

 「…どうだろうな、鈴音の様子次第だが、私から見ても確かに鈴音は壊れかけていた。お前が力を使いたくなることは理解しているよ」

 「……」

 「この子は死なせたくない、だから助けてやってくれ、夜姫」

 「はい…」

 言われずとも、私はすずちゃんをあの世に送り込んだりしない。この世で共に生き、命を輝かせるのだ。

 だからお願い、すずちゃん。

 あなたはあなたを信じて。

 

 

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