夏の仮睡

小鳥 薊

第5話告白

辛い話を、します。

本当は、忘れてしまいたいことなんです。
けれども、私という存在を私自身が忘れてしまわないように、思い出した記憶を全て言葉にしていく作業を、辛いですけれど、私はしなくてはいけないと思ったんです。

あの日のこと。

いつもと同じ、帰り道を少し遅くに通りました。
家路の外灯は少なかったから、
「遅くなるときは電話しなさい、迎えに行くから」
とママが今朝、言っていた。

ママの言うことは、聞くものよね、ママごめんね――。

家までは、私の足であと数分の距離でした。
(カイトに次のお誘いをしなくちゃ。)
そう思い、私は鞄の中のケータイを漁っていました。
いきなり、右大腿に激しい痛みが走り、痛みを感じた途端に私は歩道の脇へ身体を投げ出されました。
一瞬、何が起こったのか、理解し兼ねました。気付いたら転んでいたのですから――。

私を蹴り飛ばしたのは、暗がりではっきりしませんでしたが若い細見の男でした。
身体を起こすことができません。右脚が燃えるように熱いのです。
手を伸ばせば届きそうな場所にケータイが転がっていました。衝撃の際に飛んだのでしょう。
(もう少しで届きそう――。)
携帯電話まであと数センチのところまで至った私の手は、無残にもゴツゴツしたゴム靴の底に踏みつけられました。
「っ痛い!」
思わず、声が出ました。
ゴム靴の男は、おそらく躊躇いもせず思い切り踏んだのでしょう。
私は、恐怖と痛みを必死に小さな身体で堪えながら大きな声で、助けを呼ぼうとしたのです。
けれども今度は、私を蹴った方の男が、私に覆い被さってきたのです。
私の身体は、上肢を細身の男、下肢をゴム靴の男に拘束され、いとも簡単に持ち上げられ、さらに深い叢へ運ばれていきました。

もがいて捩っても、どうにもならず、自分がこれから一体どんな目に遭わされるのかと思うと恐ろしい。
心拍数は早過ぎて数えられません。私は後にも先にも、あんな爆音のような自分の心臓の音を聞いたことがありません。

私が連れていかれたところは公園と小さな川を挟む草地で、しゃがんでしまうと、姿が隠されてしまうのです。
小さな頃はかくれんぼをした記憶があります。
そこに、私は、五十センチメートル程の高さから勢いよく落とされました。
尾骨を打ち、私の身体は軽く弾んだように思います。
背筋から全身に痛みが走り、まるで感電したような痛みでした。
私の身体は、ゴム人形のように扱われ、男達に乱暴にされるほど、実際に人形へ近付いていくのです。
痛みに耐えかねた私は、本当にこのとき自分が人形であったならば――と願いました。
(神様、これから私を、これから起こる恐ろしいことにも耐えられるように、本物の人形にしてください。)
そう願いました。

私の両足首は、細見の男に強く拘束され自由を奪われています。
ゴム靴の男の方は、すぐさま私の上に馬乗りになり、襟元から一気に制服を引き裂いてきました。
私の胸元が露わになったとき、私はそれを自分の目で見て、今までで一番大きな声を出したと思います。
けれども私の必死の叫びは、結局、口を覆う男の手の中に籠って、世界の誰にも届かなかった。
ようやく、今になって右脚の刺さるような痛みが消えてきました。少し動いた骨盤を、可能な限り暴れさせ、両の肩甲骨を合わせるように上半身をくねらせて抵抗すると、私の一番細い腰の辺りに跨るゴム靴の男は、私を平手で打ちました。
頬は一瞬、氷を押しつけられたときのような冷たさを感じ、次に三半規管が狂ったような、気持悪さと頭の重さが私を襲い、首に力が入りません。

ぼうん、ぼうん。

頭の奥で、ティンパニが鳴っていますが、あれは狂ったピエロが叩いているんですね。まるで不調和音です。とても、不愉快です。
身体はここにあるのに、私の意識は身体から引き離されていくようでした。
私は、楽しかった思い出を必死に頭に思い浮かべ、大丈夫だよ――と、遠くの自分の身体に言い聞かせていたと思います。

冷たかった筈の頬は、他の打たれた部位同様、いつの間にか熱くなり、鼓動に共鳴し脈打っている。

ぼうん、ぼうん。

音は次第に小さくなって消えていく。
(神様、私はこれから一生、人形になります。)
今までの平凡で幸福な人生を、遠のく意識の中で思った。

ゴム靴の男は手を止めることなく、私の、小さな胸を鷲掴みにし、手の中に集められた膨らみに噛みついてきます。
凄く、痛い。
遠のきかけた意識が再び鮮明になる。
一体全体、どうしてこんなことになったのか、どうしてこんなことをされているのか。
私の身体は動けない人形でしたから、遠い意識で慟哭しました。

抵抗は、何倍の痛みを伴う報復へと代わるだけでした。
次第に、私の身体には血が流れなくなっていました。
私は何も知らない。この人達が勝手にやっていることです。
私は、男達のやっている行為が全く理解できませんでしたから、私という人間へ対する破壊行為である――そういう風にしか思えませんでした。

ゴム靴の男の陰から見える、ちらちらと細見の男の脛毛だらけの、棒きれのような足首が、硬い土から鉄塔のように伸びている。
それが、私の覚えている最後の映像です。

狂った音楽会の最中、ティンパニの内部に押し込められた私は、何度も何度も重低音の轟く気持悪い海の中。規則的なリズムで揺らされていました。
酔った私は、世界の全てを嘔吐しました。


ママ、地球は本当に壊れてしまっているんだね。これが証拠です。

ざざ。

波の音がする。ここは海が遠いのに――。
カイトと、海に行きたいな。
小波の音に混じって、男の低い声がする。

ざざ。

「むしゃくしゃしてたんだ、誰かを壊したいんだ。」


噎せ返るような、匂いは、夏草の肥えた土のせいでしょうか。
カイトに会いたい。私は、心の底からそう願いましたが、それは叶うはずがなかったんです。その日は、木曜日ではなかったのだから――。私は、運が悪かったのですね。

俯瞰して見渡せた眼前が――いいえ、私の身体全体が光っていました。
それは、私の最期だと、本気で思っていました。
私の身体は、眩しく光放ち、表現がおかしいかもしれませんが途端にふわっと弾けました。不思議ですよね。
これがもしも、お伽話だと思って聞いていた、あの魔法の粉だとしたら、頷けるなと思いました。

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