私は恋をしていました。

小鳥 薊

恋の行方

ある帰りの地下鉄でのこと。

イチカは、フミと買い物しにいつもと違う駅で降りる予定だった。
時間は十六時ちょい過ぎ。ラッシュの少し前。

「ねえねえ、イチカーー、今日の予算はいくら?」
「え、一万くらい。」
「リッチーー。」
「もう目星はつけてるんだ。」
「そうなんだ、イチカって本当、何でも即決だよね。」
「いちいち悩むの好きじゃないんだもん。」
買い物に時間をかけないイチカとは反対に、フミはなかなか決められない質だ。

それでも二人は気が合うから一緒にいる。
恋愛の相談もし合う。


そういえば最近は、イチカが恋に目覚め、フミは倦怠期を乗り越えた。

そういう話も逐一報告していたし、ここ数日はわりと平凡で退屈な日が続いている。




地下鉄の車両の中から、各駅で並んでは乗ってくる人を観察していた二人。

車両が少し混み合ってきたあたりで、フミがいきなり大声を出した。

「ねえねえ、イチカ! あの列見て! あれ! 盗撮の人!!」
「盗撮?……あ!!」

あの、イチカが恋した男子高生だ。
彼は友達と話してる。
どうやら、今停まろうとしているこの電車の、しかも同じ車両に乗るつもりらしい。

「フミちゃん、どうしよ。」
「イチカ、ねえ、願ってもないチャンスじゃない? ここは勇気出して声掛けて、連絡先聞いちゃいなよ。」
「え、いきなり……?無理だよ。」
「なんで? この機会を逃したら、もう会えないかもしれないよ。」

(もう会えないかも……しれない……。)

イチカは乗り気ではなかったが、彼との接点をどうにかして作りたい。

プシュー……。

ドアが開いて人が押し寄せてくる。
彼らは、イチカ達と離れた場所に進み、この状態では声を掛けられそうにもない。
もちろん、イチカの方を見向きもしなかった。

「ねえ、買い物はいったん保留にして、あの子たちと同じ駅で降りよう。」
「……うん。」

フミは不思議だ。自分の買い物はなかなか決断できないのに、人の恋路には相当の決断力と統率力を発揮するのだから。
逆にイチカは、前に彼に自分がした行為が後ろめたく、なかなか積極的になれない。
きっと変な女だと思われている。
好意的なはずはない。

(あんなこと、しなければよかったな。)




彼らはそれから三つ目の駅で降りたので、二人も付かず離れずの間合いで後をつけた。

改札を通り、しばらく歩いていると人波も落ち着いてきた。この感じなら、今駆け出していって声をかけることも十分可能だった。

二人は顔を見合わせて構えたが、その途端。

ゴトッ。

前を歩く彼等の、友達の方がスマホを落としたのだ。
人はまばらでも、アナウンスやBGMのざわつきに落下音は紛れ、彼等は気付かず歩いて行ってしまう。

イチカとフミは走り出し、彼の友達が落としたスマホを拾った。


「ん……?おや?これって、あんた?」
フミがスマホを傾けた途端に表示されたロック画面には、なんと、イチカが写っていた。

「なんで、私……?しかも、これ、」

イチカは確信した。この写真を撮ったのは紛れもない彼だ。
あのときの写真。
でもどうして、彼の友達のケータイの待ち受けに……?


訳が分からず、二人して足を止めた。


次の瞬間、
「うお!あれ!ヤバ、ケータイなくした!」
と、友達の方が大声で叫び、こちらを振り返った。

互いの距離は、数メートル。
向こうもすぐに悟ったらしく、友達が走ってやってきた。
盗撮くんと比べると小柄で、元気溌剌な短髪くん。女の子とも気軽に話せそうなタイプに見える。

「あの、そのケータイ……俺のなんすけど……。待ち受け、見ました、よね……。」
友達くんは、はあはあ、と息を切らせながら恐る恐る聞いてきた。

「はい……。」
イチカは、そろ〜りとスマホを彼の手の平にのせた。

「ちょっとーー!なんであんた、イチカの写真持ってんのよ!しかもよりによって、待ち受けにするとか、どんだけ好きよ……って、あれ、好きなの?まさかーー。ウソでしょ。え、え、」

割って入ったフミちゃんが、殺伐とした空気の中で地雷を踏んづけた。

「あの、ごめん……その……」
友達くんはバツ悪そうに、言葉に詰まってしまった。誰もしゃべらない。

三人は固まったままだったが、その沈黙を、すぐに追いかけてきた盗撮くんが破った。

「あのさ、君のその写真、撮ってコイツに送ったの俺なんだ。コイツは悪くない、」
盗撮くんはイチカの写真を人に回したことを何とも思っていないみたいだった。ただ、友達くんの汚名返上に必死な様子だ。
「……なあ、もうこの際だから、正直に言っちゃえば?」
「い、今?ここで?」
友達くんがさらにテンパっているのが見てとれる。
イチカは、自分の身に一体何が起きているのか、一向に理解できずにいた。
少し惨めな気持ちなのはわかる。

「言えって!お前が言わないんなら、俺が、」
「待て待て、俺が……俺の口で言うよ。実はさ、前に君を偶然見かけたときに、恋に落ちました。だから、君が写ってる写真を、消せなかったんだ。」

(……そういうこと、か。彼は、そういう目的で、撮ったのね……。)

もしかしたら彼も自分と同じでは……という、イチカの淡い期待は崩れ去った。
友達くんの気持ちは、たぶん自分が一番わかる。だからこそ、イチカは友達くんを責める気にはなれない。

なんだか一気に気が抜けてしまった。



「だから、もし嫌じゃなかったら、友達としてお付き合いできませんか?」

友達くんが真剣なことは見てとれる。
自分のことを、好いてくれているのだ。

しかし、この不思議な状況はなんだろう。
イチカはだんだんわからなくなっていた。恋に落ちて、その人に告白しようとしていたのは自分のはずだった。
それなのに、いつのまにか立場が逆転し、告白されているのは自分だ。




結局、この後、盗撮くんの機転とフミちゃんの動転に飲み込まれる形で、イチカは友達くんと連絡先を交換してしまった。
そして、せっかくならということで、四人とも友達として番号登録し、別れた。


イチカは本当は知りたかったのだ。
あのときのイチカの行動に、盗撮くんは気づいているはずだった。それなら自ずと自分の気持ちも勘付かれていることだろう。
友達くんの様子から、彼はイチカの行動を少しも友達くんに話していないんだな、と感じた。
それは一体なぜ?
友達くんを傷付けないため……?

盗撮くんは、第一印象と少し違って、弁の立つタイプの人みたい。
イチカに対しては、完全に友達くんの恋の協力者として接しており、イチカを意識している様子は見てとれない。

(私の気持ちは……なかったことにされた……?)





「なんか、予想だにしない展開になっちゃったけどさ、結果的に連絡先ゲットできたし、よかったじゃん。」
と、ご気楽なフミちゃん。
それに反して神妙な表情のイチカ……。
「なによーー、嬉しくないの?」
「いたたた、」
フミちゃんはふて腐れてイチカの頬を軽く抓った。




別れ際、盗撮くんを呼び止めようとしたのに、目が合った彼に制止された。

(秘密だよ。)

彼は、人差し指を唇に当てがい、無敵の笑みを浮かべて行ってしまった。


したことは、お互いさま。
だから、決して言うなよと警告されたように思えて仕方なかった。


この恋は、やっかいだ。


イチカの恋はどこへ向かえばいいのだろう。

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