白昼夢の家族

小鳥 薊

第13話 雨を乞う

普通の人間になろう、と誓った。今までの気持ちを封印なんて甘い考えは捨てて、リセットするのだ。潤は屋上へ向かった。
佐原との約束までは、まだ時間があった。
こんな手紙を書いたから、おかしくなったんだ。潤は紙をびりびり破いて屋上からばら撒いた。調度良い風が吹き、潤の気持ちを四方へ散らしていく。もしも自分が女なら、とよるべない考えが頭を巡る。けれども、自分は女になりたいとは、やはり思っていなかった。自分は一体、どうしたいんだろう。
どうして、ここで手紙を破らなければいけないのか、理由はなかったが、潤の思いつく場所でここが最適かと思った。この気持ちを埋葬するのだ。
誰にも見られてはいけなかった。それは密やかにしめやかに執り行われなければならなかった。それなのに、予期せぬ邪魔が入った。
「おい、何やってんだ。」
その声は佐原だった。潤の背中には彼専用の目が付いている。佐原だけを知覚する目が――。

(どうしてお前は、いつもこういうタイミングで現れるのか。全くマイペースで、こっちが傷心に浸ることもさせてくれない。どうしてお前はそうなんだ。)

潤は途方に暮れていた。同時に、自分のしていることへの羞恥の気持ちが込み上げてきた。揉み消さねば、そう思ったときにはもう手遅れだった。佐原は潤の巻いた切れ端を数欠片、拾い上げる始めている。
「おいおい、ゴミを撒くなよ。何だコレ、テストで赤点でもとったのか?」
「やめろ」
潤は観念し、佐原を見た。

俺はお前が好きなんだ、と、言ってしまえればどんなに楽なのだろう。散り散りになったラブレターは風に舞って遠くに飛ばされて、死んでいくはずだったのに。
(それを、お前が拾うな……)
佐原が手にしていた切れ端には、何の言葉が載っているのだろう。細かく千切ったからきっと意味の分からぬ文字だけだろう。けれども、この手紙いっぱいに潤の気持ちが込められている。
「見るな。」
潤は小さく呟いた。そして息を吐き、頭を軽く掻きながら、佐原の手の中の切れ端を奪い取ってポケットに突っ込んだ。佐原は、体動は少なく、じっとしていたが、そこから感情は読み取れない。潤の動揺ぶりに、戸惑っている様子ではある。
しばらく沈黙があったが、佐原は潤に用があるようで、気まずい雰囲気を揉み消すかのように用件を切り出した。
「この二日、お前のことを考えていた。お前のこととそれから俺とお前のこと。それから彼女のこと。」
「佐原、どういうことだ?」
「昨日、彼女と偶然、同じ電車になったんだ。俺の話、聞いてくれるよな。」
佐原は続けた。
「それで、俺、告ったんだ。でも彼女、俺とは付き合えないって。それどころか、どうしてっていうんだ。困ったような顔をして。なんでだと思う?」
「知らねえよ。」
「あの子、電車の中でずっと見ていた人がいて、驚くな、お前を好きなんだってよ。」
潤は、意外な言葉に拍子抜けした。この感情はなんだろう。なんだ、佐原は振られたわけだ。けれど、嬉しいとも悲しいとも思えない。何もないわけではないのだけれど、全ての感情が白紙なのだ。何も感じない。感じられない。
「お前、かっこいいからなぁ。仕方ないか。これ聞いて、どう思う?」
「何が?」
「あの子と付き合いたいとか、思うか。」
思わねえよ、これっぽっちも、と言いたかった。
「俺は、お前なら、いいと思う。」
佐原は悲しそうな表情だった。それでも、本心からだということは伝わってくる。潤にはそれがやるせない。
駄目だった。感情を抑えきれない。この押し寄せてくる感情を。潤にはそれがどんなものか分からなかった。暴走しそうで怖いのだけれど、もう止められない。脳内でジェット機が旋回した。ひゅん、と音がしたような気がした。
「なあ、おい。お前、俺とずっとダチでいたいか?」
「何言ってんだ。」
「俺とお前は、」
幻暈がした。屋上からは手を伸ばせば太陽が届きそうだった。指先が融けて、頭頂部がガンガンと波打つ。視界が揺らめいている。
「当たり前だろ。お前は一生ダチだ。だから、言ってんだよ。お前だって本当はあの子のこと気になっていたんだろう。わかってんだぞ。俺があの子のことが好きだっていったら、一瞬嫌な顔をしたよな。」
それは違うと言いたかった。佐原は全く、誤解している。
「お前は、本当にわかってないよ。俺は、本当は――」
潤がそう言いかけたときだった。潤の瞳に水滴が落ちたように、写った佐原の顔が歪んで波紋となった。これは自分の涙じゃない、雨だ。

――ボタボタボタ……ザアーーーーーー!

瞬間に大粒の雨がぼつぼつと二人を打ち始めた。二人の髪も制服も、忽ちびしょ濡れになった。
「すごい雨だ。」
「ああ。」
それでも二人からは、屋内へ逃れようという仕草は一つも見受けられない。互いに、大事なことを伝えようとしているのだった。
先に口を開いたのは佐原だった。潤は、今にして思えば、このときの佐原の言葉を遮ってしまえれば良かったのだ。そして先に言ってしまうべきだったのだ。
大雨が降り続いている。

(俺は、あの子になりたかった。そうして、お前に想われたかった……)

潤は、声にならない気持ちの代わりに、二人を隔てる雨のカーテンを構わず振り払い佐原へ口づけをした。佐原の細い頸を捉え、頭を少し傾げ、触れるか触れないかの軽い接吻だった。佐原は固まっていた。僅かに触れた唇からは拒絶も受容も感じとれなかった。二人の間を、雨が十二分に満たしている。薄めを開けた潤の瞳には、佐原が波打って写っている。
顔を離すと、鳩が豆鉄砲を食らったような表情をしている佐原を笑い、潤は言った。
「なんて顔してんだよ。」
許されるとすれば、おそらく最初で最後の口づけ――。
破り捨てた気持ちを、思いがけず佐原に再生された。これは誤算だった。
「な、な、なにすんだよ、お前、」
佐原は潤の肩をグーで殴ってきた。潤は余裕の表情で冗談っぽく言った。
「あの子の代わりに、俺の口づけだ。元気出せ、少年。」
そう言って、潤は悪戯そうに笑った。

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