グローオブマジック ー魔女の騎士ー

珀花 繕志

18.脱出

 スティアは倒れて血を流すフィートに治癒の術をほどこした。
「回復魔術をかけてやるのもほどほどにしておけよ。せっかく倒したのに起き上がってきたらシャレにならないぞ。目的はお前の母親を助けることだ。……束縛を解くぞ」
 ルードは立ち上がると、再びペンタントを剣に変えた。
 魔術の糸で縛られ、吊されたスティアの母親を見上げる。
(ようやく、約束を果たせるな)
 剣を再び魔力を込めて、彼女を縛る魔術の紐を一本一本丁寧に切っていった。
 ゆっくりと彼女の体が降りてくる。それを抱き留めて、地面に寝かせた。
 魔女化していた時のように醜い顔はしていない。夢でも見ているような穏やかな寝顔だった。
「スティア、起こしてやってくれ」
「はい」
 フィートの治療を終えたスティアは母親の横たわる側に座った。
「お母さん、起きて。私です。スティアです」
 頬に手を触れて呼びかける。
「ん……」
 僅かに開いた口から声が漏れた。スティアとよく似た優しい声だった。
「お、お母さん!」
「あ、スティア……?」
 スティアによく似た眼が開いて、娘の顔を見ていた。
「お母さん、お母さんっ!!」
 体を起こした母親にスティアは飛び込んだ。その瞳の切れ目から涙がこぼれ落ちていた。
「スティア……」
 エリスはその体を抱き留めて、髪を優しく撫でる。
(よかったな、スティア)
 笑いながら泣く彼女の横顔を見て、ルードはほっと胸をなで下ろした。ようやく肩の荷が降りた気持ちだった。
 瓦礫がちらばり粉塵の舞う研究所の一室で、抱き合って泣く親子をルードは温かい目で見守っていた。
(仕方なかったとは言え、償いきれないほどのことをしたのは事実だ)
 ルードは覚悟を決めてエリスの前に進み出る。
「エリス、さん。俺を覚えていますか?」
「あなたは?」
「あなたが魔女化した時に対峙した騎士です」
「ルード・アドミラルさん、ですね。覚えています。私を止めてくれた、娘を守ってくれた騎士様ですね」
 エリスのスティアとそっくりな微笑みに、ルードは救われた気持ちになった。
「そう言ってくれてありがとう。あなたとスティアを救うつもりが、こんな酷い目に合わせてしまった」
「あなたには充分に助けてもらいました。自分を責めないでください」
「そうだよ! ルードは悪くない。あの時もお母さんを殺さずにいてくれた。今もお母さんを助けるのに協力してくれた」
 そうね、とエリスはつぶやいた。
 彼女を魔女化させるほどの罪を犯した人間、それによって罪を犯した魔女、それを捕らえた騎士、人体実験をした研究者。罪が罪を連鎖させているようだった。
「色々と謝りたいことや伝えたいことはたくさんあるんですが、とにかく今はこの国を出ることを先決にしたいと思います。一緒に来てもらえますか?」
「あなたもこの国から?」
「約束しましたから。スティアを一生涯守り続けるって」
「それは……」
 エリスは呆気に取られ娘の顔を見つめると、頬を赤く染めて視線を逸らしていた。エリスは一目見てわかった。
「なぁんだ。あなた、いい人を見つけたんじゃない」
「え、でも、だって、半分はお母さんがかけた呪いで……」
「私が彼にかけた呪いは魔術の行使を封じる、ただし娘を守る時だけはその限りではない、という内容よ。彼があなたを助けたのは彼の意思だわ」
 私がそう望めば解除もできたかと思うけどね、と笑った。
(……アリエルが呪いを解除できたのもそういうことか)
 ルードはそう納得をした。
 スティアは恥ずかしさのあまり母の胸に顔を埋めてしまう。
「ルードさん。私もあなたに酷なことを強いたし、取り返しのつかないことを犯したのは確かです。それでも、助けてくれるのですか?」
 彼女は犯罪者を助けるのか、と聞いていた。
「償う内容が魔術の実験動物になれ、なんていうのはやり過ぎだと思います。他の方法で償うことだって出来たはずです」
「それはスティアのため?」
「半分は。もう半分はこの国の膿を出す為です」
 チラリ、と床に倒れるフィートの方を見る。
 魔女化はこの国の、いやおそらく世界における災害だ。それを何とか防ぎ、被害を食い止めることは必要なことだろう。しかし、そのために人命をもてあそぶのはこの国の法が許さない。魔女討伐部隊の兵器開発研究を隠れ蓑に、人体実験をしていたことが明るみに出れば、フィートとてただでは済まないだろう。
「正直ですね。わかりました。行きましょう。私もいつまでもこんな研究に付き合っていられないとは思っていました」
 エリスは立ち上がると、ルードの顔をじっと見て言った。
「これは興味本位なのですけれど、この子のどこに惚れたんです?」
「もう、お母さん!」
 エリスはころころと笑い、スティアは頬を膨らませた。
「……無事ここを出ることができたら話します。さぁ、ここを抜けましょう!」
 ルードはぶぜんとした顔でスティアの手を引いて立ち上がらせ、来た道を引き返した。
「待ってください。その前に……」
 エリスは二人が扉から出たのを確認して立ち止まると、研究機材を振り返り手の平を向けた。
「いでよ、地獄の業火」
 彼女の手の平から激しい火炎が巻き起こり、魔術の装置を燃やした。
「二度とアリエルみたいな娘を生み出さないようにね」
「お母さん……」
「さ、行きましょう」
 わざと明るく振る舞って、二人の後に続いた。
 オレンジの炎に包まれた機材の奥にはまだ人の形にとっていない生物らしきものが浮かぶ培養ケースが無数に並んでいた。

 研究所には相変わらず所員の姿は少なく、いても一人か二人だったため、すぐに無力化させて縛り上げることができた。
 薬品と獣の臭いが入り混じる研究所の廊下を走り抜け、魔女討伐部隊の本部に出た。
「ここからが問題だな」
 研究所員は遭遇しても大した問題ではない。
 だが討伐部隊の隊員はフィートほどではないものの、一小隊を相手にするとなると骨が折れる。
 魔女に近い強力な魔術師が二人もいるとはいえ、彼等はそれと戦うためのプロ集団だ。戦い方も心得ている。
 用心しながら討伐部隊本部を走り抜ける。
「いたぞ! 反逆者どもだ!」
「魔女もいるぞ!」
 既に隊全員にルードたちを捕らえよという命令が出ているらしく、ルードたちはあっという間に二つの小隊に囲まれてしまった。
「お前ら、黙って通す気はないか? 魔力を取り戻した俺を相手にして無事に済む訳がないと思うが」
「無事に済まそうなんて気はない! 貴様らには捕殺命令が出ている!」
 凄んでみたが、まったく効果はなかった。
 おそらく騎士団本体から命令でもきたのだろう。フィートがいないことが士気に影響しないくらい目が血走っている。
(やるしかないか)
 過去に仲間と呼んだ人間と殺し合いを興じるのは忍びないが、自分が選んだ道なら致し方ない。
 ルードはペンダントを握り、剣に変化させた。
「敵襲だ!! 研究所にも魔女の使い魔が出た!!」
「外からだ! フィート隊長からの命令伝達! 本部侵入させるな!!」
 その声はルードたちには通信機を通して伝わってきた。
 ラクトとリイルの声だった。
(あいつら、何で?)
 ルードが疑問の思っている間にも、他の隊員はそれにと惑わされ、ルードたちへの攻撃を止めていた。
「ど、どうなっているんだ??」
「魔女はもういないはずだろう!?」
 各隊は困惑で乱れた。しかし、そこを離れようとはしない。
「どけ、お前ら!!」
 そこに現れたのはボウトだった。
 その背後にはにはアリエルもいる。
「そいつは俺の獲物だ! お前らはフィート隊長の言うとおり外の使い魔を相手にしろ。コイツは俺がやる!!」
 ボウトはやる気満々でハルバードを背中に担ぎ、隊員を押し退けてルードの前に立ち塞がった。
「は、はい! ではここは任せます」
「了解しました! ご武運を!!」
 ボウトの存在に圧倒されて他の隊員たちはあっという間に散って行ってしまった。
「やっぱりあの程度じゃ死んでなかったか。随分気の早いリターンマッチですね」
 ルードの頬に汗が伝う。このボロボロの状態で再びボウトと戦って勝つのは正直厳しい。
「はっはっはっ、そういきたいものだがな」
「……今のうちに裏口から逃げて」
 ボウトが豪快にそう笑った後、その背中から顔を出したアリエルがそう告げた。
「ボウトさん、アリエル?」
「事情は全部アリエルから全て聞いた。コイツは俺が引き取って養子にする。お前らはどこか遠くに逃げろ」
「ボウトさん……」
「そんな顔をするな。俺も知らなかったんだ。フィート隊長が影で人体実験を指示しているなんてな」
 ボウトは知っていればこんなことに手は貸さなかったと苦虫を潰したような顔をした。
「ルード、スティア」
 今度はアリエルが話しかけてきた。
「……気をつけて」
 たくさん言いたいこと、話したいことがあった、そんな様子でアリエルはそれだけ告げた。
「あぁ、最後の最後まですまない」
「アリエルちゃんも元気で」
 ルードたちもまったく同じ思いだった。
 今は時間がない。騒動に紛れてこの国を抜けなければ二度とチャンスはない。そう思いながらもエリスはアリエルの前にひざまずいてその手を握った。
「ごめんなさい、アリエル」
「謝る必要ない。エリスがいなければ私は生まれなかった。生きて楽しいこと、嬉しいことを見つけることはなかった。だから、ありがとう。さよなら、お母さん」
 アリエルは不器用な笑顔でエリスの手を撫でた。
 産みの母親と一緒にいたい気持ちもあったのだろう、だが、ホムンクルスの彼女は研究所のあるここから離れることはできない。それを知っていて母を見送りに来たのだ。
「アリエルっ!」
 エリスは思わず駆け寄って彼女のことを抱きしめていた。
「泣かないで。私も悲しくなる。お母さんをこれ以上研究の材料にされたくない。だから、行って!」
 アリエルはエリスの肩を掴んで、それを引き離した。
 エリスは涙が溢れ出してしまった目元をふいて、無理矢理に笑顔を作った。
「ありがとう、アリエル。またどこかで必ず……。ボウトさん、身勝手なお願いですが、アリエルをよろしくお願いします」
 エリスはこぼれ落ちる涙をぬぐい、深々と頭を下げた。
「お任せてください。さ、早く!」
 ボウトが裏口への道を示した瞬間、通信機にノイズが走った。
「ボウト副隊長、もう限界です。早く!」
「ルード、早くしなさい! この私が時間を稼いでいるんだからね!」
 ラクトとリイルがルードたちに聞こえるようにだけ通信を入れてきた。
「二人とも今までずっと、ありがとう。元気で」
「最後の最後まで、ありがとうございました。お二人のこと忘れません」
 ルードたちも彼等にだけ聞こえるように通信をした。
「行こう! みんなの協力を無駄にするな!」
「はい!!」
 ルードたちは裏口に向かって駆け出した。
「スティア! 幸せにならなかったら承知しないわよ!」
 最後にリイルがスティアにだけ聞こえるように通信してきた。
 一瞬ぽかんとした表情になったスティアだったが、その意味を噛み締めて、
「はい!」
 それだけ答えた。
 三人は騎士団本部の裏口から抜け出した。

 陽動のお陰か、追っ手に見つかることもなかった。
 扉の裏口はサウス地区・西の城下街に繋がっていた。
 西の街から見るとここは小高い丘になっており、本部と街とを結ぶ道が一直線に走っていた。
「お母さん、ここからなら」
「えぇ。使えるわね」
「お母さんはこれを使って?」
 スティアはスペアの杖をエリスに渡し、自分も杖を取り出す。
「じゃあ、ルード捕まって!」
 スティアは魔術で杖を人の背の丈ほどのサイズに変化させ宙に浮かべ、ルードの手を掴んだ。
「えっ!? ど、どうする気だ? うわっ!!」
 彼女の手に引っ張られてルードは宙に浮かぶ杖の上に乗せられた。
「いくよ! せーの!!」
 瞬間、二人を乗せた杖が宙に浮き上がった。
 スティアの杖が魔女の箒のような乗り物になって、空へ舞い上がった。
「と、飛んでる……!?」
 騎士団本部と街をがどんどん小さくなっていき、人が見えなくなっていった。
「凄いでしょ? これが私達の家に伝わる秘術、飛行魔術だよ」
 スティアは自慢げにそう告げた。
「こ、これは確かに凄いな……」
 見上げれば青い空と視界を流れていく雲。
 王国の研究所でさえ、まだ空を飛ぶ魔術を開発することができていない。
 もしかしたら、彼女の家系は本当に魔女の家系であったのだろう。だから、魔女化しても元に戻ることができたのかもしれない。
「ねぇ、ルード?」
「ど、どうした?」
「こうしてくっついていると、気持ちいいね」
 スティアが頬を染めてそんなことを言うから、すっかり忘れていたことを思い出してしまった。
 ルードは杖に乗る際にスティアの腰にしっかりしがみついていたのであった。
「ば、ばか! う、うわっ!」
 ルードは真っ赤になって腕を離した。その瞬間に風に煽られて、宙に投げ出されそうになる。
 足だけで杖にしがみつき、何とか振り落とされるのをしのいだ。
「あぁ! 危ないよ! しっかり捕まってて!!」
 スティアが伸ばした手を慌てて掴み、何とか体制を整えると、ルードはもう一度スティアの腰にしがみついた。
「うふふー、ルードって案外シャイだね」
「う、うるさい」
 この空中散歩ですっかり立場が逆転してしまったことを情けなく思いながら、無事逃げることができたことをようやく実感することができた。
 徐々に城下街が遠くなっていく。
 遠くにルードの生まれ育った町も見えた。きっと二度と戻ることはないだろう。
 祖父母、仲間、地位、色々なものを捨てることになったが、代償に大切なものを得た。
 大切な女性。きっと自分は彼女を一生守り、愛し続けていくだろう。
 ルードはそんなことを思い、寂しさを洗い流すように吹き抜ける風に体を晒した。
 ルードたちはそのまま遥か遠くの空へと飛んで行った。

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