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第1話 高橋はいない



暗闇の中わたしと彼の間にはロウソクが燈っている。これほど寂しい夜に暖かなオレンジ色の明かりを眺めると、それだけでも安堵感をおぼえる。
「えっと、どこからだっけなぁ。」
彼は不意に星も見えない空を仰ぎ見る。この男は年上の私に対して敬意のかけらもない。誰にでも同じ態度なのだろうかと感じてしまう。
「確か昨日は高校生の時に何かを気づいたって話で終わってたような。」
「あー、そうだそうだ。すんません、昨日のことなのにあんまり覚えてなくて、えーっと、ちょうど高校二年の時にある異常に気がついたんですよ。」
音もない微かな空気が、ロウソクの灯りを揺らす。二人の影が大きく伸び縮みしている。
「考えてみたら、もう6年前になるんですかね。自分は二十二なんで。」
「あー、ちなみにゴメンね、わたしは年上だから。」
「へぇー、お若いんですねー。」
なにそれ。なんか損してない?
「20台なんてあっという間だよ。アンタも気付いたらわたしと同じになるのよ。」
「いや、いつまでも年の差は埋まらないですがね・・・。」
キッと睨みをきかせ、バシッと彼の肩を叩く。
「へへへ、すんません。」
悪びれる様子もなく上目遣いでにやけてる。妙に腹が立つわ。
「まぁ、それは置いといて、僕がその異変に気付いたのは高2の夏でした。」
彼は、自分の首に手を回して、とろんとした生気のない眼で地面を見つめた。とりあえず、暇なので相手をしてやることにする。



そう、僕がその異変に気付いたのは高2の夏だった。
「あれっ、さっき高橋呼ばれなかったんじゃない?」
朝礼で、フジイが高橋の名前を呼ばなかった。
「高橋?呼ばれたじゃんかよ。」
前の席の山田が振り返る。確かにもう一人の窓際にいる高橋は呼ばれた。でも、その高橋じゃない。
「お前の隣にいるやつだよ。」
「はぁ?たかやまのこと?たかやまー、オマエはたかはしだったのか!」
「なにいってんのよ。」
沢田は眉間に皺を寄せて山田を睨みつけている。しかしそんな沢田も悪くない。
「お前は高橋だったのかーっ!」
「あんた、話しかけないでくれる。マジ無いから。」
「ささきー、オマエのせいだぞ。」
目を細めて、こちらを見ている。
「違うよ、お前の左の席のやつだよ。」
そう、山田の隣の席の高橋は今朝、僕と一緒に登校したのだ。なのに、担任のフジイがクラス全員の名前を呼ばなかったのはおかしい。
「あーそういえばこの席ずっと空いてるな。」
「ずっとって、さっきまでいただろ。」
「はぁー?オマエ、なんか見えちゃう系なの?」
毎度だけどこいつの喋り方はいらつく、それにこういうおふざけはちょっと違うんじゃないか。それに沢田にそんなに気軽に話しかけやがって、山田を睨みつける。
「ということで、そこのうるさい3人組に授業評価のアンケートを回収してもらうことにします。きみら頼んだよ。」
フジイの発言と同時にクラスの皆がこちらを見ている。黒縁メガネをかけて偉そうなヤツだけど、文化祭の時もウチが学年で一番ひどかったし、教師としては全く出来るイメージはない。僕はフジイなんか信頼してない。高橋のことは読み飛ばしたんだろう。
「チッ山田、あんたのせいだかんね。」
「えーなんかオレ、踏んだり蹴ったりだな。全部オマエのせいだぞ。いくらオレが間違ってボールぶつけたからって悪気は無かったんだよ。」
山田は恨めしそうにこちらを見ている。今朝、校庭で部活中の山田にバスケボールをぶつけられたのだ。けっこうな勢いで後頭部を直撃した。ヘラヘラ笑いながら謝りやがって思い出すだけで腹が立つ。こいつどこまでふざけてるんだ。そんなに僕を怒らせたいなら、後ろから思いっきり殴ってやろうか。こちらが懲りずに睨み返すと、山田は泣きべそをかいて前を向きなおした。あぁフジイといい、イライラする!

結局、5時限目の最後の授業も高橋は戻ってこなかった。
「はぁーあ、なんでこのオレさまがアンケート持っていかなきゃなんないんだよ。」
山田がうそぶく。僕と高山はもちろんスルーだ。
「高橋くん、珍しいな、寝てるなんて・・・。いつも、マジメにしてるのに。」
「なんかあったんじゃない?」
女子が窓際にいるもう一人の高橋の話をしている。あいつはある程度イケメンだし、スポーツもそこそこできるから、クラスでは上位ランクなんだ。
「オラッ、さっさと行くよっ」
沢田はアンケート用紙を持って、僕らと目を合わせることなく一足早く教室をでた。僕は中の下、女子の話題には上がらないんだ。高山の髪の匂いがかすかに残る。山田と急いで後を追いかけた。職員室までの道のりは終始無言だった。
「あんたが先にはいりなよ。」
職員室の入口前で高山がアンケート用紙を差し向けた。僕はハッとした。面と向かうとわかるんだけど本当に美人なんだ。けばくてかわいい女子なら少しいるけど、掛け値なしに美しい。学内でベストナインがあれば選出されるほどの美人だと僕は思う。人気がないからオールスターは無理っぽいけど。残念なことに彼女はそのキツイ性格のために近寄りづらいし、いつも人と顔を合わせずに下を向いているせいでなかなか顔が見えないので、ほとんどの人がその美貌に気付いていない。恐らく彼女自身もそこまで自覚をしていないんじゃないか。僕はこういう隠れた名店っぽいのが大好物なんだ。というか好きだ。
「ほら、原因作ったのあんたでしょ。」
僕は用紙を受け取ってフジイの机に向かった。フジイにはいろいろと言われたけど、上の空に僕はかるく傷心していた。入口を見るともう二人の姿はなかったんだ。高山にとって僕は中の下、いや存在すら許されないんだ。ただし山田、お前はどうして帰った。
「佐々木、今日は部活来るか?」
フジイの説教が終わり職員室を出ようとすると、マキタ先生が話しかけてきた。
「あ、すみません。勉強あるんで。」
僕は教室を出た。部活は行く予定だったし好きだけれど、誘われると頑としてサボりたくなる。僕はひねくれ者だ。勉強も部活も明日から頑張る。今日は帰る。

高橋とは大して仲の良い間柄では無かったが、中学時代に一度友人グループで新しいゲームをしにいったの覚えている。高橋とは不思議に小中高同じ学校だった。お互いの家は微妙に離れた位置にあったけど、中学までは分岐のパン屋のところまで一緒に帰っていた。なんとなく気を遣っていたんだと思う。高校生の僕らにとっては長い付き合いだったが、いつも友達を通して彼のことを知っていた。嫌いでも、好きでもない不思議な関係。
そんなこと考えているうちに高橋の家まで来てしまった。家の前には大きなトラックが停まっている。玄関の表札は取られ跡だけがくっきり窪んででいる。戸は開けっぱなしだ。ちょっと勇気をだそう。
ピンポーン
「はい、はーい。」
小奇麗な黒髪セミロングの中年女性が出てきた。高橋の母親だったかな?
「あのー、その・・・。」
「はい・・・・、なんでしょう?」
「えっと、翔くんはいますか?」
「こちらの家は隅田ですけど?」
女性は怪訝そうにこちらを見ている。右目下に小さな涙ぼくろがある。
「あーもしかしたら、前の人の事かなぁ。僕たちはちょうど引っ越してきたばかりだから。」
奥から中肉で背の高い男が出てきた。
「うん、どうしたの?」
男は女性のほうを見る。おそらく夫婦なんだろ。
「いや、この男の子がお友達探してるんだって。」
「あのここ、オレの友達の家だったんですけど・・・。多分このあいだまで・・・。」
僕は学生カバンの肩掛けをキュッと握った。
「うーん、前に住んでた人のことかなぁ。とはいっても、この家は4年前から空き家だったはずだから家間違えたんじゃない?」
「・・・はぁ。そうかもしれません。」
自分よりも一回りも二回りも大きな男の迫力に押されて、萎縮してしまう。最後に遊びに来たのは数年以上も前のことだったし、道を間違えたのかもしれない。
「じゃあ、申し訳ないけれども僕達は引越しの整理をしなきゃいけないから。」
「あ、すいません。」
男は難しい顔をしてこちらを一瞥して妻のほうへ視線を向ける。眉間に皺を寄せる男の眉毛はとても濃いし威圧感がある。こっちも早く帰りたくなった。
「高橋君見つかるといいわね。」
女性は目尻に皺をよせて微笑み、直後に男はゆっくりドアを閉じた。呆気ないなぁ。まあ他人だからそんなもんか。
空を見上げると今日はいつもより赤く染まっているように感じる。やっぱり僕の勘違いだったのか、ちょうどこの家を通り過ぎようとしたところ、ふと家と家の間を隔てる壁の隙間に目をやった。見覚えのある錆びた鉄の塊がある。眼を凝らすると確か僕のキックボードだ。ああそうか、昔失くしたと思ったキックボードはここにあったのか・・・。高橋の家に新作のゲームを皆でやりにいこうと、盗まれないように壁の隙間に置いて忘れてしまった。そうか高橋の家に忘れてたんだ。
もう一度玄関を見やる。先ほどの女性が荷物を運び入れながら明らかにこちらを見ている。後頭部に電流が走った。心の中の気持ち悪さが、まるで汚い何かが一気に全身を駆け抜ける。何かが引っかかる。僕は怖くなって早足で家路に向かった。

机のライトを点けて国語の問題集を開く。制限時間を設定しても、いつものように解けない。頭の中がうねうねして三段落目で挫折してしまった。どちらにしても正答率は低いんだからいいんだけど。教師や親は“今勉強しないと後悔するよ”という。でもどっちもFラン大学卒で、妙に説得力があるような、ないような・・・、学生時代は2度と戻って来ないって、そんなのどうだっていい。僕は早く大人になりたいから興味はない。さめたココアに口をつける。時計に目を移すと十二時になっていた。いつも机に向かっているだけで、まったく偏差値は上がらない。いったい僕の将来はどうなるのだろうか。
なんだかたまらなく空しくなって、ベッドに寝転がる。天井を見つめて今日の出来事を反芻した。山田が高橋を知らなかったこと、高橋の家だったはずなのに別の人が住んでいたこと・・・、そういえばどうしてあの女性は高橋って言ってたのかな。どうして高橋の名字を知ってたのだろう。怖いなぁ。何か知っているんじゃないか?
こっちは“翔”としか、下の名前しか呼ばなかった。大人しか知らない何かがあるのだろうか。

ああ・・・、怖いけど眠くなってきた。高橋はいないかもしれない。本当は最初からいなかったかもしれない。

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