月に水まんじゅう

萩原 歓

40 二本の白薔薇

 初めて月姫が星奈のフィールドに入ってくる。
なんの前触れもなく、突然仕事帰りに月姫は姿を現した。
そして星奈はアパートに招き入れる。


「そこ座って」
「うん」
 青いコットンのクッションに、月姫は胡坐をかいて座る。(横座りじゃないんだな)
 ふふっと笑って星奈は冷えた麦茶を出してから、さっき月姫からもらった白い薔薇を
志野焼の一輪挿しにさし、テーブルに置いた。


「スーツ脱いだら?ハンガーに掛けとくよ」
「お、サンキュ」
 月姫は細身の紺のスーツを脱ぎ、同じく紺に白のドット柄のネクタイを緩めた。
ネクタイは星奈が以前プレゼントしたもので使ってくれていることが嬉しかった。


「姫、いつこっち来たの?」
「ん?朝から。いいとこじゃん、ここ。途中で水まんじゅう食った」
「そうなんだ」
 星奈は自分の住む街を、月姫が褒めてくれたので、なんとなく誇らしくなる。
海の見える町に住む月姫が羨ましいと思っていたが、案外ないものねだりなのかもしれない。


「一人暮らししてたんだな。早く言ってくれたらよかったのに」
「ごめん。練習のつもりで。続くか不安だったから」
「一人暮らしの練習ってなんだ」
 笑って言う月姫に「ううん、ちがうよ」と告げて、星奈は彼のはす向かいに座って麦茶を飲んだ。
 きょとんとしている月姫にゆっくり話す。
「いつでも姫と暮らせるようにシミュレーションしてたの」
「え」
「実家住まいで、いきなりじゃ無理かもと思って」
「ほんとに?」
「うん」


 真顔でじっと星奈の顔を見つめた数秒後、月姫は星奈の手首をつかみ、自分の胸に引き寄せ口づけをした。
「もう少しキリをつけたら姫のとこ行ってもいい?」
「待ってる。慌てなくていいよ。俺にはきっと乙女だけだから」
「ありがと。わたしも姫だけだよ」


 強く抱きしめ合いながらも、長く親しみ馴染んだ身体に溶け込んでいくような気持ちになる。(初めて会った時から結ばれてた)
 星奈は本当に欲しいものは、最初から近くにあって、やっとそれに気づけるくらい成長ができた、と思った。
ここにたどり着くまでに、いろんな人に出会って、いろんなことを教わった。
自分を取り巻く、すべての善良な人々に感謝の念を送る。
 そして自分の唯一のつがいである月姫を得る。


 これからは自分だけのことではなく、二人のことを考えて生きていくのだ。
 二輪の白い薔薇が一輪挿しの中で寄り添い合うように見えた。
やがて二人を包み込むような芳香が夜の闇に漂った。

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