月に水まんじゅう

萩原 歓

35 修一の結婚

 先週から修一に、日曜日の午後は家にいてほしいと言われ、伸二、奈保子、星奈は
出かけることもなくゆっくりと家で過ごしていた。


 家のチャイムが鳴ったので星奈が出ると、アイボリーのワンピースを着た、少し年上だろう女性が立っている。


「こんにちは」
「あ、はい、こんにちは」
「初めまして、妹さんでらっしゃいますか?」
「え、あ、はい」
「私は修一さんと親しくさせていただいています、岩瀬真琴と申します」
(え?親しくって?まさか)


 後ろに修一が立っていた。
「いらっしゃい。あがって。星奈、お茶頼むよ」
「あ、う、うん」
 慌てて家の中に駆け込み、くつろいでいる両親に「お兄ちゃんの彼女が来た!」と慌てて言った。
「えええーっ」
「な、なにっ!?」
 ガタガタと慌てて立ち上がり、奈保子はソファーの周りを見回して雑誌やらペンやらを片付ける。
 伸二は身だしなみを整え始めた。


「どうぞ」
「失礼いたします」
修一がエスコートし、リビングの入り口に彼女を立たせ、紹介した。
「岩瀬真琴さん、同じ病院で働いている看護師なんだ」
「初めまして。よろしくお願いいたします。これお土産です」
 丁寧に頭を下げる真琴から、白いケーキ箱を伸二は受け取り、「わ、わざわざご丁寧に」と言い、奈保子に渡す。
「どうぞ、そちらへおかけください」
 奈保子は窓際の明るいソファーのほうへ促した。


 お茶を入れて星奈は緊張しながらテーブルに置き、様子をうかがった。
Lの字に並ぶグリーンのソファーには二組のカップルが座っている。
(あたしはどうしようかな)
 ちょっと考えていると修一が「星奈もこっちに」と手招きする。


 少し狭いが奈保子の隣に座った。
シーンとした緊張する空気が流れる。
「僕たち結婚しようと思ってるんだ」
(そういうと思った)
 伸二も、奈保子も星奈も修一が言うセリフはだいたい予想がついていた。


 彼は学生時代からストイックで女性と遊ぶところなど見たことがない。
いつも高い目標に向かって邁進する日々であった。
そんな修一が女性を連れてくるとなると、もう理由は一つしかなかった。


 真琴はセミロングの黒い髪を、ワンピースと同じアイボリーのシュシュで一つにまとめている。
 星奈よりも少し背が低いが、もしかしたら修一よりも背が高いかもしれない。
 きりっとした眉と強い目力と引き締まった口元は、意志の強さを感じさせる。
彼女は幼い時にお弟を亡くしたことがきっかけで看護師の道を選んだらしい。


 今日はとりあえず結婚の意思がある相手を、紹介したかったと言うことで
小一時間ほどで真琴は帰っていった。


 バス停に送ってすぐ戻ってきた修一に、今度は奈保子が話を始める。
「ねえ。相手のご両親には会ってるの?」
「いや、これから。彼女の父も亡くなってて今はお母さんだけみたいだけどね」
「そうかあ。なんだか苦労してきてるんだなあ」
「まあ、そうだね。芯の強い人だよ」


 奈保子と伸二は反対する気持ちはないようだ。
しかしこんな日が来るとはまだまだ予想が出来ていなかったのだろう。
やけに落ち着かず「これからどうしようか?」と話し合っている。


 星奈は美優とロバートが美優の両親に会った後、結納やら挙式やら宗教の違いやら、
家族中で会議がなされた話を聞いていたので、意外と平静にしていられた。


「お兄ちゃん、いつ結婚するの?」
「ん。反対がなかったらいい時期に」
「どうしよう。やっぱりグランドホテルかしら?」
「式は、神前か?」
伸二と奈保子が口々に言うのを修一が止める。
「入籍だけでいいと思ってるんだけどね」


(地味婚なんだ)
星奈が今どきそんなものかと思っていると、奈保子が「それはダメ!」と大きな声を出した。
「派手じゃなくていいから挙式と披露宴はやってちょうだい。身内だけでいいから!」
 珍しく意見を通そうとする奈保子に伸二は「そうだな。そのほうがいいと思うぞ」と同調した。


 修一はうーんと唸りながら、「わかった」と一言言ったので両親はほっとした様子を見せる。
(喧嘩にならなくてよかった)
 星奈もほっとした。
美優から家族会議の揉めっぷりを聞いていたからだ。
ただその原因は美優が籍も入れない、式もしないなど結婚する当人が恐ろしく放
棄した感じだったからだ。


 落ち着いたところで真琴が持ってきた、フルーツケーキを食べた。
その後、それぞれのんびりと午後を過ごした。


 数日後、奈保子と二人でお茶を飲んでいるときに「あんたはいい人いないの?」と聞いてきた。
「え。うーん」
「あんたもいい人はやくみつけなさいね」
「うん」


 もう九年も付き合っている月姫がいて、プロポーズもされているのだが、全く気付かれていないようだ。
(あたしって何も変わってないのかなあ)


 修一が最近なんとなく男らしくなっていたことや、綺麗になっていく美優の変化などが、自分には訪れていないのだろうか。
(それはそれで問題だなあ)
 しかし月姫との付き合いが当たり前で、自然なのことなのだとも思った。
彼を紹介したらどういう反応をするのか、まったく未知数のことに星奈は想像が出来なかった。


「真琴さん、良さそうな人だったね」
「そうね。だけど修一のお嫁さんなんて想像したこともなかったわねえ」
 奈保子は目を細めて眩しそうに窓の外の洗濯物に目をやった。
「そろそろやることがなくなるのかしらね」
息子の巣立ちが寂しいのだろうか。
しかし穏やかな微笑を浮かべる母は肩の荷が下りたようなほっとした様子だった。

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