月に水まんじゅう

萩原 歓

32 副主任

 調理スタッフのサブリーダーだった斉藤三代子が定年退職することになった。 保育園が創立されてから変わらなかったメンバーに、変化が初めて訪れる。
入れ替わりで入る若い浜田咲綾は、おっとりとして緩慢な動きではあるが、年齢の割にファッションにはあまり興味がないらしく地味で化粧っ気なく、
食に関する熱意を持っているようで調理員みんな、歓迎ムードである。


 そして時期サブリーダーに星奈が選ばれた。
星奈はまさか自分がそのような立場になると夢にも思わず、また自信のなさではじめ断ったが、園長と調理スタッフ満場一致での選出だったので、
結局引き受けることにした。


 今夜は三代子のお別れ会と、咲綾の歓迎会を兼ねた食事会を、内田和弘の旅館『桔梗屋』内の食事処で行うこととなった。


「まあ。素敵なお店ねえ」
「なかなか落ち着いて。でも入りやすいわね」
 年配のスタッフは座敷から見える景色が気に入ったようで、リラックスしてのんびりし始める。
西日に松が映えて美しい。


 咲綾は緊張しきょろきょろあたりを見まわしている。
 結婚し苗字が高木になった美沙は
「ちょっと遠いけどいいとこ知ってんねえー。今度ダンナとこよー」
 と、嬉しそうに言った。


 星奈はこの店の主人である和弘と、専門学校で同期だったことを話した。
「ほおー。さすがあ。グランド上がりぃ」
 久しぶりに美沙がからかう。
「ちょっと。美沙さん。もうそのネタ古いですからっ」
 星奈が笑いながら言うと皆も明るく笑った。


 事情を全く知らない咲綾だけが「グランド?」と美沙に尋ねる。
「星奈ちゃんはね。もともとグランドホテルで働いてたんだよー」
「ええっ!?あの県内で一番のホテルですか?」
「そうよー」
 まるで自分の自慢話の様に美沙は言うので星奈は
「たまたま入れただけで、私には合ってなかったよ」
 と、言い訳のように言った。
「いえ、すごいです」
 咲綾は尊敬のまなざしを向けてくるので、少し照れて星奈は「あ、あの飲み物注文しますね」とボタンを押した。


 和弘には事前に連絡しておいたので、いい場所を確保しておいてくれ、さらに頼んでおいた予算のものよりも上等な料理を出してくれた。
おかげでスタッフはみんな満足し、また来たいと言っている。


 普段、子供の食育に熱心なスタッフたちなので、適当な居酒屋などに入ることはためらわれ、さらに味にもうるさいとなると和弘の『桔梗屋』が良いと思い星奈が提案した。


 多少距離があり億劫かと思われたが、新しい店と料理を開拓したいという熱心な皆には、さほど距離は問題にならないらしい。
寧ろ、ちょっとした小旅行気分になれるので今度は宿泊もしようと盛り上がった。




 帰り際に三代子が「頑張ってね。でも自分のことも大事にするようにね」と優しく星奈の肩を叩いた。
仕事を始めた当初は三代子もリーダーの和江も厳しい中に優しさのある大先輩だと思っていた。
しかし退職をし、これから孫と遊びながら畑仕事をするのだと言う三代子はすっかり戦友から、優しいおばあちゃんに変わっている。


 最年少だった星奈にも後輩が出来た。
 もう若さだけではやっていけない。
世代交代による責任感が星奈にプレッシャーを与える。
三代子の言う自分の事とはなんだろうか。
結婚や出産などのことであろうか。
その部分には星奈は考える余裕もなく、また望むことはなかった。
ふと結婚、出産を機に仕事を辞めた母の奈保子のことを思う。(男なら仕事を中断することはないのにな)


 イクメンや育児休暇をとる男性が増えたとはいえ、やはり少数だ。
月姫は何か考えているのだろうか。
想像しかけたが、なんだが未知の恐怖が湧き上がり考えるのをやめようと星奈は夜空を見上げ自分の星座である、おとめ座の中のスピカを探すことにした。

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