月に水まんじゅう

萩原 歓

29 続・和弘と美優

 角刈りになった和弘と肩を並べて歩くと学生時代に戻った気がする。ぶらぶら歩いて駅付近の喫茶店に入った。
「美味しかったよ。さすが京都で修行しただけあるねー。美優はもう来た?」
「え、ああ」
 和弘は言葉を濁す。
「実はさ、別れたんだ。俺たち」
「えっ。全然聞いてないんだけど」
 どうやらほんの数日のうちに別れたらしく、その間美優とも連絡を取り合っていなかった。
星奈も美優も自分の仕事の話がメインであまり恋愛の話をすることがなかったせいでお互いの恋人との関係がどうなっているのか把握してはいない。
 星奈からすると美優も和弘も知っている二人なので何かあれば話すだろうし、上手くいっているものだと信じて疑わなかった。
「俺たちあんまり上手くいってなくてさ。美優って俺が居なくても平気だろ?」
「うーん。平気って言うことでもないんじゃないのかなあ」
「いや。平気なんだよ。俺が東京に行くって言っても『頑張ってね』って言うだけだったし」
「東京?」
 和弘は京都で数年修業したのち、その店の分店である東京支店でも働いていたらしい。
「日本料理だと関西から関東に修業に行くと「都落ち」だって珍しがられるんだぜ」
「へー。そんなものなのか」


 ふーっと大きなため息のあと和弘は「あーあ」と芝居がかったような様子で声を出す。
「美優は旅館の女将は嫌だってさ」
「別れた理由ってそれだけ?後で美優、気が変わるかもしれないじゃない」
「ん。んんー。今、嫌ならもう、俺さあ、待てないよ」
「なんで?もしかしてお父さんが危ないの?」
 一度会ったことのある和弘によく似た大柄で愛想のよい赤ら顔を思い出した。
「いや、オヤジはぴんぴんしてる」
「じゃあ、なんでよ」
 やけに和弘は気まずそうな表情をする。
「美優には言わないでほしいんだ」
「え、う、うん」
「東京でさ。働いてて、仲良くなったこがいるんだ」
「ちょ、ちょっと。二股あ?」
「ち、ちがう、ちがう。最後まで聞いてくれ」
「う、う、ん」




――東京の店で和弘は接客のバイトをしている大学生の糸井芽衣と出会った。彼女は両親の言う通りの大学に進学し、将来はそれなりのところに勤めて、それなりの人と結婚する予定だった。
ところが突然、両親に敷かれたレールから抜け出したくなり、やったことのないアルバイトを大学の付近で始めた。それが和弘の勤める店だった。
 選んだ職種ではなかったようだが接客業が合ったらしい。人へのサービスと細やかな気遣いが活かせるサービス業は芽衣の天職のようだ。
 職場の飲み会で隣同士に座り、その気遣いを目の当たりにした和弘は芽衣にとても感心し好感を持った。
 彼女も和弘が職人肌で誠実で評判の良い好青年であると言うこと、そして志の高さに惹かれたようだ。
 ただ和弘には美優がいる。芽衣にも恋人がいることを告げていた。二人とも美優の存在を無視して付き合うことなどできる性格ではない。
 和弘は揺れながら、どうにかしなければと思い悩んで、実家へ戻る日が近づいたとき美優に旅館を継ぐ事を話した。
 結果、美優は「頑張ってね。あたしは京都で頑張るね」ということだった。




「そうだったんだ。うーん。なんか。それはしょうがないって感じだね」
「まあ美優は何も悪くないんだけどさ」
「そうねえ。誰も悪くないと思うよ。たんに歩く道が違うんだよね」
「でも、美優がきてくれてたら、芽衣の事すっぱりできるかっていうと、そこもなあ」
「もう、いいじゃん。なかったことにぐずぐず考えなくてもさ」
「んー、まあ、なあ」
複雑な心境なのだろう。結論が出たのは各々の気持ちではなく状況によってなのだ。
「で、芽衣さんはどうするの」
「今、都内のホテルで働いてるんだよ。もし、俺がいいって言うならついて行きたいって言われてる」
「へえええー」
照れ臭そうに下を向いた和弘は鼻の頭をかいている。
「うちが軌道に乗りそうなら。――呼ぶよ」
「そっか」




 和弘と別れて電車に乗り、薄暗い窓の景色を見ながら月姫に思いを馳せた。
友人たちの出会いと別れは他人事ではない気がする。今はまだ変化がない月姫との付き合いがいつか和弘と美優のように変わることがあるのだろうか。
 薄闇が胸に忍び込んできそうになり星奈は少し不安を感じる。しかし細い三日月が目に入った時、月姫と心が繋がったような気がして心に明かりが灯るような温かさを感じた。

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