月に水まんじゅう

萩原 歓

5 茶道部

「星奈さんは道具の扱いが丁寧ねえ」
 志野の茶碗を優しく茶巾で拭いていると、茶道部の指導をしている池波静乃から声を掛けられた。
「あ、ありがとうございます」
 星奈は恐縮して頭を下げた。
「ごくろうさま」
 温和な声とほほ笑みを残して、池波静乃はスッと音もなく部室を去っていった。


 ほーっと息を吐いて緊張を解く星奈に、同じく茶道部員の新田美優が軽く肩を叩く。
「おつかれっ。先生に褒められていいじゃん」
「ん。池波先生気配感じないからびっくりする」
「だねえー。なんか、忍者ぽい?」
「くのいちじゃない?」
「池波先生ってもう九十歳近いんだってさ」
「えっ。ほんと?せいぜい七十かと思ってた」
 お茶の先生がいなくなり、緊張が緩み星奈と美優は軽快になっていた。
 そこへ顧問の教師、岸谷京香がやってきて一喝する。
「こらっ、そこ。お話しするならもっと上品になさい」
 星奈と美優は見合わせて「はーい」と返事をした。


 茶道は全く経験がなかった星奈ではあるが、他の部員も同様で気後れすることはなかった。
感覚も似ているのだろうか、おっとりして競争意識も低く、平和な部活動だった。
 指導に当たる池波静乃は高齢ではあるが、いつも凛とした和服姿の背筋は美しかった。小柄で新入生よりも小さいのに存在感が大きく、彼女のオーラともいえる雰囲気は、女子中学生でざわめいた茶室を一瞬にして、静かな林のように変える。
「いい茶碗はね。見込みが深くて宇宙の様なのよ」
 毎回なぞかけの様な不思議なことを教えられる。
星奈も含め部員たちは教えを理解しているかと言えばおそらくしてはいない。お手前のやり方は覚えられても、精神性まで理解するにはまだまだ先のことなのだろう。
 それでも星奈は何か深淵なものに触れる気がして、静乃の話を真剣に聞いた。自分の手の中の、空っぽになった抹茶茶碗を見つめる。(ここに宇宙があるのかあ……。)


 この町は海がない。県自体が海に接してないのだ。山に囲まれ少し狭い気がする。
 しかし星奈はインターネットの中に、別の世界があり、手のひらに宇宙があることを想い、心が軽くなる気がした。

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