フォレスター

萩原 歓

7 ネットゲーム・2

 四日目の昼過ぎ、チャイムがしつこく鳴り、直樹は寝ぼけ眼をこすり、渋々起きて玄関を開けた。
「おい、いつまで寝てんだよ」
「ん、兄貴か」
 兄の颯介だ。
遠慮なくどんどん入ってくると、テーブルの上に小さなビニール袋を置き、椅子に座った。


「なんだよ。この部屋、汚ねえな。髭くらいそれよ」
「ああ、片付けてなかった」
 テーブルの上にはカップラーメンとコンビニ弁当の空が置いてあり、床には数本ペットボトルが転がっていて、シンクには携帯ゼリーとコップが散らかっていた。


「どうしたのわざわざ」
「お前、携帯の電源ずっと切れたまんまだったろ。母さんが心配してさ、ほらお前の好きな鯵の南蛮漬け」
「ああ、切れてたのか。気づかなかった」
「彼女はどうしてるんだ。会ってないのか」
「ああ、家族旅行中みたい」
 素っ気なくいう直樹に颯介は顔をしかめた。


「なんかさあ。お前、大事にされてないのかよ」
 何秒かの間のあと直樹は答えた。
「いや。俺が大事にしてないんだと思う」
 しかめっ面のまま颯介は席を立った。


「俺、今デートのついでに寄っただけだからこれで帰るよ。たまには母さんに連絡いれとけよ」
「ん。ありがと」
「じゃあな」
 颯介の清潔な石鹸の香りが部屋に残った。
彼は元々綺麗好きでデートでは特にこざっぱりさせていた。
 颯介の残り香に思い出したかのように、風呂にでも入るかと、力の入らない身体を引きずって浴場へと向かった。




 久しぶりに風呂に浸かって直樹は身体中に心地よさを感じていた。
ここ数年、シャワーばかりで湯船につかることは数えるほどしかなかった気がする。


 本来は海でも川でも温泉でも身体を水に浸すことが好きだった。
中学高校と水泳部に所属し、大学時代も夏はもっぱら水辺で過ごしていた。
海も好きだったが滝の冷たい水が特に好きだった。


 残念ながら里佳子も含め恋人たちは映画館やショッピング、もしくは大がかりなイベントなどのデートを好んだ。
幼年期から颯介にあちこち連れまわされ、自分の意思で誰かと遊ぶことがなかった直樹にとって、それらのデートが苦痛ではなかったが楽しくもなかったし、こんなもんだとも思っている。


 主体性のなさをたまに指摘され、返答に困り「君が望むから」とおざなりな返事をして過ごしているといつの間にか女は去っていった。
その瞬間悲しくはないが虚しさは残る。


 里佳子はこんな自分とよくも長く付き合えるものだな、とたまに感心する。
きっと里佳子が自分を手放さない限り自分から離れることはないだろうと思っている。


 求める前に与えられてきた直樹にとって、自分が欲するところが、どこに何があるのか追及することも分析することもなかった。
しかし最近はなんだかやけに乾く気がする。
心も身体も。
 何か求めたいのに何を求めたらいいのかがわからない。


 お湯を手のひらに汲み、顔をつける。
(ごくごく自然で体感的なこと――)
それだけはわかるのに具体的にはわからない。
このまま時間を過ごせばこのジレンマのようなムズムズした気持ち悪さにも慣れ、無彩色な心が普通の状態だと思えるのだろうと自分に納得をさせ、風呂から上がった。


 ――その時には風呂の湯の心地よさを忘れてしまっていた。


 身体をタオルで拭きながら、筋肉が随分落ちていることに気づいた。
ネットゲームの『ミスト』は筋骨隆々だ。
直樹は自分がどこにいて何をしているのかわからなくなってきた。
ただ何となくだが、もう自分をごまかせないということだけは感じていた。

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