浪漫的女英雄三国志

萩原 歓

3 才捷剛猛にして諸兄の風あり

 早朝、太白星ヴィーナスがきらりと輝くときに孫仁尚香そんじん しょうこうは産声を上げる。あまりに大きな声に呉夫人は孫策、孫権と続きまた立派な男児が生まれたと思った。


「奥様、とてもお元気な姫様ですよ」


 産婆の言葉が信じられず、身体を起こす。


「姫? ですと?」
「ええ、ええ」


 そっと差し出された大きな声で元気よく泣くというよりも叫んでいる我が子は確かに娘であった。


「おお、おお、なんと勇ましい娘でしょうか」
「こんな元気な赤子は男でもおりますまい」


 もう滲んできた母乳を早速飲ませようと赤子に乳頭を近づける。


「ああっ!」


 すると赤子はすぐに泣き止みぱくりと食いつくように吸い上げる。


「まあまあ。これはこれは」


 生命力の溢れる娘に、呉夫人と産婆は産後の疲労など消え失せるような気がしていた。


 孫堅文台そんけん ぶんだいも赤子のあまりの元気の良さに娘の裸体を見るまで男児に思えていた。
 長男の孫策伯符そんさく はくふと次男の孫権仲謀そんけん ちゅうぼうも生まれたばかりのすやすやと眠っている妹、孫仁尚香を愛しそうに見つめる。孫堅は三人を見比べるとやはり娘の孫仁が一番己に似ていると思い苦笑する。


「これはこれはまた女傑になりそうであるなあ」
「父上。仁が生まれたときあまりの大きな声で、わたしも権もびっくりして起きてしまいましたよ」
「そうかそうか」


 呉夫人が起き始めぐずりそうな孫仁を抱き上げゆっくり揺らす。


「ふぁっ、あぅっ、ふうっ」
「ほらほら、御父上ですよ」
「どれどれ。ちょっと待っておれ」


 孫堅は駐屯先からそのまま帰ってきたので重装備であった。ガチャガチャと音を立て、孫策に手伝わせ鎧を脱ぐ。その音に孫仁は「きゃっきゃっ!」と嬉しそうな声を上げる。


「ん? 面白いか?」


 孫堅が剣をカチャカチャ鳴らすと更に喜ぶ。


「あなたっ!」
「ああ、すまんすまん」


 調子に乗って金属音をたてる孫堅を呉夫人はたしなめる。孫仁は父、孫堅の大きな手に抱かれ満足そうに声を立てる。


「またまた立派な赤子よ。わしほど子に恵まれたものもおるまいて」


 孫策も孫堅も誇らしい笑顔を見せる。呉夫人は家族五人のこの幸せがいつまでも続くようにと祈った。


 幸せな時間もつかの間、父、孫堅、兄、孫策を亡くした後、内気な孫権を孫仁は奮い立たせるようにますます勇ましさを増す。父の形見の剣を振るい、今日も鍛錬を行う。


「あたくしも戦いたい!」


 ヒュンッ!と突かれるまっすぐな剣は空気を切り裂きそうである。女人であるからという理由で戦場に出させてもらえないのではなかった。母の呉太妃が相次いで父、兄を亡くした悲しみのせいで孫仁も孫権も戦場に直接赴くことを嘆くのである。そのため戦場はもっぱら孫策の親友であった周瑜公瑾しゅうゆ こうきんの独壇場となっている。彼は知略にも武芸にも優れていたので安心して任せることが出来、孫仁も孫権も兄として慕っているので不満はない。
 しかし彼女の内側からくすぶるような精力エネルギーは剣技を鍛錬することだけでは発散できなかった。


「ふんっ! 美周郎め。あたくしよりもよっぽど女らしいなりで!」


 また剣でビュンと薙ぐ。三公を二代にわたり輩出した呉の名家の息子である周瑜は武人としても一流であるが、その容姿は華麗で麗しく、幼い時には美少女と見紛う程であった。また教養も高く楽に関しては半音の狂いも聞き逃さぬ者である。
 彼の実力を十分にわかっているが、孫仁も武人としての潜在能力ポテンシャルは決して引けを取らないと自負していた。ただ周瑜は着々と戦場で戦歴を重ね実力をつけていくのに、自分は停滞している。鬱々とした毎日の中、孫仁は女人だけで編成した部隊を作り上げる。江東の女は己の力を持て余しているものが多いらしく、老女幼女問わず早々に兵士志願者は集まった。
 この女人部隊にはさすがの周瑜も呆気にとられ、孫権も苦笑いしたが、孫仁の護衛という名目なので編隊は許可される。
 このように孫仁は持て余す精力を兵士の育成に注ぎ始めた。


 周瑜の妻、小喬しょうきょうも孫仁の女人部隊編成の噂を聞きつけ、参加を希望する。


「あなた。尚香様の鍛錬に参ってもよろしいでしょうか?」
「……。そなたもか。大喬だいきょう殿も希望しておるようだな」


 小喬の姉である大喬は、周瑜の親友であり、主君でもあった孫策伯符の妻であった。呉の至宝ともいえる美女、二喬を娶ることで二人のきずなはさらに固くなったが、その孫策も若くして暗殺される。大喬は若くして未亡人となり、幼い一人息子を抱きながら周瑜の元に身を寄せていた。


「駄目、ですか? 尚香様は素晴らしい方ですわ。どのような身分の者でも、外見でも受け入れ技を磨かせるのです」
「うーん。まあ、良かろう。しかしほどほどにしておくのだぞ」
「ありがとうございます」
「しかし、私の元へ帰らず姫様のところに行ってしまうのではないかと心配である」
「まあっ! あなたったら」
「ふふっ」


 周瑜は孫仁の度量の大きさと、見解の深さ、決断力は孫権以上、いや孫策以上のものを感じ取っていた。恐らく孫堅の血筋を一番濃く受け継いでいるのは孫仁であろう。しかし残念なことに彼女は末娘であり表に立つことがあれば内政に支障が出てくるであろう。それがわかっていて孫仁も裏でひっそりと剣を磨き、同じようにくすぶる者を鍛えているのであった。


「あの方こそ才のあるものを見抜き、使うことが出来るであろう」


 これから孫仁は江東になくてはならない存在になるであろうと周瑜は予見し、彼女となるべく敵対しないように心がけている。彼女もまた兄の孫権よりも、周瑜を意識している。二人の間を小喬が潤滑油になってくれたら少しは気が楽になると周瑜は考えている。


 孫仁はやってきた大喬と小喬の二喬姉妹を歓迎しまずは武器選びのために武器庫へ誘った。


「どうぞ、この中からお好きなものをお選びください」


 二喬姉妹は目を見張り並べられた武器を見つめる。刀剣、矛、槍、戟、偃月刀、斧、鞭など様々な武器がある。


「す、好きなものですか……」
「ええ。やはり好きなものを使う方が上達も早いのですよ」
「ですが、大きいものが強いのでは?」
「まあ、扱えれば大きいに越したことがないかもしれませんが」
「はあ……」


 小喬は初めて目にする武器に興味がわいたらしく、色々手に取っている。大喬は慎重な性格なのであろう、じっと武器の形状を眺めている。


「どれ、少し実演をお見せしましょう」


 孫仁は二人の女兵士を呼ぶ。大柄な女兵士は力があるようで長い柄を持つ矛を持っており、小柄な女兵士は短い柄に三日月形をした刃が付いている手戟を二本持っている。


「二人とも、少し演武をお見せしなさい」
「はっ!」


 二人の女兵士は孫仁に拱手し、お互いに向かい合ってから武器を構えた。


「はああっ!」


 鋭く刺そうとする矛を二本の手戟が交差し絡めとる。


「やあっ!」


 矛を跳ね上げ、手戟は交互に連続で刺す。それを矛がまた交互に薙ぎ払っていく。鈍い金属音と女兵士の掛け声が二喬姉妹を興奮させていった。


「やめっ!」


 孫仁の合図に二人は弾ませた息を整え、礼をして戻っていった。


「どうです? 大きい小さいや武器にそこまでの差はないでしょう。差が出来るとすれば熟練度でしょうか」
「ええ、ええ。素晴らしかったですね! お姉さま」
「ええ、小喬。感心致しました。しかしあたくしもあのようになれるものでしょうか」
「ふふふっ。心配なさいますな。あの二人も鍛錬であそこまでになったのですよ」
「なるほど」


 大喬は小喬よりもより感心して思いつめたような表情を見せている。小喬は剣を一本とり「これにいたしますわ。夫に剣舞も披露したいですから」と明るく言う。


「ああ、いいですね。公瑾殿もお喜びになるでしょう」
「さあ、それはどうでしょうね。苦笑いなさるのではなくて? うふふっ」


 小喬の予想通り、鍛錬され剣舞の見事さに周瑜は苦笑し、孫仁の育成に舌を巻くことになるのであった。


「あたくしは――これを」


 大喬が手にしたのは二本の手斧だった。


「へえ。大喬殿が斧とは意外ですな」
「ほんと、お姉さま。なぜ斧なの?」


 大喬は静かに「これなら普段から使うことが出来ますから」と言う。


「普段から……」


 夫の孫策を亡くした大喬は小喬の夫である周瑜の元に身を寄せてはいるが、明日をも知れぬ身だと思っているのであろう。一人の幼い息子と共に江東を去る日が来るかもしれない。呉の後継者争いに巻き込まれはせぬか懸念しているのである。


「お姉さま。心配し過ぎでは?」
「大喬殿。あなた様を蔑ろにすることは決してありません。孫家の者として私も誓います」
「ありがとう。尚香殿。でもいいのです。女一人でもやって行けるようになりたいのです。江東の女は強いのです」


 たおやかに見える大喬の強い意志に孫仁は感心し己もより鍛錬しようと心に誓う。
 この後、劉備との縁談話が持ち上がるまで孫仁は江東で女兵士を鍛え上げることになる。ただ実際に戦場に赴けぬことが彼女に鬱憤を募らせる。訓練できていない男が簡単に兵士となり戦う姿に腹立ちを覚え、すっかり男嫌いになってしまった。女兵士たちは孫仁を慕い、憧れ尽くす。孫仁もまた真面目に鍛錬し男たちと違い小綺麗で純粋な彼女たちを愛した。
 周瑜はじめ老臣たちも孫仁に姫らしくするようにと諫めることが出来ず、恐れていた。母親の呉太妃も戦場に行かず、元気でさえあればと孫仁を自由にさせる。そして一人静かに彼女を眩しそうに見つめ続ける書生がいた。

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